ロック(音楽)に政治は当たり前+坂本龍一の政治活動&清志郎いなくて悔しい
2016年 08月 18日
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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】
少し前の話になるのだけど・・・。昨日、解散をしたSEALDsの代表・奥田愛基氏が、先月行なわれた「フジロック・フェスティバル’16」を訪れていたとのこと。(・o・)
いやいや、歌ってたわけじゃなくて・・・。(~_~;)
反核・反原発をトークやライブで訴える企画「アトミック・カフェ」に、ジャーナリストの津田大介氏らと登壇したのだという。(・o・)
奥田氏は、「政治が面倒臭いのは、自分と意見が違う人と話すのが面倒臭いから」「この社会をどうやって一緒に生きていくか、『面倒臭い』を越えて考えていかないといけない」などと述べていたそうなのだが・・・。
mewも、国民の多くが政治や社会の問題に対して抱く「面倒臭い」「面倒臭そう」という感じ方を、どうにかして変えられないものかな~(または、越えられないものかな~)といつも考えているので、奥田氏の話には共感できる部分があったです。(++)
<ちょっと小理屈をこねると「政治は面倒なものではない。もっと身近なものだし。その気になれば、いくらでも発言、参加できるものなんだ」という感じで、イメチェンを目指すか。それとも、「政治とは、基本的には面倒で小難しいものだけど。主権者である国民は、それを越えて、自分や華族のためにも、社会のためにも、もっと積極的に発言、参加して行くべきなんだ」ってアピールするか・・・難しいとこだと思いません?^^;
mewは、アタマの中では後者が正論だと考えつつも、前者の雰囲気も広げて行きたい。>
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『「面倒臭い」を越えて 奥田愛基さん、フジロックで発言
新潟県湯沢町で開催中の野外音楽イベント「フジロック・フェスティバル’16」で23日、反核・反原発をトークやライブで訴える企画「アトミック・カフェ」があり、ジャーナリストの津田大介さんと学生団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基(あき)さん、国際環境NGO「FoE Japan」の吉田明子さんらが登壇した。
フェスで政治的主張、あり? シールズ「出演」で論争
津田さんは今回の参院選で、SEALDsが野党共闘の動きに寄与した点を指摘。選挙期間中、野党側の応援に奔走した奥田さんは「(全国32の1人区のうち)11の議席を取れたことは、負けは負けだが一定の効果はあったと思う」と総括した。また、奥田さんは「政治が面倒臭いのは、自分と意見が違う人と話すのが面倒臭いから」と話した上で、「この社会をどうやって一緒に生きていくか、『面倒臭い』を越えて考えていかないといけない」と述べた。
アトミック・カフェは、1980年代に国際的に広がった反核運動を起点に、音楽シーンから反核のメッセージを発信する取り組み。東京電力福島第一原発事故のあった2011年から6年連続、フジロック内で開催されてきた。
アトミック・カフェでは、これまでも壇上で様々なアーティストらが自身の意見を発言しているが、今回、安全保障関連法に反対する活動で注目された奥田さんの参加が発表されると、主にネット上で「音楽に政治を持ち込むな」などの意見が出て注目された。
初日の22日は放射線衛生学者の木村真三さんが福島県内の放射線量の話などをした。最終日の24日は歌手の加藤登紀子さんと、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に携わった音楽家の大友良英さんが登壇する。(永田篤史)(朝日新聞16年7月23日)』
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上の記事に『ネット上で「音楽に政治を持ち込むな」などの意見が出て注目された』とあったのだけど。「はあ?」という感じ。 (゚Д゚)
ロックフェスに政治や社会問題って・・・。当然にして「あり」でしょ~。(**)
てか、主義主張のないロックなんてね~。(内田裕也に怒られちゃうよ。)J-POPって呼んでやる~~~。(@@) <ただし、mewはJ-POPも大好きだけどね。(^^♪smap-fan damon>
それこそ、mew&周辺とかは、ロックのライブの光景を見ると、ついつい「あ~、清志郎が生きてたらな~」「今の政治や社会の状況を見て、どんなことを叫んだり歌ったりするんだろう?」とつぶやいていたりするのだけど・・・。(・・)
SEALDsはレゲエなどのヒップホップ系のシュプレヒコールを用いるなど、音楽やリズムをうまく使っていたと思うし。その昔、60~70年代頃には、日本でも世界でも、反戦や社会問題を訴える「フォーク」が、ギター片手に歌われて来たわけで。
そもそも音楽というのは、人の心情や思い、考え、メッセージなどを歌詞やメロディとして表現するために、またそれらに乗せて他者に伝えるために作られて来たものなのだから。
mewは逆に、音楽と政治活動、政治的主張は、もっと融合して行っていいと思うです。(++)
<SMAPに「戦争を知らない子どもたち」を歌って欲しかったな~。_(。。)_>
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たとえば、忌野清志郎氏と親交の深かった元YMOの作曲家・坂本龍一氏も、積極的に政治活動を行なっているミュージシャンのひとり。(・・)
坂本氏は、中咽頭がんの治療のため、音楽活動を休養していたのだが。昨年から活動を再開。
復帰後は、以前に増して、辺野古基地移設の阻止、核兵器・原発廃止などの政治的な問題を訴える活動も行なっている。<復帰CD作「弥勒(みるく)世果報(ゆがふ)―undercooled」の収益も、「辺野古基金」に寄付すると言っていた。(++)>
昨年末には、朝日新聞のインタビューで、「清志郎いないのが悔しい」(タイトルにもなっている)と語っていたとのこと。(ノ_-。)
その清志郎について書いた部分は非公開ゆえ、ここにアップできないのだが。インタビューの一部をここにアップする。
『「清志郎いないのが悔しい」 坂本龍一、音楽と政治語る
2015年12月14日 朝日新聞
映画「母と暮せば」の音楽で、がん闘病から本格復帰を果たした坂本龍一。病を経ての人生観の変化から、音楽と政治の関係までを語り尽くした。かつての盟友・忌野清志郎に思いをはせ、「清志郎が生きていてくれないのは悔しい」と話す場面もあった。(中略・省略部分は*1に)
――坂本さんは「NO NUKES」の運動で脱原発を掲げています。「核なき世界」という点で、今回の作品と響き合う部分はありましたか。
山田監督と吉永小百合さんの依頼で、しかも長崎原爆の悲劇というすごいテーマですから、これは自分もやらざるを得ないという思いはありました。社会的に色々と言ってきたこともあり、気持ちを引き締めて向かいましたね。
――19、20日には、原宿のバンクギャラリーで作曲の様子を追った写真展が開催されます。実際のレコーディングはどのようなものでしたか。
このスタジオ(渋谷のレッドブル・スタジオ東京)に1カ月ぐらい通っていました。毎朝10時を目指してくるんだけど、10時半ぐらいになっちゃって。来たらつい、コーヒーなんて飲みたくなって、ちょっとくつろいで。そのうちお昼になってお弁当が来ちゃって、食べて(笑)。で、そのまま夜まで。
体力的に以前の半分とは言わないけど、かなり落ちてはいるんですよね。本当に一番仕事をしていた30代、40代の頃は、1日12時間は当たり前で、16時間、あるいは寝ないでも全然平気でいたんですけど。当然体力は段々、落ちてきてはいて。
いま、本当に集中できる時間は、1日8時間ぐらいがいいとこかなあ。それを過ぎちゃうと集中力がなくなってきて、体力もたないですね。もうちょっと体力つけないと、とは思ってますけど。
――パリ同時多発テロの際、テイラー・スウィフトやファレル・ウィリアムスら、多くのミュージシャンが「Pray for Paris(パリに祈りを)」などとツイートしました。坂本さんは9・11米同時多発テロの後に出した対談集『反定義 新たな想像力へ』で、「ぼくが嫌いなのは、“祈り”です。祈れば平和がくるみたいなことをいう人がいるけど、そんなものは何にもならないです」と話していましたね。
パリのテロの後、宗教指導者のダライ・ラマ法王が「いまは祈る時間ではなく、考える時間だ」という趣旨の発言をされていると知って、すごいなと思いました。宗教指導者なんだから、普通は「さあ祈りましょう」と言うのに、言わないんですよ。祈ってるだけじゃダメなんだ、考える時なんだって。ガツーンときましたね。
――以前からの坂本さんの主張とも重なります。
僕も自分の公式フェイスブックで、あえて「Pray for Paris」ではなくて、「Pray for Paris and Other Places(パリとそのほかの場所へ祈りを)」と書きました。
パリのテロの前日に、ベイルートで40人以上亡くなっています。アラブ、アフリカも含めた世界中で、たくさんの人たちが毎日のように犠牲になっている。なのに、パリだけみんなで祈りましょうっていうのは、命の価値って違うわけ?っていうことでしょ。そんなことはないはずです。
パリの犠牲者がどうでもいいということではなくて、パリの犠牲者を悼むのなら、同じようにアフリカやベイルートやシリアの犠牲者も悼まなきゃ、おかしいじゃないですか。
それこそが「祈る」だけじゃなくて、「考える」ことになるんだと思う。もっと言えば、そういう犠牲者が出ないためにどうしたらいいか、何ができるかっていうことも当然考えないといけない。そこが大切ですよね。』
そして、このようなミュージシャンたちの努力、ひいては「音楽の力」によって「政治は面倒臭い」というイメージも変えてor越えて行けないものかと思うmewなのだった。(@@)
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*1
坂本龍一さん「母のカレーが一番」
――「母と暮せば」の音楽が、病気からの復帰第1作となりました。
復帰後第1作になったのは、あくまで結果的なもの。どの時点で治るかなんてこともわからなかったわけですから。本当に幸運なことに、そういう結果になったということです。
40年以上ぶりに何も仕事をしない時間ができて、人生観も変わるところがあって。久々に音楽を書くということへの新鮮さもありましたね。
――人生観が変わったということですが、どのように変化しましたか。
まあ、人生は短しじゃないですけど(笑)。色んなことにあちこち手を出すんじゃなく、自分にとって本質的なことを深くやらなきゃな、ということですね。僕は好奇心旺盛な方なんで、興味深いことってたくさんあるんですよ。あれも面白い、これも面白いで、放っておくと興味が散漫になりやすい。
やっぱり人生の時間は限られているので、これからは仕事にしろ人生にしろ、一番大事なところにフォーカスしてやらなきゃいけない。病気になる前からわかっていたことなんですけど、より強く感じましたね。
――映画のサウンドトラックに収録された合唱曲「鎮魂歌より」は、映画全体の鍵になる作品です。
進行の都合で撮影前にはつくらなければならず、この曲を一番最初につくりました。この場面の撮影が7月ごろで、作曲したのが5月ぐらい。「鎮魂歌より」が全体の基調にはなりましたね。
山田洋次監督からは、(広島で被爆した詩人)原民喜の『鎮魂歌』の最後の部分を使うという指定をいただきました。前半は二宮(和也)くん演じる浩二が歌っているかのようなきれいなテノールの独唱で、そこから長崎市民が歌う合唱に移っていく。そういう具体的な指定もありました。
* * * * *
――原爆の惨状を描いた非常に重厚な詩ですが、言葉と向き合うなかで悩まれたことはありますか。
原詩を読むと、重たくつらい部分がものすごく長く、延々と続いて。最後にちょこっと2、3行、明日への希望を歌っている。読んでいても気分が重くなります。これを素直に音楽にしたら、かなり重たい、暗い音楽になりますよね。
暗く重たい音楽をつくるのは、僕は得意なんです。悲劇的でメランコリックな音楽は割とできちゃうんですけど、それをいかに重くなり過ぎずに、希望へうまく移行させるか。そこが一番難しかったですね。
山田映画ですから、幅広い世代の方に楽しんでもらわなきゃいけない。そんなにヘビーなものにはしたくなかったですし、監督も望んでいなかったですから。軽過ぎていないか、重過ぎるんじゃないかという判断が難しく、一番悩みました。