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4月29日、東京の代々木公園で行われた連合主催のメーデー中央大会に出席。
メーデーには岸田首相が(首相としては)9年ぶりに参加し、企業の賃上げが始まったことをアピールしていた。ちなみに、岸田首相はその後、アフリカ4カ国&シンガポールを訪問するため、羽田空港を出発した。(・・)
メーデーは国際労働者の日(International Workers' Day)。5月1日に世界各地で労働者の祭典が開かれることから、メーデー(May Day)とも呼ばれている。<5月1日を祝日にしている国も多い。>
確か、昭和の頃は、メーデーの集会は5月1日に行われていて、10万人以上の人が参加していたかも。(小中学生の頃は、この日は人が多くて危険なので、代々木周辺には行かないように注意されていた記憶がある。^^;>
今、調べててみたら、、労働組合の全国中央組織の再編による組織対立が起きて、1989年以降は、いくつかの労組が分裂してメーデーを開催するようになったとのこと。
その中で最も大きな連合は、GWで長期休暇を取る例が増え、労働組合活動が低調になってきて参加者数が減少したことを理由に、2001年以降は4月の最終土曜日もしくは昭和の日(水・木・金曜日に当たる場合)に大会を開くことになったのだという。<まあ、合理的な考えだと思うけど。この頃から労組の力がかなり衰えて来たようにも感じる。(~_~;)>
* * *
今年の中央大会は、4年ぶりにコロナによる入場制限のない大規模集会だったのだが。連合によると、参加者は一部のインターネット視聴を含め、約2万8千人だったとのこと。<TVで見る限り、代々木公園はかなりスカスカ状態だった。>
式典では「コロナ禍や急激な物価高は、立場の弱い人々に大きな影響を与えている。暮らしを守る取り組みを最優先に進めよう」とするメーデー宣言を採択したという。
また、メーデーと言えば、かつては社会党、近時は民主党がメインの来賓として出席し、演説を行なうという感じだったのだけど。
昨年は松野官房長官が壇上に。今年は岸田首相が出席したため、TVニュースでは岸田首相の映像ばかり流されていた。<立民党や国民党の代表は参加したんだろうけど、所在不明。ネット記事にも、ほぼ扱われていない。^^;>
追記・『大会には、立民の泉代表、国民の玉木代表も招待されたが、ひな壇には上がらず、司会による紹介のみで、あいさつする機会もなかった』んだって。(>_<)読売4.29
『芳野友子会長は「コロナ禍に代わり生活を苦しめているのは高い物価だ」と訴え、中小企業の賃上げが必要だと強調。そのために適正な価格での企業間取引が不可欠だと指摘した。
大会には岸田文雄首相も出席し「30年ぶりの賃上げ水準となり、力強いうねりが生まれている。地方や中小企業へ広げるべく全力を尽くす」と話した。(共同通信23年4月29日)』
「新しい資本主義」を目指す岸田自民党は、連合の取り込みに力を入れているのだが。芳野会長が、岸田首相や自民党の幹部や議員などと積極的に会っていることに不信感を覚えている連合関係者や議員、国民も少なからずいる。(・・)mew,too.
連合はもともと民主党の支持母体だったのだが。同党が分裂してできた立民党と国民党への支援も中途半端なことも気になっている。<国民党は自維と共に9条改憲に賛成するんだよ。>
できれば、連合にも今後のあり方を検討して欲しいと。(非正規、パート、バイトなどの保護もして欲しい。)また政治的な考え方に大きな差異があるようなら、グループ分けor分裂した方がわかりやすくていいのではないかな~と思ったりもする。(・・)
岸田首相のアフリカ訪問は、有益だと思う。<岸田氏はGW後には韓国を訪問する予定。これも岸田首相ならではの、大事な外交だ。>
『岸田首相は29日午前、エジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークのアフリカ4か国とシンガポールを歴訪するため、政府専用機で羽田空港を出発した。5月に広島市で開く先進7か国首脳会議(G7サミット)を前に、「グローバル・サウス」と呼ばれる新興国や途上国との連携を強化する。
出発に先立ち、首相は同空港で記者団に「ロシアによるウクライナ侵略によって国際秩序の根幹が揺らぐ中、アフリカ主要国の首脳と連携を確認したい」と語った。戦闘が続くスーダン情勢の安定化に向けた協力も確認する見通しだ。首相は5日に帰国する。(共同通信23年4月29日)』
中国は、ある意味で先見の明があったと言えるかも知れないのだけど、早くからアフリカ進出にめをつけ、「一帯一路」構想の一環として、インフラ建設や技術供与などの投資に力を入れて来た。多くの国々にとって、中国はいまや最大の貿易相手国である。<今後、レアメタルや有益な鉱物の採集が期待できるかもとも言われている。>
アフリカには55カ国もあるわけで。もしそれらの多くが中国についたら、中国の国連など国際社会での立場は、かなり強くなる。
安倍元首相は、中国を天敵視していただけあって「これはマズイ」と、2014年からアフリカの数か国を訪問。支援の範囲も拡大して来た。
岸田首相も昨年、日本主導でアフリカ開発の支援を議論する「第8回アフリカ開発会議」(TICAD8)で2023~25年の3年間で官民合わせて総額300億ドル(約4兆1100億円)規模の資金をアフリカ支援に投じると表明。アフリカとの関係を強化しようとしている。(・・)
<アフリカと言っても、実に広いのだけど。TV映像や動画で見ると、(大きくTOYOTAと書かれた)日本の古いトラックやバス、オートバイなどが多数走っており、医療や農業の人的支援も増えていることから、日本や日本人には親近感や好印象を抱いている地域、人々が多いときく。(サッカーではナカタとホンダの名が知られているらしい。)日本がもっと各国の人々の生活に役立つことができるといいな~と思う。
蛇足ながら、mewは毎日1~2回、ナミビアの砂漠の水飲み場のライブ中継をチェックしている。オリックスが来ることが多い。ナミビアに行ってた知人に「オリックス、かわいいね」と言ったら、「たくさん、いる。ステーキにするとおいしいよ」と言われた。「。。。」^^;その国、その国の文化があるからね。>
アフリカと言えば、スーダンの内戦が激しさを増している。(-"-)
日本政府は、スーダンに在留していた日本人を救出すべく早期に動いたことは評価したい。
自衛隊の運搬機等を3機、日本から派遣して備えていたのだが。スーダン国内の戦火がおさまらなかったため、首都ハルツームの空港にはいることができず。やむなく日本人49人がハルツームからバスに乗って、陸路30時間かかって国境近くに集まり、そこから自衛隊機1機を使用してでジブチ基地へ。さらに民間チャーター機で、日本に帰って来た。、
また、大使館関係者8人は諸事情により最後まで残ったのだが、フランスの協力を得てハルツーム郊外の空軍基地に退避し、帰国することができた。<フランス、有難う。他国では大使館員が先に退避して批判されたところもあったとか。在留邦人をしっかり見送った大使館員も評価したい。>
* * *
何かTVでは当たり前のように、自衛隊のジブチ基地の話をしていたのだが、mewはかなり引っかかるところがあった。(-"-)
このブログでは、何度か取り上げているのだが。09年、麻生政権の時、ソマリア沖などで多発する海賊から日本の船を守るため、海上自衛隊の護衛艦2隻を派遣することを決定したのだが。実際は、他国の軍が基地を置いているジブチに、自衛隊も情報交換や諸活動のため海外基地を設けることが目的だったと見られている。(-"-)
実際、派遣開始時には「船を護衛するだけ」と言っていたのが、海上からの監視も必要、必要品の運搬も必要だとかで、航空機や輸送機も派遣することに。
しかも、当初は米軍基地の一部を拠点にしていたのだが。暑い中で移動や整備が大変だとかで、ジブチ飛行場の一部に土地を借りて、拠点を設置。2011年6月に自衛隊初の恒久的な海外施設となる基地が設けられることになった。
いまや何と陸海空の自衛隊員400名が常駐する海外基地になっている。<日本の米軍基地みたいに、ジブチと協定を結んで軍の基地として存在している。(・o・)>
しかし、2009~11年には200件以上あった海賊事案の発見件数も、12年から激減し、15年には0件に。18年から22年の5年間を見ると、3,0,0,1,0件なのである。つまり、もう海賊から日本の船を護衛するという任務は必要ないのだが、案の定、政府や防衛省はそ知らぬふりをして、ジブチ基地への駐留を継続しているのである。(-"-)
今回、近くにあるスーダンで内戦が起き、邦人救助の必要があったため、防衛省としても、ジブチ基地の存在や重要性をアピールしたいという思惑もあったかも知れないのだが。ジブチ基地自体は、思ったほど活躍することはなかった。<日本から自衛官を派遣しても十分、対応できたのでは?^^;>
ただ、国民は、日本の自衛隊が遠くアフリカに海外基地を持って、時に他国の軍隊と協力して活動をしていることを、きちんと認識しておくべきだと思うし。このような海外基地を設けることはOKなのか、今後、アレコレ大義名分(口実)を作って基地を増やすこともありなのか・・・きちんと考える必要があるmewなのだった。(@_@。
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