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舛添に屈した安倍&自民党~敵対していた舛添を都知事選で支援、負ければWの屈辱

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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】


東京都知事選に、舛添要一氏が無所属で出馬することに。しかも、昨日、自民党の関係者と会い、政策協議を行なうと共に、同党の推薦を得ることが決まったという。(@@)

 mewは、果たして自民党が10年に除名した舛添氏をどう扱うのか、また安倍首相&仲間たちが舛添支援を容認するのか、実に興味深く思いながら見ていた。(**)

 自民党は、安倍政権の維持だけでなく、東京五輪や震災の対策(&利権分配)などを考えると、ともかく今回の都知事選では、自党とパイプのある候補を当選させたいところ。(・・)

 そして、舛添氏は、自民党やメディアが昨年末から行なっていた事前調査で、常にTOPだったとのことから、同氏を支援するのが一番得策であることには違いないのであるが・・・。
 しかし、党内には「舛添アレルギー」が強く、同氏の擁立、支援に抵抗を示す人が多かったことから、なかなか舛添支援に踏み切れずにいた。(~_~;)

 舛添氏は、01~10年に自民党に在籍していた時には、新人の頃からかなりタカビーな態度であった上、党の閣僚や執行部を批判しまくっていたことから、不快に思う人が多かったし。<10年に除名されたのも、そのような恨みが積もり積もってのことだと思うです。^^;>
 しかも、特に安倍、麻生内閣への非難が辛らつだったこと<バカ首相、バカ大臣とか言ったりとか(・o・)>、超保守派が作った改憲案を批判&修正して反発をくらっていたことなどなどから、mewは、安倍首相&超保守仲間たちが、舛添氏とタッグを組むことには難色を示すのではないかな~と思っていたのだ。(・・)

 さらに舛添氏は、自民党に主導権をとられたくなかったためか、同党の議員とは接触していたものの、自ら譲歩して支援を要請する形をとろうとはせず。
 あくまでも自民党の方から、歩み寄って来て、お願いされるのを待つ戦法をとっていたことから、その辺りの駆け引き(意地の張り合い?)も面白く感じる部分があった。^^;

 実際、党内では、最後まで舛添氏以外の候補を擁立せんとして、、他の候補者を探していた人も少なからずいたし。
 また、舛添氏を支援する条件として『舛添氏の謝罪が支援の前提条件だ(産経1.8)』『舛添氏が土下座ぐらいしなければ収まらない(夕刊フジ1.8)』などという声が出ていたとのこと。 安倍首相自身もTV番組で、『確かに(舛添氏には)そういう経緯はあります。感情的には、確かにありますよ(FNN1.8)』と語っていたほどだ。(~_~;)
  
* * * * *

 ただ、投票日(2月9日)が1ヵ月後に迫る中、安倍自民党は、紆余曲折あったものの、ともかく利益&権力の掌握を重視して、勝ち馬に乗る道を選ぶことに。
 都議会でも連立与党を組む公明党も、舛添支援を支持していたこともあって、8日夜には、安倍首相もTVで「感情をヨコに置いて」と発言し、最終的にGOサインを出したという。(@@)

 これを受け、もともと舛添氏とパイプがあり、舛添支援を提案していた石破幹事長が、同氏に都議会自民党の会合に出て、顔合わせをするように要請したとのこと。

 舛添氏は、9日午後に都議会自民党の議員総会に出席して、自らの方針や政策の概要を説明したあ上で、『2010年に離党、除名された経緯について「党が大変な時代に、皆さんにご迷惑をおかけした」などと謝罪した。また、当選後は自民と連携して都政運営にあたるなどと語り、20年開催の東京五輪・パラリンピックの成功に向けて積極的に取り組むことなどを約束。』(読売新聞14年1月9日) <注・謝罪したわけではなく、釈明にとどめたという報道もある。>
 都議会自民党は、すぐに舛添氏を支援することを決定したという。(・・)

 舛添氏は、政党の公認はとらず。無所属で出馬するとのこと。まだ、自公の推薦や支持をとるかどうかも決まっていないのであるが。選挙での応援を得られるのは、確実になった。
 そして、舛添氏としては、自らの主導権をキープする形で、自公の支援を得ることができたわけで、「してやったり」と思っていることだろう。(~_~;)

<自分からアタマを下げて自民党の支援を受けるのはイヤだっただろうけど。向こうから折れて来たので、それならばということで、いわば上に立って&余裕のある状況を作った上で、とりあえず謝罪っぽい言葉をクチにして協力を依頼するという形がとれたからね~。^^;>

* * * * *

 とはいえ、自民党の中には、今でも舛添氏に対する不満や不信感がくすぶっている様子。
 党内には、思想、政策的に田母神候補に近く、ホンネでは同氏を応援したいという気持ちを抱いている人や、保守層の支持の分裂を懸念している人が少なからずいるし。
 また、舛添氏は自己主張が強いタイプゆえ、同氏が当選した後、党本部や都連、都議会などと良好な協力関係が築けるのか、不安に思っている人もかなりいるようだ。^^;

<五輪の準備も含め、石原都政の後継者だった(はずの)猪瀬前知事が、自民党本部や都議会との関係がうまく行っていなかったことや、石原氏は舛添氏とはパイプがない上、今回は田母神候補を応援していることから、尚更、今後のことが不安だったりして。(~_~;)>

 しかも、昨日になって、かつて人気№1を誇り、今も注目度が高い細川護煕元首相が、小泉純一郎元首相の協力を得る形で、都知事選に出馬する意向を固めたなんていう報道も出たりして。(・o・)

 民主党は、舛添氏を相乗り支援する可能性があったのだが。細川氏が出馬する場合には、民主党や生活の党、維新の一部などが同氏の支援に回る予定。また、先に出馬表明をしている脱原発派の宇都宮健児氏との一本化を模索する動きもあるという。^^;

 もしそうなると、さらに保守票が分裂する上、人気や知名度にに左右される浮動票も分裂することになるし。メディアも飛びついて、「脱原発」論争が再燃するおそれがあることから、自民党は複雑な心境や様々な不安を抱えたまま、都知事選に臨むことになりそうだ。(@@)

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長いので、チョットお休みタイム。( ^^) _旦~~so-cha o douzo!
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 舛添要一氏(65)は、東大教養学部助教授まで務めた政治学者。80年代から「朝まで生テレビ」などに出演して世間的な注目を浴びるようになり、89年に東京大学の体質を批判して退官してからは、ワイドショーやバラエティ番組などにも出演して、評論家タレント、コメンテーターの草分け的な存在になった。
 99年に都知事選に出馬。この選挙では石原慎太郎氏が圧勝して初当選を果たしたのだが。何の後ろ盾もない舛添氏が、3位ながら84万票を獲得したことが注目されることに。自民党が01年の参院選の目玉候補としてスカウトし、158万票を得てトップ当選を果たした。(・・)

 自民党では、参院1年生は、ペーペー扱いで。党や他の議員の下働きに(有名人の場合は広報係も)徹するべき存在なのであるが。
 舛添氏は、当初から様々な政策部会に参加したり、委員会でも質問に立つ機会が多かったりしていた上に、メディアの取材に応えて内閣や党の執行部などの姿勢を批判することも少なからずあったし。もともと(フランス仕込の?)自信家っぽい態度や言動をとるタイプである上、TOP当選の自負もあってかタカビ~な姿勢が目立ったため、長老や先輩議員に煙たがられることに。
 
 また自民党内では、2000年代にはいり、憲法改正実現への動きが強まっており、中曽根元首相をはじめ超保守派議員が中心になって、改憲案作りに力を傾けていて。05年に結党50周年を迎えるのを機に、党として改憲草案を発表することになったため、超保守派が、自分たちの思想を盛り込みながら、熟考を重ねて原案を作ったのであるが。
 事務局長に起用された舛添氏が、これを大幅修正したことから、安倍氏らを含む超保守勢力は舛添氏に対して強い不快感を抱くようになった。(~_~;)
 
『自民党改憲案の取り纏めでは民主党や国民に受け入れられることを重視し、保守色を薄めるべく調整にあたった。元首相の中曽根康弘が中心となって作成した自民党憲法草案の原案から、「日本の国柄」を明記した箇所を首相(当時)の小泉純一郎の了承を得て削除させたのは舛添である。(wikipedia・舛添要一より)

 自民党が12年に改めて超保守的な内容を含む改憲草案を作り直したのは、どうしても05年の草案でカットされた自分たちの思想や考えを盛り込んだ改憲草案を発表し、リベンジしたかったからにほかならない。(-"-)
<あんな改憲草案じゃ、拳法改正の実現を目指す気にならないという不満の声が多かったのよね。^^;>

* * * * *

 その時のことを記した記事を、ちょっとアップしてみよう。

『「歴史認識や子孫への言葉とかは、憲法の前文だから書ける。その点が欠けている」
 二十八日の党新憲法起草委員会全体会議。前文小委員会委員長の中曽根氏は驚いた。最終案の前文は、今月七日に自らが中心になってまとめた前文素案に比べ、いくつもの言葉が消えていた。
 「社会の秩序となるのは家庭と家族。書き込んでほしい」「日本らしい憲法前文にしてもらいたい」―。ほかの「保守派」議員からも次々と批判の声が上がった。

 予定をオーバーして紛糾する起草委。しかし、改憲実現には、他党との連携を含め慎重な手続きが必要だと見据える森喜朗委員長(前首相)、与謝野馨事務総長(政調会長)ら幹部の腹は決まっていた。「情緒的な表現はカットした。憲法前文は普遍的な原理を入れるべきだ」(舛添要一事務局次長)となだめ、了承に持ち込んだ。(東奥日報05年10月18日)』

『「前文原案」が、『朝日新聞』2005年10月7日付夕刊に流れた。
「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として古より戴き、和を尊び…」で始まる。「国を愛する国民の努力」という言葉もある。この原案は、前文小委員長・中曾根康弘が筆をとったとされる。思い入れと思い込みの溢れる文章だった。

  だが、この前文原案が10月28日の起草委員会の全体会議に提出されたとき、まったく別のものに差し替えられていた。出だしは、「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」というあっさりしたもの。「日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす」と、結びは妙に壮大である。「国を愛する」という表現も、「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」に変えられた。「愛国心」の過度の強調による反発を回避しようとするあまり、「帰属する社会を愛する」という珍妙な表現になってしまった。これでは、結局「愛社精神」になってしまうのではないか。これを読んだ中曾根は、「(前文から)日本の歴史、文化、伝統、国柄が完全に抜けている。そういう不満が爆発的にあった」と、声を震わせて怒ったという(『東京新聞』10月29日付)。岩見隆夫のいう「憲法前文事件」である(『毎日新聞』11月19日付)。<憲法前文の行方  2006年3月13日より >』

『『読売新聞』は、この「前文論争」に、解説面の一面全部を提供した(11月23日付)。中曾根の議論には「歴史、文化記すべきだ」という見出し、舛添のそれには「個人的な価値観は不要」という見出しをつけ、それぞれの言い分を詳しく紹介している。一政党の憲法草案をめぐる党内論争に新聞の一面を提供するのは、あまりにも破格である。舛添は、憲法に個人の歴史的解釈を入れてはいけないとして、「和を尊び」は中曾根の個人的歴史観であると切って捨てた。「現職の自民党総裁が違憲になりかねないような表現を、自民党の草案に採用することは絶対にできない」とも。
  憲法前文の中身の提案に際しては、法案の賛否や一回の選挙の結果に左右されるようなものであってはならない。与謝野・舛添ラインの発想は、明らかに小泉首相の意に沿うものである。伝統や「国柄」といった抽象的な言葉を盛り込まず、公明党や民主党の反発を極力避けることを狙ったようである。(同上)』

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

 06年9月には安倍晋三氏が首相に就任。安倍首相は、05年に小泉郵政法案に造反して離党、落選していた超保守仲間&親友である衛藤晟一氏(現首相補佐官)を何とか早く復党させて、07年の参院選に出馬させたいと考え、総裁権限を用いて強引に党復帰を決めてしまったのだが。

 この時も、舛添氏は『「間違った判断だ。自民党にマイナスのイメージが付与され(参院選に)不利になる」と批判。』『「参院は衆院選で落ちた人の失業対策をやっているわけではない」と不快感を表明し』て、安倍氏&超保守勢力から反発をくらうことになった。(~_~;)

 安倍自民党は、07年の参院選で大惨敗したのだが。舛添氏は、逆風が強い中、比例選に出馬して47万票をとり2期連続のTOP当選を果たすことに。
 舛添氏は、参院選以前から、安倍内閣や自民党の批判を続けていたのだが。惨敗後には、安倍首相や内閣への批判をさらに強め「バカ首相、バカ大臣」とまで評していたほどだった。(~_~;)

 安倍首相の続投宣言を受け、「バカだよなー。まだたたかっている候補がいるのに、なぜこの段階で言う。(自民党は)安倍のために政治をやっているんじゃない。知恵をつける奴がいない。バカにつける薬はないよ!」と発言。
、『安倍内閣を「バカ社長にバカ専務」と言った気持ちは全然変わっていません。ボンボンでもなんでも社長に祭り上げるのはいいわけですよ。どこでも二代目社長、三代目社長はいる。そういう会社は、(社長が)バカだとわかっているけど、周りの専務たちがしっかりしているからもっているわけです。だけど、ボンボンのうえに周りの番頭たちも駄目だから駄目なんです。いまやらなければならないのは、それを替えることに尽きます。(週刊文春07年8月9日号』(全文*1に)

* * * * * ☆

 安倍首相は、この参院選惨敗で、党内での求心力が低下。支持率も低迷が続く中、舛添氏を含め、党内の長老や議員の主張をきき入れ、内閣改造を決意する。(・・)

 この時、一部の長老や役員が、起死回生のためには、当時、党内で№1の人気や期待度を誇っていた舛添氏を入閣させるべきだと進言。
 安倍首相&周辺は、ここまで首相やその内閣を辛らつに批判する舛添氏を入閣させたくないという思いが強かったのではないかと察するのだが。07年8月に内閣改造を行ない、舛添氏を厚労大臣として入閣させることを決めたのだった。(~_~;)

 当時、この舛添入閣は、安倍陣営にとって「屈辱的なもの」だったと記していた記事も。^^;
 自民党では、参院議員は3期めから入閣候補になるのだが。舛添氏は2期めの初めに入閣することになったため、周辺議員からのやっかみも強かったようだ。(-_-;)

 しかも、舛添氏は、安倍氏が9月に首相辞任後も、福田、麻生内閣でも厚労大臣を続投し、09年9月に政権交代をするまでしっかりと閣内にとどまり、世論調査では、次期首相として期待する政治家でTOPになることもあった。(・・)

* * * * *

 09年6月頃には、麻生自民党が衆院選で負ける可能性が高くなっていたことから、党内では「麻生おろし」の動きが強まり、若手議員を中心に「舛添氏を総裁にして、衆院選を戦いたい」という声も出ていたのだが。舛添氏は、参院2期(自民党の総裁&歴代首相は全て衆院議員)である上、長老や先輩議員から嫌われていることもあり、相手にされず。^^;

 舛添氏は、自民党が09年に衆院選に惨敗して下野する前後も、麻生内閣や谷垣執行部の批判を繰り返しており、ついに10年、自民党を離党することを決める。(・・)
 この時、新党結成のために、党の他の議員を引き抜こうとしたとして、自民党は舛添氏の離党届を受理せず、除名処分を下したのであるが。舛添氏が長い間、党の議員たちに不快感を抱かれていたことも、この処分を決める際に影響を与えていたのではないかと思われる。(~_~;)

<ちなみに舛添氏が自民党の先輩議員に不評だったのは、そのフランス仕込みの自信家ぶり&自己主張の強さや、目立ちたがり屋であった面が強かったということがあるのではないかと思うのだが。
 舛添氏は、国会議員としては大先輩で既に入閣していた同じ歳の鳩山邦夫氏と、高校時代から模擬試験の成績で争っており、東大法学部でもライバルであったため、党内でも自分の有能ぶりを見せ付けたいという思いが強く、タカビーな態度をとっていたのではないかという見方もある。(・・)
(関連記事・『邦夫と舛添~高校・大学、政界では邦夫が先んずるも、果たしてこの後は?』)>

* * * * *

 舛添氏は、10年に新党改革を立ち上げ、政界再編(&首相就任?)を目指すも、自民党に舛添包囲網を敷かれた上、他党との連携がうまく行かず、新党の議席数も伸ばせず、政界での存在感がどんどん低下することに。
 13年に改選を迎えたものの、参院選に出馬せず、国会議員の座を退いた。本人はもともと地方自治や福祉に関心が強かったこともあり、以前から目標としていた東京都知事選に備えていたと言われている。^^;

 舛添氏は、既に65歳ゆえ、今から首相の座をを目指す気はないとは思うのだけど。
 東京都の知事は、一国の大統領に等しいようなものがあるし。<韓国や豪州と同じぐらいの予算を扱っているのよね。^^;>知事として、2020年の東京五輪を主催することは、最高の名誉や満足感が得られるのではないかと思うし。
 舛添氏としては、何とかここは自公の協力もうまく得る形で当選を果たし、自らの能力を活かして五輪開催を終えるまで、2期の間、知事職を務め、最後の一花を咲かせたいという思いが強いのではないかと察する。(・・)
 
* * * * *

 他方、自民党では、以前から舛添氏と交流のあった石破幹事長などは、早くから舛添氏を支援することを考えていたようなのだが。何分にも安倍陣営を含め、舛添氏だけは支援したくないと思っていた人が多かったので、他の候補を懸命に探したものの、なかなか適任者が見つからず。
 止むを得ず、舛添氏を支援候補として検討するようになったものの、党内では、最後まで難色を示す声が続いていた。

『「一度除名した人を(都知事候補として)推薦するのはどうか」
 党本部で7日に開かれた副幹事長会議で、河野太郎副幹事長は、都知事選の候補者選びの話題になると石破茂幹事長に詰め寄り、舛添氏擁立の動きに不快感を示した。(中略)

 舛添氏がかつて所属した参院自民党の反発は根強い。脇雅史参院幹事長は7日の記者会見で「党として推薦・支持することになれば、それなりにけじめが必要になる」と指摘。「舛添氏の謝罪が支援の前提条件だ」(幹部)との見方も出ている。
 さらに、都議会側の意向を受け、都連会長の石原伸晃環境相も舛添氏擁立に難色を示すなど、党内の不協和音は確実に広がりはじめている。最後は党総裁の安倍晋三首相の判断に委ねられる可能性もある。(産経新聞14年1月8日)』

* * * * *

 安倍首相は、7日の時点でも「都内で開かれた時事通信社の「新年互礼会」で、「なかなか候補者が難しい」と述べ、人選が難航している現状を吐露(同上)』していたとのこと。
 上にも書いたように、おそらく安倍首相自身、舛添氏を支援することにはかなりの抵抗感があったのではないかと思うし。<この判断は、舛添氏の入閣に次ぐような屈辱だったりして。^^;>
 うまく一緒に東京五輪の準備を行なって行く自信もないのではないかと察するのだけど。<舛添氏にはスキャンダル・ネタも多いし。あと石破幹事長主導で、人選が決まったのも面白くないかも。(-_-;)>

 ただ、安倍首相としては、東京五輪の開催をアベノミクス第四の矢にして、長期政権の材料に使いたいという思いが強いし。都知事とのパイプを強化するためには、自民党が「勝てる候補」を支援して協力関係を築くことが必要不可欠になるため、耐え難きを耐え、苦渋の決断を行なったのではないかと察する。(~_~;)

 でも、もし安倍自民党が舛添氏を支援したにもかかわらず、都知事選で舛添氏が敗れることにでもなれば、安倍陣営はWの屈辱(トリプルかな?)を味わうことになる上、安倍政権の足元が大きく揺らぐような状況に発展する可能性があるわけで。
 ここは何とか舛添氏を敗戦に追い込めないものかと、アレコレ思いを巡らせている都民mewなのだった。(@@) 
 
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バカバカバカバカ目障りな舛添氏の安倍批判

 週刊文春最新号の特集記事から抜粋引用


舛添要一激白「バカにつける薬はない」「決定的に資質に欠ける」

 まだ開票作業がはじまって間もない21時30分。ニュースで「安倍首相、続投の意向」との一報が流れた瞬間、舛添要一氏は次のように吐き捨てた。

 「バカだよなー。まだたたかっている候補がいるのに、なぜこの段階で言う。(自民党は)阿倍のために政治をやっているんじゃない。知恵をつける奴がいない。バカにつける薬はないよ!」

 選挙前から安倍政権に対して異を唱え続けた舛添氏が、怒りの胸中を激白した。

 ペナントレースをやっていて、試合が終わっていないのに監督が続投っておかしいでしょ。監督に責任がないというようなもの。「閣僚が悪い」というけれど、監督があのピッチャー(閣僚)を選んだんだろうって。安倍さんも、一度野球をやってみるといい。

 参議院選挙の敗因には、三つの原因があると思います。一つ目は年金。二つ目は安倍政権の構造的問題。三つ目は小泉改革のマイナス面です。こっちは命がけで野党と闘っているのに、敵の弾にやられるならまだしも、後ろから弾を撃ってくる。毎日のようにバカ大臣やバカ副大臣が失言、不祥事をやらかす。これじゃ闘えない。その不信感が大きかった。

 松岡さんや赤城君の事務所費問題のときも、安倍さんはすぐに「問題ないと聞いている」と言った。決断が早すぎるし、間違った判断をしている。今回の「続投発言」のタイミングもそうです。結果が出る前に続投を宣言しても、誰の同情も買わないし、みんな反発しますよ。安倍さんは周囲のいうことを素直に聞いてしまうのでしょう。人はいいのかもしれないけれど、政治家としての資質を決定的に欠いています。

 選挙の間にも、すでに続投というようなことをいう。やっぱり総理の器というか、リーダーの資格があるのかなと皆思っています。常識なら辞めるんだけど、そこは辞めないという。

 安倍さんはあくまで自民党員が選んだ総裁で、国民が選んだわけではありません。衆議院の三分の二議席だって、小泉前首相が取ったもので安倍さんが獲得した議席ではない。だから国民の審判を謙虚に受け止め、耳を傾ける必要があるのです。

 化石と若造の官邸

 (続投発言によって)安倍さんも自民党も永遠に政権から離れてしまう可能性がある。永遠に野党になってしまう可能性がどんどん出てきている。安倍さんは続投できるかもしれないが、自民党を自滅に追い込む道を選んでいる。それを分からせる人がいない。

 官邸にも問題がある。小泉さんのときは塩ジイ(塩川正十郎元財務大臣)がいた。中曽根さんのときは後藤田官房長官がニラみを効かせていた。いまは的場(順三)という副長官がいるけど、オヤジの安倍晋太郎さんのときにいた人で、化石みたいになって使い物にならない。他はなにも知らない”若造官邸”ですよ。

 安倍内閣を「バカ社長にバカ専務」と言った気持ちは全然変わっていません。ボンボンでもなんでも社長に祭り上げるのはいいわけですよ。どこでも二代目社長、三代目社長はいる。そういう会社は、(社長が)バカだとわかっているけど、周りの専務たちがしっかりしているからもっているわけです。だけど、ボンボンのうえに周りの番頭たちも駄目だから駄目なんです。いまやらなければならないのは、それを替えることに尽きます。

 参議院選挙では民主党が躍進し、自民党結党後、初の与野党逆転を果たした。図らずも「戦後レジームからの脱却」を果たした首相に、舛氏はこう注文を付ける。

 私は安倍さんの続投がいい決定とは思わない。全ての責任はトップにある。辞任すべきだと思っています。だけどフライングして走っちゃったものだから、(自民党の)中にいる人間が連れ戻すわけにもいかない。「おい、ちょっと」と言って、また変な方向に走り出さないようにするしかない。”安倍降ろし”をやっている余裕はいまの自民党にはないですよ。

 だからまずは人臣の総ざらい、問題あった役職、大臣は全部切らないといけない。ピシッとした内閣をつくる。そこが最後ののぞみです。

 ただ、内閣改造はすぐにやらないと駄目。九月まで待てよ、というのはアウトです。バンソウコウ王子をあと四十日間、連れまわって(内閣が)もつと思いますか?赤城大臣じゃもちませんよ。おそらく8月8日に臨時国会を開くだろうから、勝負はそれまでの一週間で内閣改造をできるかどうかです。これはバカが考えてもわかることです。


週刊文春 8月9日号 特集記事 安倍自民37議席の「天罰」 28~29頁より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070808/1186540899』
by mew-run7 | 2014-01-10 10:55 | 政治・社会一般

by mew-run7