「個の尊厳」を守らず、全体主義化して行くと、あの国に近づいてしまうのだ。
2007年 02月 24日
・・・教育現場がアブナイ!~」にたくさんのコメントを頂いた。<有難うございます>
今週からしばらく仕事が忙しく、土日も完全なお休みではなくなってしまうので、
一つ一つにレスをつける時間がとれそうにない状況にある。できるだけ、少しずつ書ければ
と思うが、ブログの更新をする時間も欲しいので、ご理解頂ければ幸いである。
ところで、反論をお寄せ下さった方々に、少しだけ質問したいことがある。
1・他の自由民主主義の国(またはその地方自治体)で、学校の式典での国旗掲揚、国歌
斉唱に関して、東京都教委の通達のよう に細かい規定を設けたり、教員や生徒が国歌
を歌う時の口の開け方、声量などを チェックしているところや、規定に反した場合に
処分をしているような例をご存知でしたら教えて下さい。
<アメリカの公立小中で、毎朝「国旗への忠誠の誓い」が行なわれていること、学校
での「国旗掲揚の時間」が決められていることは知っている。しかし、東京都教委の
ように学校の式典の管理を行っている例は調べてもわからなかった。>
各国の国旗、国歌の例に関して、まとめたサイトの一つはコチラに。
2・東京都教委の通達には疑問が多いのですが。その中でも、私には、国歌斉唱の際に
「教員によるピアノ伴奏」が義務付けられていることの合理性が理解できません。
もし式典が滞りなく行なわれ、生徒たちが全員、国歌を尊重し、きちんと斉唱をする
のなら、CDや テープの伴奏でもいい(または生徒の代表が弾いてもいい)と思うの
ですが、それではいけないのでしょうか?
<音楽の時間に国歌を指導すべきことの延長線上にあるとも考えられますが、別に
CDやテープの伴奏でも、国歌を指導することはできますし。最も重要なことは、
生徒たちが国歌を尊重し、歌うことではないかと思うのですけど。校長にピアノ伴奏
を命令された教員が、何日か前に辞退を申し出て、テープによる伴奏を使って欲しい
と言うことは、処分に値することでしょうか?>
* * * * *
尚、歌いたくない教師は、会場を退出するか、式典に出なければいいという意見も
あったが。
東京都の場合は、退出も含め、座席からの移動を禁じられており、動くとチェック
されて、指導や処分の対象になるという。また、年次休暇を申し出た場合も、校長は
理由が正当かどうか調べ、場合によっては「時季変更権を行使し、年休届を当該職員に
返す」ことになっている。
これはかつて、教職員が複数名のグループで年次休暇をとって、式典をボイコット
したり、校外で反対運動をしたことがあるので、そのことへの警戒心も強いからだが、
個人として退出、欠席することも容易でない現状があるようだ。
さっき、たまたま、こんなページを見つけた。平成16年5月の東京都教委の定例会
の議事録である。東京都教委はこんな風にして、公立校の式典を管理しようとしている
のだ。<何かちょっとうすら寒いものを感じる部分も。後半の指導部長への叱責なんて、
一体どこの国なのかと思ってしまう。>
公立学校の教育では、もっと力を入れなくてはいけないことがたくさんあるのにな~。
* * * * *
春霞さんが、慶大の小林節教授の「一刀両断」というコラム(大阪日々新聞連載)を
コメント欄で教えて下さった。 小林節氏は、かつて憲法界で最右翼のバリバリの改憲論者として知られていた人で、
その著書(共著含む)のタイトルも「憲法守って国滅ぶ」「そろそろ憲法を変えてみよう
か」「憲法、危篤!」だったりする。<同氏に関するwikpediaの説明はコチラ>
正直なところ、私は彼をかなり「異端者(?)}のように見ていた時期があったのだが、
昨年あたりから、衆院の憲法調査会やインタビュー、講演での発言を見て、「あれ?」と
驚いてしまった。何だか妙に考え方が近くなっているのだ。
小林氏は今も改憲論者であるが<ただし、現在主流の封建的復古主義ではなく、アメ
リカ型リバタリアニズムを志向>、近時の政治家や国民が憲法や民主主義を理解していな
いことを嘆いており、「改憲は時期尚早だ」と訴え始めている。
<「自民党の中に、憲法は国民が権力者に歯止めをかける道具であることをはき違えて愛国、
家族を守らせるなどの義務を押しつけようとする人たちがいる。我々が『おばか』である間に事が
どんどん進んでいることを肝に銘ずる必要がある」とどこかの集会で言っていた。>
その小林節氏のコラム『「個人主義」を理解していない政治家』を引用してみたい。
『女性は子供を産む機械」だという発言でひんしゅくを買った柳沢伯夫厚生労働大臣が、
続けて、「子供を二人以上持ちたい」という考えが「極めて健全」であるという失言をして
しまった。
それに対して、野党からは当然のことながら一勢に反発が出たが、首相は問題視しない
考えを示した。
その首相が一月二十六日の施政方針演説の中で次のように述べている。いわく、「自分
たちが生まれ育った…国に対する愛情…こうした価値観を、しっかりと子供たちに教えてい
くことこそ…極めて重要である」
私は、この首相演説と先の厚労相発言には一つの共通点があると思う。つまり、日本国憲法の前提にある個人主義を理解していないというか、明治憲法の前提にある全体主義つまり国家
上位の発想である。
人間は皆、縁あって、自分という「二つとない」個性を持って、特定の時代に特定の国に
生まれ、そして、幸福を追求しながら生きて、いずれ死ぬ。その間、どのようなライフ・スタイル
(例えば結婚、出産など)を選択するかは、本来、各人の幸福観の実現に直結する事柄で、
それだけに各人の自由なはずで、それを国家が選択・強制すべきではない。なぜならば、
幸福の判断基準は各人各様で、それぞれの人生については結局、本人以外に責任を取り
ようがないからである。
愛国心は、政治家たちが良い政治をすれば国民は、自然に、この時代にこの国に暮らして
良かったという感情を持つものである。にもかかわらず、国つまり政治家の側が、国民が子供
である内に、「国は愛すべきものだ」と教え込むという。これも筋違いであろう。むしろ、現実に
この国つまり政治家たちがしたことは国民が愛するに足るものか否かこそが問題である。
対象が国家であれ何であれ、人が何かを愛するか否かは、各人の心の奥に位置する最も
自由であるべき領域の問題で、他者とりわけ国家権力が介入してよい事柄ではない。
民主政治は、主権者・国民が一人一人自律した自由人であることを前提に成り立っている。
だから、各人の価値観の選択に国家は介入すべきではない。これが個人主義の真髄である。
国家が国民に特定の価値観を「教える」という発想は、人類が歴史の中で体験したうえで否定した「全体主義」そのものである。』
一日前に読んでいれば、昨日の記事に付したのにな~と悔しく思ったのだが・・・。
要は、国旗、国歌の問題も、愛国心教育の問題も、柳沢発言の問題<コチラに関連記事>
も、根っこの部分は一つなのだ。それは、最後の6行に集約されている。
しかし、その大事な個人の自由の領域が守られずに、国家が国民に特定の価値観を
「教える」という発想を持って全体主義化が進むことになれば、北朝鮮に近づくことになって
しまうのである。
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1・知りません。そして、この様なやり口は、正直常軌を逸脱していると思います。
2.ピアノ伴奏の義務化は変だと思います。
ちなみに、知ってのとおり私は石原慎太郎大嫌いです。
かのお方は、峻厳に法律を適用して、逆らう敵を潰す事しか考えないタイプの人ですからね。
全く好みではありません。
しかし、この件については石原都知事の資質的な問題だと思います。
国旗国歌法とはあまり関連を見出せません。
実際、先日来のエントリーの数々は承服できない。
なぜなら、個が突出し過ぎた意見だからです。
対立軸の設定が「個VS国」と言う方向に突出し過ぎていて危うく思えます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/shuchou/20267/
私は役職によって「敵味方」を設定すると言う、現在の教師のやり口を嫌っています。
校長は権威権力の走狗、その様な位置付けを行って、学校構内で階級闘争のテスト闘争を教え込むやり口をほぼ憎悪しています。
貴方にはそう言う方向性を容認して欲しくないと思います。
私が意見した事は、一般的な国旗国歌法についての意見です。
そもそもですが、国旗国歌法は強制しないと言う事によるガイドライン的な法規でした。
それが何故強制を伴い、各自治体で罰則まで設けられたのか。
「法律よりも思想信条の自由」を優先させた事です。
それなら職場内の労働慣行も全て思想信条でまげて良いと言う事になります。
教育の場を教師が何と思っているかの象徴がここに明示されています。
「今の教師は、教育の現場を個人的な思想信条の発露の場」と思っています。
教師達が「個ばかりで公の概念を持たない」と言う事が明らかになったのです。
その点をmew様はどう思われますか?
「人様の子供を個であれ公であれ、思想信条の発露の対象として取り扱って良いのですか?」
公が強制するのは悪くて、個が子供に思想信条を一方的にぶつけて影響力を好き勝手に振るうのは許されるのですか?
個の行いが良くて、公の行いが悪いのは何故ですか?
そして本当に教師達は「個人の思想信条」で行動しているのですか?
と言う疑問があるのですよ。
とにかくね・・・教師個人が好き勝手にするのは良くて、公が強制するのは悪い。
そう言うのって変じゃないですか?どっちとも恣意的な事では変化が無いのに、何故個人の思想信条とやらだけに肩入れするのかと言う事です。
私がとても危険に思うのは、そう言う「個の自由=善」と言う決め付けです。
私は教師が社会性の付与の目的で、子供達に国旗や国歌を敬うように教育するのは悪い事ではないと思います。
赤い太陽に白地の旗、あれは源平合戦と言う日本の一大転機以来の日本の国旗です。歴史の転機がそこにあったと言う印です。
国歌は大伴家持の和歌です。それに節が付いただけの事。和歌が日本の文化である事は日本人なら知っている筈。それだけの事です。
あの歌の意味は公家文化の中で了解のあった内容でしかありません。その後に武士が支配していた国だった事を日本人の全員が知っています。
まったく、万葉集の歌を皆様が嫌う理由を教えていただきたいのですが?
百人一首とかも皆様嫌いなんでしょうか?いやはや・・・。
見境ありませんなとしか・・・。なんでこんな人間ができるのだろうと。
私にはそういう感想以外ありませんよと・・・。
ただの歌に政治的な意味をごり押しでつけて、嫌悪して、それが個人的な思想信条の自由の発露ですか?
個人の思想信条の自由と言うのは万能ですね。文化を否定しても良い自由。
そんな権利の行使が本当に正しいと何故思えるのでしょうね?
ございます。m(__)m
三輪さんとは思想的な面では大きく異なる部分もありますが、三輪
さんは理性的&論理的な方でいらっしゃいますから、お互いの考え
を理解したり、また重なる部分を見い出すこともできるのではない
かと考えています。
ただ、私の考えを説明するには、スペースと時間が不足気味です。
一つには、当ブログには、一記事に一コメント欄使用の原則という
ルールがありまして、私自身がそれを破ることはできないので、
コメント欄で字数制限内で書くことが難しいことがあります。
もう一つには、私は今日の日曜も仕事で<現在、そのための書類
作成中>、ていねいにお返事を書く時間があまりとれません。
できるだけ早く、お返事になるような記事を書きたいと思います
ので、今しばらくお待ち下さい。
1月27日に松江の講演で、少子化対策に関して、このように発言した
そうです。
『なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。
人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を
勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と
言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては
申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が
1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい
産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。
2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを
上げなければいけない』
この手の問題になると、ネット右翼の皆さん必ず「決められたことだから守れ。いやなら出ていけ」と言いますね。
国旗・国歌でなく、犬の糞に敬礼しろという指導があっても従うのですか? いや皮肉ではなく、そうしないと主張の整合は取れませんよね。
彼らはそれも受け入れるのかも知れません。滑稽ですよね。
私は日の丸にも君が代にも、たいして抵抗はありませんでした。しかし東京都のやり方を見てると思いきり反発したくなります。人間の心理とはそういうものです。
また国民自身も自分がどうしていいのかわからず、上からの基準や規則に従っていれば自分の利害に反しない限り安心だという風潮や、自分以外の社会全体の事には無関心になってきている風潮もあると思います。またそうであればこそ「小泉純一郎」や「石原慎太郎」のような(中身は大したことないのに)力強いと思われるリーダーが好まれる時代になってきたと思います。
ただ今の政府は国民の不安、不満を利用してどんどん自分達の権限、権力を強め、国民全体を抑圧する方向に進んでいると感じます。また経済の効率化、合理化を重視しすぎて日本の共同体的のものをどんどん破壊していると思います。従って一度この流れを止める必要があると感じます。
別に口の開け方や声量などは全然気にしませんし、CDでもテープでもなんでもかまいません。歌いたくない人は会場を退出しても全然かまいません。
せっかくアベさんのために作った曲なのに、不評で在庫が余って困っています。今、アベさんにこの曲を国歌にしてもらおうと頼んでいます。
ある息子さん2人を持つお母さんも、それまで全く国旗、国歌に
抵抗はなかったのに、「兄の公立中の卒業式の時には、ふつ~
だったのに<たぶん国旗は三脚だった>、弟の卒業式の時には、
かなり大きな日の丸が、舞台中央にド~ンと貼られていて、
ギョッとした」と。また、保護者の間で、「何か調査が来るかも
知れないから、生徒も保護者も全員起立して、きちんと君が代
を歌わないと、校長や教員が処分を受けることになるという
話が出回って、ここはどこの国なのかと思った」と言っていま
した。
あまり強引な手段を使うと、また価値観や形を強制すると、
却って国民の国歌、国旗、愛国心への自然な気持ちを阻害して
しまうようにも思います。
また、何事においても国が価値観の強制をすることは、やはり
許容してはいけないと思うです。
「個人の尊厳」「個人主義」というのは、決して「自己中心主義」
「利己主義」とは同じものではないのですが。憲法や人権を理解して
いない政治家や識者が、あたかもそれらを同じように扱うので、
国民も誤解してしまっているように思います。
個人の価値観を尊重するということは、他人に自分の価値観を押し
付けてはいけないということですから(国がやるのは一番いけない)
そのために式典を妨害したりだとか、生徒を歌わない方向に導くとか
そういう行為もよくないと思うのです。
それから社会通念上、妥当な集団行動のルールを守るのも当然の
ことだと思います。<だから13条も公共の福祉に反しない限り、
と規定しているわけで。>
また、全体主義的なアブナイ流れが出ている時には、特にこういう
人権についてアピールすることが必要なのではないかと思います。
でも、経済的には超利己主義な新自由主義政策をとりながら、国民
には価値観を押し付けるというのは、まさに矛盾ですよね~。
イッタくん。折角の申し出ですが、あの曲はチョット。(-_-;)
<って、まともにきいたことはないけど。(^^ゞ>
群馬県歌にもしてもらえそうにないしね~。
あれはアベさんに事務所費で買い取ってもらって、<自民党は領収書
がいらないから、大丈夫>、選挙区で何かのオマケとして配って
もらうのが一番いいかと。
それよりイッタくん、選挙は大丈夫?
くれぐれも失言には気をつけてちょ。
・通達による教員としての職務(国歌斉唱の際の起立など)と、個人の思想・信条の自由とどちらが優先するかは、東京地裁で後者を認め、都は高裁に上告し、まだ係争中ですね。裁判でも意見が分かれるような難しい問題を、「職務だから従うのが当然」と言い切るのは、いささか乱暴な論理ではないでしょうか。私は個人的には欧米の「良心的兵役拒否」と同様に、社会が一定の理解・敬意を持って処遇を決めるのがよいのでは・・と思っています。もし、違法だったとしても起立しないかわりに、何かの職務を追加するとか、補習授業を課す(教師にです)とか考えられるです。都教委による思想犯に対するような、教師・人間としての尊厳まで損なうような処分は明らかに行きすぎです。
字数を超えたので次に分けます。
・「改正」教育基本法も教育再生会議の答申も、最近の教育をめぐる動きを見ると、子どもや生徒の潜在能力や良心を過小評価しすぎていると思います。子どもは放っておくとロクなことをしないから、大人や社会が上から教え込んで、「真人間」にしなくては・・・という発想が根底にあるように見えます。それはかなり、子どもを見下した、傲慢な見方ではないでしょうか。子どもや生徒が自分たちできちんと民主的な組織や会議を作って相談したとき、イベントを自分たちの責任でプロデュースを任せられたとき、「子ども性悪説」を持つ方々が想像するよりもずっとまともで良識的な動きをした例が多数あります。少なくともタウンミーティングのやらせで法律改正を企てたり、産む機械発言や国内の少数者に配慮しない民族発言をする政府の大人の人々よりは、きちんとした動きをする確率が高いのではないかと思いますが。
また、非難が集中するのでしょうか。あまり時間がないので、頻回にはコメント書けません。失礼します。
あちらの記事では、レスがなかなかつけられず、すみません。
<あまりにもたくさんあるので、レスを書くのにエネルギーが
必要なものですから。^^;>
まさに書かれている通りだと思います。今日、最高裁で一つ
判決が出そうなのですが。ただ、やはり何より残念なのは、
メディアや一般国民があまりこの問題に関心を示さず、
国民の考えが見えて来ないことです。
子供は社会の鏡だといいますが。彼らはよくも悪くもTVで
見るもの、周囲の言動や流れに敏感ですし、影響を受ける
ものだと思います。一方的に特定の価値観を押し付けても、
実社会とのギャップに混乱するだけでしょう。まずは政治家
自らが「良識」ある言動をすることから始めて、節度やモラル
というものを示して欲しいものです。
申し訳ありませんが、コメントを削除させていただくことにしました。
当ブログでは、コメント投稿者同士のやりとりは行なわないように
とのルールを設けています。ここで投稿者同士がやり合い始めると、
収拾がつかなくなりますし、読んでいる方々へも不快感を与える
からです。
また個人的な中傷や、社会通念上、不適切な言葉があった場合も
削除したいと考えています。
美国日本さんの、アジアの住民に関する表現は、不適切だと思います。
その後のやれやれさんは、個人的に中傷するものですし、こくみん
さんも含めて、不適切な表現があると思いました。
ご理解の上、ご容赦下さい。