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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガ、反超保守&新自由主義。左右問わず、mew基準で、政治や競馬、スポーツなどについて。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

平野の問題発言を考える+マスコミの「批判されそうだ」を批判してみる

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最新の記事(10個)のコーナーはヨコの欄に。
*印のついた報道記事は、文末のMore部分にあるです。




昨日、平野震災復興担当大臣が、民主党の研修会で、津波の際に
亡くなった高校の同級生を「逃げなかったバカなやつがいる」と
表現。不適切な発言だったとして、一部メディアや野党から批判
をされている。

『平野達男復興担当相 平野達男復興担当相は18日、福島県
二本松市で開かれた民主党の参院議員の研修会で講演し、東日本
大震災の津波被害に関連して、「私の高校の同級生のように逃げ
なかったばかなやつもいる。彼は亡くなったが」と発言した。
自身の親しい人を念頭に置いた発言だが、被災者や遺族への配慮
を欠いた発言との批判が出そうだ。<毎日新聞18日>』

 mewは、昨夜、この記事を見た時、実のところ、平野氏の
発言もさることながら、つい「批判が出そうだ」という記述に
目が行ってしまって、「また来たか~」と思ってしまった
ところがあった。(~_~;)

 というのも・・・mew周辺の居酒屋談義では、かなり前から、
言葉狩りやこの表現が話題になっていたのだが。特に、今年9月
に鉢呂発言があった時に、これは明らかに、メディアが言葉狩り
を誘導しようとしているものではないかと話が出ていたからだ。(・・)

<今朝見たら、毎日新聞の上の記事の「自身の親しい~批判が出
そうだ」の部分が、『津波で犠牲になった自身の親しい人を念頭に
置いた発言だが、自民党の大島理森副総裁は同日、記者団に「閣僚
として許されざる言葉だ」と批判し、次期臨時国会で追及する考え
を示した』に差し替えられていた。(・o・)
 「批判が出そうだ」と思ったら、案の定、批判が出た(出て
くれた)ので、書き換えたのかしらん?(@@)>

* * * * *

 先に言えば、mewもこの平野大臣の発言は、不用意な&決して
適切とは言えない、感心できないものであるとは思うのだ。(-"-)
 ただ、果たして、国会で責任を追及されるほどor辞任を要求
されるほどの問題発言かと言えば、そうだとは思わない。(・・)

 この発言を行なったのは、福島で行なわれた民主党の参院会派
の研修会の場だったとのこと。
<身内の会合ゆえ、多少の気やすさも手伝って、配慮が不足した
部分もあったかも。^^;>

 平野大臣は、被災地の復興を行なって行くに当たって、「現地で
何が起こったのか。これもさまざまな角度から検証が必要です」
として、津波の被害で死亡した様々な人たちの例を挙げる中で
(救助に当たっていた消防士や、前の津波の経験からここの高さ
に逃げていれば大丈夫だ高台に避難したものの被害にあった人
などの例を挙げたあとに)、上の高校の同級生の例を出して、
『逆に、私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつが
います。まあそういったね、彼は亡くなりましたけれども、
バカなやつって言われてもしようがないですけどね、そういった
ことも全部、一つ一つ検証して、次の震災に役立てることが
もう一つの大きな課題だと思っています」と語ったという。
<発言部分は、産経新聞18日の記事より引用>

 確かに、「バカ」という表現を使ったのは、好ましくないと
思うのだが。
 これは、当該発言部分だけとっても、明らかに自分の高校の
同級生のことを、親しい人を亡くした残念さから「バカ」と
表現したもので、他の被害者と混同する気は全くないことが
わかるし。
 また、全体の文脈から見れば、同級生のように逃げなかった人も
含めて、個々の例を検証し、今後の津波被害の対策を講じなければ
ならないと言いたかったのだということも理解できる。(・・)

* * * * *
 
 平野氏は、被災地の岩手県で生まれ育ち、同県から選出された
議員ゆえ、津波によって亡くなった関係者も多いとのこと。
<それもあって、復興担当大臣に選ばれたところがある&閣僚と
しての仕事ぶりは評価されている。>

 本人も、昨夜、記者団に釈明した際に、その同級生のことを説明
した後、「地元の同級会でもそういう話で、『あいつバカだった、
なんで逃げなかったんだ』とちょっと言ったんですが、そのときの
思いが今日の中にでてしまい、冷静に客観的にしゃべらなくちゃ
なんないところに、個人的な思いが入ってしまいました』と反省の
弁を述べ、「そういう(被害にあわれた)方々の思いは十分
踏まえているつもりで、それが本当に伝わらなかったのは残念だ」
として、「もし不快な思いされたのなら本意でもないし、その表現
についての稚拙さ、おわび申し上げたい」と何度も謝罪の言葉を
クチにしていたのだが。
 mewは、それで平野氏の真意や同氏に全く悪意がないことが
理解できる人も多いのではないかと察する。(・・)

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 それは、上掲した毎日新聞の記事をはじめ、他の新聞社の記事
でも「津波で犠牲になった自身の親しい人を念頭に置いた発言
だが」などの断わりを入れたり、平野大臣の発言を批判する自民党
の議員も、こんな言い方をしたりしていることからもわかる。、

『自民党の岩城光英参院政審会長(福島選挙区選出)は18日夕、
(中略)「同級生に親しみを込めて『バカ』といったのかも
しれないが、被災者のことを考えれば、その表現は不適切だったと
いわざるをえない」と批判した。<産経新聞18日>』

 ちなみに、自民党の茂木政調会長は、このように語っていた
という。
『「被災地のことを全く考えていない。(失言がもとで辞任した)
松本(龍)さんや鉢呂(吉雄)さんのこともあり、問題になる
可能性がある」と述べ、進退問題に発展するかもしれないとの
見方を示した。都内のホテルで記者団に語った。<産経新聞
18日>』

 何と茂木氏まで「問題だ」「進退問題になる」ではなく、
「問題になる可能性」「進退問題に発展するかも」と、まるで
メディアのような言い方をしているのが、今の言葉狩りの問題
を象徴しているように思えた。(・・)

* * * * *

 話を戻すと・・・。今年9月の鉢呂前経産大臣の「死のまち」
発言を行なった際も、こんな報道の仕方がされていた。
 
『鉢呂吉雄経産相は9日の閣議後の記者会見で、前日に視察した
福島県の東京電力福島第1原発などについて感想を述べ、「残念
ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」
と語った。「死の町」との表現に配慮を欠くとの批判も出そうだ。
<共同通信9月9日>』

『経産相は「福島の再生なくして、日本の再生はない」とも述べた
が、原発事故やその後の対応で政府の責任が問われる中、担当閣僚
自身が周辺地域を「死のまち」と表現したことは波紋を呼びそうだ。
<読売新聞9月9日>』

<おまけで、翌日の記事を。『自民党の石原幹事長は10日、
青森県弘前市で講演し、発生から10年を迎える米中枢同時テロに
ついて「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対する
イスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」
と述べた。自身の歴史観を披露したものだが、テロを「必然」と
表現したことは不適切との批判が出そうだ。(共同通信9月10日)』
 ただし、何故か不適切発言の宝庫である石原親子は、批判され
そうだと書かれても、世間にはスル~されることが多いのよね。^^;
 まあ、たかが(?)東京の知事と野党の幹事長だからね。(・・)
 mewは、スル~しないけど!(`´)(下記リンク記事に)>
 
* * * * *

  この鉢呂氏の発言&辞任があった際に、『鉢呂辞任&政治家の
発言への批判について思うこと
』という記事を書いたのだけど。

 ここ何年か、マスコミやネット社会での「言葉狩り」ごっこが、
どんどんヒドくなっていることは、多くの人が感じているのでは
ないだろうか?(・・)
 新聞やTVの記者たちは、政治家(特に閣僚&執行部)や有名人
に、何か失言ネタとしてツッこめそうな発言があると、すかさず
まずはネット上に記事としてアップし、他党やTVコメンテーター
から批判が出るのを待っているようなところがあるのだ。(-"-)

<何だか、そういうネタを、あえて目を皿のようにして探している
のではないかと思うことがあるほどに。で、とりあえず、下手な
鉄砲を数打って、当たるのを待っているような感じも。^^;
 で、野党がその提供された「これぞ」というネタに、すかさず
食いつくというパターンが、定番になりつつあるのよね。(~_~;)>

 そして、うまくネタに食いつく人が多ければ、マスコミで叩く、
国会で追及する、重要案件の審議が遅れる・・・それを恐れて
<最近は早めに?>閣僚を辞職させる・・・この繰り返しが続いて
いるのである。(-"-)

* * * * * ☆
 
 今、野田首相が、小泉元首相が設けた1日2回のぶら下がり会見
を辞めたことを、メディアが問題視して、時折、批判がましい記事
を出しているのだけど。
 先月、鳩山元首相が、「私はぶら下がり取材を受けた結果、早く
辞めることになった。過去の首相の例を反面教師にしているのでは
ないか」と言っていたように、下手に記者にサービスして、それが
言葉狩りのネタを提供する機会にされるほどバカらしいことはない
わけで・・・。
<関連記事・『鳩山が判決の感想&野田に助言+証人喚問&ぶら
下がりの問題
』>  

 もしメディアの記者たちが、今後もこのような姿勢を続けて
行くとしたなら、首相や閣僚などは、どんどん取材に応じなくなる
おそれがある。^^;
 そうなると、メディアは自らの役割を果たすことが困難になって、
自分で自分のクビを締めるようなことにもつながるし。
 何よリ、国民が政治家が発信するメッセージや重要な情報を
受け取るチャンスが減ることにもなるだけに、そろそろマスコミ
全体も、国民の側も、このような現状や姿勢を再考すべき時期に
あるのではないかという思いが強くなっている。(**)
 
☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

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 ただ、マスコミが政治家の問題発言を全く伝えないとなると
それは、それで望ましくないことだと思うのだ。(・・)

 もちろん、このブログでは、いつも書いていることだけど、
どの政治家もそうだが、特に首相や閣僚は(与党の幹部もね)、
国や政府与党の代表として存在する公人であり、全ての国民を
相手に仕事をしている立場であるだけに、その言葉には極めて
慎重でなければならないと思うし。
 mew的には、特に様々な面で弱い立場にある人、苦しんだり
傷ついたりしている人たちへの配慮は不可欠なのではないかと
考えている。(**)

 そんな中、近時、政治家の言葉が軽くなっているのも事実で。
不用意な発言やウケ狙いの軽口が増えているようにも思うし、
思ったことをストレートに言った方がカッコイイ(&支持者にも
賞賛される?)と思って、好き勝手なことを言う政治家も増えて
いるように思えることも少なくないし。
 国民から発言を批判されたり、閣僚を辞職すべきだと思われる
ケースも稀ではないだけに、メディアが問題だと思われる発言を
全く伝えないというのも、国民にとってマイナスにはなるので、
その塩梅が難しいところなのだが・・・。^^;

* * * * *

 今朝、この記事を書きながら、鉢呂発言に関してネットで検索を
していたら、たまたま、こんな(ある意味でドンピシャと言える
ような)記事が出ていたのを見つけた。(・・)

 それは、NEWSポスト・セブンに『新聞の「批判が出そうだ」
表現が鉢呂氏叩き助長した可能性も』というものだ。
<週刊ポスト2011年10月21日号・全文は*1に>

『新聞で「批判が出そうだ」なる表現が使われることがある。
そこには記者の思い込みや大衆迎合の要素が潜んでいることはない
のか、東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が解説する。

 新聞やテレビの報道は一応「中立で客観的に事実を伝える」と
いう建前になっている。第一報を伝えるストレートニュースは
とくにそうだ。

 ところが最近、「記者の主観や思い入れが入っているのではない
か」と疑われるようなスタイルが広がっている。記事の末尾に
「批判が出そうだ」という一文を付け加える例が典型的だ。』

『メディアが作り出した「言葉狩り」と言ってもいい。「批判が
出そうだ」という一言が、そんな事態を助長した面は否定できない。
本来、自由な言葉や表現を生命線にしているはずのメディアが自ら
言葉を不自由にしてしまったのである。それではメディアの自殺
行為ではないか。
 では、どうしたらよいか。

 記事は事実報道と批判をごっちゃにしない。ストレートニュース
は事実関係や発言の脈絡をあきらかにする役割に徹する。批判は
別立てとし、署名も入れて記者の顔と論点をはっきりさせる。浅薄
な批判をすれば、記者が読者から批判され信頼を失う仕組みにして、
自然淘汰を促すべきだ。』
 
『一方、読者は「批判が出そうだ」記事に出会ったら「ああ、また
言ってるな」程度に受け止めたほうがいい。』

* * * * *

 確かに!(+_+)

 何か最初っから、この記事をコピペして張り付けた方がよかった
かなと思うほど、mewと考えが合ってしまうものだったのだけど。
<こっちの方が、文がうまい&わかりやすいしね~。^^;>

 要は、メディアのニュースは、できるだけ事実を伝えることに
専念して、「批判が出そうだ」などの余計な主観や誘導的な言葉
は挿入しないようにする。(**)
<最近は、問題発言にかかわらず、政治&政治家に関するニュース
は全般的に、主観的or誘導的なものが多いように思うしね。(・・)>

 そして、最終的には、国民がメディアに踊らされないように
もっと賢くなって、情報の取捨選択も含めて、客観的に判断する
ように心がける・・・やっぱ、これが、何より大切なことだと思う
mewなのであった。(@@)
                THANKS

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さらに現政権にノーさんが作った「THE BLOGGER」、晴天とら日和さんが
作った「【政権交代】を目指すブログ結集!」をご参照下さい。






『 「新聞の「批判が出そうだ」表現が鉢呂氏叩き助長した可能性も」


新聞で「批判が出そうだ」なる表現が使われることがある。そこには記者の思い込みや大衆迎合の要素が潜んでいることはないのか、東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が解説する。

* * *
新聞やテレビの報道は一応「中立で客観的に事実を伝える」という建前になっている。第一報を伝えるストレートニュースはとくにそうだ。

ところが最近、「記者の主観や思い入れが入っているのではないか」と疑われるようなスタイルが広がっている。記事の末尾に「批判が出そうだ」という一文を付け加える例が典型的だ。

たとえば、自民党の石原伸晃幹事長が講演で米中枢同時テロについて「歴史の必然」という言葉を使うと「テロを『必然』と表現したことは不適切との批判が出そうだ」(共同通信、9月10日配信)と報じられた。

鉢呂吉雄前経済産業相が会見で使った「『死の町』との表現に配慮を欠くとの批判も出そうだ」(同、9日配信)、東京電力への官僚天下り問題では「行政と電力業界の『癒着』として批判が出そうだ」(読売新聞、26日配信)といった具合である。

この3つの例では、カギカッコの中に必然とか死の町、癒着というキーワードを挿入している点も注目される。「テロは必然」とか「死の町」という言葉を切り取って書けば、そのまま見出しにもなりやすい。

こういう記事のスタイルは一歩間違えると「言葉狩り」を助長する恐れがある。発言全体の脈絡や場の雰囲気などを捨象して、キーワードだけが独り歩きする。その結果、そんな言葉や言い回しが禁句と化してしまうのだ。

それでいいのだろうか。

メディア側の理屈を言えば、事実だけを淡々と報じるのではなく「事実が引き起こすであろう事態の見通しも伝えることによって全体像を明らかにする」という言い分があるだろう。

それはそれで大事なことだ。読者がニュースを「え、そんなことがあったの」と受け止めた後に「それで、どうなるの」という疑問を抱くことはしばしばある。そんな疑問にあらかじめ答えておくのは丁寧でもある。

だが、記者が予想した「事態の見通し」が勝手な思い込みだったり、浅薄な大衆迎合だったりするとやっかいだ。賢明な読者をも大衆迎合に誘導する結果になってしまう。

それは鉢呂の「死の町」発言で典型的に表れた。それまで新聞には「ゴーストタウン」という表現が何度も飛び交っていたのに「死の町」はダメという相場観が広がって、鉢呂は大臣を辞任するはめになった。

メディアが作り出した「言葉狩り」と言ってもいい。「批判が出そうだ」という一言が、そんな事態を助長した面は否定できない。本来、自由な言葉や表現を生命線にしているはずのメディアが自ら言葉を不自由にしてしまったのである。それではメディアの自殺行為ではないか。

では、どうしたらよいか。

記事は事実報道と批判をごっちゃにしない。ストレートニュースは事実関係や発言の脈絡をあきらかにする役割に徹する。批判は別立てとし、署名も入れて記者の顔と論点をはっきりさせる。浅薄な批判をすれば、記者が読者から批判され信頼を失う仕組みにして、自然淘汰を促すべきだ。

一方、読者は「批判が出そうだ」記事に出会ったら「ああ、また言ってるな」程度に受け止めたほうがいい。

この例に限らず、記事のスタイルには流行がある。ひと昔前にはやったのは「成り行きが注目される」原稿だ。これは何も伝えていないに等しいので、さすがにいまは消えた。「批判が出そうだ」というのも、やがて消えるお手軽な流行に違いない。だれもが真似するスタイルには、必ず批判が出るからだ。(文中敬称略)

※週刊ポスト2011年10月21日号』
by mew-run7 | 2011-10-19 09:28 | 政治・社会一般

by mew-run7