日本の民主主義の真価が試される~安倍の解釈改憲、勝手なルール変更が許されないわけ
2014年 05月 15日
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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】
いよいよ今日15日の夕方、安倍首相が、集団的自衛権の行使に関して、政府の考え方を説明するため記者会見を行なうことに。(-"-)
<TV番組表(NHK)を見たら、18時からやるみたいですね。>
要は、安倍首相が「憲法9条は自分の考えに合わないから、わたしの内閣で変えちゃいますよ」「9条の条文は無視して、自衛隊は、海外でも武力行使をできるようにしちゃいますね」って宣言するってことなんだよね。^^;
<もう少し言うと、「自分は、GHQから与えられた戦後憲法なんてもともと認めていないし。特に9条はおかしな&ジャマな存在で。他国のような軍隊も持てない、思うように武力行使や戦争もできないし。お花畑みたいな「平和主義」なんてチャンチャラおかしいから、『最高責任者のわたし』が自分の権力を使って変えてやる~」ってことだよね。(>_<)(詳しくは後述)>
しかも、これを国民に提案して、民意を問うというなら、話はわかるのだ。<だから、憲法9条の改正を発議して、国民投票で決めるべきだと言っているのよね。>
憲法は、主権者たる国民のものであって。内閣は、憲法に関して何の権限も有していないのだから。<内閣の仕事というのは、憲法を守って、誠実に国会が決めた法律を執行し、国務を総理することなのだから。>
ところが、安倍首相は、官邸にお仲間のブレーンを集めて、自分たちの考えに沿った憲法解釈を作っちゃおうと。そして、国民の意見もきかず。国会でも議論せず。連立与党の自民党と公明党が了承したら、政府が勝手に解釈を変えて、9条を実質的に改正しちゃうつもりでいるわけで・・・。
<しかも、9条が禁じていることを、OKにしちゃうんだからね。(-"-)>
NYタイムズの社説が、「憲法は、政府の気まぐれで変更できるものではない」「今、日本の民主主義(の真価)が試されている」と書いていたのだけど。
実際、こんなことがまかり通ったら、日本はもう立憲主義、民主主義の国とは呼べないのではないかと思うし。
何とか日本の国民が早くそのことに気づいて、国民の力で「政府が勝手に、実質的に憲法改正をするのはダメだ」と、安倍内閣の暴挙を阻止できないものかと。このブログ+αを通じて、呼びかけたいと思っているmewなのであるだ。(**)
* * * * *
先週8日、ニューヨークタイムズ紙が、安倍首相が政府の解釈変更という手法を用いて集団的自衛権の行使を容認しようとしていることに関して「民主的手続きを損なう」と批判、「日本の民主主義が真に試されている」とする社説を載せていた。(@@)
『米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は8日、安倍晋三首相が憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する意向であることに関し「民主的手続きを損なう」と批判する社説を掲載した。「日本の平和主義憲法」と題した社説は、憲法9条がノーベル平和賞候補になったと紹介。安倍氏がハードルの高い改憲ではなく、解釈変更により「9条の無効化を追求している」と指摘した。
「安倍氏の最大の政治目標は、第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法を改正することだ」とも指摘。その上で、「安倍氏は憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」と分析し、「安倍氏は憲法の主要機能は政府の権力をチェックすることだと知るべきだ」と主張。憲法は「政府の気まぐれで変更できるものではない」とし、「日本の民主主義が真に試されている」と結んだ。(共同・産経新聞14年5月9日)』
<NYタイムズのサイトで社説全文を読んでみたけど、おおむね上の記事のようなことが書かれていて。最後に「安倍首相の野心を阻止することができるのは、連立与党の公明党しかない」と。(「野党8党はだらしない(or混乱した)状態にある」とも。^^;)
で、「安倍氏はstrong hand(強権、強い力)を有している。日本はその民主主義のgenuine testに直面している」と結ばれていたのだが。このgenuine testという言葉は、mew的には「日本の民主主義の『真価が問われるor試される』という感じを受けたです。(・・)>
* * * * *
まさに「その通り!!」と声をかけたくなるような内容でしょ。(**)
<同時に、mewはこれを読みながら、本当なら、日本のメディア(特にTV)こそが、もっとこのような問題点を国民にわかりやすく伝えて、「それでもいいの?」と問いかけて欲しいのにな~と、しみじみ思ってしまったとこがあるのだけど・・・。_(。。)_
今からでもいいから。良心&良識のある報道関係者は、安倍会見を機に、自分たちの仕事、使命を果たすべく、頑張って欲しいです。 o(^-^)o>
だって、そもそも憲法は主権者たる国民のものだし。国民が国家に与えたルールブックのようなものだから。
そして、憲法の最大の役割、存在意義は、国民が国家に好き勝手なことをされて、自分たちの権利や国家のあり方が侵害されないために、そのルールブックをもとにして、国家をコントロールをすることにあるのだから。(=立憲主義&国民主権)
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もし主権者たる国民が、憲法に記されたルールの内容が「時代や国民の要請に合わない。変える必要がある」と思えば、自分たちの手でそれを変えることはOKだけど。
でも、国民が与えたルール守るべき国家の方が、自分たちの都合で、好き勝手に憲法の内容を変えることを許したら、国民は国家をコントロールできなくなってしまうわけで。それは、絶対に許されないことなのである。(**)
<スポーツで言えば、監督や選手が「このルールだと、自分の思うようなプレーしにくい」と言い出して、試合中に勝手にルールの変更を決めようとしているようなものなんだよね。(~_~;)
(サッカーで言えば、オフサイドが厳しいと攻撃しにくいから、「今から、1m以上前に出なければ、OKにする」と試合中に言い出すようなものかも。(>_<))>
* * * * *
憲法というのは、ある意味で、国民の国家に対する命令書(国家が守るべきルールブック)みたいなもので。
9条で言えば、国民が国家に「他の国と戦争をしちゃけませんよ」と命令しているようなものだし。12,13条で言えば、国家に「国民の基本的人権、個人の尊厳を最大限に尊重しなければいけません」と命令していると考えてもいい。(・・)
<統治の部分の、国会や内閣、裁判所の構成や内容なんかも、国民が国会はこのように運営しなさいとルールを与えて、それを守るように命令しているようなもの。>
そして、その憲法ルールを変えるには、国民の代表である国会議員が発議(提案)して、それを国民の過半数の同意を得なければならないわけで。
内閣(首相を含む)には、憲法を変える権限は何一つないのである。(-"-)
内閣の役目(お仕事)は、国民に与えられたルールである憲法や、国会の作った法律に従って、それを誠実に執行したり、国の行政事務(国務)を行なったりして、国民に奉仕すべき存在であって。(いわば、会社の従業員のようなものね。>
彼らには、国の重要なルール(憲法や法律)を作る役割や権限は与えられていないのである。^^;
何故って、首相や内閣の閣僚は、国民に選ばれているわけではないし。<国会議員としては、国民に選ばれているかも知れないけど。首相や閣僚としては、国民に選ばれているわけじゃない。>
その時々の政府(首相&内閣)が、勝手にルールを変えることがあっては、国民の権利を守ることができないからだ。(-"-)
<それは、過去の長~い歴史において、王様が勝手にルールを変えて、国民の権利を侵害して来たことへの反省から築かれた考え方なんだよね。(-"-)>
* * * * *
ところが、安倍首相は、そもそも今の憲法を尊重する気がない上、人一倍、自分の思想や国家観を実現したいという思いが強いし。
しかも、どうも自分の立場というものもわかっていないようで。あたかも王様になった気分で、暴挙をはたらこうとしているのである。^^;
安倍首相は、日本をもっと軍事的に強い国にして、(中国に勝って)アジアのTOP、世界のリーダーとなる国にしたい。そのためにも、自衛隊を軍隊にして、日本の外でも、武力を行使を伴った軍事活動をしたいのに、あの9条がジャマで仕方がない。
憲法の専門家の大多数は、現憲法の9条では、集団的自衛権の行使や海外での武力行使は認められないと主張しているし。これまでの政府(歴代内閣)も、ルール検討機関である内閣法制局も、そのような解釈をしているし。
本当は9条を改正したいのだけど、国民がOKしそうにないから、それもすぐにはできない。^^
で、「え~い、内閣で憲法解釈を変えて、自衛隊がどこでも軍事活動できるようにしてやる~
」と発想しちゃうのである。(-"-)
* * * * *
その背景には、先日『ボコハラムと安倍らの超保守派の思想、施策の共通性~西洋思想を排除して、戦前の日本に』という記事に書いたように、「戦後の憲法や日本の仕組みを早く壊したい。なきものにしたい」という彼らの独特な思想、国家観がある。(~_~;)
「そもそも、あんなGHQに与えられた憲法は認めていないし。尊重することはできない」「戦後体制を肯定するような学者や内閣、官僚の解釈なんかにも従いたくはない。そんな解釈は、間違っている」「実際、自分の仲間はみんな、自分の考え方が正しいと。解釈改憲をしてもOKだと言っている」し、「戦後の日本を弱体化させた9条を壊すのは、自分たちの使命だ」
それに「自分は日本の政府の最高責任者の内閣総理大臣なんだから、自分が日本の あり方を決めてもいいはずだ」「国民は安倍自民党を選挙で勝たせたのだから、自分に全てを委ねたと思っていい」「憲法に関しては、国民はまだGHQやサヨク(メディア)に洗脳された状態が続いているから、正しい判断ができないから、国民の意見をきいても仕方ない」
彼らは、そのような仲間うちの考え方に基づいて、専門家の意見にも目をつぶり、主権者である国民の存在も軽視して、解釈改憲と手段を用いようとしているわけで。
しかも、安倍首相は、同じ思想の仲間に「あなたしかできない。あなたは一国の総理だ」と持ち上げられ、王様気分になって、一国の総理として最もやってはならない暴挙をはたらこうとしているのである。(-"-)
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もしこんな風に、その時々の政府が安易に憲法解釈を変更することが許容されるとなれば、首相が別の人に代わった後、その人の思想や考え方によって、すぐにまた9条の憲法解釈を変更されるかも知れないし。他の条文の解釈改憲も、次々と行なわれる可能性だって出て来るのだけど。
そのようなことが横行すれば、国政や国民の混乱を招き、日本の政府は国民からも他国からも信用を失うおそれが大きい。(~_~;)
<他の首相に代わったら、安倍氏らの思想や考え方とは全く異なる解釈改憲をされる可能性だってあるのにね。mewは、その辺りの問題を安倍氏らがどのように考えているのか、不思議でならないんだよね。^^;>
もし安倍政権or超保守派による政権が続けば、今度は現憲法の「公共の福祉」も憲法解釈も、「公益及び公の秩序」にしようと。そして、政府が国益や公的秩序に資さないと判断した場合、様々な人権を制限できるようにしようと言い出す可能性だってあるのだ。 (・o・)
『ボコハラムと安倍らの超保守派の思想、施策の共通性・・・』という記事でも触れたけど。
安倍首相&仲間たちは、天賦人権思想(人は生まれながらに、平等や自由の権利を享有しているという考え方)を認めておらず。明治憲法のように、国民の人権は国が与えたもので、国益のためなら制限しても構わないと考えているからだ。(@@)
<自民党の改憲草案Q&Aにも『人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると
思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました』と。
また公共の福祉に関しても、『学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。しかし、街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難です』『意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした』、『諸外国の憲法にも、公共の利益や公の秩序の観点から人権が制約され得ることを定めたものがある』と記されている。(~_~;)>
* * * * *
実際、12年に発表された自民党の改憲草案では、「公共の福祉」という言葉は、「公益及び公の秩序」に書き換えられていて。12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利」に関しても、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」になっているし。(13条の個人の尊厳もね。)
こともあろうに、自由&民主主義の国にとって、最も重要な人権とされている21条の「表現の自由」の条項にまで「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という規定を付け足して、国家が制限し得るように変えてしまっているのである。(ーー)
<さっき、憲法は国民の国家に対する命令書、ルールブックだと書いたのだけど。安倍氏らは、憲法は国民が国家を縛るものではなく、国民も縛るものだと考えているので、自民党の憲法草案は、国家が国民に対してルールを与えて、命令するかのような感じの表現を用いているものが多いのよね。(~_~;)>
ということは、安倍政権または同じ思想を持つ政権が、学説上は「公共の福祉」は「人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するもの」なのだけど、政府は「公益及び公の秩序」という憲法解釈をとって、政府が国益に反すると思ったら、表現の自由だって、報道や取材の自由だって(ブログの自由だって?)制限しますよという政策をとることだってOKになってしまうわけで。(~_~;)
それを考えても、やぱり政府が憲法を実質的に改正するような内容の憲法解釈変更(解釈改憲)を行なうことは、本当にアブナイ&コワイことなのである。(~_~;)
* * * * * 、
ただ、mewがもっとアブナイと&心から残念に思うのは、この期に及んで、国民の多くが、戦後の憲政史上、最悪の凶行に及ぼうとしていることに気づいていないorさしたる関心を抱いていないことだ。^^;
安倍首相らは、主権者たる国民の存在を無視し、その権利を侵害して、勝手に憲法9条を実質的に改正しようとしているのに・・・。
NYタイムズの表現を借りれば、安倍首相らは気まぐれで9条を無効化しようとしていて、日本の民主主義(の真価)が試されている時なのに・・・。
国民の多くは、そのことに注目することもなく、さほど不満も危機感も抱いている様子もなく、何だか他人事のように傍観しているような感じに見えるのである。(@@)
それゆえ、どうか今日の安倍首相の会見を機に、多くのメディアがこのことを毎日、大きく取り上げ、多くの国民が、安倍首相が行なおうとしている解釈改憲に少しでも関心を持ったり、理解を深めたりできるようにして欲しいし。
そして、多くの国民が、自分が主権者であること、日本が民主主義の国であることを改めて認識した上で、果たして自分たちの存在や権利をさしおく形で、安倍首相が解釈改憲を強行してもいいのか、よ~く考えて欲しいと切に願っているmewなのだった。(@@)
THANKS
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