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【維新3】橋下、自公・財界・芸人をバックに、イメージ選挙で大阪府知事に(維新の会について思うこと・その3)


  これは10月17日、2本めの記事です。

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 「維新の会について思うこと」の原稿のメモやネタの一部が行方不明になっていたので、なかなか続きがアップできなかったのだが。
 ネタを集め直して、メモを書き足したので、また少しずつアップして行きたい。m(__)m
 
* * *

 後に大阪維新の会を創設する橋下徹氏が、08年1月に大阪府知事選に出た時に、小泉純一郎氏のB層ポピュリズムを思い出さずにはいられなかった。(-"-)
 
 橋下氏は30代前半から、弁が立つ&イケメン風の若手弁護士として「行列のできる法律相談所」「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演し、知名度も人気もかなり高くなっていた。
 
 07年11~12月、当時37歳の橋下氏を知事選に誘ったのは、政府や関西財界のご意見番でもあった元通産官僚の作家・堺屋太一氏。そして、自民党と公明党が橋下氏を支持することになり、出馬が決まるのだが。
 
 12月初めに橋下氏の知事選出馬の報道が出た時、橋下氏は「(出馬は)2万パーセント、あり得ない」と強く否定した。
 既に出演が決まっていた番組、特に収録済みの番組が何本もあったことから、出馬が困難だと思って「2万パーセントない」と言ったのだという。しかし、MCのやしきたかじん氏や島田紳助氏が「番組のことは対処するから、出馬するように」と背中を押してくれたため出馬を決意した。<本来なら収録済みの番組が没になった場合、下手すると千万、億単位の賠償金を請求されかねないところを、ゼロで切り抜けたらしい。^^;>

『橋下を出馬へと導いたのが錚々たる芸能界の重鎮だった。フリーアナウンサーの辛坊治郎(63)には「番組より大阪の方が大事、局が損害賠償なんか請求するわけない。立候補の自由は守られている」。島田紳助氏(63)には「大阪のことを考えるのが先や」。特にやしきたかじんさんには「収録していた番組3本、全部ボツでええ。その分は生放送でやる。だからイチかバチか挑戦してみぃひんか」と男気を見せられたという。

 結局、橋下氏が正式に立候補したのは投票日の約1カ月前。直前まで悩み抜いての決断であった。それを受けてMCの東野幸治(52)は「“橋下”という神輿をみんなで担いだんだ」とコメントした。(スポニチ19年9月8日)』

 ただ、橋下氏は、もともと政治家を志していたわけではない。しかし、突然、堺屋太一氏から電話をもらい会ってみたところ、日本の歴史について長々と語った後、「時代の転換点っていうのは、時代が人物を求めるものなんだ。今の大阪は君を求めている!」と、大阪知事選への出馬を口説かれたのだという。(@@)

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 ほどなく自民党の選対委員長だった古賀誠氏と副委員長だった菅義偉氏と会い、知事選への出馬の話が進められて行った。<その少し前に、菅氏から大阪市長選への出馬の打診があったが、断っていた。>
 
 古賀氏は、橋下氏と会った時のことを、このように述懐している。
 
『古賀氏は「堺屋太一先生から電話をもらって、『橋下徹というのに会ってくれ。大阪府知事選挙に出したい』と。『喜んでお会いしますよ』ということで、日時を決めて会った」と説明。
 さらに、「その時の第一印象、(言って)いいですか?ご迷惑をかけるかもわからないが」と前置きした上で、「Tシャツ。それはいいんだけど、髪は茶髪で、ズボンはGパン。本当のことを言うと、本人だと思わなかった。(略)
 
 「だから印象深い。当時、福田政権ができてすぐの時で、大阪の知事選挙は自民党にとっては非常に大きな意味を持つ、いわば国政選挙に匹敵するほどの大事な選挙。そんな中で橋下さんを知事候補に立てようと思ったのは、お父さんを早くに亡くしていて、苦労しているんだなというところに共感を覚えたから。それと子どもさんが多いので、“ああ、いいわ。この候補者で”と。僕みたいな古い人間にはついていけないと思ったから、菅副委員長に『この人でいこう』『後は任せる』と言って、あとは責任を持つ。それで戦う体制を慌てて作った」と振り返った。(ABEMA「NewsBAR橋下」022/12/23)』
 
 ただ、自民党本部や公明党本部は、橋下氏の擁立にあまりいい反応をしなかった。特に公明党は、橋下氏が過去に核部総論の話をしていたことを含め、チャラい外見や言動に抵抗を示していたという。<それもあって、橋下氏は出馬会見の時から、髪を黒く染め、スーツ姿で選挙活動していた。>
 結局、自民党は府連推薦、公明党は府本部支持で支援することになったのだが。橋下氏は選挙戦では政党色を出さず。自公とも票固めはしたものの、オモテだって選挙活動は支援しなかった。^^;
 
* * * 
 
 大阪府は、自民党系の太田房江前知事の時に財政が好転せず。政治とカネの問題も浮上し、閉塞感が漂っていた。そこで、堺屋氏は、その閉塞感を打破すべく、政治経験はないものの若さと勢いのある橋下氏を選んだという。(・・)
 
 また、自公が橋下氏を支援しようと考えた背景には、当時、大阪府も含め、全国では民主党が勢力を拡大している時期だったことがある。
 民主党は大阪府知事選の半年前の07年夏、安倍政権下の参院選で60議席とり自民党(38議席)に圧勝していたのだ。<ちなみに翌09年の衆院選では308議席をとり政権交代を果たしている。大阪の19選挙区のうち何と17選挙区で民主党がTOP当選した。(残りは社民1、自民1)>
 
 当時、自公には橋下氏の他に有力な候補がなく、民主党が推す候補に知事の座をとられないためには、橋下氏を推す必要があったのだ。^^;、

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 橋下氏の選挙は、何と同氏が顧問弁護士を務めていた芸能事務所・タイタン(爆笑問題などが所属。太田光氏の妻・光代氏が社長)が中心になって仕切ったという。(・o・)

 橋下陣営は、敢えて小泉ブレーンが定義した「B層」に当てはめるなら、「マスコミ報道に流されやすい。主婦層、こども、シルバー層など。具体的なことは分からないが橋下氏のキャラクター支持する層」を狙う選挙戦を行なうことを考えた。

 そこで本来はメインの政策である「地方分権」「(新自由主義的な)大阪府の行政改革」など小難しいテーマや政策論争はできるだけ避け、イメージ選挙に徹することに。
 橋下氏が7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに、大阪を変えて明るい未来をつくる姿勢をアピールしたのである。(@@)

『橋下氏は「子どもが笑う」をキャッチフレーズに出産や子育て支援に重点を置くマニフェストを発表。無党派や女性の厚い支持を得た。5兆円の府債残高、巨額の「赤字隠し」という危機的な府財政への取り組みでは、「エネルギーと爆発力」をアピールし、府政の解体的な立て直しを訴えた。

 告示前の公開討論会では対立候補と政策の議論を戦わせていたが、告示後は街頭演説に立ってもほとんど政策に触れず、政党色も薄めて「大阪を変える」と訴えるイメージ選挙を展開した。その一方で自民、公明両党議員の後援会員を集めた個人演説会では政党の支援を求め、組織固めも着実に進めた。

 これに対し、昨年7月の参院選や11月の大阪市長選の勝利で勢いのあった民主党は小沢代表ら党幹部が続々と応援に入り、政党色を前面に打ち出した。だが、立候補表明から1カ月足らずでの選挙戦となった熊谷氏の知名度不足は否めず、橋下氏には及ばなかった。(朝日新聞08年1月28日)』

 このような選挙戦を行なった結果、橋下氏は約183万票と民主党の候補の2倍近くの票数を獲得し、大阪府知事選に当選したのである。(**)

 そして、橋下氏が大阪府知事に当選したことが、大阪維新の誕生につながる。(@@)

 つづく  THANKS 


 
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by mew-run7 | 2023-10-17 13:10 | 立民党、維新の会について思うこと

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