民主党の仙谷元官房長官が他界。理想高きリアリスト、よくも悪くも存在感ある後方実力者



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 民主党で活躍した仙谷由人氏(72)が、11日に肺がんで亡くなっていたことがわかった。心からご冥福をお祈りしたい。

 ふと思えば、元祖民主党ができたのが30年以上年前、政権をとったのも約10年前で、何だかすご~く昔のように感じてしまうのだが・・・。(~_~;)

 仙谷氏は90年に社会党から衆院選に当選したのだけど。落選後、96年には元祖・民主党から当選し、2012年まで計6期、衆院議員を務めていた人で。民主党が2000年代前半に成長して行く過程でも、政権をとった時も、党内で(いい意味でも悪いでも)かなり存在感を示し、「影の総理」と呼ばれたこともあるほど、政権運営にも大きな影響力を及ぼしていた人だ。(・・)

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 仙谷氏は、もちろんmewにとって、印象深い議員であることは確かだし。リベラル系議員として、時に言ってることは筋が通ってたり、賢い政策立案や判断をしたりして、優秀な議員だとは思っていたものの、何分にも前原Gのアニキ分的存在だった上、小沢氏との対立などで、民主党内を引っ掻き回すことも多く、もう少しうまくやってくれればな~と思うこともしばしばあった。_(。。)_

 他方、2010年の官房長官時代、尖閣諸島周辺の漁船衝突事件で、船員をすぐ釈放させたことから、超サヨク、中国シンパ扱いで、めちゃくちゃ非難、敵視されたし。その意味では、彼らにとって印象深い存在かも。
 また民主党内では、小沢嫌いで有名で。反小沢派の急先鋒として知られたため、小沢ファンからも敵視されており、不快な存在として印象に残っているかも知れない。(~_~;)

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 仙谷氏は徳島出身。ちょうど60年代に迎えた東大法学部時代は、学生運動も行なっていたようだが。在学5年次に司法試験合格し、弁護士として活動。かなり知識も豊富だし、アタマのいい人でもあった。
 
 本人は、自分がTOPとしてオモテに出るタイプではないと考えていたようで。誰かをサポート、指南する役割、参謀役などを演じようとしていた感じが。

 ただ、菅元首相が「有能で何でもこなせる人。本来なら先頭に立ってもいいのに、後ろに回って支える実力者だった」「黒子というほど隠れてはいないが、どちらかと言えば、後ろに回って支える、そういう実力者だった」と語っていたのだが。
 黒子や番頭役に徹することもなく、いざという時は前に出て来ることも少なからずあった。(・・)

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 公明党の斉藤鉄夫幹事長が、「(自民、民主、公明の)3党合意では、いろんな法律の議論をいっしょにさせていただいた。理想は掲げながらも現実に何ができるかを考えるリアリストだった」と哀悼の意を示していたのを見て、まさにそういう人だったな~と思ったりして。

 もともと社会党系でリベラル志向の人ながら、かなり現実主義な人で。党内では、何と前原グループ「凌雲会」に所属。前原誠司、枝野幸雄氏を育てたと言われている。(・・)

 また、保守二大政党制を目指していたを渡部恒三ご老公が、次世代の保守系リーダーを育てるために作ってた「七奉行の会」にはいってたことも。ちなみに、この会のメンバーには他に岡田、前原、野田、枝野、野田、玄葉、樽床、安住がいたのだが。社会党出身なのに、保守系を育てるの会にいるって変でしょ?それだけリアリストだって言えるかも。^^;>

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 菅内閣で官房長官を務めるも、尖閣漁船問題で参院問責決議が可決された上、野党・自民党の攻撃がひどかったため、11年1月に辞任することに。
 しかし、同年3月に東日本大震災が起きて、菅首相と若い枝野官房長官が大変な思いをしているのを見て、官邸&被災者を助けるために(長官経験者なのに格下の)官房副長官として内閣入りし、被災者対策に力を尽くした。<この時は、官邸は原発事故もあって他変だったし、自民党が非協力的だったので、本当にありがたかった。(++)>

 12年末、自民党が政権奪還した衆院選で落選し、政界を引退。その後は、いわば政治評論家として、TVや雑誌などに出ていたが。政界全体を俯瞰してのリアリストの説明はとてもわかりやすく感じられた。ただ、引退後は、アンチ安倍だったこともあって、やや平和&リベラル志向の理想を重視しているように見えた。^^;

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 仙谷氏は民進党の分裂を残念がっていたそうで。何か合流の手助けをしたいと考えていたらしいのだが。mewに言わせると、その分裂を主導したのは、それこそ仙谷氏がバックアップしていた前原氏なんだからね~ということに。(-"-) 
 頑張って、もうひとつの野党を作ったのは、枝野氏だけど・・・。"^_^">

<てか、その前にmewは、仙谷氏も小沢氏ももう少し大人になって、そのタヌキぶりを発揮してくれれば、民主党があんな風に露骨な党内対立を続けることもなかったし。12年にあんな形で分裂して自民党の政権奪還はともかく、安倍晋三氏にこんなに長期の政権をとられることもなかったのにと、今でもぶちぶち思うことがある。>

 ただ、いずれにせよ、旧・民主党の中でよくも悪くも存在感が大きい政治家だったのは確かだし、民主党の政権奪還や日本の国政にも影響を及ぼした人であったことは間違いないだろう。(**)

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『旧民主党政調会長や官房長官などを歴任した仙谷由人(せんごく・よしと)元衆院議員が11日午後10時30分、肺がんのため京都内の自宅で死去した。

 72歳だった。徳島市出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。

 弁護士から政界に転じ、1990年衆院選に旧社会党公認で旧徳島全県区から立候補し、初当選。落選を経て旧民主党へ移り、2009年まで通算6回当選した。政権交代後は鳩山内閣で行政刷新担当相、国家戦略担当相、菅内閣では官房長官、官房副長官を務めるなど政権中枢を担った。

 財政、医療、消費者問題など幅広い分野に詳しい政策通として知られ、議員グループ「凌雲会」で、枝野幸男、前原誠司両氏ら次世代リーダーの育成に尽力した。

 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで、時には激しく政敵と対立。とりわけ小沢一郎元民主党代表の政治手法には一貫して批判的な立場を取り、枝野氏ら「反小沢」議員の後ろ盾ともなった。

 10年9月に起きた沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、官房長官として処理に当たったが、中国人船長を釈放するなどの政府の対応が「弱腰」と批判され、野党多数の参院で問責決議を可決された。

 民主党が下野した12年衆院選で自身も落選。14年衆院選を前に不出馬を表明し、政界から退いた。(時事通信18年10月16日)』

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『菅内閣では、内閣官房長官として、沖縄県の尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件に対応したほか、「影の総理」などと呼ばれ、政界に強い影響力を及ぼした。

共に政権運営にあたった菅元首相は、「黒子というほど隠れてはいないが、どちらかと言えば、後ろに回って支える、そういう実力者だった」と述べた。(FNN18年10月16日)』
 
『菅内閣で官房長官を務めた仙谷由人氏が11日に亡くなりました。菅元総理大臣は「後ろに回って支える実力者だった」と仙谷氏をしのびました。

 立憲民主党・菅元総理:「本来なら本人がもっと代表とか先頭に立っても私はいいと思っていたが、まさに後ろに回って支える実力者でした」
 また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船と衝突した事件について、菅元総理は「最悪の事態を避けることができたのは仙谷さんの力だと思う」と振り返りました。東日本大震災で仙谷氏とともに対応にあたった枝野幸男元官房長官も功績をたたえました。

 立憲民主党・枝野幸男代表:「被災者の皆さんに最大限の生活支援を進めていくというのは、これはもう一手に仙谷副長官のもとでやって頂きました。知の部分と情の部分とを併せ持った先輩だったと思っています」(ANN18年10月16日)』

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『仙谷由人元官房長官の死去を受け、政界から16日、惜しむ声が相次いだ。

 立憲民主党の菅直人元首相は東京都内で記者団に「有能で何でもこなせる人。本来なら先頭に立ってもいいのに、後ろに回って支える実力者だった」と回顧。菅内閣当時に起きた沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に触れ、「最悪の事態を避けることができたのは仙谷官房長官の力量だった」と振り返った。

 旧民主党時代から仙谷氏と親交が深く、後任の官房長官を務めた立憲の枝野幸男代表は国会内で記者団に「私にとって師匠であり、兄貴分、親分だった。ショックだ」とコメント。同党の福山哲郎幹事長は取材に「官僚組織にも、敵対側の政治家にも愛される、人間味にあふれた優しい政治家だった」と惜しんだ。

 旧民主党のグループ「凌雲会」で仙谷氏と行動を共にした国民民主党の前原誠司元外相は「人を受け入れる度量のある素晴らしい人物だった」と記者団に語った。最近まで連絡を取り合い、食事の誘いも受けたが、かなわなかった。旧民進党の分裂を残念がっていたという。

 仙谷氏と対立することもあった自由党の小沢一郎代表は談話で「政治的立場は異なったが、常に天下国家、国民の幸福を考え、情熱をもって全力で政治に取り組んでいた」としのんだ。

 菅義偉官房長官は記者会見で「事業仕分けや東日本大震災後の被災者支援に取り組まれた。心からご冥福をお祈りする」と表明。公明党の斉藤鉄夫幹事長は記者団に「理想は掲げながらも、現実に何ができるかという観点で発言するリアリストだった」と述べた。(時事通信18年10月16日)』

 今にしてみれば、それなりに理想もあり、気概もあり、情もありという感じで・・・だんだん数が少なくなっている昭和型の政治家の代表格かも知れないと思ったりもするmewなのだった。

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by mew-run7 | 2018-10-17 11:05 | 民主党、民進党に関して