民進党の代表選は、いよいよ明日1日、投開票されるのだが。今週にはいって、メディアはもうほとんど取上げてくれず。(~_~;)
また、前原代表で勝負あったかのような伝え方をするとことが増えている。(>_<)
そんな中、知人から、「ねえ、小沢が前原を応援して、小池新党とも連携しようとしているってホント?共産党を入れて、野党4党でオリーブの木の構想を実現するんじゃなかったの?」の質問があったのだが・・・。本当だ!(ーー)
実際、小沢氏と前原氏は最近、こんな発言をしている。(・・)
おそらく小沢氏は、まずは民進党の保守派と自由党、小池新党を中心に連携して、社民党やで共産党とは選挙協力する形をとって。最終的には、民進、自由、小池(+社民?)で、保守新党を作ることを目指しているのだろう。それは、前原氏や他の保守勢力の目標とも合致するのだ。(-_-)
『小沢一郎氏「前原誠司氏は野党結集を打ち出す」
自由党の小沢一郎代表は24日、BS朝日番組の収録で、民進党の前原誠司元外相が党代表選(9月1日投開票)で勝利した場合、「念願の主張である野党結集を打ち出すと思う」と持論を述べた。
小沢氏は、前原氏が否定的な民進党と共産党との連携について「野党全体で共産党を除いた一つの集団ができれば、その上で個別に選挙協力を行えばいい」と指摘した。10月22日に投開票される予定の3つの衆院補欠選挙をめぐっては「その前に野党結集の合意を得て全力投球するべきだ。共産党が候補者を立てたら勝てない」と強調した。(産経新聞17年8月24日)』
『(小沢氏の発言)「確固たる野党共闘こそが、政権交代の近道だ。共産党はこちらと一緒になろうなんて思っていないし、こっちも思っていない。ただ、今の政権よりもマシな、国民の生活に目を向けた政権をつくらなきゃならない、という点では一致している」
「今の政権では将来の国が危うい、国民生活も危ういと思う人たちは、みんな一緒になって衆院選を戦えばいい」
「そのために、自民党に代わる受け皿になる勢力をつくらなければいけない。(中小の勢力が)四つも五つもあったのでは、受け皿とは国民は見なさない。だから、『一緒にならなければダメだ』とぼくは言っている。かつて民主党と自由党が一緒になったように」(withnews 17年8月30日)』
『民進党代表選 前原誠司元外相「自由党の小沢一郎氏はわれわれの政策理念に近い」
民進党代表選(9月1日投開票)に立候補している前原誠司元外相は29日、インターネットメディア「IWJ」に出演し、自由党の小沢一郎代表について「(他党の中で)もっともわれわれの政策理念に近い考えを持っている」と述べた。
前原氏は小沢氏と会食を重ねていると明かした上で、「(代表選公約に掲げた)『オール・フォー・オール(みんながみんなのために)』の理解者で、外交・安全保障政策も現実路線で一致している」と語った。自由党との連携については「最終的にどういう協力なのか、党内や他党との議論で深めたい」と述べた。(産経新聞17年8月29日)』
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そもそも小沢氏が93年に自民党を離れた最大の目的も、自民党と対峙し得る新たな保守政党を作り、日本に常に政権交代可能な保守二大政党制を築くことにあった。(・・)
<ちなみに、金丸元副総理も大金を(のべ棒も)用意して、後押ししようとしていたのだが。検察に発覚しちゃったです。(>_<)当時、組織作りに最低50億円ぐらい必要だと言われてたらしい。>
また前原氏も96年、民主党結党に参加して以来、ずっと民主党の保守化、保守二大政党制を作ることを目標に活動して来たものの、前原氏を支持しようとした小沢氏を「古い自民党の象徴」として拒否。長い間、党内で敵対していたことから、ここまで手を結ぶことはなかった。(・・)
しかし、後述するように、前原氏は昨年来、党内の支持を集めるために、小沢氏本人や松木謙公氏などの側近と交流。(松木氏を兄貴分としてヨイショするとか、涙ぐましい努力をしてたのよね~。^^;>
そして、ここでついに2人が手を組んで、民進党の組織や資金、小池新党への注目度もうまく利用する形で、まずは新たな保守系オリーブの木構想を実現。さらには、保守政党結党を実現しようとしているのだ。(~_~;)
小沢氏は、自分の容姿や話し方にコンプレックスがあるようで。自民党離党後、見栄えがよく弁舌さわやかなリーダーをオモテに立てて、国民の注目や理解を集める方がよいと構想。93年に、元自民党&日本新党代表だった細野護煕氏を担ぐ形で、当時の非自民8党をまとめて、自民党からを奪うことに成功した。(**)
しかし、やや強引な政権運営を行なったことや、細川氏のスキャンダルが報じられて退陣したことなどから、1年も持たず。逆に自民党が、40年来のライバルだった社会党(+さきがけ)と手を組んで、政権を奪還されてしまう。(-_-)<民進党が共産党と組むよりもスゴイことかも。この自民党の政権奪還への執念はすごかったと思う。>
<小沢氏はこの細川方式の早期失敗を強く悔やんでいて、それ以来、今でもずっと誰かを神輿に担ぐ形で、政権奪取することを狙っているようなところがある。(~_~;)>
ただ、小沢氏は、94年に非自民勢力を集めて、新進党を作るも、党運営がうまく行かず、98年に解散して、自由党を結成する。<この時、新進党、自由党と小池氏も共に活動するも、00年に袂を分かち、02年に自民党に移る。>
この頃、さきがけや社民党の一部が中心になって96年に作った民主党が、98年に新進党の一部を巻き込んで再結党し、拡大。小沢氏は03年に自由党ごと民主党に合流することを決断する。<mewはこの時、「イヤだ~~~」って叫んでいたんだけど。(-"-)前にも書いたけど、小沢氏は、民主党の組織力、資金力を活用することも考えていたのよね。^^;>
ここで小沢氏は、当初、同じ京セラの稲盛会長に支援してもらっている前原誠司氏に目をつけて、同氏を担ぐことを考えたようだ。(・o・)
というのも、小沢氏はもともとかなりの保守(早くから改憲案も発表)だし、バリバリの新自由主義派で、当時、(小泉首相から期待されていたほど?)バリバリのネオコン・ネオリベだった前原氏と考えが合う部分が多かったし。前原氏がまだ40台と若く、人気が集められると思ったからではないかと察する。^^;
しかし、前原氏は小沢氏の支持を拒否。05年9月に民主党の代表になるも、永田メール事件によって半年で失脚。で、06年4月に小沢氏が民主党の代表になり、鳩山由紀夫氏と組む形で、党内の支配権を握るのである。
小沢氏は、ここで小泉政権以来、新自由主義に転換していた安倍自民党を破るために、生活重視のリベラル路線に転換。社民党とも組んで、07年の参院選で自民党に勝利。自民との連立極秘会談とか、東京地検が陸山会事件で秘書を逮捕して代表辞任するなど紆余曲折あったものの、09年8月に鳩山氏をオモテに立てる形で、またもや自民党からの政権奪取に成功。(**)<そう言えば、前原も新自由主義だったのに、いまや「All forAll 」とか言い出してたりして。「皆が皆のためにって、何か共産主義っぽい言葉にもきこえるけど?^^;>
しかし、鳩山氏の普天間基地に関する「最低でも県外発言」から、10年6月には、鳩山代表辞任することになったことから、支配権を喪失。その後、小沢Gと非小沢Gの対立が激化して、10年9月に菅直人氏との代表選に敗れてからは、自民党と組んでの「菅おろし」をしようとしたことも。また次の野田政権で、消費税増税に反対して、12年にはグループを作って離党し、また自民党に政権を取り戻されるきっかけを作ったことから、細川政権、新進党につづき、民主党も壊したと批判されることもあった。<一時、細野豪志氏や橋下徹氏などを担いで、オリーブの木連立構想ぐことも考えていたようだけど。それもうまく行かなかった。(-_-;)>
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他方、前原氏は、05年に若くして代表になって、民主党を保守化するために綱領変更などを行なおうとしたものの、失敗。09年に政権与党になってから閣僚を歴任したものの、外国人献金問題で外相を辞任。(野田氏を裏切って出馬した?)12年の代表選では、予備選3位で決選投票にも進めず。
下野後は、橋下維新との合流を目指すが、これもうまく行かず。16年の代表選でも、蓮舫氏に負けてしまい、このままでは下手するとパッとしないまま、何とな~く政治家を続けて行くような人生になりそうだった感じが・・・。
で、(06年に小沢氏が代表選の際に「変わらなくちゃ」と言ったように?)前原氏は、とりわけ昨年の代表選敗北後、40人しか議員の支持を得られなかったことを反省し、変身の努力をしたとのこと。何より、好き嫌いで人と付き合うのもやめ、小沢氏や小沢側近などとも交流を持つなど多くの議員や団体と積極的に接触して、自らの営業活動で、協力、支持してもらえる範囲を拡張したという。
『「前原誠司は変わった。日本のために」
前原氏は、昨年9月の党代表選で、こう記したパンフレットを配った。「現実を見ずに理念だけで突っ走る」などと揶揄(やゆ)されたことへの反省を込めていた。』
そして、その行動力が実り、今回、蓮舫氏辞任直後には、もう代表選で国会議員+αの支持を7割以上とりつけていることが判明。戦いを優勢に進めつつあるのだ。^^;
『前原氏がもう1点、失敗だったというのが「政治を人の好き嫌いで行い」旧民主党を分裂させたことだ。下野後、旧民主党政権で敵対した自由党の小沢一郎代表と定期的に会うようになった。
前原氏は「『民進党』の名前にこだわらない」とも語るようになった。小沢氏は、野党勢力が比例代表で統一名簿を作成する「オリーブの木構想」が持論だ。民進党を離党した細野豪志元環境相には「将来一緒にやれるという思いを持ち、信頼関係をつなげたい」と秋波も送っている。かつては橋下徹前大阪市長と連携を模索したこともある。
前原氏に近い松井孝治元官房副長官は「挫折を経て自身へのネガティブな意見ものみ込むように度量が広がった。首相を目指すラストチャンスと覚悟を固めつつあるからだろう」と分析する。ただ、意見の異なる勢力を包む「変化」は、野党再編の引き金となるかもしれない。(産経新聞17年8月24日)
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前原氏の営業活動は、mewから見ても、ホント涙ぐましいほどで・・・。
『やや旧聞に属するが、さる2月22日、東京・飯田橋のホテルで民進党の松木謙公衆院議員の「新年会&誕生日会」が開催された。松木氏は、会場に駆けつけた前原誠司元外相を持ち上げつつ、こう言い放った。
「前原さんは昔は一番の敵でした。しかし、もうちょっと早くお会いしていたらよかったなあと思うぐらい素敵な人で、こういう人に日本のトップになってもらいたい」
「一番の敵」と言った理由は、旧民主党時代にさかのぼる。当時、松木氏は小沢氏の側近として名をはせていたのに対し、前原氏は「反小沢」の象徴的な存在だった。前原氏は平成24年11月に出版された著書「政権交代の試練」(新潮社)で小沢氏について「自民党の最も古い体質を引きずった政治家」と批判的に記している。あれから5年近くが経過した。松木氏のラブコールに対し、前原氏は「これからも松木さんについていきますので、兄貴分としてお体には気をつけていただきたい」と応じ、相思相愛ぶりを印象付けた。(産経新聞17年4月5日)』
実は、国会議員としては、前原氏の方が年数も実績も断然上なのであるが。松木氏の方が4つ年上であることから、兄貴分扱いしてヨイショしたのである。^^;
『前原氏が松木氏を「兄貴分」と慕う。松木氏も周囲に「前原氏は変わって良くなった」と漏らす。多数派工作を展開する上で、互いが互いを必要としているのは明白だ。
誕生日会には松野氏も顔を出していた。松木氏はそれぞれのイニシャルを取って「スリーMということで頑張っていく」と気勢を上げた。
松木氏は、松野氏が4月5日夜に発足させる派閥「創新会」の中枢メンバー。次期代表選では前原氏率いるグループ「凌雲会」と「創新会」が連携する形で、「スリーM」が「ポスト蓮舫」政局のカギを握る可能性が高い。松野派内には早くも「前原代表-松野幹事長」という構想すら浮上している。(同上)』
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小沢氏に近い松野氏や松木氏は、いったん民主党を離党したものの、維新経由で民進党に合流8実質的に復党)。前原氏と協力して、改めて小沢自由党と民進党との連携&保守新党結成を目指していて。今回の代表選でも、前原氏の推薦人に加わって、全面的に応援している。
旧小沢Gの保守系議員も、前原氏の支持を表明している人が極めて多い。(-_-)
そこに、日本新党で前原氏と当選同期で、小沢氏とも活動を共にしていた小池百合子氏が都知事に当選して、次は(橋下維新に代わって)小池新党の国政進出が注目されることに。(・o・)
実際のところは、国政進出への期待は国民よりも保守系の政治家、識者の方が大きいようだけど。ともかく今は、非自民党の保守系の勢力を集めて、また政権を奪取したい(+保守二大政党制を実現したい)という国会議員が、小池新党を利用して「今度こそ」とばかりに保守新党を結成しようとしているのである。(~_~;)
そのような動きを見ながら、ついに日本が戦後築いて来た「平和・リベラル志向の政党を選べる民主主義」が終わっちゃうのかな~と。そして、このまま日本の国会がどんどん保守化して大政翼賛会に近いものになって、日本がマジでアブナくなってしまうのではないかと、強く憂慮しているmewなのだった。_(。。)_