追悼・鳩山邦夫氏~40年も議員生活but思い遂げられず。舛添とのライバル関係
2016年 06月 23日
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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】
自民党の鳩山邦夫衆院議員が、昨日22日、67歳の若さで他界した。去年か今年か、何かの映像で見た時に、顔がかなり痩せて黒ずんでいたので、何か内臓の疾患があるのだろうかと案じていたのだが・・・。<公には十二指腸潰瘍と発表されている>
ご冥福をお祈りしたい。 (兄、由紀夫氏の追悼コメント全文を*1に載せておく)
実はmewは、鳩山邦夫氏(家では邦夫ちゃんと呼んでる)と国家観、憲法観が150度ぐらい合わないのだけど。人間的にも政治家的にも興味深い、何だかとても気になる存在だったので、このブログで取り上げたり、個人的に動きをチェックしたりすることが多かったのだ。
政治家としては、他の政策では考えが合うことが多かったし。<この人は経済社会政策ではリベラルの面が大きいし。学力の偏差値制度に反対。司法試験の合格者増員などの安易な改革にも反対していたし。09年には、郵政民営化の問題を追及しようとして、麻生首相とやり合ったことも。>
色々な意味で行動力があって。96年に民主党を結党するに当たっては、邦夫氏の行動力&兄・由紀夫に対するバックアップ、2人の資金力が大きな要素になっていたのも事実だし。<結局、意見が合わず、すぐに党を離れたのだけど。兄のことを考えてか、党を壊そうとはしなかった。>
また、邦夫氏は昆虫採集(蝶の標本はスゴイ、mewは小さい甲虫好き)、料理、園芸と趣味も共通するものが多い上、(近くにいた人にきいても)エラくなっても気さくで、人を楽しませることが大好きな人だったとのこと。
それにmewは、前もちょこっと書いたけど、邦夫氏が周囲に大反対されたにもかかわらず(当時はまだハーフは「あいのこ」などと呼ばれ、差別されることも多い時代だったのだ)、自分が一目ぼれしたハーフのタレント・高見エミリーと結婚するという約束、意志を貫いたことも印象深いところがあるし。いくつも党を移って、選挙区も変わったにもかかわらず、13回も衆院選に当選して来たこともスゴイことで。「なかなか、やるな~」と思うところがあったからだと思う。(++)
<あと変な話、よくも悪くもめっちゃお金持ちなので、金銭的な利権のために動くことはなくて、自分の思想、意思を通そうとするところがあるのよね。ママから兄弟に違法な形で支援金が行くことはあったけど。^^;>
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たぶん、この人ほど「政界のサラブレッド」という形容がぴったりの人はいないだろう。(・・)
曾祖父・和夫(政治家・衆議院議長)、曾祖母・春子(共立女子大学創立者)、祖父・一郎(政治家・内閣総理大臣)、祖母・薫(共立女子大学学長、父は貴族院議員寺田栄)、大叔父・秀夫(東京大学法学部教授)、大伯母・カヅ(司法大臣鈴木喜三郎に嫁ぐ)、父・威一郎(外務大臣)、母・安子(ブリヂストン創業者石橋正二郎長女)、叔母・信子(指揮者渡邉暁雄に嫁ぐ)、姉・和子(鳩山友愛塾塾長、工学博士・筑波大学名誉教授井上多門夫人)、兄・由紀夫(政治家・元内閣総理大臣・民主党)<鳩山さんちもスゴイのだけど。母方の石橋さんちもかなり名門&裕福だし。>
妻・エミリー(元タレント、高見エミリー)邦夫の従兄弟の石橋寛(石橋正二郎の孫)とエミリーの姉・高見理沙との結婚式で見初めて、エミリーが中学2年のときにプロポーズし、17歳で婚約した。エミリーの父はオーストラリア人の貿易商で、母は日本人。
しかも、かなり頭脳も優秀で、学習院を中等科で辞めて、現・筑波大付属高に進学。東大法学部に現役で合格。
あとでアップする記事に出て来るけど、あの舛添要一前都知事と同じ学年で、高校の時に福岡にいた舛添氏と模擬試験の成績でTOP争いを繰り広げていたとか、同じ東大法で首席を争ってたとかいう話は今でも語り継がれている。(@@)
また、『兄の由紀夫元首相によると、邦夫氏は幼稚園の頃から「オーパパ」(=祖父の一郎氏)の後を継ぐと言い、政治家になる夢を語っていたという。(朝日新聞16年6月22日)』
<昔、一部の良家は、孫が小さい頃「おじいちゃま」とは呼ばせず「大きいパパ、ママ」として「大ババ」「大ママ」って呼ばせていたです。^^;>
実際、鳩山氏は学生時代にもう田中角栄氏のところを訪ねていたとのこと。田中氏の勧めで、米国に留学した後、76年に衆院選に旧東京8区から28歳で初当選。その後、東京2区→比例東京ブロック→福岡6区と選挙区を変えるも、13回も(約40年もの間)当選を果たして来た。(・・)
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他方、政党の方も、無所属→自由民主党→無所属→改革の会→自由改革連合→新進党→旧民主党→民主党→無所属→自由民主党→無所属→自由民主党(無派閥)と移ることになった。(@@)
自民党では、それこそ「サラブレッド」扱いで、早くから将来の首相候補として名が挙がっていたのだが。邦夫氏は、自分たちが中心になって、自民党に代わる保守リベラル系の政党を作りたいと考えていたようだ。^^;
それゆえ、邦夫氏は宮沢内閣で文部相として初入閣したのち、93年に自民党を離党。96年に兄の鳩山由紀夫氏らとともに、旧民主党の結党に関わり党の副代表に就任するも、中道左派をどんどん巻き込む拡大をはかる鳩菅路線に反発して離党した。<99年には都知事選に出馬して、石原慎太郎氏にブッチ勝ちされるも、2位を確保。3位が舛添氏だった。(~_~;)>
2000年に自民党に復党し、文部大臣や労働大臣、法務大臣を歴任。2008年の麻生内閣で総務大臣に就任したが、日本郵政の社長人事などをめぐって麻生総理と意見が合わず、翌年、大臣を辞任。10年には自民党を離党し、その後、第2次安倍内閣成立後に復党した。
近時は、自分にグループを作って、安倍首相を支援。安倍氏の首相(総裁)任期を2020年まで延長することを提案していた。(-_-)
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ところで、舛添都知事の問題が騒がれるようになってからここ2ヶ月間、通算で考えてみると、もしかしたら当ブログでは、この記事が一番読まれていたかも知れない。
<毎日のように「舛添」「鳩山」「模試」「成績」「東大」「首席」などを組み合わせた検索が何十とかもっと、来てたし。(@@)>
今から6年前、2010年3月22日にアップした『邦夫と舛添~高校・大学、政界では邦夫が先んずるも、果たしてこの後は?』という記事だ。
今日は、鳩山邦夫氏への追悼と、舛添要一氏への「色々な意味でおつかれさま」の意味を込めて、この記事をアップしておきたい。
* * * * *
<ちなみに前記事『舛添に続き、平沼にも裏切られそうな、いばらの道の鳩山+競馬&お笑い』には、鳩山邦夫氏が自民党を離党した後、同党を離れようとしていた舛添氏らと新党を作ろうと動いていたのに、みんなに裏切られて困っているという話が書かれている。(ノ_-。)>
『前記事に、鳩山邦夫氏と舛添要一氏について書いたのだけど。
18日の日刊ゲンダイに、この2人について、思わず笑ってしまいたくなるような記事が出ていたのだ。
で、ネットにその記事がアップされているのを見つけた&近日中にアップする予定の舛添要一氏に関する記事にもチョット関連があるので、ここにアップしておきたい。(・・)
『舛添を激怒させたあの一言 (ゲンダイネット)
●高校時代からの因縁
結局、舛添にも与謝野にも振られ、たったひとりで離党することになった鳩山邦夫。
とくに舛添要一は、邦夫のことを「政治家にとって基本は政策だ。新党をつくるとか、誰と組むとか先にやるからおかしくなる!」と、ケチョンケチョン、歯牙にもかけなかった。
なぜ、舛添はここまで強く連携を拒否したのか。政界では「あの一言がいけなかった」と“珍解説”が飛び交っている。
「与謝野、舛添に連携を呼びかけた鳩山邦夫は、『日本一、頭がいい政治家・与謝野馨、国民の期待度が高い舛添要一』と、語りかけた。舛添は、その一言が許せなかったのではないか、とみられ
ているのです。邦夫と舛添が、東大法の同期生だということはよく知られている。2人は高校時代から、全国模試の上位に名を連ねるライバルだった。もっとも、東大を首席で卒業した邦夫の方が
圧倒的に優秀だった。どうやら、負けず嫌いの舛添は、いまだにそのことを気にしているようなのです。そこに邦夫が、『日本一、頭がいい与謝野馨』と言ったものだから、舛添が『やっぱり邦夫は、オレより自分の方が賢いと思っているのか』とカチンときても不思議ではありません」(永田町事情通)」
あまりにもバカらしい話だが、かつて鳩山邦夫は、「頭の良さ」をめぐって東大法の後輩である片山さつきの一言に激怒したことがあるという。
「まだ財務省の役人だった片山さつきが『鳩山先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね』と聞くと、邦夫は自慢そうに『そうだ』と答えた。すると片山さつきが
『私は1位、1位、1位、1位でした』と勝ち誇ったように言ったというのです。さすがに邦夫は、あとから『あの女はなんだ!』とカンカンだったといいます」(霞が関関係者)
こんな連中ばかりでは、自民党が国民からノーを突き付けられるのも当たり前だ。(日刊ゲンダイ2010年3月18日掲載)』
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<ちなみに、既にご存知の方も多いと思うけど。片山さつき氏は大蔵省の官僚だった86年に、当時、東大助教授だった舛添要一氏とお見合い結婚をして、89年に離婚している。 片山氏は、90年に実業家である現夫と再婚。舛添氏は、1度目はフランス人女性、2度目が片山氏との結婚。96年に元秘書の女性と3度目の結婚をして、2児を設け、今に至る。>
鳩山氏は、お坊ちゃまらしく学習院の初等科に入学するも、中等科の時に外部の高校を受験をして、国立のTOPクラス高である東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)に合格。
舛添要一氏は、地元・福岡県立の進学校・八幡高校に在学していたのだけど。全国模試では、この2人の名がTOPの方に並んでいたのだそうだ。<TOPを争う同士って、高校が違っても、何気にお互いを意識してたりするのよね。^^;>
まあ、高校や大学のお勉強ができるというのと、ひとりの人間や政治家として賢いor能力があるというのは別の次元の話なのだけど。
鳩山氏も舛添氏も、自分の頭には、かなり自信やプライドがあるし。結構、負けん気が強い&それなりの努力家であることは、間違いない!(・・)natusukashi no nagai-hu~
<片山さつきちゃんもね。^^;>
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wikipediaには、こんな話も出ていた。
『学生時代から秀才で知られ、高校時代は全国の模試でもトップクラス、大学時代はゴルフ部の活動に明け暮れていたが、専門課程への進学試験を学年1位で通過し、法学部でも記録的な数の「優」を獲得するなど、成績は抜群であったという。邦夫自身は「(みんなが必死の)予備校の模試はともかく、大学の成績なんて自慢にならない」と述べているが、かつて東大をトップで出た父威一郎が邦夫の政治家志望に反対しており、一番なら文句は言わないだろうと大学でも試験前は必死で勉強したという。勉強に関しては兄の由紀夫よりも優秀であり、勉強しなくても東大に入れると言われたほどであった。(母は「兄の由紀夫は勉強しなければ東大に入れ
なかった」と述べたことがある。)』
ただ、鳩山氏は、曾祖父・和夫氏が衆議院議長、祖父・一郎氏が元首相。父・威一郎氏が外務大臣という政治家一家に生まれ育って、早くから、自分がこの鳩山家の政治家としての系譜継ぐと決意。 大学卒業後に、田中角栄の秘書になって、76年に28歳で衆院選に出馬&当選。<当選は、新自由クからだったけど、自民党に移る。>若い頃には、政界のサラブレッド&将来の首相として
期待されていたし。落選もあったけど、その後も11期当選。
本人は、それなりの志があってか、無所属や小さな政党にいた時期を何回かはさみつつ、新進党→旧民主党→自由民主党と渡り歩いて来て、出世のコースから外れてしまったところがあった
のだけど。<選挙区もコロコロ変わっているし~。>
でも、おそらく自分は、アタマも政治家としての能力や実績も、弟より10年遅く衆院議員になった兄・由紀夫氏や、24年もあとに参院議員になった舛添要一氏なんかよりも、ず~っと上だ
という自負があるのではないかな~と思うことがある。^^;
<以前も書いたけど、邦夫氏は、当時、周囲からめっちゃ大反対を受けながら、自分の意思を通して、ハーフのタレントだった高見エミリさんと結婚。 妻や子を本当に大事にして、秘書たちにまで、食事を作ってあげるなど、ある意味では、とってもいい人なのだ。
ただ、よくも悪くも損得勘定では動かない(こういう計算は苦手?)ことが、時に災いをもたらしているのか・・・政治家としては、周囲から評価されていないし。人望があるとも思われていないのよね~。(~_~;)>
でも、これまでも、何回か、もう政治生命も終わりかな~と思うようなピンチの時もあったのだけど、何だか知らないうちに復活して、安倍~麻生政権の時は、2年間ずっと閣僚<法務→
地域担当→総務相>をしていたりしたからな~。(・・)
というわけで、この後に書く舛添要一氏の動きと共に、鳩山邦夫氏の動きも興味深くウォッチしたいと思っているmewなのだった。(@@)』
残念ながら、鳩山邦夫氏は志半ばで他界してしまったのだが。果たしてライバルの舛添要一氏や兄の鳩山由紀夫氏は、今後、政治の場で何か大きな動きを行なうのか・・・興味深くウォッチしたいと思っているmewなのだった。(@@)
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鳩山由紀夫氏、急死の邦夫氏は「自慢の弟」2週間前に都知事選出馬打診
スポニチアネックス 6月22日(水)17時16分配信
鳩山由紀夫氏、急死の邦夫氏は「自慢の弟」2週間前に都知事選出馬打診
1999年の自民党所属議員のパーティーで握手を交わす弟の鳩山邦夫氏(左)と兄の鳩山由紀夫氏(右)
法相や総務相を歴任した自民党衆院議員の鳩山邦夫(はとやま・くにお)氏=福岡6区選出、当選13回=が21日午前11時35分、十二指腸潰瘍のため東京都内の病院で死去したことを受け、邦夫氏の兄の鳩山由紀夫元首相(69)が追悼コメントを発表した。
コメント全文は以下の通り。
弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変に驚いております。
3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。
私たち兄弟は小中学の頃は小児喘息持ちで、当時は運動が嫌いで、母が心配して家庭教師を私たちにつけてくれたのですが、その先生が勉強よりも野球や昆虫採集を教えてくれました。邦夫が蝶の権威になったのはそれがきっかけでした。料理もプロ並みでしたが、大学生の頃、勉強が終わると台所で餃子を皮から作って食べさせてもらったり、屋台のラーメン屋に家を二人でこっそり抜け出して食べに行ったり、本当に仲の良い兄弟でしたが、常に弟のほうが積極的でした。
また、弟は幼稚園の頃からオーパパ(一朗)の跡を継ぐのは自分だと言って、その通り、田中角栄先生の門下生となり、政治家になりました。政治嫌いの私が政治の世界に入るとき、派閥の違う私を角栄先生の下に連れて行ってくれました。言うまでもなく、弟は私にとって政治家の先輩であり、運命のいたずらで時には意見を異にすることがありましたが、内向的で自己表現がうまくない私にとっては、常に目標であり自慢の存在でした。
主要閣僚を歴任し、また蝶を愛し自然を愛する弟が、より高い対場から日本の将来や環境問題などに真剣に取り組んでくれることを期待していただけに、残念でなりません。
今は政治一筋に生きてきた弟が、政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っています。
鳩山 由紀夫