自民党・参院のドン・青木幹雄氏の引退の報に思ったこと
2010年 05月 17日
*印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。
先週末、最も驚いた&ある種の衝撃さえ覚えたのが、自民党の
参院のドン・青木幹雄氏(75)が、次の参院選に出馬せず、
引退するというニュースだった。(・o・)
『自民党の青木幹雄前参院議員会長(75)が15日、健康上
の理由で参院選(島根選挙区)の立候補を断念することになった。
自民党政権時代、政局や人事で強い影響力を持ち、「参院のドン」
と評されていた。参院選不出馬で、このまま政界を引退する可能性
がある。
党島根県連は15日午前の会合で青木氏の参院選不出馬を決定
した。会議後、五百川純寿総務会長は記者団に「昨晩、本人に会い、
『迷惑をかけ申し訳ない。残念だけど無理だ』と言われた。軽い
脳梗塞(のうこうそく)で、医者からも『夏の暑い選挙は無理だ』
とストップがかかった」と説明した。後継には長男で秘書の一彦
氏の名が挙がっている。
党関係者によると、青木氏は13日の島根県雲南市での集会で
話がうまくできなくなって中座。14日に出席予定だった出雲
大社の大祭礼も欠席した。その後、出雲市の県立病院で検査を
受け、入院している。16日には退院する見通しという。
青木氏は野党転落で自民党内に世代交代論が強まる中、今年1月
に参院選への立候補を表明。民主党やみんなの党などの立候補
予定者との激しい選挙戦が予想されており、地元で集会や支持者
回りを重ねるなど過去にないこまめな活動を続けていた。
同郷の故・竹下登元首相の秘書を早大在学中から務め、島根県
議を経て当選4回。官房長官当時の2000年、緊急入院した
小渕恵三首相の臨時代理として内閣総辞職を判断した。野中広務
幹事長代理らと協議して森喜朗幹事長を後継首相に決め、
「五人組」と批判された。
07年参院選で側近議員らが落選するなど自民党が大敗。参院
議員会長を辞任し、政界の表舞台からは退いていた。
<朝日新聞15日>』
* * * * *
実のところ、mewは、青木幹雄という政治家個人は、そんなに
嫌いではなかった。
インタビューなんかを見ていても、情に厚く和を尊ぶような人柄
がにじみ出ているようなとこがあったし。色々な立場の人たちや
議員への配慮を見せて、政策的にもバランスのとれた考え方を
するような印象を受けるところがあったからだ。
<だから、参院はもちろん衆院の議員や地方議員などからも、
慕われたり、一目置かれる存在だったのかも?(・・)>
青木氏に関して、印象に残っているものとして、07年1月に
彼が参議院で質問に立って、当時の安倍首相らに切々と地方格差の
問題を訴えた姿がある。
<その時のことは、『台風被害から見える地方格差の問題・・・
格差に目をつむろうとした安倍政権』に、その時のことを
書いた。>
当時、安倍首相&その仲間たち(塩崎官房長官とか)は、既に
様々な格差の問題が出ていたにもかかわらず、小泉改革や新自由
主義的な政策をさらに推進しようとしていて、周囲からの「格差は
存在しない」or「差があるのは当然だ」と反論。それに怒った青木氏
が、自ら国会の場で、地元の惨状を訴えたのだ。(-"-)
* * * * *
・・・と書くと、青木氏はと~ってもいい政治家みたいに見えて
しまうのかも知れないのだけど。^^;
実際のところは、彼は森喜朗氏らと結託して、自民党を牛耳り、
自らの政治信念をヨコに置いて、自民党の政権を維持するためで
あれば「何でもあり」の姿勢で、オモテ&ウラで政治的手腕を
発揮。それこそ、5年半もの間、小泉政権を支え続けて、自民党&
国民生活をボロボロにしてしまった立役者だったわけで。
その意味では、mewから見れば、森喜朗氏と並んで、最も
悪代官的な政治屋であったと言えるかも知れないのだ。(ーー)
<史上最悪の詐欺師的政治家&首相は、もちろん、小泉くん
だけど!近時では最悪の超保守っ子首相は、安倍くんね。(ーー))>
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このブログに、さんざん書いて来たことであるが。自民党は、
もう90年代後半には、単独で衆参過半数をとれない状態になって
おり、党内でも政権の座を失うかも知れないという危機感が、
だんだん高まって来ていた。(・・)
そんな中、竹下元首相の秘書から県議を経て参院議員になった
青木氏は、旧・竹下派(その後、小渕→橋本→津島→額賀派)の
中で力を持って、98年、小渕首相の時に参院幹事長に。そして
99年には、議員ながら官房長官に就任。<この時に、自民党が
公明党と連立政権を組むのに一役買う。>
そして、00年、小渕首相が病に倒れ、急逝した時には、五人組
(森、青木、野中、村上、亀井)の一員として、密室で、森喜朗氏
を後任の総裁&首相にすることに決めるなど、参院だけでなく、
党内でも大きな力を持ち始めていた。(@@)
<ちなみに、森喜朗氏は、青木氏の早大雄弁会の後輩で、学生時代、
既に結婚していた青木氏宅に居候していたこともあるほど、古く
から親しい仲なのだそうだ。^^;)
ところが、森元首相は、神の国発言に始まり、度重なる失言&
無策の国政などのため、内閣支持率が一ケタに落ちて、政権の維持
が危機に陥ってしまったのだが。森氏は、01年、自派閥の小泉氏
を擁立。その小泉元首相が、予想外の人気を得て、救世主となり、
何とか政権陥落をまぬがれたのだ。(-"-)
問題は、ここからだ。青木氏は、森派と共に自民党の二大派閥
だった橋本派(当時)の重鎮として、小泉政策に異論を持ちながら
も、人気のある小泉政権をできるだけ維持することに尽力。
五人組のメンバーで言えば、03年「小泉おろし」を企てた同じ
派閥の仲間、野中広務氏を毒饅頭事件で引退に追い込み、05年
には小泉郵政法案に反対した亀井静香氏らを党から追い出したり
までしたのである。(ーー゛)
しかし、07年の参院選で、小泉改革を支えたとばっちりが来て、
安倍自民党が、民主党に惨敗。青木氏は、参院会長を辞任すること
になった。(・・)
* * * * *
青木氏は、『07年の参院選惨敗で議員会長を辞任し、表舞台
での活動を控えていたが、尾辻秀久参院議員会長ら参院の現執行部
は「党運営や国会対策などで、しばしば青木氏の指示をあおいで
いた」(中堅)』という。<時事通信15日より>
そして、総裁選などの際は、森氏に協力して、次の総裁を決めて、
票集めをする手伝いなどをしていた。ただ、彼らが総裁&首相に
担いだ安倍、福田、麻生の3人の首相がすべて失敗に終わり、
ついに自民党は政権の座から落ちることに。(~_~;)
昨年9月、下野後の総裁選では、彼らは、谷垣氏を総裁にしよう
と動いたのだが。<舛添要一氏に出馬を控えさせたりしてね。^^;>
そんな彼らを見て、河野太郎氏が「あしき体質を引きずった人を
ベンチに入れるべきではない」と、森氏、青木氏を名指しする形で、
引退を勧告するシーンもあった。(゚Д゚)
* * * * *
青木氏は党内での力は衰えていたものの、森氏と共に、何とか
自民党を再生したり、離党者による新党も含め、保守勢力を結集し、
民主党から政権を奪還することを考えていたようで。「たちあがれ
新党」や「新党改革」の結党にも、関与していたという。(・・)
しかし、自民党も新党も支持率がなかなか上がらず。自分が
参院議員にスカウトして、厚労大臣にもし(てあげ)た舛添要一氏
は言うことをきかず、最後は、青木氏を批判して、離党。
おまけに、参院仲間の若林俊雄氏が、本会議の投票で、青木氏
の分も投票ボタンを押して、議員辞職するなんていう事件(?)も。
また、島根と言えば、かつては「竹下王国」と呼ばれ、自民党
の牙城であったにもかかわらず、07年参院選で自民党候補が
敗れる事態が起きて。
青木氏は、そのことに責任を感じて、2回連続は負けられない
という思いもあり、党内の反対を押し切って、高齢ながら出馬を
決めたところもあったのだけど。自民党への逆風に加え、「みんな
の党」が候補者を出すことになったことから、選挙活動でかなり
苦戦していたとのこと。
青木氏は、高齢である上、それらのストレスもあって、心身に
かなり負担がかかっていたのかも知れない。(-"-)
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『自民党時代、青木氏の薫陶を受けた新党改革の舛添代表は、
「一つの時代が終わったということだ。青木さんが引退しても、
自民党や政界への影響はないと思う」と述べた』とのこと。;
<読売新聞15日より>(^_^;) tsumetai-none
また、最近、面白いコメントを求めての取材が増えている(?)
谷川参院幹事長は『「青木氏はいい意味でも悪い意味でもいろいろ
言われてきた。(参院選への影響は)まったくない」と語った』
という。『だが、「青木氏という支柱を失った参院自民党は選挙後
に流動化するのでは」(閣僚経験者)という見方もある。』
<毎日新聞15日より>
実際、『青木氏が政界から去ることになれば、若手の発言力が
強まりそうだ。青木氏は森氏とともに「派閥政治の象徴」とされ、
「森氏らにも影響が及ぶ」との声も漏れる。党内でくすぶる派閥
解消論が勢いを増す可能性もある』と報じるところもあった。
<時事通信15日より>
ちなみに、参院自民党のホープ(?)・山本一太氏も、自分の
ブログでこんな風に書いていた。
『突然の「不出馬声明」には驚いたが、ある意味で象徴的な気も
する。 青木幹雄氏は、参院の役職を外れた後も、「隠然たる
影響力」を持っていた。 もっと分かりやすくいうと、参院自民党
の最高実力者であり続けた。 今回の引退は、「参院自民党を
大きく変える」キッカケになるかもしれない。
当然、参院選挙後にやって来る参院自民党内の「ミニ政局」
(参院自民党議員会長の任期切れ)にも、少なからぬ影響を与える
だろう。 参院自民党という「古色蒼然とした組織のシンボル」を
ガラッと変えるために、改革派の議員会長候補を擁立出来る
だろうか? 10名の推薦人をどうするか? 「戦える幹事長候補」
不在の問題を、どう解決したらいいのか?
「コップの中の嵐」ではあるが、自民党が、本当に自己変革
出来るかどうかの「ちっちゃなケーススタディー」になる。
え? 「参院自民党議員会長選挙」をめぐる攻防は、もちろん、
「直滑降ブログ」で実況中継する。』
* * * * *
これで森氏や伊吹氏なども引退すれば、まさに古き自民党の象徴
である長老&派閥政治が終わりを迎えそうな感じもあるのだけど。
ただ、かつてほどの影響力はないものの、青木氏は、いざと
いう時の相談役、まとめ役として大きな存在であったのは事実だし。
<07年に青木氏の片腕だった片山虎之助氏(当時の参院幹事長)
も落選しちゃって、いないしね~。^^;>
しかも、参院自民党は、05年、07年と民主党に連敗して
おり、もし次も負けたら、さらにボロボロ&バラバラになって
しまいかねないような感じもあって。
自民党が新たしく生まれ変わるのと、解体、崩壊してしまうの
と、果たしてどちらが先になるのかな~と思ってしまったmew
なのであった。(@@)
p.s. 青木氏の1日も早いご回復を、お祈りしたい。そして、
回復後は、政界の外からでも、今度は、そのお人柄を活かして、
本当に国政&地域のためになる提言やお仕事をして頂きたい。
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