英でイラク戦争を検証~ブレア前首相も証人喚問に&911前から画策か?+日本でも検証を!
2010年 02月 07日
お玉おばさんが、製作に携わった伊勢崎賢治氏著の
「アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる」という
本が完成したそうです。 お玉おばさんのブログはコチラ。
最新の記事(10個)のコーナーはヨコの欄に。
*印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。
小沢氏に関する諸問題以外で、気になったニュースをアップ
しておきたい。
チョット古いものなのだが。イラク戦争に関する話を・・・
『【ロンドン共同】1日付英紙インディペンデントは、英政府が
イラクの旧フセイン政権の転覆を促す計画を、イラク開戦前の
01年6月11日付で策定していたと報じた。ブレア前首相は
フセイン政権の危険認識を変えたのは同年9月11日の米中枢
同時テロだと明言しているが、その前から政権打倒を狙っていた
可能性が高まった。同紙は、反体制派による政権打倒を画策した
政府文書コピーを入手した。<共同通信2日より>』
イギリスでは、先月から「イラク戦争参戦問題を検証する独立
調査委員会」が開かれていて。有識者や関係者の調査報告や証言
を得ながら、イラク戦争の正当性や、英国が参戦したことの
妥当性などを検証している。(・・)
先月29日には、ブレア前首相が証人喚問を受けたのだが、
彼は『「9・11(米同時多発テロ)後、(イラクへの)脅威
評価は劇的に変わった。危険を放置することはできなかった」
などと改めて正当化』して、米国ブッシュ政権と共にイラクを
攻撃したことに関しても、『「国連で解決できないなら、サダム
(フセイン大統領)を排除するしかなかった」と述べた。』
<以上、毎日新聞1月30日より> 関連記事*1に
ブレア前首相は、ブッシュ前大統領と公私ともに仲がいいと
言われていたのだが。英国では、対米追従の政策を批判されて
おり、「ブッシュのプードル犬」と呼ばれていたという。(~_~;)
* * * * *
ブレア氏は、03年に米国が大量破壊兵器があるという誤った
情報を世界に(国連でも)流して、イラク攻撃を行なうことを決めた
時にも、閣僚らに必要な情報を与えて、きちんと協議を行なわず
に、強引に参戦を決めたということで、非難を受けていたのだが。
『【ロンドン共同】英国が2003年にイラク戦争に参戦した経緯など
を調べる独立調査委員会は2日、開戦時の国際開発相で、開戦に
反対していたクレア・ショート氏を証人喚問、同氏は開戦に向けた
「重要な協議から締め出されていた」と指摘、閣僚らと「十分な協議
を行った」としているブレア前首相の先月の証言を否定した。
ショート氏の証言によると、開戦協議の際、同氏ら一部閣僚に
対し、ブレア氏は「黙っているよう」命令。「通常の意思疎通は
できない状態だった」と指摘した。
ショート氏は開戦後の同年5月に閣僚を辞任。開戦前に辞め
なかった理由を問われると、イラク再建は国連が中心に行うなど
と強調したブレア氏に「だまされていた」からだと述べた。
また、法務長官を務めたゴールドスミス氏が持論を変え、開戦
は合法だとの見解を開戦直前に示したことについて「同氏は内閣を
ミスリードした」と強調。見解を変えた背景にブレア氏の圧力が
あったと思うと述べた。<共同通信3日>』
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
この英国で行なわれているイラク戦争の検証は、非常に興味
深いものだし。同時に、とても大切なものだと思っている。(・・)
実は、以前から、米国の内外で「ブッシュ&周辺は、実は、
01年1月に大統領に就任した時から、パパ・ブッシュのリベンジ
も兼ねて、イラクを攻撃して、米国に従わないフセイン大統領を
抹殺する」ことを計画していたという話が出ていたのだ。(-"-)
で、ブッシュ前大統領や、閣僚&スタッフ(パパの時からの
スタッフが多い)は、就任間もなくから、イラク攻撃をするため
の口実(大義名分)を探すor作るように努めたり、イラク攻撃の
戦術も練っていたと言われている。
<9.11テロ事件に関して、米国が仕組んだという陰謀説や
見逃し説(事前に情報を得ていたのに、あえて見逃して、テロを
行なわせた)などが消えないのも、そのためだ。(ーー)>
* * * * *
もちろん、ブッシュ氏もブレア氏もそれを否定して、あくまでも
9.11テロ事件によって、米英や世界への脅威が高まったので、
「テロとの戦い」が必要だったと主張しているのだけど。
もし最初に示した記事にあるように、米英が9.11事件が
起きる前から、フセイン政権を倒す計画を立てていたことを示す
政府文書が公になれば、ブッシュ政権が、初めからフセイン抹殺
を企てていたとされる疑惑も解明されることになるかも知れない
わけで。その真相が解明されることを、期待している。(・・)
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また、mew的には、日本でも是非、イラク戦争の検証を
行なって欲しいと思っているのだ。
というのも、日本も当時の小泉首相が、ブッシュ大統領が
掲げた「テロとの戦い」に、ろくに根拠も示さず、ともかく賛成して。
国民の7割が反対していたのに、多額の税金を使って、
イラクに陸上&航空自衛隊を派遣しているからだ。(ーー゛)
<しかも、航空自衛隊の空輸活動は、戦闘中あった米軍の武装
兵士や物資の輸送を行なっていたことから、名古屋高裁で違憲
の判断を受けているしね~。(・・)>
小泉元首相も、悲願だった郵政民営化を実現したいあまりに、
民営化に賛同していたブッシュ政権べったりになって、対米追従
路線をひた走っていて、一部では「アメリカのポチ」と呼ばれる
こともあって。その点でも、ブレアと重なるところがある。^^;
<しかも、小泉くんは、国会で、大量破壊兵器が発見されて
いないことを追及されて、「(当時、行方不明になっていた)
フセインがまだ見つかっていないからって、イラクにフセイン
がいなかったと言えるか?」と、ふざけた答弁をしていたり
して。mewは、その光景を思い出すと、いまだにムカついて
来ることがある。(`´)>
* * * * *
思えば、01年に911テロ事件が起きて、小泉首相は、すぐに
ブッシュ大統領が唱えた「テロとの戦い」やアフガン攻撃を支持
することを表明。
そして、国民がわけがわからないうちに、あっという間に、
インド洋に海上自衛隊の派遣することに決めてしまったのだ。
しかも、国民には、戦闘とは関係なく、テロ対策活動を行なう
外国の艦船に給油をするための「国際貢献」だと説明していた
のに。実際には、アフガン攻撃を行なう米国などの艦船に補給
をしていたり、イージス艦で、戦闘の情報集めに協力していたり
したことが、後に発覚したのである。(ーー゛)
さらに、03年にはイラク攻撃に参戦する米艦船にも給油
していたことが判明したのだが。防衛省はひたすらに、
その事実をごまかしていて。ついには、大事な証拠になる
航海日誌の存在を消してしまったりもした。<隊員が、
誤って破棄したため、見つからないとか言いやが・・・
説明したりして。(゚Д゚)>
こうして、国民には一体何をやっているかきちんと
知らされないまま、海自は、米国から買った高級な石油を
米国などの艦船に配る、無料ガソリン・スタンドを行ない
続けていたのだ。(-"-)
* * * * *
昨年、政権交代が実現して、民主党政権は、インド洋の海自
派遣の根拠となる新テロ特措法を延長せず。海自は、今年の
1月15日で、ようやく8年半に及ぶ派遣任務を終えた。
そして、昨日6日には、最後の任務についていた護衛艦と
補給艦が、東京・晴海埠頭に帰って来た。
鳩山首相は『帰国した派遣部隊を出迎えて訓示し「約8年(の
給油活動)で培った経験は、これからの日本の外交、安全保障
に必ず生きる」と労をねぎらった。同時に「政府は今後、国の
防衛はもちろん国連平和維持活動(PKO)やテロ防止など適切
な役割を果たしていく」と述べた』という。
mewも、南洋の炎天下でハードな活動を続けていた海上自衛隊
の人たちには「おつかれさま」と言いたいし。
本当に現地の人の役に立つような国際貢献は必要だと思うけど。
<6日に、陸自がハイチの震災救援&復興を行なう国連
平和維持活動(PKO)に参加するために出発したのだけど。
こういう災害救援なんかは、積極的に行なって欲しいけどね。>
でも、ネオコン・ブッシュ政権の思惑で始まった「テロとの戦い」
にによって、アフガンやイラクの、多数の何の罪もない人たちの
生命や生活を奪ったのは事実だし。<しかも、両地ともいまだに
戦闘やテロが続いている。>
日本政府が、それに安易に加担して来たのも事実なわけで。
<しかも、多額の税金を使って。(ーー゛)>
今後、日本がどのような国際貢献活動を行なって行くべきか
を、国民と共に考えて行くためにも、この政権交代&海自派遣の
終了を機に、改めて、自民党政権下での日本政府がアフガンや
イラクへの自衛隊派遣は正当&妥当なことだったのか、検証して
みる必要があるのではないかと思うmewなのだった。(@@)
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さらに現政権にノーさんが作った「THE BLOGGER」、晴天とら日和さんが
作った「【政権交代】を目指すブログ結集!」をご参照下さい。
『【ロンドン笠原敏彦】英国のイラク戦争参戦の経緯などを検証する独立調査委員会(チルコット委員長)は29日、米国主導の戦争への参加を決めたブレア前首相を証人として喚問した。前首相が同戦争に関し公開の場で証言するのは初めて。国連決議のない「違法な戦争」との批判が強い同戦争について、ブレア氏は「9・11(米同時多発テロ)後、(イラクへの)脅威評価は劇的に変わった。危険を放置することはできなかった」などと改めて正当化した。
この日の公聴会では、参戦決断の時期や英政府内での決定プロセス▽開戦に関する国際法上の合法性・違法性をめぐる判断▽大量破壊兵器をめぐる情報操作の有無--などが焦点になった。
6時間に及ぶ公聴会で、ブレア氏は国連制裁によるイラクの「封じ込め」は機能しなかったと指摘。仏独などの反対で新たな国連決議が採択できず、「国連で解決できないなら、サダム(フセイン大統領)を排除するしかなかった」と述べた。
フセイン元大統領については、「ならず者国家に大量破壊兵器(WMD)の開発を許すことはできない」「WMDを持つ残忍な政権は大きな脅威だ」などの認識を示した。
開戦の根拠とした英政府のイラク大量破壊兵器報告書(02年9月)は「イラクは45分間で生物・化学兵器が配備できる」としていた。ブレア氏はこの情報評価が誤りだったことを認めていたが、当時は「疑いの余地なくサダムはWMDを保有していると信じていた」と述べ、情報操作や世論誘導を否定した。
ブレア氏は開戦約11カ月前の02年4月、ブッシュ米大統領(当時)の私邸クロフォード牧場での会談で軍事行動を「可能性」として論議したと指摘。外交的解決を追求しながらも、軍事行動は「常に選択肢の一つ」だったとし、この会談で「ブッシュ氏は、戦争になれば英国はともに行動する、との印象を持ったはずだ」と語った。
国際テロ組織「アルカイダ」による米同時多発テロがなぜ、イラクの「レジームチェンジ(体制転覆)」につながるのかという疑問については、「二つの異なるものだが、WMDを拡散する国家とテロ組織がどこかでつながることを懸念していた」と述べるにとどまり、説得力を欠いた。
これまでの公聴会では、英外務省の法律顧問2人がストロー外相(当時)に「国連決議の承認のない開戦は(国際法上)違法で侵攻の罪に当たる」などと繰り返し助言していたが、ストロー氏は「国際法はあいまい」などと拒否していたことが明らかになっている。
昨年11月に始まった同委員会は今年末をめどに報告書をまとめる方針。ブレア氏は再度喚問される。
◇前政権「みそぎ」の見方も
開戦からほぼ7年後のブレア氏の喚問は、「多くの英国人が今も我々はなぜ違法な侵攻を行ったのかと自問している」(クレッグ自民党党首)現状を浮きぼりにするものだ。
英国は対テロ戦争の最前線とされたイラク戦争で大きな犠牲を払った。ところが、05年7月の市民52人が死亡したロンドン同時爆破テロが象徴するように、英国へのテロの脅威は逆に高まった。
また、ブッシュ大統領の「プードル犬」とやゆされたブレア氏の戦争指導により、英国の国際的評価も大きく揺らぎ、イラク後遺症の傷は深い。
その一方で、ブレア氏は07年6月の辞任後、講演や投資銀行の顧問料などで1500万ポンド(約23億円)を稼いだと報じられ、ブレア批判派の憤りを増幅してもいる。
ブレア氏はこれまでに同戦争に絡む他の調査委でも証言しているが、いずれも非公開だった。公聴会はイラクで犠牲になった英兵の遺族らも傍聴。会場の外では、ブレア氏を「戦犯」などと糾弾する数百人の反対派が抗議行動を繰り広げた。
イラク戦争を初めて包括的に検証するチルコット委員会への国民の注目度は高いが、一方で政府が任命した元官僚らによる調査には「追及が甘い」との批判もあり、ブレア政権の「みそぎ」に終わるとの見方も消えない。
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■ことば
◇イラク戦争と英国
大量破壊兵器の査察受け入れを拒否していたイラクに対し、ブレア英政権は米国とともに03年3月、「新たな国連決議が必要」とする国際世論の反対を押し切って開戦に踏み切った。英国は4万5000人規模の部隊をイラクに送り、南部バスラに展開。英兵179人が犠牲になった。ブラウン首相は08年12月、イラクからの撤退を表明。駐留英軍は09年3月、撤退を開始し、09年7月末に完了した。最終的に発見されなかったイラクの大量破壊兵器については、開戦前の02年9月の政府報告書で、その脅威を誇張していたことなどが明らかになった。多額の戦費も費やされ、ブレア政権は英国民の信用を失った。<東京新聞1月30日>』