安倍は何故、非常災害対策本部を設置しない?+オウム松本に関して引っかかっていたこと~控訴棄却等


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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】  


【全英テニス、大坂なおみは元1位・第11シードのケルバー(独)とセンターコートで対戦。ケルバーはしっかりと守って強打を封じた上で、コースを攻める彼女らしい試合運びを展開。大坂は、自分のペースを崩されて、持ち味が出せないまま2-6、4-6で敗れた。<ここから色々な人と戦って、こういう上手い人と戦う術も身につけよう!o(^-^)o>
 ダブルスは、女子は穂積・加藤組、二宮・カラシニコワ組が1回戦、青山・ブラディ組が2回戦で敗退。二宮は混合も出てたけど、初戦敗退。男子は、西岡・D太郎が初参戦も、初戦敗退。また内山靖崇が独選手と組んで夢だった全英に初出場し、シード・ぺアから1セットとるも敗戦。14シードになったマクラクラン勉・ストルフ組だけが、3回戦に進出している。"^_^"
 今月から、フェデラーがユニクロとユニフォーム契約。<袖には英文字だけでなく、片仮名の「ユニクロ」という文字も。・・・35歳の選手と10年契約(300億円以上?)結ばせるエージェントもすごいね。(・・)>もしかして同じユニクロの錦織と、どこかでダブルスも組むのではないかと期待されているらしい。<エキジビションはやると思うけど。他はどうかな~?^^;>】

* * * * *

 西日本地域での豪雨による河川の氾濫や土砂崩れ、水かさ増大などによる被害が拡大。7日夜の段階で、51人が死亡、76人が不明。うまく避難できず、孤立化し、救助を待っている人が多数いるという。<屋根の上で救助を待つ人々の姿を見て、思わず東北大震災の津波のことを思い出した人も多いのではないだろうか?>
 まだ確認できないものの、家屋や道路、河川などの損害も甚大であることは間違いない。(-"-)

 ところが、これだけの大きな被害が出ているというのに、政府は非常災害対策本部を設置しようとせず。
 安倍首相は7日の午前中に首相官邸で「5日からの大雨に関する関係閣僚会議」を招集し「先手先手で被害の拡大防止に万全を期してほしい」と指示を行なったそうなのだが。首相動静によれば、何とお昼の12時前には自宅に帰ってしまい、ずっと自宅にこもっている。 _(。。)_

 ネット上では、「何故、非常災害対策本部を設置しないのか」「政府としての対応はしなくていいのか」「11日からのヨーロッパ外遊を中止するのがイヤだからか」などの疑問、批判の声が飛んでいるという。(@@)

<実は安倍首相は7,8日は、総裁選の活動のため宮崎、鹿児島を訪れる予定だったのだが、南九州も豪雨被害がかなり出ているため、日程をキャンセルしたためヒマに。菅長官が毎度のパターンで「自宅でも常に被害状況の連絡を受けて、対応を指示している」と説明するのは目に見えているのだけど。被害がここまで拡大しているのがわかったら、せめて公邸で待機しておいて欲しいよね~。それとも体調がイマイチなのかな?(-_-;)>

* * * * *

 安倍第二次政権になってから、震災だけでなく、大雨による大きな災害が何度も起きているのだが。安倍首相は、いつも対応が遅く、後手後手に回っているのである。<広島の時だったか、連絡があったのに、ゴルフをすぐにやめようとしなかったなんてこともあったしね~。(-"-)>

 官邸はもしかして「8~9日になれば雨がやむので、外遊はOKだろう」とかいう甘い考えを持っているのかも知れないが。雨がやんでからも危険な状況は続くし、そこからの方が今後、避難者の対策をどうするか、道路や河川その他のインフラをどうやって早く修復するか、当面の予算はどうするのかなどの問題が出て来るわけで・・・。

 今後の大地震が起きる可能性が大きい&大雨や台風による被害も増えるかもと言われていることを考えると、国民の生活を守るためにも、早く安倍政権を終わらせた方がいいと思うmewなのである。(-"-)

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 話は変わって、6日にオーム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)元教祖(63)と6人の元幹部の死刑が執行された。(-"-)

 1日に7人も死刑を行なうのは異例のこと。98年11月に法務省が死刑執行の事実と人数の公表を始めて以降、最多の同日執行だったとのこと。
 また、元幹部の拘置所に関する対応も異例であったに違いない。^^;

『オウム裁判が終結した1月以降、法務省は執行に向けた準備を本格化。一斉執行を視野に死刑囚を全国各地の拘置施設に移送して分散させ、後継団体による報復に備えた警備態勢を整えていった。「平成に起きた象徴的な事件の犯人の執行は平成のうちに」。省内でこんな言葉もささやかれるようになった。(スポーツ報知18年7月7日)』
 
<それゆえ、今年にはいってから、複数または13人の幹部全員が同時に死刑執行されるのではという観測が飛んでいた。また「平成の事件は平成のうちに」「総裁選や皇室の大きな行事に重ならないように」なんて言葉も目にする機会が多かった。^^;>

* * * * *
 
 誤解がないように、先に言っておくなら、mewはオウム真理教が起こした諸事件は決して許されるものではないと思うし。個人的には死刑慎重派ながら、彼らが死刑に問われても止むを得ないと思う部分がある。(・・)

 特に95年の地下鉄サリン事件は、全国の国民、特に東京の都民や通学・通勤者をギョッとさせるものだった。mewも、当時、家族が地下鉄を使って日比谷近辺に仕事に行っていたのだが。まだ携帯電話もない頃だったので、本人と連絡がつかず。心配で会社に電話したところ、まだ着いていないし、連絡もないとのことで、め~っちゃ心配させられて。<電車が途中で止まった上、公衆電話待ちもいっぱいで、会社に連絡できなかったらしい。>それゆえ尚更に、一般市民を標的にするような無差別テロは許せないという思いが強い。(ーー)

 しかも、オウムは銃器を入手したり、サリンやVXガスなどまさに戦争時に使用するような化学兵器の製造や入手もしていたわけで。それを考えると、捜査などにおいて、厳密に言えば問題はあっても、多少、乱暴な手法を用いたり、異例な過程を経たりしても致し方ないように思う面もある。(-_-;)

<もう一つ付け加えるなら、他の宗教団体なのだが、mew周辺でも、宗教団体に入信し、洗脳されて、集団生活を始めたり、異国に消えたり、何かを売ろうとしたりなどなど様々な問題が生じている人がいたので、ますます考えさせられたところも。(勧誘や販売行為などは、被害者だった人が加害者に転じるケースもあるんだよね)mewは当時、初めて宗教的な洗脳を受けた人の顔つきや話し方の異常さ、もとからの変わり様を見て、本当にぞ~っとさせられた。(-"-)>

* * * * *

 ただ、あえて言うなら、このオウム真理教の裁判や諸問題に関して、どうしても引っかかっていることが一つあるのだ。
 それは、松本智津夫(麻原彰晃)元教祖の死刑確定の仕方である。(**)

 松本元教祖は、地方裁判所のいわゆる「一審」の裁判、判決しか受けておらず。本人は一部を除いて容疑を否定しており、弁護側も控訴するつもりでいたのだが。弁護団が裁判所側とチョット闘争していた(やり合っていた?)こともあり、何と控訴棄却されて、死刑が確定してしまったからだ。(@@)

 もし松本元教祖が控訴を求めていたとしたら、彼らはある意味で、本人の裁判を受ける権利を阻害したことになるし。松本元教祖本人の主張をきくことができず、少しでも真相を究明したいと考えていた人たちからその機会を奪うことにもつながったのである。(-_-;)

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松本元教祖の一審は96年4月に開始。検察側は裁判の進行を早めるため事件と被害者の数をしぼる作戦に出たのだが。それでも17事件26人(死亡した被害者)の審理を行なうにはそれなりの時間がかかることから、04年2月に死刑判決が出るまで8年近くかかった。<弁護側が引き伸ばし戦術を行なってるとの批判もあった。>
 また、その8年の間に、松本被告(当時)は精神的に不安定になり、不規則発言や意味不明の発言を行なうようになっていた。(演技や仮病だと疑う声がある一方、ずっと独房にいたので拘禁反応ではないかとか、全てを失った絶望感による精神疾患になったのではないかなどの見方もあった。)

 一審の弁護団は即日で東京高裁に控訴。二審の準備を他の弁護団に引き継いだのだが、ここで東京高裁のとの闘争(やり合い、駆け引き?)が始まることに。^^;
 
 詳しい経緯は*1にアップするが。東京高裁は控訴趣意書の提出期限を05年1月11日に定めたのだが、弁護団は1審判決後、松本氏に36回も接見したものの、意味不明な声を漏らし意思疎通が不可能であるとして、公判停止を申し立てた。<東京高裁の須田裁判長は、04年12月に本人に面会し、「控訴趣意書は弁護士に作ってもらってもよい」「提出期限を延ばすつもりはなく、棄却もありえる」と説明したと主張。>
 そこから、松本被告の精神鑑定や控訴趣意書の提出期限の延長などなどを巡って、東京高裁と弁護団の間でアレコレとあって。弁護団は06年の3月28日に控訴趣意書を提出することを表明していたにもかかわらず、東京高裁が、あえてその前日の3月27日に控訴棄却を決定。その後、特別抗告も棄却され、松本被告は、こ2審の審理を受けることができないまま、死刑判決が確定してしまったのである。 _(。。)_

 果たして松本被告が、当時、精神的にどのような状況にあったのか。2審の審理をした場合、少しは何かの説明や意見を述べることができたのか、mewには知るすべもないが。被害者や遺族、オウム関連の識者の中には、2審を開いて松本被告の関与なども含め、もっと真相を究明して欲しかったという声が少なくなかったのは事実だ。(・・)

 他方、当時、政府サイドに「松本元教祖をこれ以上、オモテに出さない方がいい」「オモテに出すと、信者に影響を与えるし、オウム問題がなかなか終わらない」という意向があって、裁判所もそれに沿うような対応をしたという話も、何回か見聞したことがある。(-_-;)

* * * * *

 その後、松本元教祖は、全くオモテに姿を見せることはなくなったし。家族も08年以降は、面会をずっと拒否されていたため、1回も会っていない。<拘置所側は、面会に行くたびに、本人に面会の話を伝えても、部屋を出ようとしない(=面会を拒んだことになる)と説明しているという。>
 東京拘置所は近時も、職員の手助けがあれば運動や入浴などもできていた、精神科医は「明らかな精神的な障害は生じていない」と診断したと説明しているのだが。松本元教祖を目撃した人たちは、「生気がなくて自分では動けなかった」「車椅子に乗せられていた」「排泄に問題があり、周辺も汚れていた」などの情報を寄せている。(-_-)

 果たして本人が、自分の裁判のことをどこまで理解できていたのか、控訴棄却されて死刑判決が確定していたことをどのようにとらえていたのか。もはや知る術もないのであるが・・・。 

 オウム真理教や松本元教祖の罪がいかに深いとしても、もし被告本人の意思に沿わずに控訴棄却に至ってしまったとすれば、裁判所も弁護団も問題があると思うし。また、もし信者への影響を懸念したのだとしても、政治的な意向もあって、松本元教祖をオモテに出さないために控訴を棄却したとか、何か不都合なことがバレると困るので家族との面会も許容しなかったとすれば、それもまた問題があるのではないかと。
 この十何年、ず~っと引っかかっていたので、死刑執行を機にそのことをチョット書いておきたいと思ったmewなのだった。(@@)

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*1 wikipedia 麻原 彰晃

控訴審(東京高裁)

第一審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった。松井武と仙台在住の松下明夫の2人の弁護団が後を引き継いだ。東京高等裁判所は控訴趣意書の提出期限を2005年(平成17年)1月11日と定めた。弁護団は1審判決後、松本に計36回接見したものの、弁護団の問いかけに無反応で意味不明な声を漏らし意思疎通が不可能であるとして、公判停止を申し立てた。一方、東京高裁の須田賢裁判長は、2004年12月10日に麻原と面会し、「控訴趣意書は弁護士に作ってもらってもよい」「提出期限を延ばすつもりはなく、棄却もありえる」と説明した。

2005年(平成17年)1月6日、東京高裁は麻原の精神鑑定を求める特別抗告を棄却しつつ、控訴趣意書の提出期限を同年8月31日まで延長することを決めた。

同年8月19日、東京高裁は弁護団に対して精神鑑定の実施を伝えた[web 27]。弁護団によれば、このとき高裁は「鑑定形式による鑑定人の意見が出るまでは控訴棄却はしない」と明言したとされる。提出期限の8月31日、弁護側は控訴趣意書の「骨子」を持参したが、高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などに関する申し入れが拒否されたことを理由に提出を拒んだ。9月3日、高裁は控訴趣意書を「直ちに提出することを強く求める」文書を弁護団に送付した。2005年(平成17年)9月、東京高裁は麻原被告の精神鑑定を西山詮に依頼した。

2004年(平成16年)10月以降、弁護団は独自に精神科医に依頼して鑑定を実施した。中島節夫・中谷陽二・野田正彰・秋元波留夫・加賀乙彦など、計7人の精神科医はいずれも訴訟能力を否定または疑問視している。一方、高裁の依頼を受けて鑑定を行った西山は「拘禁反応はあるが拘禁精神病の水準には達しておらず訴訟を続ける能力を失っていない」とし、高裁は2006年2月にこの鑑定書を受けとった。

高裁はこの鑑定書への反論意見書の提出を2006年3月15日までとした[web 29]。弁護側は提出期限の1ヶ月延長を高裁に申し立てたが、認められず、結局期日通りに意見書を提出した。

2006年(平成18年)、弁護団は3月28日に控訴趣意書を提出することを表明していた。しかし、東京高裁(須田賢裁判長)は、その前日の2006年3月27日、控訴棄却を決定した。この控訴棄却の決定は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、刑事訴訟法の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。

これについては、弁護側が裁判引き延ばしのため控訴趣意書を出さないことで裁判所と危険なチキンレースをやって負けたという弁護側批判、裁判所のだまし討ちであるという裁判所批判の両方がある。

弁護団はこの決定に対し、2006年(平成18年)3月30日に東京高等裁判所(白木勇裁判長)へ異議申立てを行ったが、同年5月、棄却が決定された。「裁判所は『精神鑑定の意見が出るまでに提出すれば認める』と明言した」とする弁護団の主張については、「裁判所はその日のうちに見解を訂正した」として退けた。



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by mew-run7 | 2018-07-08 06:55 | 政治・社会一般