小泉首相の靖国参拝&前原代表の党首討論
2005年 10月 21日
大変申し訳なく思っています。すみません。m(__)m>
今回は17日の小泉首相の靖国参拝と、18日の党首討論での民主党・前原代表の
ことについて書いてみたい。
首相の靖国神社参拝の問題点や私見については、既にこのブログに投稿(10月1日)
しているが、その時と全く考えは変わっていない。私自身は、これは基本的に憲法や
首相のあり方(政治姿勢)、そして国民の考え方の問題だ思っている。、
その意味では、特に書くべきこともないのだが・・・。
これだけ世間が騒ぎ、案の定、中国や韓国との重要会談などがキャンセルになった
にもかかわらず(おそらくそれは彼にとって想定の範囲内だったのかも知れないが)、
国益も意に介せず、その信念を通す姿はあっぱれとしか言いようがない。
多少参拝スタイルが変わったところで、彼の信念は変わっていない。それは翌日の
党首討論での発言からもわかる。おそらく彼は、来年こそは8月15日に靖国参拝する
ことを心の中で誓っていることだろう。
そして翌日の党首討論・・・前原氏が民主党の代表になってから、初めての党首討論
だったのだが、その内容はあまりにガッカリさせられるものだった。特に小泉首相の
靖国参拝に対する発言は、唖然とさせられるものがった。
これでは、今後、彼に野党の代表としての役割は期待できない。何のための党首討論
なのか、もう少し考えて取り組みなおして欲しいと思うが。その前に党内での舵取りも
厳しくなっているようで、前原代表の前途は多難かも知れない。
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17日、小泉首相が靖国神社に参拝した。
私は「あら、今日行くのね」というぐらいにしか思わなかった。おそらく彼は年内
に参拝するだろうと思っていたからだ。むしろNHKはじめ何局かの民放が、特番を
組んでまで、参拝の光景を生中継したことに「何でここまで?」と驚いたほどだった。
そして、彼はおそらく何か特段の事情が生じない限り、来年は8月15日に靖国参拝
しようとするだろう。彼が公約を果たせるラストチャンスだからだ。
今回は、周囲からよほど違憲判断や近隣諸国との問題について口うるさく言われた
のか、少し参拝スタイルを変えて来た。<本殿→参殿、正装→平服、玉串・献花料
→硬貨を賽銭箱に、神道形式の二礼ニ手一礼→通常の礼&手を合わせる形に>
そして「一般国民として参拝した」とコメントも付した。
<彼は以前に「公人、私人にこだわるのはおかしい」と公言してしまっているため、
どうしても「私人」という言葉は使いたくないらしい。>
だが、それで彼の信念は変わっていない。実際、翌日の党首討論では、早速「総理大臣
である小泉純一郎が一国民として参拝」と、自分が本当は首相として参拝する意図があっ
たかのような発言を始めた。
あとは、彼のお決まりのフレーズなので省くが・・・。残念ながら、わが国の首相は、
何で自分がいいと思うことを周囲が理解してくれないのかが、どうしても理解できない
らしい。彼からすれば、違憲判断をした裁判官や、なかなか自分の意図を理解しようと
しない中国や韓国の方がおかしな存在なのだろう。
案の定、中国は現地で行なわれる予定だった町村外相との日中外相会談を断って
来た。今月末に日本で行なわれる予定だった日韓首相会談も中止になりそうだ。当然に
して中国や韓国と仕事をしている企業や団体にも影響が出る。(実際、色々出ている。)
中国、韓国との問題は「靖国だけではない」が、靖国問題も大きいのだということ
ぐらい理解できるようになると有難いのであるが・・・。^^;
自分の意さえ通れば、国益などお構いなしの首相ではあるが、有難いことに、彼には
彼を支持してくれる国民がいる。少し前の世論調査では、靖国参拝はしない方がよいと
答えるものが50%以上いたのだが、今回は「してよかった」が40数%ながら「しな
い方がよかった」を上回っていたという。女性では60%以上が支持しており、それが
逆転につながったようだ。ちまたで「雨の中、傘もささず参拝する姿がカッコよかった」
「小泉さんが行きたいというのだから、行かせてあげればいいじゃない」という声をきき
もう何も言う気になれなくなった。
私は心の中で思う。「あと一年の辛抱だ」と。・・・また、いつか書くが、私はもう
彼のことはあきらめているのである。その間に、彼が退任した後のことを、本当の意味
での日本の将来を考えて行きたいと思っている今日この頃である。
そして18日には、前原氏が民主党の代表になって、初めて小泉首相と対決した党首
討論会が行なわれた。
もともと、私個人はさして前原代表には期待していないのであるが。彼は野党の代表ゆえ
一国民として、何とか実りある討論をして欲しいと願わざるを得ない面がある。
あの気取った口調も気になったのであるが(鳩山氏の時もそうだったが、あれでは小泉
首相にとって組みやすい相手になってしまうであろう)、とりあえず、それはさておいて
討論の内容にもガッカリさせられた。
そもそも、いくらこの分野が一番得意とはいえ、何故、安保問題から始めなければいけ
ないのだろう?(自分が見識があるとこをを示したかったのだろうか?)
確かにこの分野にも重要な課題がたくさんあるが、折角、最初の党首討論なのだ。マス
コミも大きく取り上げてくれるのだし、もっと野党として国民に身近でわかりやすいところ
で、小泉自民党の政策に関して問いただすテーマはいくらでもあったのではないだろうか?
それこそ、タイムリーなことに靖国参拝問題を最初に持って来てもよかったのだ。
しかし、その靖国参拝の話になった時の前原氏の対応には、驚きと失望を覚えざるを得な
かった。
小泉首相が「どうしていけないのか」と問うのに対し、「いけないとは言っていないじゃ
ないですか」と。<はぁ~? じゃあ、いいと思っているわけ?>
しかも、そこから参拝の問題性を突っ込んで行かなければならないところで、いきなり、
前日の小泉首相の参拝の仕方にケチをつけ始めたのだ。ジェスチャーまでまじえて、礼を
する時はもっと「頭(こうべ)をたれるべき」だったとか、手の合わせ方がお墓参りのよう
で「不謹慎だ」「亡くなった方々に失礼だ」と批判し始めたのには、もう唖然とするしか
なかった。
<何、何? どうせ参拝するなら、神道形式できちんと参拝した方がよかったとでも、
言いたかったわけ?>
そして「私もA級戦犯が合祀されている間は行かない」と。<合祀されていなければ、
行きたいということなのだろうか?>
最後に時間がなくなりかけてたから、急に違憲判断やら近隣諸国の問題などについて話し
始めたものの、上述のような前置きのあとでは、批判性はすっかり薄れてしまっており、
ほとんど意味をなさなかったように思う。
仮に、もし前原代表自身が、靖国神社や英霊を尊重する気持ちを強く有する人間であった
としても、上述のようなことを主観的なことを党首討論の場で言うことに何の意味があるの
だろう? 民主党の代表&野党の代表という立場を考えたら、そんな個人的な意見を述べて
いる場合ではないだろう。
折角、外交問題でアジアとの関係の重要性を説いたのだから、参拝の方式云々の前に、
その点をどんどん突っ込むのが筋だったのではないだろうか?
党首討論中、唯一、迫力を見せたのは「あなたに(党首討論の発言の)時間を与えてもら
っているわけではない」と声を荒げた時だけであったかも知れない。
これでは、前原代表には、野党の代表としての役割は果たせまい。
<イラク特措法に賛成しようとするも、党内の反発が強く断念。他の政策についても、
党内の異論が強くなっており、前原代表は早くも党の舵取りも厳しくなっているようだ。>
あるTVのニュース番組で、片山さつき議員が二人の討論のを見ている様子の映像が流れ
ていた。
「二人とも同じような考え方を持っているので、議論にならないんじゃないですか?」
「また同じようなことを言ってるよ、コイツ」
完全にバカにされているようである。(-_-;)
p.s. 片山さつき議員も、思ったほどお利口ではないのかも知れない。自分の能力や人脈
にかなりの自信があるのだろうが、あまり高慢な態度を表に出し過ぎると、痛い目にあい
かねない気がする。 THANKS
要は、靖国参拝をやめると、次は教科書問題、あとガス田でしたっけ?もう一つ何かあったような気もするけど、忘れました。(ぉぃ)
まあ、靖国参拝でニュースになるんなら、まだまだ平和なもんかな?と。(笑)さすがに、いきなりミサイルは飛んでこないだろうし・・・。
前原氏の党首討論は見ていないが、まあ、論客ではないだろうね。
議員年金の案も民主党よりで決まりそうだし、ちょっと譲ったんじゃないのかなと思います。
まさにコバンザメ戦法、数がないと戦略は大いに変わると思いますよ。
確かに日中問題は靖国だけじゃないんですけどね。
私が疑問の思うのは「理解できない」って相手を否定しちゃうとこなんですよね。
彼は自分がいいと思っていることを他人が理解できないと、それがおかしい
と思ってしまうのかも、です。
中国、韓国には理解してもらうようのしたいと。
でも、自分を理解して欲しいなら、相手のことも理解するように努めないと
相互理解なんてできるはずがないと思うんですけどね~。
前原氏に関しては、みんしゅとうがやるべきは、改革のスピードを競って
対案をバンバン出すことだと思っているようで。
私が民主党や野党に求めていることと違うので、ガッカリ度が増して
しまうのかも知れませぬ。
「信じるということが第一の力であって、 期待は第二の力であるにすぎない。
最初はなんの期待もなしに始めなければならない。
増大や進歩がうまれてからのちに、期待はあらわれるのだから。」
先ずは相手を、その事を信じることから始まるんです。
人を否定するのは簡単です。でも人を否定する人は、自分も否定しています。
自分を信じられない人が、他人を信じられるわけがない。
最近は信じる力も失われたけど、それ以上に逃げる(戦えない)人が
多くなった。言葉、行動に心(信念)が感じられない。
関係なくてごめん。
小泉首相がいい意味でも悪い意味でもスゴイのは、自分を信じる力が
強いことでしょうね。
選挙でも、それが人を引き付けたのかな~と思ったりします。
今の若い人(中高生も含む)を見ていると、何かを深く思うことを
あえて避けている面があるように感じることがあります。
できるだけ表面的に物事を見て、強く肯定も否定もしないような
感じで。もしかしたら、自分も他人も信じるのがコワイのかも
知れません。信じられるもの自体が見つからないのかも。