国家権力側の視点から作られた自民党の憲法草案はアブナイ!(1)
2005年 11月 16日
15日の報道ステーションの特集では、既に憲法改正後に、日米が合同で戦場に行く
ことも想定しての準備が着々と進んでいる様子も見え、懸念だけが募る今日この頃である
先月末、自民党が発表した憲法改正草案(*1)を何度か読み直してみたが、各条の
問題点云々の前に、どうしても全体的に違和感を覚えてしまうところがある。
それはおそらく、国家権力の側が作った憲法草案だからなのではないかと思う。
My Policy にも少し書いたが、そもそも憲法というのは、国民が国家をコントロール
するために設けられるものであり、国民の側から国&国民のあり方を示すものである。
決して、国家が国民をコントロールするために作るべきものではないのである。
<これは私個人が勝手に主張している見解ではなく、後述するように、長い歴史の中で
世界の国々の市民が国家権力と戦いながら、築き上げて来た概念なのである。>
しかし、自民党の憲法プロジェクトが04年6月にまとめた論点(案)などを読んで
もわかるのだが、彼らは国家権力(行政府)を担う側の立場から憲法というものをとら
え、現憲法の中で国家権力にとって不都合な面を修正することをメインに考えている
ように思えるのである。
そもそも自民党は立党50年を機に改正草案を発表したのであるが、この党はその
50年のうちわずか10ヶ月を除いて、ずっと政権与党の座にいた政党である。そして
今回の改正草案作りを行なった憲法プロジェクトのメンバーには、かつて内閣総理大臣
や閣僚を経験した者や、与党の中心として働いて来た議員が少なくない。
それゆえ(詳細は後述するが)憲法の意義に関し「これまでは、ともすれば、憲法とは
「国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である」ということのみを強調する
論調が目立っていたように思われるが、…「国民の利益ひいては国益を守り、増進させる
ために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを
定めたルール」としての側面を持つものであることをアピールしていくことが重要である」
「憲法の法的な側面ばかりではなく、憲法という国の基本法が国民の行為規範として機能
し、国民の精神(ものの考え方)に与える影響についても考慮」すると考えているのだ。
さらに、「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、「利己主義」に変質
させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか」「政治主導の
政策決定システムをより徹底させる」など、現憲法(というより憲法なるもの)の重要な
意義、役割を否定的に解し、いかに国家権力の側から国益に資するよう国民をコントロー
ルできるかを主眼においているのである。
私は今、憲法改正に関して根本的なことに問題性を感じている。仮に憲法を改正する
としても、このように国家権力の側の立場から、また本来の憲法の意義や人権、統治の
概念を否定するような立場から作られた憲法改正草案をたたき台にして、改正案を作っ
て行くことは妥当なのだろうか、ということである。
もしそのような憲法が作られたなら、日本は先進文明国でありながら、その憲法は
近代憲法の理念から後退したものになってしまう。少し大げさに言えば、それは先進
文明国として「恥」であり、近代憲法確立のために戦って来た人々や日本国民への
「侮辱」とも言えるかも知れない。そして、もし自民党がそれを正当なものと考え、
強引に改正を進めたなら、それはある意味でアメリカよりもひどい国家権力からの
「押し付け憲法」になるかも知れないとさえ思うのである。
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憲法は、国民が国家権力をコントロールするために存在するものである。
それは、かつて国王などの強大な国家権力を持つ者が、国民を支配し、好き勝手に
その時々に都合で国民に法律や命令や税金を課し、国民が翻弄され大変な思いをした
ことに端を発する。いかに国家権力が勝手に国民を支配し、勝手に様々なことを決めて
国民に押し付けないようにするか、いかに国家権力が国民の人権を簡単に侵害できない
ようにするか・・・そのために国家と国民の間のルールとして憲法を作って統治の仕方
を定め、人権保障も記すようにしたのである。
特に国民主権の下においては、憲法は国民から国家への命令書のようなものである。
「国民に何かを課す法律は、すべて国民の代表(国会)で決めなけれないけません。
法律は~~~のように、内閣総理大臣は~~~のように決めなさい」「基本的人権は
侵してはいけません。(たとえば)検閲は絶対してはいけません」などのように、
国家の行為をいちいち規制する役割を果たすのである。
このように憲法で国家をコントロールすることによって、国民は国家権力からの不当
な支配や人権侵害から身をも守り、個人個人がそれぞれに人間らしい生活を営めるよう
にして来たのである。
憲法に出て来る「国民」という言葉は、全て「わたしたち国民」と解されなければ
ならない。国家をコントロールするのも、国民をコントロールするのも全て国家の側
からではなく、国民の側からでなければならないのだ。全てにおいて国家の利益より
国民の利益が優先され、国家が国民の先に出ることはあり得ないのだ。
だが、逆に言えば、それは国家を統治する側からは、ある意味で足かせであり、ジャ
マなものになる。何かを早く決めたくても、アレコレ統治の規定があって思うように
進まない。何かをしたくても、人権云々と言われると思うように動けない。国家権力に
とっては、しっかりした憲法ほど不自由で不都合なものになってしまうのである。
おそらく自民党にも、長きに渡り政権与党を担当して行く中、どんなにか現憲法の
規定や解釈をジャマに思うことがあったことだろう。それが憲法全体の趣旨まで変え
たいという考えにつながり、9条のみならず他の部分の改正にも波及したように思う。
それは国家から見た国民像としての前文、12条等に見られる公益による人権の
制限や債務の規定、解散権を内閣総理大臣に付与したことや憲法改正要件の緩和など
の改正に繋がっているようにも思う。
<自民党の憲法改正プロジェクトの論点整理(案)の全文は、こちらにあるが
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm>
「憲法を論ずるに当たり、まず、国家とは何であるかについて、わが党の考え方を明ら
かにし、国民各層の理解を深めていく必要があると思われる。」
これがまず誤りなのである。自民党(一政党)の国家観を考えて国民に理解させよう
という発想自体が、もう憲法の概念からズレているのだ。自民党の国家観は自民党の
マニフェストに書いておけばよいことである。
「次に、憲法の意義を明らかにするべきである。すなわち、これまでは、ともすれば、
憲法とは「国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である」ということのみを
強調する論調が目立っていたように思われるが、今後、憲法改正を進めるに当たっては、
憲法とは、そのような権力制限規範にとどまるものではなく、「国民の利益ひいては国益
を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生
社会をつくることを定めたルール」としての側面を持つものであることをアピールして
いくことが重要である。
さらに、このような憲法の法的な側面ばかりではなく、憲法という国の基本法が国民の
行為規範として機能し、国民の精神(ものの考え方)に与える影響についても考慮に入れ
ながら、議論を続けていく必要があると考える。」
「人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える「器」であることを踏まえ、家族や共同
体が、「公共」の基本をなすものとして、新憲法において重要な位置を占めなければなら
ない」「近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、
「利己主義」に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのでは
ないかということへの懸念である。権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理
でありわれわれとしては、家族・共同体における責務を明確にする方向で、新憲法におけ
る規定ぶりを考えていくべきではないか」など、個人の尊厳を最重要視するのではなく、
家族をはじめとする社会的共同体、公共の概念を重視することを求めている。
ちょっと極端な解釈をすれば、「アメリカがやたら国民の主権行使や人権、個人の尊厳
の尊重を重視するような日本国憲法を作ったから、日本国民は妙な勘違いをして、共同体
=国や自治体の利益を重視しない人間になってしまったじゃないか。もっと公の利益や
責務を自覚する国民に育てるために、憲法を作り直して国民の行為規範にしたり、日本人
としての精神を教えなければならない」と。中には「昔のようにお国のために尽くす国民
にしなければ」と思う人もいたのでは?、という邪推さえしたくなるような方針である。
今回の草案では採用されなかったのであるが、
「社会を構成する重要な単位である家族に関する文言・・・利己主義を排し「社会連帯、
共助」の観点・・・国を守り、育て、次世代に受け継ぐ、という意味での「継続性」を
盛り込むべきである」などの意見も出されていたことも記されている。
<つづく>THANKS
*1 自民党は今回の改正草案に「新憲法草案」というタイトルをつけているが、「再出発日記」と
いうブログで「新憲法草案という言い方は止めよう」という提案がなされた。私も「新憲法」と
いう呼び方には抵抗を覚えるので、今後は改正(憲法)草案などという書き方をしたいと思う。
大局的に見るとそういうことでしょうか。だから私は個々に修正すべき点がある今の憲法でも手をつけることを認めてしまったら、結局は国家権力からの「あれこれ押し付け憲法」にしかならないと思います。
何かの番組で田嶋先生の言っていた「平和ボケの何処が悪い!」に同感です!
今日の小泉とブッシュの会談後の会見の中で、日米が強固な同盟関係を維持発展させることは、中国を中心とするアジアの国々との対抗上、また軍事的な面まで含めた均衡の中での平和が保たれるとの小泉理論は、その理論だけでなく非常に危険な思考を感じるのであります。
そのひとつとしてアジアにおけるイギリスと同じようにアメリカの世界戦略に積極的に協力することが日本を結果的に守るというのだが・・
日本が軍事的に力を発揮してアジア諸国に支持が得られるものだろうか?
なんといっても先の大戦での信用失墜は大きなものがあり、その反省を曖昧にしたままでの軍事力強化は警戒以外に何らの平和的賛同は得られまい。
戦後の日本が曲がりなりにも国際社会と周辺アジア諸国に受け入れられてきたのは現平和憲法の存在が大きかったと思います。
アメリカの先兵として活動することに、果たして歓迎した形で見てくれるのか・・・不安だ。。。
今、憲法改正を、現在の自民党の体質主導のままで行われたら、非常に情け無い、惨めな憲法が出来上がると思われます。
彼らは貧乏人は多いほど良いと思っているふしがあります。賢い人たち・・と言っても現自民党の考える社会を支える“賢い人”ではありますが、少数のリッチな人以外は“兵隊”に成るrのが望ましいと思っているふしが・・
彼らには、世界の人々から信用され慕われる日本人を作ろうなどとは考えていないと思われます。
ほんと「平和ボケ」のどこが悪いですね。
永遠に一億総中流で平和ボケしていた方がいい気がします。
しかし、平和ボケのお陰か、世の中は憲法改正に関心を持っては
いないようで。^^;
そこも困りものだったりするです。
自民党の現TOPは、グローバルとか国際協調、国際貢献とか言って、
アメリカしか見えていないような感じですものね。
イギリスはまだいいですよ。何でもアメリカべったりではないですもの。
(というか、イギリス国民は色々な意味で、アメリカより自分たちの方が上だ
と思っている人も多いですし。)
もっと大きな視野をもって、世界全体を見渡す目を持って欲しいです。
日本が憲法で戦争放棄の規定を持っていること、軍隊を外に出さないこと
がどれだけ海外の人たちから評価されていることか。
彼らは昔のナシオン主権のように、一部のエリートだけで国家や国民を
動かしたいように感じるところはありますね。
毎日色々なニュースを見るたびに、日本の一国民として情けない気持ち
になってしまう今日このごろです。
まあ、そんなみなさんが判っているお話はともかく、そんなイギリスが取った夜警国家で、あと1年だと言っているですから、その後は次の政府の話じゃないんでしょうかね~~~?(小泉戦法・・・爆)
次の政府ができるまでに、いくつ困った法律が成立しちゃうのか、
そこがコワかったりもするのですが。
あとは小泉首相がやめたら、国民は目を覚ましてくれるのか・・・
それも心配だったりします。
(まあ、安倍くんは小泉くんほどは幻惑能力がないでしょうけど。)
自民党といえど選挙で選ばれた国会議員により構成されている政党です。
自民党=権力っつう短絡的な思考に感服いたしました。
民主主義を完全否定されるその論理、脱帽です。
選挙で選ばれた国会議員の集団であるのに、与党であるだけで改憲の発議権すらもない?じゃあ誰に改憲の発議権があるのですか?
第一、自民党は改憲をずっと言い続けてきました。国民がその自民党を第一党にしたということは、改憲が国民の意思である事は明白です。
改憲には国民投票が必要。自民党の改憲案が気に入らなければ国民投票で否決すれば良いだけ。
「平和ボケのなにが悪い」そう仰る方に限って、いざミサイルが飛んでくると一番に与党批判をされるんですよね。
朝っぱらから馬鹿馬鹿しい文章読まされました。さわやかな朝が台無しです。ありがとうございました。
データは少し古いが。
>日本が軍事的に力を発揮してアジア諸国に支持が得られるものだろうか?
「戦後50周年アンケート」(1995年読売新聞の世論調査)
『第2次世界大戦中に行なった行為は、今でも日本との関係の発展を妨げているか?』
妨げている
韓国 71%
中国 49%
タイ 36%
マレーシア 25%
ベトナム 13%
インドネシア 12%
日本に対して良いイメージを持っている
ベトナム 95%
マレーシア 94%
タイ 80%
インドネシア 72%
中国 53%
韓国 30%
はい終了w
憲法を改正しても、中国の棒暴虐に悩まされているアジア諸国はかえって歓迎するでしょう。
反発するのは中韓朝の「特定アジア」三国だけ。
しかもこれらの国々は虐殺や人権侵害が横行しています。
「あなたのおっしゃるアジアって、どこの国のことかしら?」
これはどうみても愚かな見方です。
本当にありがとうございました。
タイトル&文が稚拙だったため、若干の誤解を与えた部分があると思い
ましたので、タイトルを少し変えました。
私は「自民党=国家権力=草案を作るのはいけない」ということを
言いたかったのではなく、「憲法改正プロジェクトの改正方針&草案は
国家権力側からの視点で作られたものである」ということが主張した
かったのですが・・・。
もちろん、見解の相違する部分も大きいかも知れません。
確かにアジアと一口に言っても広いですし、多くの国々がありますが。
個人的には最も近い所にある近隣三国とも、良好な関係が築ける
ようになればいいと思っています。
一番近くにある中国・韓国と良好な関係を築く努力を惜しんではいけません。憎んでいるだけでは悪い方向へ行くだけです。
>憲法を改正しても、中国の棒暴虐に悩まされているアジア諸国はかえって歓迎するでしょう。
これって太平洋戦争の謳い文句ではなかったでしたっけ?
中国、韓国との関係については、小泉氏が首相を退いて、その次の
首相がもう少し言動に配慮を見せれば、関係は改善されると思いますが。
問題は次の首相が誰になるか・・・。
経済&民間人レベルでは、お互いの必要性はわかっていますし、
交流も進んでいるので。あとはホントTOPの問題だと思います。
と申します。日本国憲法は確かに、国民の側から国と国民のあり方を
示すものではありますが、果たして本当にそのような概念(システム)が
いま、日本という国の中で機能しているかは疑問を感じるところです。
確かに学習、学問の中ではそのように学びますが、最近勉強をしていて
思うのは卓上の空論になっている気がします。
着々と日本が、同じ過ちに向かっていっているような気がするのは
僕だけでしょうか?まだ、学習不足のために、何がどうだから、こうなのでは、などということは出来ませんが、直感的にそう感じます。
勝手なことを書いてしまいましたが・・・また覗かせていただきますね☆☆☆僕はもっと勉強しなくてはいけません(><)
それでは、失礼します。
ブログ、まだざっとですが、拝見させて頂きました。
私は法律の学問というのは、ある程度は机上の空論の部分があって
いいと思うのです。
法律というのは現実に対応して行かなければいけない部分と、ある程度
理想を記した啓蒙的な部分があると思うのですよね。
これが解釈(学説の争い)になると、さらに現実離れしてしまうことがあるの
ですが、これもまた30年後、50年後には、現実的になるかも知れませんし、
現実を度外視して法というものを考えるという場も必要なのだと思うのです。
戦前の学者が、国民主権を唱えたり、弾劾的捜査観(刑訴)を唱えたり
した時は「何言ってるの?」と全く相手にされないぐらい非現実的だった
と思いますし。
<刑訴なんかは、まだ学問と実務の間に乖離がありますが、少しずつ
縮まって来ているように思います。>
日本が過去と同じ過ちの方向に向かって行きかけているのは、私も
感じています。
是非、法律を勉強している若い方々や将来、法曹になる方々には、
日本を過ちを導かないように、力を尽くして欲しいです。
ただし、今までの自民党の様な拡大解釈をすれば、更に多くのことができるようになり、守るための徴兵制は国会決議で過半数で可能ですし、
アメリカがイラクに使った先制的自衛権も、当然可能となります。
アメリカの情報で今まさに核ミサイルが放たれ様としていると言う話さえあれば(虚偽であっても)北朝鮮に米軍との共同作戦(先制攻撃)も可能です。
金政権がそれで倒れれば、朝鮮半島に平和が訪れるかもしれませんが、中国が干渉すれば泥沼化しますし、その時中韓以外のアジア諸国は日本に対する印象は悪くなるでしょう。
憲法で現状の追認はともかく、拡大解釈のしにくい、明確な規定を盛り込む必要があると思います。
私も全く同じ意見です。もし9条2項を改正する場合には、憲法上に
歯止めをかけるような要件をきちんと明記しないといけないと考えています。
私は集団的自衛権は認めない立場なので、「自国の領土、領海、領空内
の防衛」みたいな形で限定するとかが必要なのでは、と思っています。
国際貢献についても、無限定では危険な気がしています。
また法律への委任もできるだけすべきではないと考えています。