小泉首相の年頭会見での靖国発言について(4) ~自国の憲法が理解できない首相はアブナイ~
2006年 01月 17日
と、ついつい長くなってしまい、一回で終わりそうにないかも~です。^^;>
小泉首相の年頭会見の靖国参拝に関する発言で、私が最も問題だと思ったのは、この
部分である。
「日本人から、おかしいとか、いけないとかいう批判が、私はいまだに理解できません」
「精神の自由、心の問題。この問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人
が、私の靖国参拝を批判することも理解できません」「精神の自由、心の問題、これは
誰も侵すことのできない憲法に保障されたものであります」
これを見て、真っ先に思ったのは、小泉首相が憲法の理念、人権や民主政の概念という
ものがほとんど全くわかっていないということであった。
一国の首相が、しかも彼には憲法尊重擁護義務(99条)があるというのに、そもそも
その前提となる憲法の基本的なことも理解しておらず、それを堂々と記者会見で発言して
しまうのだから情けないとしか言いようがない。
<理解できていないのなら、憲法論めいたことなんて発言しなければいいのにと、マジ
で思う。一国の首相としての資質や能力に疑問が持たれるし、この発言で国民が誤った
認識を与えられてしまっても困る。>
まず、言論人、知識人を含む日本人の批判が憲法上、最も重要視される人権<表現の
自由>に基づく行為であり、国家(首相)がそれを最大限に尊重しなければならないこと
ましてや公の場で関与、干渉をすべきではないということがわかっていない。
そして、小泉氏の一個人、一国民として保障される自由権も、首相としての立場では
制限される可能性があることも十分理解できていないようである。
また、民主政を採用する一国のリーダーが、国民からの批判を受容できないこと
は危険なことであることも提言したい。さらに一国の首相や政治家としては、公の場で
の発言に思慮や配慮が必要なことや、首相、政治家としての立場での発言と個人として
の立場での発言を区別すべきこともわかっていないように思う。
言論人、知識人が政治からの関与を嫌うというが<この政治というのは、政府→国家
のことか?>、そもそも国家は言論人等はもとより日本国民全ての基本的人権に関与、
干渉してはいけないのである。そのために<国民が国家をコントロールし、国家から
自分たちの人権を守るために>憲法が存在するのである。
その基本的人権の中でも最も重要なのが、精神的自由権、とりわけ表現(言論)の自由
であると考えられている。何故なら、これらは国民の人格形成や民主政の基盤となる自由
な思想市場の形成に必要不可欠なものであるからだ。
靖国参拝の件に即して言えば、国民がこの件に関して知識や情報を得て、また言論人等
の評価や批判を見聞することによって、自分たちがこの件を考え判断する材料を得ること
ができる。そしてまた、国民同士でその考えを交換し合ったり議論をしたりすることに
よって考えを深め、それを参政権の行使など民主政の過程に活かすこともできる。
<もし表現の自由が規制されれば、必要な情報も得られず、批判を含む言論も見聞した
り、自分で発することもできず、国家が好き勝手に国民をコントロールするような某国
や戦中の日本のようになってしまうのである。>
それゆえ、マスコミも含めて、言論人や知識人が様々なニュースや情報を国民に提供し
問題があるとおもえば国家を批判するということは、本当に大切な仕事であり、また民主
政の中で重要な役割を担っているのである。<残念なことに、今、多くのマスメディアは
批判精神を失い、その重要な役割を忘れてしまっているようだが。>
そして小泉首相は、行政府の長であり、国家の一部なのである。つまり、小泉首相が
日本国民や言論人、知識人が自分の参拝を批判することに関して、公の場で疑問や反論を
示すことは、ある意味で、国家が国民の表現の自由に関与、干渉する行為なのである。
小泉首相は(3)で書いた「おかしい人」発言でかなりの非難を受けたため、その後は
<この点は少し学んだようで>「理解に苦しむ」「理解できない」という表現を用いている
が、もしこれが「おかしい=異常だ」と同意で使われているなら、尚更に問題性が高い。
また相手の精神的自由権に基づく批判行為をけなして、自分の精神的自由権を訴えるの
であるから、私から見ればまさに「理解に苦しむ」身勝手な主張であるように思われる。
<つづきは ↓ More をクリック >
確かに小泉氏にも、一国民としての精神の自由は保障されている。「心の問題」とは
「内心の自由」のことを意味するのであろうが<(3)にも書いたが、これは「心の自由
(の問題)」と表現すべきであろう>、それも保障されている。だが、それはあくまでも
一個人、一国民としての場合である。
だが、一国の首相としては、全ての人権が国民と同じように保障されるわけではない。
何故なら、首相は憲法上に定められた国家機関の一部だからである。
たとえば、憲法13条は個人の尊厳を定める。個人の名誉もその一つであり、それは
刑法の名誉毀損罪(230条)でも保護されている。だが、もし名誉を毀損する行為をして
も、専ら公益目的で公共の利害に関する事実を示した場合には、真実であることの証明が
あれば処罰されないのである。(230条の2) これは政治家などに対して、情報や批判が
自由に行なえるように考えた規定であるが、小泉首相の名誉は一般国民と同じようには
保護されないのである。
靖国参拝に関しても、一般国民と同じように考えてはもらえない。憲法には政教分離
規定(20条3項)があり「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もして
はならない」と記されているからである。小泉氏が一人の国民として私的参拝をする限り、
憲法問題にはならない。<首相としての資質&道義や外交の問題にはなり得るが。>
だが、首相として行くということになれば、国家機関の一部なので、違憲な公的参拝に
当たる可能性が生じてしまう。
どんなに崇高な思いがあるとしても、首相として公的参拝すると言う以上は、憲法が
それを認めてくれないのである。
彼は、当初は「内閣総理大臣としての小泉純一郎が(参拝する)」と言っていたのが
誰かにアドバイスされたのか、近時では「一首相が一国民として」という表現に変えて
いる。靖国訴訟の際には、政府はこれは私的参拝だと主張し、また首相周辺の者たちは
「あれは私人としての参拝でしょう」とフォローしているが、小泉首相自身はなかなか
公の場で「私人としての参拝」であると認めようとしない。「一首相が一国民として」
なのである。彼がそう言い張る限りは、また靖国参拝に行けば、憲法訴訟が提起される
だろう。それは決して「おかしい」ことではない。憲法論から言えば、当然のことなのである。
<つづく>THANKS
自民党の憲法草案について書いた記事のTBを送りました。
全く,mew-run7 さんのおっしゃるとおりだと思います。
賛成派の私としては,「公的か私的かなどという質問はくだらないが,あえて分けろと言われれば,プライベートな時間の中で行っているのだから私的としか言いようがない」などと,一貫して言い張って欲しいと思います。
そういう意味では,賛成派から見ても「アブナイ」首相であります。
根本的な考え方としてこの国を一部の人間の食い物にしたくない人たちから見れば,「靖国参拝」などのような様々な考え方の違いを越えて,小泉首相は「アブナイ」と思います。
私は総合的に見て、首相、閣僚の参拝には反対の立場なのですが。
<実際のところ、公的、私的の区別はつけにくいと思うので。>
彼はおそらく遺族会側から、首相として堂々と行ってほしいという要請を
受けているのではないかと、考えたりします。
靖国参拝をすごく重んじる人たちから見れば、「私的」だと言い張るのは
何か悪いことをしているように感じるのかも知れませんね。
いすれにせよ『アブナイ」首相であることは、事実のようです。
大統領就任時に聖書に手をおいたり・・・など政府が宗教に深く関与していることから伺えるように、完全宗教分離に至っていない(むしろ不可能だと思いますが)ことがわかります。
ここでもし「アブナイ首相」がオ○ム等に多額の援助をしているとなれば違憲になると思いますが・・・。
自国に身をていして死んでいった者へ哀悼の念をもたない役人は殆どいないのではないでしょうか。
わざわざ「私的」と位置づけ参拝している姿は(一部反日3国家除く)他国に奇妙に思われているのでは・・・と感じてしまいます。
と参拝賛成派ですが「アブナイ首相」のどっちつかずな態度対応には呆れています。
実際のところ、どの国の政府も全く宗教との関わりを
持たないということはムリだと思います。
ただ、政教分離には、大きく言えば二つの意図があると
思われます。
一つは、信仰の自由を守るために、各国の政府が、恣意
的に一部の宗教を弾圧しないようにすることです。
もう一つには、政治が宗教と結びついて、戦争をしない
ようにしたいという考えがあるように思います。
これらは過去の世界の歴史から、人類が学んだ知恵だと
思うのです。宗教は、いい面では信仰として心の救い
になりますが、悪い面としてある種の洗脳的作用があり、
それを戦争に利用する人たちがいるからです。
<かつては宗教戦争も少なかったですし、靖国で会おう
という特攻隊や、イスラム過激派の自爆テロなどは、
そのいい例だと思います。>
日本の政教分離規定に関する議論で、どうしても靖国
参拝が前面に取り上げられてしまうのは、靖国神社が
戦争と深く結びついているからではないでしょうか?



