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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガ、反超保守&新自由主義。左右問わず、mew基準で、政治や競馬、スポーツなどについて。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

自民党よ、どこへ行く(3)~超保守派が執念の巻き返しに~


最新の記事は、3月分はコチラ、4月分はコチラに。

 先日、「自民党よ、どこへ行く(3)」にリンクしようとして、その
記事をアップしていないことに気付いた。(・o・)

 私は、エディターに記事を書いた後、あとで推敲&編集をしてから
アップしようと思って、そのままにアップせずに終わってしまうことが
少なからずある。^^;<何か書き終わった時点で、自己満足or自己完結
をしてしまうとこがあるのかも。(^^ゞ>

 で、ちょうど今、自民党内でポスト福田の勢力争いや、超保守派の
巻き返しの動きが激しくなっている時期なので・・・。
 今日は、その記事をちょこっと編集する形で、アップしておきたい
と思う。(・・) 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

<この記事は、コチラの『自民党よ、どこへ行く?(2)~自民党は、
何を「保守る(まもる)」のか?』のつづきです。。

90年代になって、東西冷戦が終焉を迎え、世界でも日本国内でも、
自由主義vs.社会・共産主義という形の、イデオロギー的な対立は、
もはや意味をなさなくなった。同時に、自民党vs.社会党という形の
55年体制も崩れることになる。

 55年に結党以来、自民党は単独でず~っと政権与党を務めていた。
<海外では、一党独裁と評されることも^^;>。
 60年に改憲をしようとした(but失敗した)岸信介元首相に続き、
85年に首相に就任した中曽根康裕氏が、改憲推進を目指したいと
考える。この頃、中曽根氏が大きな動きを見せるのではないかと、
護憲派はかなり身構えていたようだ。(-"-)

<当時、米国は超タカ派のレーガン氏が首相。中曽根氏は、ここで
米国の要求を呑みプラザ合意&新自由主義的な政策を導入。それと
引き換えに、改憲&日本の自衛隊の活動強化を容認させつつあった
という話がある。>

 でも、ここでも改憲などは、まだ党内&国民の理解が得られない
ような雰囲気であった上、ある意味では中曽根元首相が招いた経済バブ
ルの狂乱&その崩壊による景気低迷などによって、改憲どころではなく
なってしまったところがある。^^;

* * * * *
 
 このバブル崩壊を招いたのが、90年の湾岸戦争なのであるが・・・。
これが、自民党&世間の超保守派の政治家、識者、財界人に大きな決意
を抱かせたきっかけになったと言われている。 

 日本政府は、米国の協力要請に応じて、軍需物資の輸送を民間の海運
業者に依頼したが、組合がこれを拒否。急遽作成した「国連平和協力
法案」は自民党左派や社会党などによって廃案になった。
 政府は、多国籍軍に対して、計135億ドルの経済援助をするが、
<その大部分は米国に行ったと言われている>、クウェートから感謝
決議も得られず、参戦&協力国を対象にした広告やパーティにも加え
られなかったという。^^;

 国内では、超保守たちが、「日本はカネを出すが、汗や血は流さない。
それでこのような屈辱的な扱いを受けたのだ」と主張。
 日本は、「ど~しても自衛隊を出すべきだ」という声が強まって、
91年にPKO法案を通し、自衛隊をペルシャ湾に掃海のために派遣
することになる。
<この時も自衛隊の海外派遣は違憲だという勢力とかなりもめた。>
 そして、ここで日本の自衛隊が多国籍軍に参戦はおろかバックアップ
のためにも加われず、国際的な評価を得られなかったことが、超保守派
に、早く憲法9条を改正して、自衛隊を正式な軍隊にして、海外派遣が
できるようにしなければという思いを強くさせたのだという。(-"-)

<注・日本が自衛隊を出さなかったことを批判したのは、米国防省
や国務省の一部だけで、欧州その他の国々の政府、メディアは、特に
気にしていなかった、憲法の制約があるなら仕方ないと受け止めていた
ところが多いという話もある。(・・)>

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 しかし、93年に小沢氏らが離党して、野党を集め、細川護煕氏を
擁立して、連立政権を樹立。自民党は、10ヶ月間だけながら、初めて
下野(野党に転落)することになる。
 何とか政権の座を取り戻そうとした自民党は、何とライバルだった
社会党(+さきがけ)と組んで、村山富市氏を首相にして、連立政権
を樹立した。(・o・)
<これには、マジで驚いた。もう「何でもあり」という自民党の政権の
座への執着心を感じたりもした。^^;>

 と同時に、私は、もう日本には、右も左もなくなったのかもな~、
と思ったりもした。(**)
 それまで自衛隊は違憲な存在だと主張していた社会党&共産党は、
政策的に現実路線を歩み始めた。天皇制にも言及しなくなり、自由民主
主義の国家を前提とした政党の方針を掲げていたからだ。
 こうなると、自民党と他の政党の違いは、ほとんどなくなってしま
う。(・・)

* * * * *

 自社さ連立政権は94~98年まで続いたのだが・・・。その間の
95年に、自民党は、新たな理念&綱領を発表している。(・・)
 それがコチラにあるのだが。綱領の一項目めは「国際平和国家を!」
である。当時、行政肥大が問題になっていたことから、「小さな政府」
を掲げているものの、教育も、ちょこっと伝統や文化に触れつつも
「心豊かな人づくりを!」、そして「男女共同参画型社会を!」も
加え、かなりリベラルなものになった。(~~)

 でも、党内外の超保守派には、おそらく、それは耐え難いものだった
ことだろう。
 また、93年に当時の河野官房長官が、日本の慰安婦問題への関与を
認め、謝罪した「河野談話」を発表したこと<歴史教科書にも記述する
ことに>、また、95年に戦後50周年を迎えた終戦記念日に、当時の
村山首相がアジアへの「植民地支配と侵略」を認め、謝罪を述べた
「村山談話」を発表したことは、尚更に、彼らの心に火をつけたような
ところがあった。<超保守派的に日本がアブナイと思ったのかも?(・・;)>

<超保守派の多くは、日本軍の侵略性、慰安婦問題への関与、強制連行、
南京大虐殺なるものがあったことなどを認めていない。・・・あくま
でも、アジア諸国を欧米列強の侵略から守り、解放するための戦争
だったと。日本軍は、人権や生命を蹂躙したり、残虐な行為を行なっ
たりはしておらず、それらは他国による捏造だととらえている。(-"-)>

* * * * * 

 96年には「新しい歴史教科書をつくる会」が、自虐史観に基づく
歴史教科書を作り変えるべきだとして発足。97年には、安倍晋三氏や
中川昭一氏が中心になって、これを支援する議員連盟「日本の前途と
歴史教育を考える若手議員の会」を設立。
 97年、これまで別々に活動して来た超保守団体、神社&神道・仏教
系の宗教団体、その他、識者、財界などの支持者が集まって、「日本
会議」が設立され、自民党の議員を中心に「議員懇談会」が設けられた。

 超保守派の人たちは、この頃から、勢力を結集し、本気で&本格的
に憲法改正(新憲法制定)、教育基本法改正をはじめとする教育再生
などなど、復古主義的な日本の国家再興を実現すべく、動き出すこと
になる。(**)

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 そして、00年に超保守派の森喜朗氏が首相に就任した頃から、
日本会議&自民党有志の間で、教基法改正、憲法改正などの準備が
少しずつ始まって行くことになる。(・・) <森首相(当時)も官邸に
「教育改革国民会議」(コチラ)を設けていた。例の「子供を飼い慣らす
教育」の発言集はコチラ。>
 森喜朗氏は、日本会議や神道政治連盟に参加して活動しており、
01年に「神の国」発言によって、解散に追い込まれることに。^^;

 ところが、その後に首相になった小泉純一郎氏(旧・森派)が、
超保守派をアシストすることになった。(ーー;)
 実は、小泉氏自身は、復古主義的な国家観や改憲にはさほど関心が
ないのだが。彼は、ど~しても郵政民営化を実現させたくて、総裁選
への立候補を決意したのだ。その際に、超保守派の支持を得るために、
彼は憲法改正、教基法改正を進めること、首相として終戦記念日に
靖国神社を参拝することなどを公約に掲げ、田中真紀子氏の支援も
手伝って、当選することになった。(-"-)

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 01年に首相になった小泉氏はもともと親米派な上に、米国は以前
から郵政民営化を要求していて、後押ししてくれることになったこと
から、新自由主義&新保守<ネオコン>のブッシュ政権に全面協力する
ことに。
 新自由主義的な改革を進めると共に、同年にNYで起きた911テロ
に端を発した米国のアフガン攻撃、03年のイラク攻撃を支持。自衛隊
の海外派遣も敢行した。
 また、米軍再編計画に伴う形で、自衛隊の軍隊化、憲法改正などの
準備も進めた。<具体的なことは、超保守派の議員、官僚にお任せ>

 そして、05年に郵政民営化解散を行ない、総選挙に圧勝して、
郵政民営化法案を通し、同年11月に自民党が結党50周年を迎えた
のを機に、新しい自民党の理念&綱領と、自民党の新憲法制定草案を
発表したのだった。(・・)

* * * * *
l
 その05年に発表された「自民党の基本精神」がコチラだ。 

 新綱領のTOPは、「新しい憲法の制定を」になり、「高い志をもっ
た日本人を」では愛国心や教基法改正を明記。「男女参画社会」という
男女平等っぽい言葉を嫌う超保守に配慮してか、「男女がお互いの
特性を認めつつ」・・・「男女がともに支え合う社会を」とした。
 
 そして、立党50周年宣言では「我々は先人が明治の改革、戦後の
改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき
構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければ
ならない。
 我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き
道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動
する国家の実現を国民に約束する。」と記した。

 超保守勢力の多くは、「明治維新」を評価し、自分たちももう一度
同じような国家体制の改革を成し遂げたいと考えている。
 幕府を倒し、王政復古によって天皇中心の国家体制を築き、富国
強兵に努めて、経済的にも軍事的にも、諸外国との競争に打ち勝てる
ような国づくりをした明治維新&諸改革のような改革を、自分たちの
手で実現したいと。敗戦によってGHQの占領政策によって築かれた
戦後体制を倒壊させて、上述のような方針に沿った国家再興を行ない
たいと考えているのである。^^;
 
 そして、彼らは自民党の新綱領や宣言などに、その思いを託したの
だった。(-"-;)
  
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 実は、小泉氏にとって、超保守派の一部はジャマな存在でもあった。
彼らの多くは、新自由主義的な改革に反対の立場の抵抗勢力であった
からだ。<実際、平沼氏、衛藤氏、亀井氏などは議決にも造反して、
離党している。>
 逆に、超保守派の方は、小泉氏があまり熱心に教基法改正や教育
改革、改憲準備を行なわなかったことに不満があった。<特に自民党
の新憲法制定の法案で、中曽根氏の考えた復古主義的な前文案をカット
するなど、超保守派の意見があまり取り入れられなかったことや、皇室
典範の改正でぶつかり、怒りを抱いている人も少なくないという。^^;>

 ただ、小泉氏は、同じ旧・森派の後輩・安倍晋三氏が、小泉改革
を引き継いでくれるという約束をしたことから、彼を後継者として
支持した。<他の候補は、小泉改革に批判的だったしね。^^;>

 で、教基法の改正や防衛省昇格法案などは、安倍氏に譲り、小泉氏
は医療改革法案を強行採決して、最後の国会を終えたのだった。^^;

* * * * *
 
 安倍氏が06年9月に首相になり、「美しい国づくり」構想を掲げ、
ようやく教基法改正、教育システム&内容の変革を行ない、防衛省
昇格、憲法改正の手続き法(国民投票法)も成立させた。
<彼は今でも、自分がこれらを成立させたことを、と~てっても誇ら
しげに語ることがある。(`´)>

 さらに、安倍氏は、07年秋からは、米軍再編計画を進め、集団的
自衛権に関する政府の憲法解釈を変え、ミサイル防衛を強化。自衛隊
の海外派遣の恒久法を作り、2010年には新憲法制定を行なえるように
するはずだったのだが・・・。
 07年7月の参院選で惨敗したこともあって、辞任することになって
しまった。(-_-)

 これは、おそらく10年以上にわたって、国家再興を計画し、少し
ずつ実現して来た超保守勢力にとって、大誤算であったに違いない。

 超保守勢力は、次に麻生氏が控えていることも考え、OKしたもの
の、その目論見は外れてしまった。
 いきなり保守リベラル・旧来の保守の福田康夫氏が総裁候補に浮上
して、総裁&首相の座を得てしまったからだ。

 <つづく>          THANKS

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by mew-run7 | 2008-04-16 08:19 | 自民党について

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