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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガからガラガラポンの政界大編成を希望。左右問わずmew基準で、政治や競馬、スポーツなど。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

【維新4】橋下知事と維新は、大阪再生&新自由主義推進のため(維新について思うこと・その4)


これは11月12日、2本めの記事です。

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 10月17日の『【維新3】橋下、自公・財界・芸人をバックに、イメージ選挙で大阪府知事に(維新の会について思うこと・その3』のつづきを・・・。
 
 このブログを立ちあげたのは2005年9月、小泉首相(当時)が打って出たいわゆる郵政解散総選挙の真最中だ。その選挙の様子を見ていて、「このままじゃ、日本がアブナイ!」といても立ってもいられずに、このブログを立ち上げたのであるが・・・。<小泉氏が01年に総裁選を戦っていた時からずっとアブナイと思っていたけど。(~_~;)>
 橋下徹氏の大阪府知事選出馬、そして大阪維新、維新の会の政治手法を見た時に、小泉首相の時と同じように「これは、アブナイ」を感じたのだ。(@@)
 
 2人は、これまでに書いたようにポピュリズムをうまく利用するという点でも、共通するものがあるのだけど。
 もう一つ、新自由主義の推進者がバックについていて、「改革」というきこえのいい(妙に期待を抱かせるような?)言葉を多用しながら、国民や住民が気づかないうちにどんどんと新自由主義的な経済・社会政策を実行して行ったことにある。(-"-)
 
* * * 
 
 橋下氏をスカウトしたのは堺屋太一氏だったと書いたが。その堺屋太一氏の弟分が、小泉政権で経済政策を担っていた竹中平蔵氏。そして竹中平蔵氏の弟分が、橋下徹氏&(大阪)維新を支えて来た菅義偉氏だ。
 3人とも新自由主義の推進者として知られる人物だ。(**)
 
 ちなみに、小泉氏が01年に総裁選に勝ったのは、日本の閉塞感を打ち破ってくれるのではないかという国民の期待があったからだと言われているが。
 堺屋氏は、07年当時、大阪の経済的回復が遅かったことを憂慮し、大阪の閉塞感を打破して活気を与えてくれるような勢いのある若者を知事にしたいと。そしておそらくは自分が考える小さな政府、地方分権首都機能移転などの政策を大阪から具現化したいと思って、当時、TVでタレント弁護士として活躍していた自ら橋下氏に知事選出馬を交渉したという。(~_~;)
 
<尚、今回は経済政策のことを中心に書くが、小泉政権の間に日本の安保軍事政策が大きく転換し、自衛隊の海外派遣を実行したこと、9条を含む改憲案が発表されたことも大きな問題だった。そして、松井一郎氏らが加わった維新の会が小泉政権以上に改憲推進派&タカ派であることを忘れてはなるまい。(・・)>

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 堺屋太一氏(1935~2019)は大阪市出身。通産官僚でありながら作家として活躍。また官僚時代に70年大阪万博を手がけている。
 78年に退官後、複数の万博のプロデュースを行なったほか、TV・ラジオ出演、文筆家、さらには学者としても活動。98~00年には、民間人閣僚として小渕、森内閣の経済企画庁長官を務めていた。(IT担当大臣なども兼任)。
 
 堺屋氏は、早くから道州制などの地方分権、小さな政府、規制緩和、官僚主義の排除などを主張していたのだが。経企庁長官時代に、同じような考えを持つ竹中平蔵氏を経済戦略会議のメンバーに起用。2人は兄弟分のように言われている。

 その竹中氏は01年から小泉政権で、小泉氏とタッグを組んで活躍。新自由主義的な経済・社会政策を広め、非正規雇用の格大や郵政民営化など実現。日本の社会を大きく変えることにつながった。<コスト重視・競争主義の経営が主流に。民営化や非正規雇用が増加。小さな政府&弱肉強食の社会、国民の経済格差、生活格差が拡大した。>
 竹中氏は小泉政権後も、様々な形で日本の国政、大阪府の行政、大阪維新の運営などに関与し続けている。<竹中氏が会長を務めていたパソナは、日本政府や大阪府などからも様々な業務を受託してたりするし~。^^;>
 
 そして竹中氏が05年に総務大臣を務めた時に、副大臣として一緒に郵政民営化の準備を進めていたのが菅義偉氏だった。菅氏は06年の安倍内閣では総務大臣に就任する。以前から竹中氏の考えに共感し、大きな影響を受けていた菅氏は、その後も竹中氏を師と仰ぎ、安倍ー菅政権の中で、竹中流の新自由主義的政策をアレコレ実現しようとして来た。<今も自民党内で影響力を行使し続けている。>

* * *
 
前回書いたように、菅氏は07年当時、自民党の選挙対策を担っていたことから、大阪府知事選で自民党府連推薦だった橋下徹氏の選挙をバックアップした。
<この少し前の市長選の時に、当時は自民党府連の県議だった松井一郎氏と会い、共に選挙支援の仕事をしていたときく。(・・)>
そのつながりもあってか、 自民党の議員や自民党政権の閣僚でありながら、橋下、松井氏とは密な関係を続けており、長い間、両氏や大阪維新を支援していることでも知られている。(~_~;)
そして、この堺屋・竹中・菅氏らの影響によって、維新は新自由主義的な面が色濃い政党になったのだ。
というか、維新は堺屋氏が作った、大阪再生のための新自由主義的「改革」政党なのである。(@@)
  堺屋氏は19年に他界したのだが。同氏は地元の大阪のさらなる発展を願い、早い時期から大阪に一部の首都機能移転を行なうことを考えて、動いていたという。 橋下徹氏が三都構想や第二首都構想、また大阪都構想などを提案していたのも、大阪万博の招致を行なったのも、基本的には堺屋氏やそのブレーンのアイデアだ。(・・)
 
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 話を戻すと、堺屋氏は小泉政権が終わった後、新自由主義の波がおさまりつつあった&大阪の景気回復が遅れていたことから(民主党の勢いが増していたのも好ましく思わなかったという話も)、07年に橋下徹氏をスカウトしたのを契機に、オモテ立って政治運動を行なうようになる。^^; 
 
『2008年大阪府知事選挙の際に、国定浩一らとともに橋下徹を支援する団体として「橋下氏を知事にする勝手連」の設立に関わった。

 2009年にはみんなの党の母体となり、後にサポーター組織となった「国民運動体 日本の夜明け」のナビゲーターに就任した。

 2010年には大阪維新の会の支援団体である「経済人・大阪維新の会」の最高顧問に就任した。また、2012年には大阪維新の会が政治家の育成を目的に設立した維新政治塾の名誉塾長に就任した。こうした観点から、堺屋は橋下徹及び大阪維新の会のブレーンとされていた。

「成長戦略」担当の内閣官房参与として首相・安倍晋三のブレーンを務め、2016年4月に一般社団法人「外国人雇用協議会」を設立して会長に就任すると、政府の諮問会議などで外国人労働者の受け入れ拡大を提案した。(wikipediaより)』

* * * * *

 ところで、橋下氏は08年1月に自公府連推薦で知事選に当選し、2月に知事に就任して全国から大きな注目を浴びていた。
 しかし、これまで政治経験も行政経験もない上、自公所属でもないことから、自分の思うように府庁、府議会をコントロールできずにいた。
 自公府連としては自分たちの言うことをきいて動いていればいいと考えていたのだろうし、それぞれに府内のアチコチに利権やしがらみがあるため、橋下知事とはうまく行かないことが増えて来た。<メディアにちやほやされて、言いたいことを言っているのを好ましく思わない議員もいたようだ。>
 
 橋下氏は、知事になった08年には麻生内閣を支持すると言っていたのだが。09年の衆院選では「国の形が変わる可能性として民主党に軍配が上がった」と述べ首長連合として民主党を支持する考えを表明し、本人も民主党に投票したとのこと。それも、自公府連の反感を買った可能性がある。(~_~;)
 
 やがて、自民党府連の中には、橋下知事を理解、支援する者と反対する者に分かれて来た。そして、ついに松井一郎氏をはじめ30人ほどの地方議員が自民党を離党し、橋下氏を代表に担ぐ形で、地方政党・大阪維新の会を立ち上げることになる。(**)
 
  つづく
 
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by mew-run7 | 2023-11-12 16:19 | 立民党、維新の会について思うこと

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