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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガ、反超保守&新自由主義。左右問わず、mew基準で、政治や競馬、スポーツなどについて。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

天皇・皇后ご成婚50周年の会見を見て~平和と憲法を愛し、国民に心を寄せる二人の思いを大切に~

  今日は、午後にもう一つ、記事をアップしました。

最新記事の一覧・・・3月分は、コチラ。2月分はコチラ
*印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。

 明仁天皇&美智子皇后ご夫妻が、昨日10日、ご成婚50周年を
迎えられた。おめでとうございます。m(__)m

 昨日、会見の映像は言葉が、TVや新聞で発表されたのだが。
明仁天皇が、50年を振り返りながら、声をつまらせる場面があり、
感慨深く思うところがあった。<会見全文コチラ

 おそらく自分が生まれてからの激動の時代、戦前、戦後の大きな
変化、そして初の民間人の妃である美智子妃を迎えられてから、
数々の抵抗や批判と戦い、苦悩しながら、「戦後の新しい皇室」
「開かれた皇室」を目指して、お二人で努力を積み重ねて来た日々
を思い起こして、本当に様々なことがその胸に去来したのだろう
な~と感じてしまった。(・・)

 陛下も既に75歳ゆえ、どうかお体を大切に、できれば公務や
行事も減らして、お二人でゆっくりと過ごして頂きたいな~と
願っている。(~~)

* * * * *

ところで、mewは、明仁天皇は、おそらく日本で最も平和主義を
大切に思い、また国民ひとりひとりが、ひいては世界の人々が
健康に平穏な生活を送ることを願っている一人なのではないかと
思っている。
 陛下が折に触れて発せられる言葉やメッセージには、いつもその
思いが込められているのを感じ取ることができるからだ。(・・)
<それは、コチラのwikipediaに記された「発言」からもわかる。>
 
 また、知人が「もしかしたら、陛下は究極の護憲派かも」と
言っていたことがあるのだが。mewも、時に「本当にそうかも知れ
ない」と思うことがある。
 それは、陛下が、89年の即位後朝見の儀で述べられた「国民と
共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界平和、人類の福祉
の増進を切に希望して止みません」という言葉からも伝わって来る。

 特に戦前復古主義の超保守系の政治家や識者の中には、過度に
「伝統」を強調。「神話に基づく天皇の正統性や地位」にこだわる
人がいる。<この何年かは、皇室の継承問題の議論も盛んになって
いる。>
 また、彼らの中には、現憲法を否定し、新憲法を制定。そして
元首として天皇の地位を強めることを切望している人もいる。(-"-)

 天皇は、政治に関わる発言することは控えるべき立場なので、
直接的に諸問題に関して言及することができないのだけど・・・。
 mewは、明仁天皇が、会見などで語る機会を利用して、間接的な
表現ながら、懸命に、自分の思いのメッセージを送ろうとしている
ように感じることがある。(**)

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 それは、昨日の会見でも十分にあらわれているように思えた。

 昨日、陛下は、結婚生活を振り返って「私どもの結婚した頃
は、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争
から日本国憲法のもと自由と平和を大切にする国として立ち上がり、
国際連合に加盟し、産業を発展させて国民生活が向上し始めた時期
でありました」という言葉から始められた。

 結婚後に起きた極めて重要な出来事としては、昭和40年代の
の小笠原村との沖縄県の復帰を挙げて、戦争で多数の死亡者が出た
ことを残念だと述べ、またソ連崩壊後、世界で紛争や犠牲者が
絶えないことにも懸念を示された。

 そして、mewにとって、最も印象的だったのは、皇室のあり方に
ついて語ったこれらの言葉だ。

「昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを
致し、また日本国憲法にある、天皇は日本国の象徴であり、日本
国民統合の象徴である、という規定に心を致しつつ、国民の期待に
応えられるよう願ってきました。
 象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、
その望ましいあり方を求めて今日に至っています。
 なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇
のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の
長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。」

 私は、これは今上天皇が、自分が現憲法を、そして象徴天皇制と
いう形を心から尊重して、それを守って行きたいという思いを、
示されたものだと受け止めた。
 そして、記者からの質問に答える形であったのかも知れないが、
大日本帝国憲法での統治権者である天皇より、今の象徴としての
天皇の方が、伝統的なあり方だと、敢えて語られたのも、ご自身
の思いを明らかにされるためではないだろうか?(・・)

* * * * *

 美智子皇后も、また、言葉を選びながら、「皇室が過去の伝統と
共に現代を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々
の生活に心を寄せ、人々と共に今という時代に丁寧にかかわりつつ、
一つの時代を築いてこられたように思います」と。
 そして、伝統によって「国や社会や家が力強く豊かになれる」と
いうことがある反面、「型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、
伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめている」こともあって、
「この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」と言及
されている。

 皇后が「WBC(野球の国・地域別対抗戦)で活躍した日本の
選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、ござるとか言っては
おられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で
美しい強さを持って戦っておりました」という例を出されたのも、
形式的な「伝統」にこだわったり、過去への回帰(戦いも含む?)
を考えたりするよりも、日本人の内に継がれている国民性や伝統
を大事にすべきだということを、示唆されたかったのではないか
というようにも思われた。

* * * * * 

 mewの目には、陛下は、天皇や皇室が特定の思想をアピールする
材料に利用されたり、戦前のように過度な天皇、皇室崇拝がなさ
れたりすることを快くは思っていないように見える。

 それは、 04年の園遊会で、保守的教育を推し進めている東京
都教育委員の米長邦雄氏が「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を
斉唱させるのが私の仕事です」と自慢げに語ったのに対して、
「やはり、強制になるということではないことが望ましいと思い
ます」と、やんわりとながら、そのような動きをけん制する発言
をしたことからも伺える。(・・)

 mewにとっては、01年の会見で「私自身としては、桓武天皇の
生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていること
に韓国とのゆかりを感じています」と語られたのも、め~っちゃ
印象に残っている。(・o・)
 ・・・というか、それを耳にした時には、かなり驚いたし、勇気
のある人だと思った。このブログにもよく書くように、いわゆる
超保守派の人たちには、中国や朝鮮の人たちを嫌悪、侮蔑する民族
主義的な人が少なくないからだ。^^; また逆に韓国でも、日本や
天皇を快く思っていない人が少なからずいる。

 私は明仁天皇は、そのことをわかって、敢えて、天皇家が血縁
の面でも朝鮮の民族とゆかりのあることを公言し、両者が極端な
思想や感情によって、嫌悪し合う状況を緩和したいと考えたの
ではないかな~と思ったりもしていた。(・・)

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 明仁天皇は、昭和8年生まれで、12歳になる年に終戦を
迎えている。
 本人は、子供の頃、現人神として崇拝された父・昭和天皇の姿
も見ているし、天皇の名の下に軍隊が戦ったり、多くの犠牲者が
出たことも、実感としてわかっていることだろう。
 そして、戦後、天皇の戦争責任が問題になったことも知って
いただろうし。歳を経るにつれて、自分なりに色々と考えさせ
られたこともあるのではないだろうか?(・・)

 父である昭和天皇は、戦後憲法を受け入れ、象徴という立場で、
国民と共に生きることを決意した。
 そして、それまで一般庶民と直接会ったり、話したりする機会は、
ほとんどなくて。当初は、どのような言葉を使っていいのかにさえ、
大変とまどい、苦労したときくが。それでも、ある意味では、天皇
としての責任を果たすために、国民と直に接することで、復興の
励ましになればと、全国を行脚したのであった。
 明仁天皇は、その父の姿も見ていたことだろう。

 それゆえに尚更、明仁天皇は、もう2度と戦前の日本に戻ること
はないように、天皇の名の下に戦争が起きたり、犠牲者が出たり
することがないように。現憲法の「象徴」としての地位を守り、
その役割を果たして行くことに、強い意欲を示しているようにも
思われる。(**)

 それにもかかわらず、天皇を心から崇敬しているはずの超保守
的な政治家や識者が、天皇の思いとは異なる方向にコトを運ぼう
としているのを見て、mew不思議でならないところがある。(-"-)

* * * * *

 そして、おそらく、この十何年か、天皇ご夫妻を苦悩させて
いるのは、マスコミの雅子妃バッシングや、政治家や識者の一部
が熱心な皇位継承&皇族の存続の問題だろう。
<これらは、かなりリンクしている部分もあるけど。^^;>

 明仁天皇が、1度だけ、政治や法律に関わる発言をする機会を
得ることができるとしたなら、おそらく皇位継承についての自分
の考えを述べたいのではないか、と思ったりすることがある。

<皇室という特殊な立場であるとはいえ、自分の一家のことを
自分たちで決められない、意見さえも言えないことに、かなりの
歯痒さを覚えておられるのではないだろうか?(・・)>

 しかも、何か法律的、制度的な面で、様々な問題を解決する
ような案が出ても、神話時代からの「歴史」や「伝統」に固執
して、譲歩する余地さえ示さず、自分たちの考えに反する意見を
潰してしまおうとする人たちがいるため、なかなか話が進まずに
いる。(-"-)

* * * * *

 以前にも書いたかも知れないが、実は、昭和天皇は、皇太子
時代からイギリス王室に憧れていて。特に戦後は、皇室が民主主義
の国家&社会、そして国民と共に生きていくために、イギリス王室
を一つのお手本に、「開かれた皇室」を作って行くべきだと考えて
いたときく。
<だから、昭和天皇は、周囲の大きな反対があったにもかかわらず、
明仁天皇が民間人と結婚することに反対しなかったし。また、東宮
(皇太子)をイギリスに留学させるのにも大賛成だったという。>

 明仁天皇ご夫妻は、その意を汲んで、美智子皇后が語ったように
「皇室が過去の伝統と共に現代を生きることの大切さを深く思われ、
日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に今という時代に
丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いて」来たのである。

 そして、ここで、皇后が「現代を生きる」「今という時代に丁寧
にかかわる」という言葉を使ったことに、今の二人の思い&
メッセージが込められているのではないだろうか?(・・)

この2人の努力をムダにしないだけにも、できれば、その思いを
私たち一般国民が受け止めて、今後、もっといい形で<その時代、時代
に合う形で>、皇室と国民が平和な国を維持に努めながら、共生して
行けるようになるといいな~と思うmewなのだった。(@@)
             
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by mew-run7 | 2009-04-11 06:24 | 政治・社会一般

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