これは20日の『小沢主導の立民「野党一本化の会」に警戒心・・・』のつづきになるのだが・・・。
立民党の小沢一郎氏が、党内で妙な動きをし始めた。(・・)
小沢氏が動き始めると。「政権交代」のような大政変が起きることもあるが、「壊し屋」と呼ばれるように、新進党、民主党の崩壊をもたらす可能性もあるわけで・・・。正直なところ、ヒヤヒヤ・ハラハラしている。(@@)
16日、小沢氏が主導する形で党内の議員と「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」を結成したことを、小沢氏自ら、中央に座ってした会見で発表した。
そして、21日には、小沢氏が党内に政策勉強会「一清会」(要は新・小沢グループね)を立ち上げたことを、こちらは小沢氏の側近議員が会見を行なって発表した。<小沢氏は21日は会見に来ず。21日の閉会後に行われた立民の両院議員総会も欠席したという。^^;>
率直に言って、両方とも(特に一清会のことは)わざわざ会見を開くようなことではない。「有志の会」も初会合や執行部への申し入れに取材を呼ぶことはあっても、ど~んと記者会見を開くほどのことではないだろう。(~_~;)
でも、小沢氏はもしかしたらこれが最後のチャンスだと考え、自分の存在感や動きを世に示したかったのではないかと察する。(**)
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小沢氏が動き始めた目的は、大きく言えば2つあると思う。
一つは、次の衆院選でまず小沢氏自身や側近が当選できるように、また立民党の議席が減らないように、存在感を示す&野党共闘を呼びかけるということ。
もう一つは、小沢氏が党内の実権を掌握できる体制を作り(場合によっては「泉おろし」運動につなげて)、他党と連携し、政権交代を目指すことだ。(・・)
20日の会見で小沢側近の牧義夫氏が、このように語っていた。
「地元を歩いていると『小沢さんは元気か』と声をかけられるが、ますます元気で、『3度目の正直』の政権交代を果たすまでは死んでも死にきれないという思いがある。」
「小沢さんはどうしたと言われないよう、きちんとした形にしないといけないと思っている」「立憲にはこうした厚みのある経験豊かな人がいるということを世間に知らしめることも大切だ」
また、小沢氏は、昨年12月の名古屋で行なった講演でも「次の衆院選で政権を取る。ここであきらめてしまっては、自民党を出て苦労してきたことが無意味になってしまう」と語っている。
ここに小沢氏の思いがあらわれているように感じる。(++)
一つめの目的については、20日の記事にも書いたのだが・・・。
前回(21年)の衆院選は、枝野前代表の下、市民連合の仲介も得て、国共社れなどとの選挙協力(野党共闘)を行なったのだが。泉代表は他の政党とは選挙協力を行わないと宣言した。
しかし、小沢氏自身、21年の衆院選では初めて小選挙区で落選して比例復活で救われたような状況だし。他にもギリギリで当選or比例復活した議員が少なからずいる上、今回は維新も候補者を出して来ることから、下手すると多数の議員が比例復活すらできず、落選しかねない。それは議員たちにとっても、立民党にとってもマイナスになる。(-"-)
泉代表の宣言に対しては、党内でもかなり不満の声が出ていたので、「有志の会」を作って、執行部に働きかけを行なうこと自体は、むしろいいことではないかと思う。
ただ、それなら、会を結成して党内で会合を開き、執行部に直接or両院協議会などの場で、申し入れればよいことだ。(・・)
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ところが、今回はわざわざ最初に会見を開いた上、小沢氏が思いっ切りオモテに出て来たわけで。そこに引っかかってしまう部分があった。
<小沢氏は通常、他の議員に有志の会を作らせて、自分はひとりの会員として背後に控えて、陰で操縦する方法をとることが多いので。それこそ「一清の会」の会見みたいに。^^;>
おそらく、小沢Gの牧氏が言っていたように、自分の選挙区に対してはもちろん、党内外に経験豊富な自分の存在感を本気で示したいと思ったからだろう。
そして、まずは党内の選挙協力に関して不満を覚える議員を集めて(&代表を目指す小川淳也氏辺りを持ち上げて)、自分の勢力を拡大して党を支配or制御したいと。その力を、維国も含めた非自民の大同団結、さらには政権交代に結びつけたいと考えているのではないかと思うのだ。(~_~;)
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小沢氏が今、いても立ってもいられない気持ちになっているのは、何となく理解できる。
小沢氏の頭の大部分を占めているのは、いかにして「政権交代」をもう一度、実現させられるかということだからだ。^^;
小沢氏の政治家としての最大の目標は、日本の議会制民主主義を発展させるため、政権交代可能な(保守)二大政党制を築くことだからだ。それは、93年出版の著書「日本列島改造」にも書かれているし、この30年、アチコチで言い続けていることだ。
<それこそ小沢氏は、この目標実現のために94年に強引に小選挙区制に変えさせて、二大政党制を導こうとしたのだ。でも、いまや野党がどんどん分立するという皮肉な結果に。(-"-)>
牧氏が会見で、「三度目の正直の政権交代」と言っていたが。
小沢氏は自民党の実権争いに敗れ、93年に離党。野党8党を集めて細川護熙氏を神輿に乗せる形で、自民党から政権を獲得し、一度目の政権交代を実現した。(++)
しかし、強引な手法で党内対立が起きた上、細川スキャンダルが持ち出され、1年で自民党に政権を取り戻されてしまう。
その後、新進党を拡大して政権交代を実現を目指したが、民主党の登場や党内対立で思うように行かず、98年に突然、党解散を宣言。自らは、自由党を作って自自公連立政権を組んだものの、これも短期で終わった。<自公政権を誕生させたのは小沢氏なのよね。(-_-;)>
スゴイのは、03年に今度は民主党に合流したことだ。そして、(小沢氏が検察に狙われたため)TOPに鳩山由紀夫氏を置く形で09年に衆院選で圧勝し、2回めの政権交代を実現したのだが、9ヶ月後には鳩山氏が安保問題で首相を辞任したため、幹事長としてコンビを組んでいた小沢氏が実権をふるえたのもそれまでだった。(-_-;)
その後、菅・枝野、野田陣営などとの党内対立の末、離党し、民主党政権も終了。 小沢氏は離党後、小政党を作っては壊して行ったのだが(民進党の小池希望の党の合流に期待したものの、排除されるし)、ここでまたスゴイことに、19年に民主党の一部であった国民党に合流。さらに20年、ついに天敵・枝野幸男氏が作った立民党に合流して来たのである。^^;
それも、すべては、政権交代可能な政党&野党勢力を作るためだ。(@@)
小沢氏は21年衆院選後、元・国民党の議員による「枝野おろし」の背後にいて、代表選では泉健太氏の当選に尽力した。泉氏を手中におさめて、党の実権を掌握するためだったのだが。泉氏は21年、22年と小沢氏や側近の幹部、選対ポスト入りの要求に応じず。
しかも、小沢氏が野党大同団結による政権交代を目指しているのに、泉・立民は勢いのある維新とも、国民党や他の野党勢力ともうまく連携や選挙協力ができず。「これはマズイ!このままじゃ、立民党はダメになる」「下手すると、もう一度政権交代を実現できないまま、自分も終わってしまう」と強い危機感を覚え、ここで思い切って動いたのではないかと察する。
今回、結成した会にわざわざ「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」という名前をつけたのも、その目的をアピールしたかったからだ。(・・)
ただ、次期党首の候補に名が挙がっている野田佳彦氏が、(次期代表への意欲を問われ)「私はクーデターは全く、これっぽっちも考えていない」と述べたらしいが。(朝日6.21・発言録)
党内外には、小沢氏の今回の動きをある種のクーデターを見る人もいるかも知れない。(-"-)
つづきは、また後日に書きたいが・・・。小沢氏は、細川政権の時のように、非自民党の政党が大同団結して「政権交代を実現する」ことに意味があると考えているのだが、維新や国民などはその考えに共感していない。また、党内には共産党との協力に否定的な議員や支持者も少なからずいる。
それでも、小沢氏が強引に自分の思うように党を動かそうとした場合、また党内対立が生じ、果ては党の分裂、崩壊につながるのではないかと、ヒヤヒヤ・ハラハラしてしまうmewなのだった。(@@)
THANKS