スーちゃんのラスト・メッセージ全文~被災者、社会貢献、キャンディーズへの思い+弔辞全文
2011年 04月 26日
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最新の記事(10個)のコーナーはヨコの欄に。
*印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。
21日に、元・キャンディーズ&女優の田中好子さん(享年55)
が、乳がんのために他界。
mewも、『石原親子の方が、人間として問題があるだろ~!&
保坂展人+スーちゃんの訃報』の最初の方で、スーちゃんへの思いを
少し書いたのだけど・・・。
昨日25日に告別式が行なわれて、お別れの際に、田中好子
さんが先月、病床で録音したという肉声のテープが会場に
流された。(・・)
mewは、昨夜、仕事先で、若い女の子から「夕方のニュースで
見て、つい泣いてしまいました。明日の朝もTVで全部流す思い
ますけど、きっとmewさんも泣きますよ」と言われて。
「是非、mewもききたい」という思いと、「朝から泣いちゃっ
たらどうしよう」という懸念が交錯していたのだけど・・・。
今日、早朝にTVで見て、やはり泣いてしまったですぅ、(ノ_-。)
<目を冷やしてから、仕事場に行かないと、マズイかも。^^;>
* * * * *
告別式の最後に、『夫で喪主の小達一雄さん(56)が、参列者
やファンら計2100人を前にあいさつ。小達さんは「女優、田中
好子の第1章は残念ながら幕を閉じましたが、第2章第1幕を今、
スタートさせてあげたいと思います。好子さん! 行きますよ」と
勢いよく声を張り上げた。
そして映画撮影に使うカチンコを取り出し、「第2章シーン1、
テイクワン、よーい」と声をあげ、「カチン」と鳴らすと、
「こんにちは。田中好子です。きょうは3月29日、東日本大震災
から2週間経ちました」と、今にも消え入りそうな弱々しい田中
さんの声が再生された。』
テープの再生が終わり、『直後に小達さんが「カット!OK!!」
とカチンコを大きく鳴らして、あいさつが終わった。』
<産経新聞25日>
* * * * *
3月の終わりには、病状がかなり悪くなっていたのか、正直な
ところ、かなり弱々しく、話すのも苦しそうな声ではあったの
だが・・・。
でも、スーちゃんの優しい柔らかいイメージが、そのまま
伝わって来るような声、話し方で。しかも、自らの死を目前に
控え、真っ先に東日本大震災の被害を思いやり、自分も何か
したいという気持ちを訴える内容に、その優しさ、心の大きさが
強く感じられ、尚更に心にじ~んと来るものがあった。(-"-)
ここに、そのスーちゃんの最期のメッセージ(全文)をアップ
しておきたい。
<ミキちゃん、ランちゃんの弔辞は、記事最後のMore部分に>
『こんにちは。田中好子です。きょうは3月29日、東日本大
震災から2週間経ちました。被災された皆様のことを思うと心が
破裂するような、破裂するように痛み、ただただ亡くなられた
方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けて
しまうかもしれません。でもそのときは、必ず天国で被災された方
のお役に立ちたいと思います。それが私の勤めと思っています。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になり
ました。幸せな、幸せな人生でした(涙ぐむ)。特に蘭さん、美樹
さん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっと
もっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでもいつまでも
伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さったみなさまに、
社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思います。
かずさん、よろしくね。その日まで、さようなら。』
<かずさん=夫の小達一雄さん>
* * * * *
スーちゃんは、先月、入院した際に、もう余命が長くないと
覚悟していたとのこと。<夫とも、そのことを話したという。>
キャンディーズのメンバーにも、自ら「長くない」と話し、
他の2人は、週1回、病院にお見舞いに行くことにしたという。
このテープも、自分が他界した後のことを考えて、最期に
何かメッセージを残したいと考え、録音したものであること
がわかる。
それにしても、真っ先に、東日本大震災の被災者を思い、
「必ず天国で被災された方のお役に立ちたい」と語ったことには、
心臓をぎゅ~っとつかまれるような感じを受けずにはいられ
なかった。
もし元気に生きていれば、自分で何かしようと思ったのだろう
けど。残念ながら、それができない状況の中、自分が命をなくし、
天国に行っても、尚、何か役に立とうと、それが務めだという
発想を持つこと自体、本当にスゴイことだと思うし。ただただ、
頭が下がる思いだ。m(__)m
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85年に、白血病のため、27歳の若さで他界した女優の夏目
雅子さんは、夫の小達一雄さんの実妹に当たるのだが。
スーちゃんは、夏目さんの生前から、親交があったとのこと。
<小達さんと結婚したのは、夏目さんが亡くなった後。>
小達さんは、夏目さんの母と共に、治療薬の副作用による脱毛
をカバーするためのかつらの提供や骨髄移植の協力者を求める
啓発運動などを行なう「夏目雅子ひまわり基金」を創設。スー
ちゃんも、その活動を手伝っていたことは知っていたのだが。
この他にも、夫の社会貢献活動に携わり、自らも厚生労働省の
公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団
及び日本エイズストップ基金運営委員などを務めていたとのこと。
<wikipedia参照。>
もともと、人一倍、思いやりの深い人だったと思うのだが。
これらの活動を通じて、社会に貢献したいという思いを強く抱く
ようになったのではないかと察する。(・・)
そして、おそらく、病床にて、夫と共に被災者のために何か
できないかと話し合い、今後、小達さんが、そのスーちゃんの
思いを具現化する活動を始めることを約束したのだろう。
その構想が具体化した時には、もしmewにできることが
あったら、何か協力できたらな~と思っている。(・・)
* * * * *
そして、ひとりの仕事をしている女性、人間として、女優業を
続けたかったという思いを切々と訴えていたことにも、じ~んと
してしまうところがあったし。
<そんなに女優に対する気持ちが強かったのかと、改めて驚か
されるところもあったけど。>
また、キャンディーズの3人が、解散後、それぞれが結婚を
して、別々に仕事をするようになってからも(ミキちゃんは、
結婚後は芸能活動はしていないけど)、定期的に会っていて、
ず~っとお互いに思い合っていたことにも、心が温まるような
気持ちにさせられたところがあった。"^_^"
<今は、「スーさん」みたいにお互いにさん付けで呼び合って
いるとのこと。伊藤蘭さんの夫の水谷豊さんも、その影響か
妻を「ランさん」、他の2人を「スーさん」のように呼んで
いて。「家にキャンディーズの3人が集まっていて、不思議な
感じだった」と語っていたのを見たことがある。>
3人は、渡辺プロ系の芸能人養成学校(東京音楽学院)出身
で。同校が作っていたスクール・メイツというバック・ダンサー
の集団で活動。その中から、TV番組のアシスタントに選ばれた
3人が、キャンディーズというグループを組み、デビューする
ことになったのだけど。
ちなみに、スーちゃんは69年に学院に入学して、デビュー
まで4年かかっているわけで。3人とも、中学生の頃から、
いわば下積み時代を共有して来た仲間だし。
またデビュー後、急にアイドルとして人気が上昇し<当時の
アイドルへの熱狂ぶりは今の比ではない>、騒がしい&めまぐる
しい日々が続く中、3人で苦楽や、喜び、とまどいを分かち合って
来た同士のような思いもあるのかも知れない。(**)
<けど、あまりに次々と仕事や時間に追われる忙しい日々に、
自分たちを見失って行くような危惧感が増大し、3人で話し合って
解散を決意。それがあの「ふつうの女の子に戻りたい」という
伝説的名言につながったのよね。(~_~;)>
ミキちゃんが、弔辞で、「おばあさんになるまで恒例の集合
写真をたくさん撮りたかったのに…」と語っていたのだけど。
もしできるなら、ずっと3人でいい形で歳をとりながら親交
を続けると共に、スーちゃんには、味わいのあるいい仕事や
諸活動をして欲しかったな~と、改めて思ってしまったところ
があった。(-"-)
* * * * *
何だかとりとめもなく、心に浮かんだことを書いてしまった
のだが・・・。
改めて、田中好子さんのご冥福をお祈りすると共に、その社会
貢献への思いが、是非、いい形で具現化するようにと願っている
mewなのだった。(・・)
<それに引き換え、政治家たちは・・・。(ーー゛)その後、政局
がらみの政治のニュースを見て、何だか別の意味で情けなく&
哀しくなって、泣きたくなっちゃったりして。(ノ_-。)
本当は、このあと政治の話を書くつもりだったのだけど、その
意欲がなくなってしまった。(-"-)
どの政治家にも、国民や震災者を思う気持ちもあるのだろう
けど。どうしても、実権争いに思惑の方が先に立っているように
見えてしまうとこがあるわけで。スーちゃんのメッセージをきか
せて、菅首相支持派も、菅おろし派も「ともかく被災者&国民の
ことを第一に考えて、言動してよね!」と言いたくなったです。(@@)>
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作った「【政権交代】を目指すブログ結集!」をご参照下さい。
藤村美樹さんの弔辞
『スーさん、何でそんなに早く逝っちゃったの? おばあさんになるまで恒例の集合写真をたくさん撮りたかったのに。スーさんがいないなんて寂しいよ。
数年前、スーさんからがんと聞かされたときは本当にショックでした。でも、『信頼できるお医者様が付いているから大丈夫』といって、そのことを前向きに受け止めていて、私たちを一時、安心させてくれましたね。
その後も、会うたびに変わらぬ笑顔で、いつも決まって深夜遅くまでお菓子を食べ、お茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。心から楽しかった。あのときをずっと忘れないよ。
家族や周りの人には心配を掛けたくないとの思い、で病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、本当によくがんばりましたね。スーさんのことだから、すごくつらいときにも優しい心配りで、周りの人たちをなごやかにさせ、その場の雰囲気をぱあっと明るく変えたのではないかと想像できます。
最後まで頑張り通したスーさん。惜しくも亡くなる当日も、本当によく頑張ってくれましたね。ありがとう。私も蘭さんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることが不可能な人も、親族も、みんなが勢揃いし、スーさんを取り囲んでお話をしたり、代わる代わる声を掛けたり、手をさすったりしました。その、柔らかい手の感触を今でも思い出します。
スーさんは一足先に天国に行ってしまうけど、天国はそれはそれは素晴らしいとこらしいですね。スーさん、どうですか? おばあちゃんとおじいちゃん、かずちゃんやお母さん、まさこちゃんにも会えましたか?
神様は、この世のお役目を果たした人をそちらへ呼んでしまうようです。スーさんはもうお許しが出たのですね。これは神様からのプレゼントだってこと。新たな命をいただいて、そちらで幸せに暮らして下さい。
どうやら私たちは神様からお許しがまだ出ないので、スーさんの分まで明るく前向きに一生懸命、誠実に1日1日を生きます。私たちもいずれそちらに行きますので、そちらで待っていてね。また3人で歌いましょう。
本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。私たちは永遠にキャンディーズだからね。お揃いのものも大切にするよ。
ありがとう。スーさん。愛してるよ。
平成23年4月25日 ミキ』
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伊藤蘭さんの弔辞
『スーさん。あなたが旅立つとき、1人で寂しくないように、美樹さんと一緒にあなたの名前を何度も呼びました。私たちの声はちゃんと届いていましたか? 時間がたつほどに大切な人を失った悲しみとさびしさがこみあげてきて、いま、わたしたちはとても困惑しています。
お互いにまだ幼い中学生だったころに出会い、キャンディーズというグループを通して喜びも苦しみもともに分かちあい、すばらしい青春時代を過ごすことができました。スーさんはいつも春のように優しい微笑みで私たちを包み、なごませてくれましたね。
その後の女優としての活躍はいうまでもなく、いい仕事をたくさんして、多くの人たちに感動を与えてくれました。体のことを打ち明けられたときは、『なぜスーさんが』と、悔しい気持ちで一杯でした。本当は辛いはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」と言って、明るく楽しい時間を過ごし、反対に私たちの方が励まされていたような気がします。
3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつの間にか、強く、頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かされました。お見舞いに行ったときも、体調が思わしくないにもかかわらず私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない、本当にかわいいスーさんでしたね
愛情一杯のご主人、一雄さんや、スーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そして、いつも側に寄り添っていたマネジャーの丸尾さんの気持ちを思うと、とても胸が痛みます。
私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い、立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。それを支えに、何とか頑張って生きていかなければと、自分に言い聞かせています。どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。
ただ、もう一度だけでいいから、3人で会いたかったです。約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。だから今はまだ、「さよなら」は言わずにおきますね。いつか会えるときまで、もう少しだけ待っててね。
これからは今までの心配や不安から解き放たれて、どうかゆっくり休んでほしいと思います。ミキさんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。ありがとうスーさん。ずっとずっと愛しています。』