【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】
『【フィギュア・・・早くもGP第5弾のフィンランド大会に。女子SPは坂本香織が69.69点で1位、住吉りをんが自己ベストの68.65点で2位。河辺愛菜はジャンプで失敗し、12位。
坂本は後半の3コンビで、最初の3Fが2回転になってしまったのだが。普段から失敗した後のリカバーを練習しているとのことで、しっかり3Tをつけてうまくカバーした。住吉もジャンプが安定していた。もしフリーで、前回、史上初で成功した4Tが決まったら、逆転が・・・あるかな?(・・)
男子SPは三浦佳生が93・54点で首位発進。佐藤駿は90・41点で2位、島田高志郎は4位。三浦は最後のスピンが0点だったらしい。^^;
佐藤は、折角いいプログラムなのに、衣装が遠くからだと真っ黒に見えて地味な感じになってしまう。<演技をよく見せるのに、衣装は大切。>島田くんと草太くんは、リズム感がない気がする。(少なくとも演技にはあらわれていない。)色々な曲調のものを滑るのは大事だけど、来季のSPは曲調を考えた方がいいかも。
<今年8月に結婚を発表したばかりの、羽生結弦くんが昨日、離婚を発表して大きなショックが。本人のコメントを読んでいて、泣きそうになった。(NHKがニュースで報じていて、ちょっと驚いた。)長い間、一生懸命頑張って大きな結果を残した&今、新たにプロとして活動しているスポーツ選手が、結婚したことで夫婦やその家族ともども、トンデモ・ファンやらマスコミやらにここまで追い詰められることになるとは。(本人たちも家族も張られていたのよね。)先日、Jの被害を受けていた人が亡くなったけど。ネットの誹謗中傷も、何とかできないものだろうか。(-"-)>】
* * * * *
昨日、創価学会の池田大作名誉会長が15日に他界していたことがわかった。(・・)
池田氏はここ十年以上、人前に姿を見せていなかったので、健康状態が案じられていたのだが。15日に老衰のため東京都の新宿区の自宅で亡くなったという。95歳だった。ご冥福をお祈りしたい。
ちなみに池田氏の訃報を発表した11月18日は、創価学会の創立記念日だという。(1930年創立。)
mewは創価学会とは何の関係もないし。正直なところ、宗教的なことには関心も知識もないのだが。(学会もかつては強引な勧誘や寄付要請があったときいてはいる。mewの周辺の学会員は比較的、穏やかでいい人が多い。個人的には勧誘をされたこともない。)
創価学会が作ったとも言える「大衆と平和」「平和と福祉の党」公明党の政治理念は平和・リベラル志向で共感ができる部分が多くて。逆に、もし宗教組織がバックについていなければ、同党を支持してもいいと思っていたほどだ。(・・)
しかし、公明党は93年に細川政権に参加し、新進党に加わってから、少しずつ変節。小選挙区制度で苦しい状況に追い込まれたことから、自民党と連立政権を組むに至り、大きく変わってしまったように思える。
平和主義者だった池田大作氏は、憲法改正、特に9条改正には絶対反対。自衛隊の海外派遣や集団的自衛権も問題視しているという記事をよく読んでいたのだが。結局、公明党は自衛隊の海外派遣も、集団的自衛権も容認してしまい、ついに憲法改正を目の前に控えている。(-"-)
ただ、池田氏の存命中は絶対に9条改正には賛成しないだろうと。それは古くから池田市を信奉する創価学会員や幹部が許さないだろうと言われていたのだが。果たして、池田氏が亡くなった今、公明党はどのような路線を歩むのか注目が集まっている。(**)
実は立民党と公明党は、共に平和・リベラル志向、生活・福祉重視で、政治理念や政策がかなり近いものがある。
この2党が組めれば、日本の国政に新たな展開が生まれるかも知れないし。池田氏の理想も追求しやすいかも知れないのだけど。かつて学会は民主党を快く思っていないという話が見たことがある。その辺りも気になるところだ。(・・)
記録としてキープためにも、池田氏と公明党に関する記事を載せておきたい。
『創価学会・池田大作氏死去 巨大な「生みの親」失った公明党の今後は
創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった。池田氏がつくった政党として半世紀以上の歩みを重ねてきた公明党。1999年以降は一時期を除いて自民党と連立政権を組み、与党の地位を固めている。一方でそのことは公明党が長年掲げてきた「大衆の党」「平和の党」の看板と現実の政策との矛盾をたびたび生じさせた。それでも支持者の求心力を維持できたのは池田氏の存在があったからであり、羅針盤を失った公明党の今後は見通せない。
「既に大きな曲がり角に来ていた自公関係に影響を及ぼすことは否定できない」。公明党関係者は18日、池田氏の死去を受け、こう懸念した。次期衆院選については「逆に負けられないと思って歯を食いしばって頑張るしかない」と語った。
公明党の前身「公明政治連盟」が結成されたのが61年。結党は3年後の64年。当初は「国立戒壇の建立」など宗教的な主張をしていたが、69年の「言論・出版妨害事件」を経て池田氏は政教分離を宣言した。創価学会と公明党の組織を切り離す形をとったものの、学会は公明党の支持母体として政策・人事に強い影響力を及ぼしてきた。
政治路線としては、自民党が保守、社会党が革新を代表した55年体制のもと、公明党は民社党とともに中道政党に位置づけられ、社会党と連携する社公民路線をとった。一方で、池田氏は自民党の池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫氏ら歴代首相経験者と親交を深めた。言論・出版妨害事件の際は、田中角栄元首相(当時は自民党幹事長)が事態の収拾に動いたことが知られている。
創価学会が本部を置く東京都ではいち早く、鈴木俊一都政の始まった79年に与党入りした。国政では、92年の国連平和維持活動(PKO)協力法の制定で自民、民社両党と連携する自公民路線を鮮明にした。
93年の細川護熙政権で新生、社会、民社党などとの非自民連立を選択したが、1年弱で崩壊し、自民、社会、さきがけの自社さ連立政権が誕生した。下野した公明党はいったん解党して新進党の結党に参加したが、このころ、自民党が創価学会の選挙活動などを批判し、国会で池田氏の証人喚問を要求。95年には学会の秋谷栄之助会長が国会での参考人招致に応じた。こうした自民党の攻撃で学会に動揺が広がり、後の自公連立につながっていく。
97年の新進党解党後、公明党が再結成され、99年には自民党との連立に踏み切った。自公連立では創価学会の「集票力」を背景に、公明党候補のいない選挙区では学会が自民党候補を支援し、自民党候補が支持者に「比例は公明に」と呼びかけるバーター協力が定着。「学会頼み」の選挙を重ねた自民党内から池田氏批判は聞かれなくなった。
「池田氏を守るための理念なき連立」などと批判された自公連立で、公明党はたびたび、「平和の党」としての立場が揺るがされる事態に直面した。小泉純一郎政権では自衛隊のイラク派遣を決定。安倍晋三政権は集団的自衛権の行使を容認した安全保障関連法の制定などを推し進めた。集団的自衛権の行使を認めることには公明党の支持者に反対が根強くあったが、自公間で協議を重ね、限定的な行使にとどめるよう要件を設けることで折り合った。
安倍政権ではさらに、自民党が自衛隊の存在を明記する憲法9条改正案をまとめ、公明党の対応が注目された。2022年に安倍氏が死去したこともあり、国会の憲法審査会で9条改正は最優先のテーマにはなっていないが、自民党が旗を降ろしたわけではない。
時に譲歩を強いられてまで自民党との連立を続けてきた意義は「政治の安定」だと公明党は強調する。ただ、岸田文雄政権では、政策や選挙協力を巡って両党がぎくしゃくする場面も目立つ。「人間主義」などの結党理念が連立にどう生かされ、今後どう具体化されていくのか。巨大な「生みの親」を失ったこれからこそ、真価が問われることになる。(毎日新聞23年11月18日)』
最後に・・・池田氏が安らかに休めるように、公明党にはこれ以上の変節はせず、大衆・平和・福祉重視の精神を守り、最後まで強引な憲法改悪(特に9条改悪)には反対して欲しいと願っているmewなのだった。(@_@。
THANKS
【下の2つのランキングに参加しています。できれば、2つともクリックして頂けると、有難いです。組織票は全くなく、記事を読んで下さる方々だけが頼りなので、よろしくお願いします。m(__)m】
↑もう1クリックが、ブログを続けるエネルギー源に"^_^"