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日本がアブナイ!

平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガからガラガラポンの政界大編成を希望。左右問わずmew基準で、政治や競馬、スポーツなど。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効

森からの脱却、萩生田軽視が、利権優先の古い政治の打破につながる。好き勝手、言わせるな

  

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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】  


 森喜朗元首相は、昨年暮れに安倍派(旧森派)のパー券裏金事件が発覚してから、裏ボスとしていても立ってもいられなくなったのか、議員会館に乗り込んだり、安倍派議員と会ったりと積極的に活動。先月には、「文芸春秋」のロングインタビューでアレコレと(好き勝手な?)ことを言って、物議をかもしている。^^;
 
 先日、政治ウォッチャーのプチ鹿島が、『日本が「森喜朗の国」になった経緯とは』というタイトルの記事を書いていたのだが。(後述)
 森喜朗が首相を務めていたのは、2000~01年のたった1年だけだし。12年には政界を引退しているわけで・・・。
 mewも、「何でいまだに森喜朗が、こんなに日本の政治に影響力を及ぼせるのか」「何で森の言動に左右されなくちゃいけないのか」となげく機会が増えている。_(。。)_

* * *
 
 ただ、たとえば安倍派の五人衆のひとりだった萩生田光一が、3千万円弱の裏金不記載という起訴レベルに近い刑事犯罪を犯していながらも、党役職停止1年という軽い処分で済んだのも、自民党都連の会長を続投することになったのも、森喜朗が要望したからだろう。(~_~;)

 森は、萩生田に将来の首相候補として強い期待を寄せているのだが。その背景には、萩生田を森の様々な人脈や利権(とりわけ神宮再開発、秩父宮ラグビー場移設+αの人脈や利権)を継承する政治家として見ていることがある。

<関連記事・昨年4月26日の『森、萩生田が絡む神宮再開発。坂本龍一が反対の手紙を出すも、小池が取り合わなかったわけ』など。「萩生田 神宮再開発」で検索しても、アレコレ出て来る。>

 森が、それこそ石原都知事時代(1999年~2012)からずっと東京五輪招致、神宮再開発、国立競技場新設、秩父宮ラグビー場移設、岸記念体育協会の新築、高層ビル建設などなどの計画に関わって来た。<森も萩生田もラグビー部出身。>
 そこには、都議会のドンや小池百合子都知事、あの広告会社を含め、諸企業が絡んでいるのだが。そこに萩生田も加わっているのである。(-"-)
 
 また、森が今でも岸田政権に影響力を及ぼしているのは、萩生田をはじめ安倍派の議員の一部の票を握っているからだと言われている。
 21年の総裁選の時も、安倍晋三は高市早苗を支持したものの、安倍派の議員の半数以上は、安倍派を途中でやめた高市ではなく、岸田文雄に投票したとのこと。その票をまとめたのは、森だったとのこと。
 だから、岸田首相は今でも森に頭が上がらず。次の総裁選のことも考えて、森に配慮しているという。(~_~;)
 
 ただ、mewはいい加減、自民党は、政官財癒着による利権分配などの古い政治の殻を破るためにも、森の影響力から脱するべきではないかと思うのだ。
 それは、ひいては日本の国政の向上、民主主義の成熟につながるに違いない。(**)
 
 また、そのためには、森がバックについている萩生田光一を権力の座につかせない必要があるとも思う。<萩生田は超保守派なので、尚更に。(・・)>
  
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 先月、政治ウォッチャーのプチ鹿島が、Newsweek日本版(24.4.26の「かしまし世界時評」)に『自民党の裏金問題に踏み込めないのも納得...日本が「森喜朗の国」になった経緯とは』という記事を載せていたのだが。
https://www.newsweekjapan.jp/petit_kashima/2024/04/post-4.php

 この『日本が「森喜朗の国」になった』という表現に、「うっ!」と胸を押さえたくなるようなところがあった。(プーチンの就任年は2000年)
 
『思い出してほしい。プーチンの就任年に、日本では森喜朗が首相になった。以降の日本はずっと森の影響下に置かれていないだろうか。森は政界を引退したが自民党最大派閥の安倍派(旧・森派)では今も影響力を誇っている(一応安倍派は解散したことになっているが)。そして森は東京五輪2020では、開催直前まで五輪・パラリンピック組織委員会会長として君臨していた。

 なんでこんな事態になったのだろう。首相としての森は1年で辞任せざるを得ないほどの低支持率だった。その反動で「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎首相は異常な人気を博した。結局、小泉がぶっ壊したのは自民党でなく竹下派(小渕恵三が引き継いだ平成研究会)の天下だったと世の中が気付いたとき、既に清和研(清和政策研究会、安倍派)が自民党の主流派だった。なんのことはない、小泉の怒りは怨念で、単なる党内の権力闘争だったのだ。』

* * *

 昔の話はざざっと書くことにするが。森は、1969年~2012年まで43年も衆院議員(14期)を務めた。
 岸信介元首相と縁があったことから、安倍晋太郎元外相と親しく、安倍晋三の後見役も果たした。経済界も含め広い人脈を持ち、戦略家(策略家?)でもあったことから、党内で着々と出世。また、98年には今の清和会を創設した。

 2000年4月、当時の小渕首相が病に倒れた際、密室談合を経て、森が小渕の後継者として首相の座につくことに。<関連記事・23年6月13日『参院のドン・青木が他界~五人組の密談、毒まんじゅう事件などで日本の政治史を変えた人+全仏』>
 ただ、景気が低迷していた上、「神の国」「無党派層は寝ていて」などの問題発言が続いたり、「えひめ丸事件」への対応が悪かったりで支持率がついには1ケタまで低下して、1年で退任に追い込まれることになったのだが。森派の小泉純一郎が総裁選のパフォーマンスで人気を博して、首相になった上、高支持率が続き5年超の長期政権を続けることに。以降、安倍晋三、福田康夫と森派から首相が続き、森派が党内最大派閥に成長したことから、森自身もすっかりキングメーカーとして、権力を掌握することになったのだ。<それまで強かった竹下ー橋本派に大きなダメージを与えた。^^;あとプーチンと昔から懇意だったことが、大きな武器になった。>
 
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 そんな中、冒頭にも書いた東京五輪招致+神宮再開発の計画が立てられ、森も深く関わることに。(半分、主導したと言ってもいい。)
 09年に16年の五輪招致に失敗したものの、森らは諦めず。安倍政権時の13年に20年五輪の招致成功を果たす。
 森は12年末の衆院選に出馬せず、国会議員を引退したのだが。同じ12年には、神宮再開発に関する協議(東京都の内部資料)に、当時、落選中だった萩生田光一の名前が出て来る。萩生田は早くから、森の部下的な存在として、この計画に関わって来たのだ。(~_~;)
<関連記事・https://www.tokyo-np.co.jp/article/305141 >

 他方、東京五輪に向けての諸計画で、森喜朗の意向に沿わずに不快感を与えた政治家は、排除されることになった。
 12年に石原を継ぐ形で都知事になった猪瀬直樹(現・維新の参院議員)は、13年に東京五輪招致に成功したものの、国と都の費用分担や五輪組織委の人事(森の会長就任に反対)などで森と衝突。13年末には、徳洲会から5千万円の資金供与を受けたとして辞任に追い込まれた。^^;

 ちなみに猪瀬は、16年に政治塾で講師を務めた際に『「都議会のドンこと内田茂都議(77)と、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(79)を「東京の敵」と非難。(産経16.11.14)』
 21年にはツイッターに「2013年に招致が決定した際に、(日本一のケチケチ会社というかコスト削減で有名な)トヨタの元会長の張冨士夫日本体育協会会長を組織委員会会長に推薦するつもりでいることが漏れると、僕に対する猛烈な個人攻撃が始まりました」と記していた。(東スポ21.2.4)

* * *
 
 また12年末から文科大臣&五輪担当になった下村博文は、15年、一度は決まっていたザハディ設計の新国立競技場の計画が、費用がかかり過ぎると反対。森は、19年にラグビーW杯を招致し、新国立競技場で決勝を行なうというプランを描いていたため抵抗を示した。しかし、結局、設計やり直しとなり、19年のラグビーW杯には間に合わなかったことなどから、それ以来、下村に大きな不快感を抱いている。(~_~;)
 
 下村は、それ以前に塾団体との金銭問題が報じられたこともあったのだが、結局、新国立競技場の計画白紙を発表した直後、15年秋の内閣改造で文科大臣に再任されず。<安倍首相(当時)は盟友を頼りにしていたため、総裁特別補佐と特命担当副幹事長に起用。>
 
 21年に安倍派の会長代理に就任し、22年に安倍亡き後に、安倍派の会長を務める話が出たものの、森の反対で実現せず。23年にはお飾りの顧問に追いやられたこともあって、今でも森喜朗との間で確執が続いている。(@@)
 
 そして、21年の総裁選では、高市早苗、河野太郎などを好まないことから、岸田文雄を支持し、安倍派の議員の票を回したと言われているのだが・・・。
 小派閥の岸田文雄にとって、安倍派の一部の支持を得られるか否かは、政権運営の上でも重要だし。森に不快感を与えると、面倒なことになるという思いもあるだろう。<既に、岸田が派閥解消を唱え、安倍派を解散させたことで怒っているようだし。^^;>
 
 ただ・・・ちょっと長くなってしまったので、ここで終わりにするが。
 岸田首相はもちろん、元安倍派の議員、自民党の議員たちは、思い切って森喜朗の存在、影響力から離れるように努めて欲しいと。それこそが政治改革につながると、大きな声で訴えたいmewなのである。(@_@。
 
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by mew-run7 | 2024-05-19 08:40 | 自民党について

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