【陸上・・・世界選手権で優勝したやり投げの北口榛花が、13日にダイヤモンド・リーグ(国際リーグ戦)の上位選手だけが出場できるファイナル(米オレゴン)に登場。2投めに63m78を投げ、優勝を果たした。日本勢がファイナルを制すのは初めてのことだ。(*^^)v祝
北口は練習先のチェコから世陸が行われたハンガリーに移動。その後もリーグ戦、ファイナルと試合が続いたため、ずっと帰国ができなかったとのこと。帰国時には、きっと大歓迎を受けることだろう。(^^) <少しゆっくりして欲しいところなのだが、日本でも今月末の大会に出場するらしい。^^;>
バレーボール女子・・・パリ五輪予選を兼ねたW杯が日本で開幕。各組8チームのリーグ戦で上位2チームにはいれば、五輪の出場が得られるのだが。グループBにはいった日本代表は、16日にペルー、17日にアルゼンチンをストレートで下し、2勝0敗と先行した。このあとも、ガンバ!o(^-^)o】
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今回、目玉人事として自民党の選対委員長に起用された小渕優子氏が、早くもピンチに立たされている。(@@)
小渕氏は2014年に、政治資金収支法違反の問題が出て閣僚を辞任。<この時、スタッフがパソコンのHDDにドリルで穴を開けていたとの報道がなされ、「ドリル優子」というあだ名が広まった。>
この件で、秘書が有罪判決を受けたこともあり、あまりオモテに出ず、党務に励んでいたのだが、今回、9年ぶりに選対委員長という党四役の要職に起用されることに。しかし、すぐに週刊文春が親族の企業に政治資金を還流していると報じたため、早速、報道陣に追及されることになってしまった。(~_~;)(関連記事*1に)
しかも、小渕氏が小渕元首相の長女(世襲議員)であること、森喜朗元首相の強い要望により要職に起用されたことなども問題視され、厳しい状況の中で再スタートを切ることになった。(・・)
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小渕優子氏は小渕恵三元首相の長女。成城大を出た後、TBSに入社。父が首相になったのを機に98年に父の秘書に。00年に父が急逝をしたことから、同年、27歳で衆院選に出馬して初当選を果たし、既に8期めのベテランだ。
学生時代から「お嬢様ながら、気さくで活発」「まじめな頑張り屋」など評判が高かったようで、08年、3期めに少子化担当大臣(戦後最年少の34歳で)に抜擢され、将来は重要閣僚、初の女性首相にと期待されていた。
<尚、04年、TBS同期入社の男性と結婚。05年、07年に男の子を出産。夫は有名なプロデューサーに。今は編成局長。>
しかし、2014年に安倍内閣の経産大臣を就任して間もなく、週刊誌に後援会員を連れて歌舞伎ツアーを行なっていることや政治資金規制法の虚偽記載の疑いがあることが報じられ、閣僚を辞任。東京地検特捜部が捜査にはいり、本人は不起訴に終わったが、当時の秘書2人は約3億円分に及ぶ虚偽記載が指摘され政治資金法違反で在宅起訴され、有罪判決を受けた。(-"-)
また、この時、事務所から押収されたパソコンのHDDにドリルで穴が開けられていたと報じられたことから、「ドリル優子」というあだ名が広がることになった。(~_~;)
それでも、もし小渕氏がこの件で、きちんと報道陣や有権者が納得行くような説明責任を果たしていれば、事件発覚後、9年も立っている(&4回も当選している)ので、ある程度、禊が済んだと言えるかも知れないのだが・・・。
小渕氏は「秘書の捜査や訴訟が続いている」「第三者に調査してもらっている」として、15年10月まで公の場できちんと説明を行わず。ようやく地元で行なった説明会も、曖昧な内容で終わった。(~_~;)
<ちなみに、調査報告では、ドリルの穴は、壊れたPCを引き取る業者が開けたもので、データ隠蔽の目的ではない。データは保存されているので、捜査に支障はなかったという説明だった。(~_~;)>
小渕氏は当時「私自身が分からないことが多すぎます」と言っていたのだが。実際のところ、本人はおそらく後援会の活動や政治資金の収支に関しては地元のベテラン秘書、スタッフに全てお任せで、ほとんど実情がわからなかったのではないかと察する。<自民党の場合、ほとんどの議員がそうだろうけど。^^;>
でも、せめて後からでもいいから、しっかり調査し、自らも内容を把握して、きちんと説明するように努めて欲しかった。それが政治家としての務めだろう。(・・)
<mewは、将来の女性首相候補として、野田聖子氏の次に小渕優子氏に期待していたのだけど。(比較的、平和・リベラル志向だし、女性の権利、働く女性、子育てなどの政策に対する考えが合う部分が多かったので。)あの説明を見て、この先、かなりしっかりとしてくれないと、難しいかな~と思った。_(。。)_>
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小渕氏に関しては、少し前から「そろそろ閣僚に」という声が出始めていたのだが。入閣すると、国会で以前の事件をツッコまれるおそれがあることから、なかなか起用されなかった。<自民党の組織運動本部長などは務めていた。>
しかし、小渕氏を娘のようにかわいがっていた茂木派の後見人(裏ボス)である青木幹雄元参議院議員が、今年8月に他界することに。それを機に、森元首相などから小渕氏をどうにか要職にという話が本格化したようだ。
森元首相は、今年8月に行われた青木氏のお別れの会で、このように語っていたのだ。
『会には、早大雄弁会の後輩で、青木氏と学生時代から交友があった森喜朗・元首相ら約1000人が参列した。86歳の森氏は「私にとっては父親であり、兄貴であり、先生でもあった」としのんだ。
「心残りは小渕恵三さんのお嬢さんのことと思う。あなたの夢、希望がかなうように最大限努力する」とも語り、青木氏が「いずれは党総裁候補に」と目をかけていた小渕優子・党組織運動本部長をもり立てることを誓った。(読売新聞23年8月29日)』
青木氏の逝去の報を受けて、6月13日に『参院のドン・青木が他界~五人組の密談、毒まんじゅう事件などで日本の政治史を変えた人』という記事を書いたのだが・・・。
小渕優子氏の父・恵三氏は、89年、官房長官時代に「平成」の新元号を発表した会見で、広く知られるようになった。「人柄の小渕」と言われ、自民党内では平和・リベラル的(新自由主義に批判的)な思想の持主だった。<外務大臣時代、党内タカ派の反対を押し切って、対人地雷条約を締結。またこちらも周囲の反対が多かったにもかかわらず、沖縄を世界にアピールし振興策につなげるため(&戦争の痛み、平和をアピールするため)、00年G7サミットを沖縄で開催することを決めた。(沖縄を世界にアピールただ、本人はサミット直前に亡くなってしまった。(ノ_-。)>
小渕氏は、98年に首相に就任。(優子氏もこの後に父の秘書に。)この年、男女雇用機会均等法を成立させる。
自民党は参院の議席数が減っていたため、、99年から自由党、公明党と連立政権を組んだのだが、小渕氏は自由党の小沢一郎氏とうまく行かないことが少なからずあった様子。00年4月、小沢氏は連立離脱を通告する。この翌日、小渕氏は脳梗塞で倒れて、入院することになった。小渕氏は意識がなかったと見られている。
この時、小渕内閣の官房長官を務めていたのが、青木幹雄氏だった。青木氏は、森喜朗、村上正邦、野中弘務、亀井静香氏と5人組で、今後の対応を検討。小渕氏に面会をして意思を確認したとして、内閣総辞職を発表する。そして、選挙は行なわず、両院議員総会によって、森喜朗氏が次期総裁に選ばれ、首相になったのだ。(@@)
森氏は、首相として問題視されるような言動が多く<神の国発言とか、無党派層は(選挙に来ず)眠っておいて欲しいとか、えひめ丸事件の時にゴルフをすぐやめなかったとか>、内閣支持率が1ケタまで落ちることに。しかし、後継の首相になった自派閥の小泉純一郎氏が高い支持率を誇り、長期政権になったことから、自民党内での権力を握ることに。その後も、清和会(当時の森派)から福田康夫、安倍晋三氏(2回)が首相になったことから、国会議員を引退後も、清和会(現・安倍派)や自民党、岸首相、諸団体などに影響力を及ぼし続けている。(-_-メ)
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森氏が首相になれたのも、その後、20年以上にわたり政治的な影響力を持ち続けているのも、小渕元首相や青木幹雄氏らのお陰だとも言えるわけで。内閣改造前に会った時に、森氏が岸田首相に小渕優子氏の要職起用を強く求めたことは容易に想像し得るだろう。<あくまでも想像ですけど。^^;>
何か後半は、つい小渕政権の話や、森氏の権力の話が長くなってしまったけど。
自民党や同党の首相の内閣には、早く森喜朗氏のような政官財癒着タイプのOBの影響から離脱して欲しいと思うし。小渕氏も、早くこのような権力者の後押しや庇護から脱して、自分できちんと語ったり、動いたりできるようにならないと、ドリル優子キャラから抜け出せず、首相の座も遠のいてしまうのではないかな~と思うmewなのだった。(@_@。
THANKS