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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガ、反超保守&新自由主義。左右問わず、mew基準で、政治や競馬、スポーツなどについて。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

天皇誕生日会見~戦争を考えて過ごした1年。命失った多数の民間人の話に声を震わす

頑張ろう、東日本&ニッポン!安心と希望を抱ける1年に。o(^-^)o 


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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】



今日は天皇誕生日。mewが日本で最も平和主義者だと思い、リスペクトしている明仁天皇は、今日で82歳を迎えられる。(*^^)v祝
<あと自然災害の被災地、被災者への思いが強く、常に配慮していることにも敬意を表している。>

 今年は戦後70年を迎えた年で、天皇をはじめ皇室関係者は、機会あるごとに戦争の痛ましさ、平和の尊さについて語っていたのであるが。<皇室では、孫の世代にも戦争のことを学ばせようとしている感じが伝わって来る。>
 今年の誕生日に際しての天皇の会見も、戦争の話が中心であった。(・・) <後半に全文をアップ。> 

 今年は天皇の要望により、パラオを訪問。その後、東北などでパラオから帰国した人や家族にも会ったのであるが。特に民間船員が多数亡くなった話をした時には、声を震わせる場面があったという。(-"-)

 mewは勝手ながら、今上天皇は、今年の秋に集団的自衛権行使を含む安保法制が成立したことを、と~っても残念に、哀しく受け止めているのではないかと。そして、(特に安倍首相などのタカ派勢力が政治権力を握った時の)の日本の安保外交政策を憂慮し、危惧感を抱いているのではないかと察している。(~_~;)

 その思いが、今年の様々な場での天皇のスピーチや言動からひしひしと伝わって来るのだけど。
 毎度ながら書いてしまうことに、安倍首相&仲間たちは天皇を崇拝し、国体論を唱える超保守派であるにもかかわらず、「天皇の心知らず」で、その思いを軽視して、また戦争への道を切り開こうとしているわけで。何て親(天皇)不幸な国のリーダーなんだろうと、嘆きたくなるmewなのだった。(ノ_-。)

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『天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、戦後70年の今年を「先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」と振り返り、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べた。

 天皇、皇后両陛下は4月、太平洋戦争の激戦地のパラオを訪問し、日米の慰霊碑に供花した。陛下は、周辺の海に不発弾が多く残っていることに触れ「島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない」と話した。

 また、戦時中に民間船員が、軍に徴用された輸送船に乗り、多数が亡くなったことについて「輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と語った。

 日本人2人のノーベル賞受賞については「長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います」と話した。また、国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)が11月に初飛行に成功したことを「うれしいことでした」と述べ、皇太子時代の1962年12月、戦後初の国産旅客機「YS11」の完成披露式に出席したことを「懐かしく思い起こされました」と振り返った。

 自然災害では、5月の鹿児島県の口永良部島の新岳噴火について「避難生活が続いていることに心を痛めています」と述べた。また、9月の関東・東北豪雨で大きな被害を受けた茨城県常総市を見舞い、多くのボランティアが活動していることなどを「困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います」と話した。

 82歳を迎えたことについて「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と述べた上で、「一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と語った。(毎日新聞15年12月23日)』

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『82歳の誕生日に当たっての記者会見で、天皇陛下が太平洋戦争中に旧日本軍に徴用された民間船の船員が多数犠牲となったことについて、声を震わせながら話される場面があった。
 
 会見で陛下は、この1年の出来事について述べた後、戦後70年に当たり、戦争の話題を切り出した。戦争で民間人も含め多くの人命が失われたことを「非常に心が痛みます」と述べ、戦没船員の話題に及ぶと、声が震え始めた。
 陛下は幼い頃、船の絵はがきを見て楽しんでいたが、それらの船のほとんどが撃沈されたことを後に知ったと吐露。声を震わせながら「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と話し、感情が込み上げてきた様子だった。
 6月に神奈川県横須賀市で行われた第45回戦没・殉職船員追悼式の際には、亡き船員を思い、「戦没船員の碑」に供花したと述べた。
 太平洋戦争では、米軍などに撃沈され、民間船の船員ら6万人余りが犠牲となった。天皇、皇后両陛下は第1回や第30回、第40回の追悼式に出席するなど、戦没船員に長年心を寄せてきた。(時事通信15年12月23日)』

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 記者会見での発言全文 (宮内庁HPより)

 今年の自然災害としては,まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳しんだけが噴火して,海岸まで達する火砕流が発生し,全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが,海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが,まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し,8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ,どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により,人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので,多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日,常総市の被災地をお見舞いしましたが,泥水につかった田畑が広がり,苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

 今年の喜ばしい出来事としては,まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は,アフリカや南米で,人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前,オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので,この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方,梶田博士の物理学賞は,神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で,ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前,スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また,日本製のジェット旅客機が完成し,試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を,羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

* * * * *

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,このことを考えると,非常に心が痛みます。

 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として,民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ,海運国として発展していました。私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,亡くなった船員のことを思い,供花しました。

 この節目の年に当たり,かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し,ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻,マーシャル諸島共和国大統領御夫妻,ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり,そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は,今,激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁さんごしように囲まれた美しい島々からなっています。しかし,この海には無数の不発弾が沈んでおり,今日,技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり,この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が,島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後,夏には宮城県の北原尾,栃木県の千振,長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が,引き揚げの困難を経,不毛に近い土地を必死に耕し,家畜を飼い,生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は,北のパラオという意味で,パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,先の戦争のことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり,行事の時に間違えることもありました。したがって,一つ一つの行事に注意深く臨むことによって,少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

* * * * *

 どうかお体に気をつけて、公務で無理をし過ぎず、一日も長く元気に生活されるように。そして、国民に2度と戦争を繰り返さぬように、平和の尊さを説き続けて欲しいと、心から祈っているmewなのだった。(**)

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by mew-run7 | 2015-12-23 06:14 | 平和、戦争、自衛隊 | Comments(0)

by mew-run7