あけまして おめでとうございます。
今年が皆さまにとって、いい1年になりますように。
今年もよろしくお願いいたします。 m(__)m 2020年 元旦
<mewの今年の最大の願いの一つは、もちろん安倍政権の終焉です。(^ー^)>
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さて、毎年、元旦には一曲、ご紹介をしているのだけど・・・。
今年は、THE BOOM の「島唄」を。
そして、後半には、吉永小百合さんの「沖縄戦、基地問題」に対する思いを伝える記事を。
島唄の作詞、作曲をした宮沢和史さんは、沖縄の出身ではない。
91年に沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた時に、「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに沖縄戦の話をきき、で多くの人々が本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされたこと、集団自決を強いられた人たちがいることなどを知って、大きな衝撃を受けたとのこと。 そして、おばあさんの話を思い浮かべながら、この唄を作ったという。(・・)
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「でいごの花がさき 風をよび嵐がきた
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐がきた
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙」
「1945年の春、デイゴの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。
でいごが咲きほこる初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。
多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは 島中に波のように広がった。
サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った
サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった
島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海のかなたにある神界『ニライカナイ』に
もどっていきなさい
島唄よ、風に乗せて、沖縄の哀しみを本土に届けてほしい」
「日々是陽転ブログ」より
http://odazenko.jp/archives/1877
この島唄を作った際のエピソードを、宮沢和史氏が語った記事もアップしておきたい。
<音楽が好きな人にとっては、音階の話も興味深いかも。mewもこの話は今回初めて知って、「言われみれば・・・。なるほど~」と感心させられたです。>
(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために
「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)』
『(宮沢和史の旅する音楽:その9)再び「島唄」のふるさとへ
02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。
翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。
最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。
ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。
自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。
沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。(2005年09月01日 朝日新聞朝刊)』
『沖縄の痛み引き受けよう 吉永小百合さん 沖縄戦、基地問題…思い語る 辺野古埋め立て「悲しい」
「知らんぷりしていい問題ではない。どうしても基地が必要と言うなら、沖縄の痛みを他の県(本土)も引き受けないといけない。それが嫌だったら、沖縄にもつらい思いをさせてはいけない」―。辺野古新基地に象徴される安全保障の負担が押し付けられる沖縄の不条理を巡り、きっぱりと語るのは、「国民的スター」と称される女優・吉永小百合さん(74)だ。来年1月5日に、音楽家の坂本龍一さんと共演するチャリティーコンサートを前に、沖縄への思いを熱く語った。
1968年、映画「あゝひめゆりの塔」に出演して以来、沖縄戦の継承、米軍基地の過重な負担にあえぐ基地の島への思いを深め、自らの言葉で発信してきた。
「ひめゆりの塔」の「泣いてばかりいた」演技への反省と、本土の盾となった沖縄戦で多数の県民が犠牲になったことを学び、「沖縄には遊びには行けない」と思い込んでいた、という。
プライベートの沖縄の旅がようやく実現したのは2018年6月。沖縄中が鎮魂に包まれる初夏、南部戦跡や米軍基地、新基地建設海域などを巡り、あらためて沖縄の現実に息をのんだ。
「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形にされていくこと」に胸を痛め、「(埋め立ては)本当に悲しい」と、沖縄の民意を無視して進む新基地工事に強い疑念を示す。
「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」原爆詩や福島原発事故被害者の詩の朗読をライフワークとし、反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言をためらわない。「自分にできることは表現者として声に出して伝えること」「どう思われようと、自分の思ったことを伝えることが大事だ」。かれんな笑顔から繰り出される眼光が鋭さを増した。
首里城の焼失に衝撃を受け、県民が切望する再建に向けて「できる限りのサポートをしたい」と支援を誓った。坂本さんも県民へメッセージを寄せ「辺野古の基地建設工事の状況について、直接お話を伺いたい」と述べた。 (松元剛)(琉球新報19年12月29日)』
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辺野古の新基地も、先日書いたように、予想よりも軟弱な地盤であることがわかったため、建設期間も費用も何倍にも増えて行って、実際に完成できるのかもわからない状況に・・・。
安倍政権は、米国への忠誠を示すため、県民の反対の意思を無視して、もはや意地になって、強引に建設工事を進めようとしているのだけど。全国の国民の力で、建設の見直しをさせたいところ。
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そして、何より沖縄戦のような惨事を二度と起こさないためにも、こちらも国民の手で、しっかりと憲法9条の平和主義を守って行きたいと。
そのためにも、9条改正をして、日本を「戦争ができる国」にしたくてたまらない安倍政権を、早く終わらせなければと、年始に強く思うmewなのだった。(@_@。
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