堀江氏逮捕に思うこと(5) ~宮内氏ら38歳組から始まる 「魔の7YEARS」の世代~
2006年 02月 05日
返ろうと思って、アレコレ調べつつ書き進めていたのだが・・・。
<ちなみに堀江氏は72年生まれの33歳である。>
実は同時に、すごく気になっていることがあった。今回、堀江氏と共に逮捕された
ライブドア社幹部の宮内氏、岡本氏、中村氏は3人とも38歳、67年生まれなので
ある。さらに沖縄で死亡した元・取締役の野口氏も同じであった。付け加えるなら、
今も同社取締役でライブドア証券社長の羽田氏もそうなのだ。
偶然なのか、必然なのか、小さな会社で、幹部にこれだけ67年生まれがそろうの
も珍しいことではないだろうか?
で、一体、67年生まれというのは、何か特別なことでもあるのだろうかと、考え
始めたのである。
<つづきは ↓More をクリック>
先に言えば、私は何か(特に犯罪とか)あった時に、時代とか社会とか家庭環境とか
のせいにするのは好まない。どんな時代&どのような社会や環境で育っても、きちんと
まっとう生きている人はたくさんいるからである。
ただ、「三つ子の魂百まで」という言葉もあるように、自分自身のことを考えても、
人は生まれ育って行く中で、時代や社会や家庭環境の影響というのは、大なり小なり
受けているものだと思う。特に価値観の形成に対する影響は大きいであろう。何がいい
ことかよくないことか、何がより価値が高いことか・・・周囲にあるものをそのまま
受け入れてしまう場合もあれば、その時点またはその後に否定、反発する場合もある。
だが、受容するにせよ、否定するにせよ、その基点は家族や周囲の者や各時代の社会
などから与えられるのである。
そして、それらを考察することは、それなりに意義があるのではないかと思う。
その考察は、現在及び未来の社会作りに活かすことができるからだ。
で、話を戻すと・・・私は67年生まれの人に、チョットした特殊性を見つけたの
である。それは66年の丙午の翌年であったため子供の数が急増した年であり、また
当時、受験界で言われた「魔の7YEARS」の最初の年の子供たちだったのである。
(ただし、同じ67年生まれでも、誕生日によっては前の学年にはいる。)
66年は、60年に一度の丙午の年だった。丙午に生まれた女の子は、気性が激しく
お嫁に行きにくいという迷信があり、この年は出産を控える家族が少なからず存在した
ため、その分67年生まれの子供が多くなってしまったのだ。
<丙午の説明&人口分布図はコチラ。人口分布表はコチラ。前者は95年、後者は03
年作成の表なので、計算した上で読みとって下さい。)
日本は戦後、第一次ベビーブーム(俗にいう団塊の世代)を迎え、その後しばらくの
間、出生数は落ち着きを見せるが、この67年以降また子供の数が増え始め、71~
74年の第二次ベビーブーム(俗にいう団塊ジュニアの世代)までの7年間、第二の
ピークを迎えることになる。67年組はそのスタートなのである。
さらに後述するような要因も重なって、中・高・大の受験戦争が激化したため、
この7年間を「魔の7YEARS」と呼んだのだそうである。
<堀江氏もこの分類では、同じ世代にはいる。>
では、彼らが物心ついてから少年期を過ごした70~80年代はどういう時代だった
のであろう?
この頃、日本は高度経済成長を遂げて、経済&社会的には安定期にはいり、「一億総
中流」という言葉が示すように、国民全体がやや裕福になり生活にも余裕が出て来た。
だが、この世代の親は戦中から戦後間もなくにかけて生まれた者が多い。彼らは戦後
の大変な時代を過ごし、50~60年代の高度経済成長の時代に一生懸命働いて来た者
たちであり、「地道にマジメにコツコツ努力すること」を美徳としていた。また、まだ
親の力が強く、子供にはある程度厳しくしなければならないと考える家庭が多かった。
また、自分は経済的理由で思うように進学できなかったり、また社会に出て教育や学歴
の重要さを実感したりする親が多く、「自分の子供には・・・」と思う人が少なくなかった。
この時代はまだ学歴社会や大企業安定神話(官僚はエライ神話も?!)が根強く、
「いい学校に行って、いい会社にはいれば(or公務員になれば)、それなりに高いレベル
で安定した生活が送れる。それが幸せな人生に繋がる」という定説&社会的価値観があっ
たのである。
<この頃は、浮き沈みが激しいかも知れない実業家よりは、安定したサラリーマンや
公務員の方が結婚相手としてベターだと思われていたりもした。>
そして上述のような思いを持った親たちは、経済的に少し余裕ができたこともあり、
子供の教育や進学に熱心になる者が多かった。この世代ぐらいから、小さな頃から
習い事や学習塾に通わせられる子が増えて来て、私立中高受験や大学受験なども一般
的になって行ったという。<当時「猫も杓子も大学受験」という言葉もあったとか?>
東京では、公立の中学でも毎月学力テスト(模擬試験)を行なうところもあったり、
内申点や模試の偏差値を入試の参考にする私立高校が出現するようになり、日常から
それらの数字に追われる生徒も少なくなかったという。
おそらく進学の受験だけでなく、スポーツや他の世界でも競争が激しい世代だった
のではないかと察せられる。
<ちなみに、そのひずみとして70~80年代には暴走族の活動が盛んになり、学校
では校内暴力、スケ番、いじめなどが問題になり始めた。それらを問題提起せんとして
80年に始まったドラマが「3年B組金八先生」(TBS)である。昨年、特番ドラマが
放映された「積み木くずし」の出版が82年だったそうだ。そして知人の記憶によれ
ば、競争に疲れたりついていけなかったりしたものの、非行行為をする性格でもない
生徒の中には「無気力人間」になる者もいたのだという。>
・・・と、ここまでで、だいぶ長くなってしまったのだが。^^;
しかし、競争社会を生き、地道にコツコツ少しでも上を目指すことを親や社会に強い
れて来た彼らに、定説や価値観を揺るがすようなことが起きるのである。バブル&その
崩壊である。
<つづく> THANKS
気が向いたら、横のメモのとこにある「ぶろぐ村」や「ブログランキング」に投票して下さい。
ところで、BLOGランキングはクリックだけでOK?
ふと考える・・・。小泉はどんな時代背景からあんな馬鹿に育ったのだろうか?
いや、あいつだけは特別で、どの時代に出てきても馬鹿なのだろうなあ~と・・
とても興味深い記事、読ませていただきました。
ほんとうに日本は危ないと思います。
80年代、日本のふわふわしていた生活に耐えられず一人で海外へ出ました。あの頃もてはやされていた女子大生にだけにはなりたくないなといつも思いながら中学、高校時代をおくりました。内申書や偏差値ばかりに振り回されて大きくなってきた世代です。本当に生きづらかった。今生きている自分が不思議になるくらいです。当時、近所に兄弟姉妹7人の大家族がいました。うらやましい家族でした。いつも洋服は、古いお下がりを着まわしていました。裕福ではありませんでしたが、楽しくてしあわせそうでした。誰も習い事にも塾にも通っておらず(でも、みんな優秀でした)、わいわい、がやがや生活していました。
たいした努力しなくても、学校を卒業でき、就職も引き手あまただった良い時代でした。(笑)
たしかに元気の良いバカは多いです。
バカもほどほどにってことでしょうかね?(笑)
20年ぐらい前だと、バブル期にもさしかかり、まさにお受験ブーム
(幼稚園、小学校受験まで熱心な人が出て来た)ですね~。
でも、地方では私立が少ない分、県立OO高校にはいらないと大学に
行けないとか言われて、大きなプレッシャーをかけられたとききます。
平和でそこそこ平穏な社会ではあったけど、子供たちはその分、大変な
部分もあったように思うです。
「ぶろぐ村」「ランキング」はおそらく、それぞれをクリックすればOKなのでは
ないかと思います。<人に薦められて、貼ってみたんですけど、実は
よくわかっていないんですよ~。^^;>
よろしくお願いします。
小泉くんは、42年生まれなんですね~。
彼の場合は、政治家一家で地元の名士のボンとして生まれたので、
当時は周囲も一線を画して接していたでしょうし、世俗的な感覚に
乏しいのかも知れませんね。<けど、地元の県立高出身なんですよね>
TV等で子供の頃のことをやっていたのを見たことがありますが、
同級生たちは口をそろえて、おとなしかった、目立たなかったと
言ってたように思います。
けど、歴史書はよく読んでいるようですね。もうチョット近現代史も読んで
お勉強して欲しいです。
社会全体から見れば、そこそこ平穏で、経済的にも悪くない時代でしたが
その分、子供たちは妙な価値観に縛り付けられたり、いつも追われている
ような感覚になった時代だったように思います。
このあと書こうと思いますが、ともかく早くこの状況から抜け出したい、
自分の生活(生き方)、自分の時間を早く持ちたいと思っていた人は
多いのではないでしょうか?
ご近所のおうちの和やかな感じが伝わって来るようです。
その家なりの価値観を持って暮らす、今なら当たり前のようなことが
あまり見られない時代だったような気がします。
あらびあさん、そうだったんですか~???
このあと書くと思いますが、実は67年大卒組は、バブルの時の就職で
おいしい思いをしたんですよね~。(笑)
SMAPの曲によれば、「どうせバカなら元気のいいバカがいい」とのこと。
<クドカン作詞です。>
いや、あらびあさんは、マジメにコツコツやっていてエライと思うですよ!
地元の名士のボンとして生まれてまぁ~す。
県立校出身でぇ~す。
大学の一芸一能推薦が始まったのも俺の年代でぇ~す。
この辺から個性化時代の幕開けでぇ~す。
俺は同じ馬鹿でも、こんな所で他人を馬鹿呼ばわりするようなことはしませんぜ。俺は馬鹿という言葉は必ず面と向かって言う。それも親しい仲間にしか使わんよ。
ちょいとそれは違うやろ、おかしいぞ、変だぞ、というときに相手に気が付いて欲しい愛情表現に使ってますけど(俺だけか?
馬鹿って言葉を簡単に使うもんじゃない。
俺からすれば、ここで馬鹿馬鹿言ってるやつは、おのれはそんなに偉いんかぃ!ってな感じですけどね。
何か寂しくなったよ。
さいなら。
mewさん、申し訳ない。削除しといてもらえませんか?
ま、世の中なんでも支持不支持があるから仕方ないが、酷い目に遭ったりしても言葉を選んで発言しけりゃいけないってことはよく分かりました。
しかし・・・ムカツクほど酷い目に遭ってるからねえ~
あいつが首相になってから、どんどん生活も苦しくなってるし~
そのうち、不正義の戦争で孫が戦死でもしたらと思うと・・
紳士的に言葉を選ぶ必要はある。それは分かった。
でも、小泉にとっては「蛙の面にしょんべん」ってところじゃないの?
外野でのやり取りはどっか別のところでやってくださいね。
まずはMEWさんに敬意を表してランキングクリックでもどうぞ・・
(人の心配より自分の心配せぇ~~という気もするが・・・苦笑)
買い手市場だったお陰で、普通にしていれば(いやしてなくても)、自分の思う会社には大体の人ははいれました。
しかし、93年くらいから急に求人が減り、入社してくる後輩は、若さんのいう一芸に秀でた優秀な人間ばかり。
将来のリストラの対象となる年代かもと今から思ってます・・・。
実のところ、一昨年の「球界再編問題」の時には、私は完全にホリエモン支持・「老害」批判の立場でした。トラックバックした2つの記事は、当時のことを振り返りつつ自己批判に近い思いで書いたものです。
今後ともよろしくお願いします。
いつも時代認識というのは大切ですよね。自分はその当時何をしてたかなーなどと感慨にふけってました。
若さん、コメント有難うございます。
若さん、地元の名士のボンにしては、働き過ぎかも~~~。(笑)
そうなんですよね~。もうすぐブログに出す予定です。一芸入試。
今はAO入試とか自己推薦って言ったりするんだけど、大学によっては
中身はあまり変わらない所もあるです。
馬鹿という言葉に関しては、それぞれの考え方があると思うです。
若さんのそういう考え方は、理解します。
ただ、あまり腹が立つことをしたりされたりしちゃうと、そう言いたく
なることもあるんですよね。それも理解して下さいね。
もうすぐ河津桜の季節ですね。お仕事、頑張ってちょ。
もしよろしければ、このまま削除せずに残させて下さい。
私は色々な意見があっていいと思いますし、妙なCMや、公序良俗に反したり
不法行為に当たると思われるコメント以外は、私に対する批判なども含めて、
削除をしないで行こうと思っているのです。
若さんは小泉支持者云々と関係なく、若さんなりの考えを述べただけですから。
それはそれで一つの意見として尊重したいと思いますし。
でも、私も正直、何度、ブログの記事に小泉氏のことをXXと書こうとしたか
わかりませんから、nikeさんのお気持ちはよ~くわかるです。
どうかあまり気になさらずに、お好きなことを書いて下さいね。
そして、お気遣い有難うございます。
そうそう。mewのお知り合いは、毎日、上下を1回ずつクリックして頂か
なくっちゃだわ。(笑)
お陰様で、何だか順位がだんだん上がっているようです。
そうなんです。私、ある企業のエライさんがぼやくのを耳にしたことが
あるですよ。「あのバブルの時に、やたらと人をとり過ぎた」と。
ちょうど管理職になる年齢にさしかかりますし、確かにこの年代は大変
かも知れませんね。
>若さんのいう一芸に秀でた優秀な人間ばかり。
これは、マジにとっていいの? それとも皮肉?
このあとの時代の人は、本当に就職が大変だったんですよね~。
私も少し前に書きましたけど、ホリエモンが上場して、会社が少しずつ大きく
なって行った頃は、そこそこ好感を抱いていたのです。
プロ野球やフジTVの時は、「おいおいっ」と思いましたけど。
チョット急ぎ過ぎかな&強引かな、と。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
私もこの頃を思い出しながら、書いています。
特に青少年期というのは、時代の影響は大きいかもな~と
改めて思う部分があります。
私のあとから入ってきた人が一芸に秀でて優秀っていうのは、本当ですよ。
新入社員で、すでに英会話ができるとか、難しい資格を持っているとか、「え?なんでこの会社(メーカー)に入社したの?」って感じでしたよ。
いや、若さんが一芸入試のことを書いていたので、どっちの意味
なのかな~と。^^;
だって、バブル崩壊後の就職は大変だったんですもの~~~。
もう少ししたら、その恨みつらみを書いてみたいかと。(笑)
<あ、私は就職活動したことないんですけどね。(・・)>
これから少しずつ多様化&混迷化して来た価値観の変化について
書いて行きたいと思います。よろしくお願いします。