【《パリ五輪》サッカー男子・・・日本はマリと対戦。日本はまく決定機を活かせず。身体能力の高いマリに押される場面もあったが、DF陣&GK小久保が何とか守って我慢。このまま0-0で終わるかと思った後半37分、細谷が右から持ち込んだ球を山本が押し込んでゴーーール!<何人もゴール前に走り込んで来て、点をとろうとする気持ちが見えてウルッと来た。(ノ_-。)>ところが、試合終了間際に日本側に不運なハンドがあり、PKに。でも、小久保のアツとチーム、ファンの念力で相手が右枠外に外し、ラッキー。2勝めをあげ、決勝T進出を決めた。(^^)
テニス・・・女子の大坂なおみは、1回戦でパリ五輪を最後に引退する元1位のケルバー(36)と対戦。大坂は緩急やコース分けしたベテランの技に、自分のペースを崩され、5-7,3-6で敗れた。(この2人は屋根付きのコートで対戦。)
男子の錦織圭は、現地午後から試合の予定だったのだが。雨のため何時間も待たされた挙句、試合は翌日に順延されることに。他にもD太郎とのダブルスや混合ダブルスがあるのに、1日で何試合もこなせるのか、ちょっと心配だ。(~_~;)】
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さすがに、TVやネットなどの諸メディアも、世間も、石丸伸二氏のことを語るのは飽きて来たような感じがあるのだけど・・・。
mewは、石丸伸二氏がどうのということより、あの都知事選で、10~30代の若者や40歳ぐらいまでの女性の一部と、他の中高年層の候補者の見方や選挙への考え方が大きく違ったことに、ずっと関心を抱き続けている。
それは、今後の選挙や政治だけでなく、社会、教育、医療などなどあらゆる分野において、大切な要素になるだろう。(・・)
まあ、昔からジェネレーション・ギャップは存在するもので。戦前育ちの祖父母、戦後間もなく育ちの父母、高度経済成長の中で私とは、同じ言葉をきいても、思いつくことも感じるものも考え方も、大きな違いがあったものだ。<ただ、何か共有できるものもあったけど。^^;>
そんなこんなで、暇なときには、ちょこちょこと石丸現象に関する記事や文を読んでいるのだが・・・。
なるほど、こういう見方もできるのか、と思ったのがコレ。一部を引用、アップしたい。
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『40代以上はなぜ「石丸伸二」を「理解できない、大嫌い」なのか?若者不在の「オールドメディア」と化した「ネットとX」の限界 』(御田寺 圭)
現代ビジネス 2024.7.13 より引用
全文は https://gendai.media/articles/-/133609
『いったいなにが石丸氏をここまで躍進させたのか? そしてなにより、なぜその躍進の兆しを、ほとんどの人が捉えられなかったのか?
Xで渦巻く「理解できない」の声
いきなり結論から言ってしまうと、今回の都知事選の「石丸フィーバー」を支えたのは間違いなく10代~30代の若年層である。
逆に蓮舫氏は、立憲民主党と日本共産党の主たる支持層であるシニア世代の支持を固めた。データでみるとその差は歴然で、報道各社の出口調査を見ると10代・20代・30代では石丸氏が投票先としてもっとも多く、これらの世代における蓮舫氏の得票(支持)はかなり小さいことがわかる。
統計的には、東京は日本でもっとも少子化が進んでいるものの、しかし日本全体を見ればもっとも若年層の絶対数が多い地域だ。つまり若者が「数の論理」によって高齢世代の政治力を跳ね返しうるポテンシャルを持つ、数少ないエリアのひとつであることもまた事実なのである。今回の「石丸フィーバー」は、「若者の絶対数が多い」という東京の特性がわかりやすく顕在化した事例と見ることができる。
しかしながら、いまやアクティブな情報発信や意見交換を行うユーザーをもっぱら中高年層が占めるXを観察してみると、10~30代が石丸氏を熱烈に支持していることについて、理解がまったく及ばない人が多いようだった。
見え方が「正反対」だった
Xのユーザーたちに、若者たちの投票行動が理解できなかった理由はいたってシンプルだ。石丸氏はソーシャルネットワークを利活用してそのプレゼンスを高める「SNS時代」の政治家のひとりであるのはまちがいないのだが、しかし若者層と中高年層では石丸氏の「見えかた」が180度異なっていたからだ。
Xに常駐する中高年層から見える「石丸氏」といえば、たとえば選挙前からX上で拡散していた安芸高田市長時代の「パワハラじみた」言動の切り抜き動画や、言葉尻を捉えた揚げ足取りに終始しているイメージだった。ようは「部下を攻撃的・挑発的な態度で詰めたり、細かい言葉遣いや表現にいちいち突っかかって議論を空転させ、“仕事ができる人っぽい”演出をしているだけの胡乱な人物」との印象を持っている人が多かった。
念のため断っておくと、X民が抱く石丸氏へのイメージがまるっきり偏見や誤りだったと言いたいわけではない。実際に石丸氏には、市長時代のトラブルで名誉棄損訴訟にまで発展した来歴もあり、その不穏当な言動は必ずしも敵対陣営によって誇張された「印象操作」というわけではない。
だがそれは、TikTokやYouTubeショートで「切り抜かれた」、つまり若者たちがスマートフォン越しに見る「石丸伸二」の姿とは相当にかけ離れていたことは間違いない。
「高齢者に虐げられる若者」の象徴
YouTubeショートやTikTokで見る石丸伸二は、Xのコンテクストとはまったく異なっている。「だらけきったシニアに牛耳られた日本の古い政治体制・既得権益に、果敢にも風穴を開ける若き俊英」のように見えるし、そしてなにより、石丸氏と対立して紛糾する議会や議員たちの様子は「既得権益側の年寄りたちが、志ある若者を妨害している」という、現代の日本社会のある種の“メタファー”のようにも見えてしまうのである。
YouTube上やTiktokで拡散している石丸氏の動画は、安芸高田市議会で、市長時代の石丸氏が高齢の市議会議員たちを論戦で言い負かすシーンを切り取ったものが典型的だ。動画には「リアル半沢直樹!」「若さと勢いがある」「日本が変わるドラマを見せてほしい」といったコメントが寄せられ、石丸氏に対して「閉塞的な高齢社会に風穴を開けてくれる存在」という期待感が寄せられていることがわかる。
石丸氏はたしかにXのアカウントを持っているが、しかしそこは彼の「主戦場」ではなかった。だからこそ、Xだけを見て「世の中」を知ろうとしている人(最近は本当にそういう人が多くなってしまったように思う)ほど、「石丸フィーバー」の深層が見えなくなってしまった。それには一般ユーザーだけでなく、政治関係者もメディア関係者も含まれていた。
テレビや新聞といった旧来の媒体はしばしば「オールドメディア(レガシーメディア)」などと呼ばれる。しかしながら今回の一件で確信したのは、ウェブメディアやXなどの主として中高年層が集まるいわゆる「インターネット」の世界は、いまや若者たちが集まる「ソーシャルネットワーク」の世界とは相交わることがないということだ。それぞれの観測範囲や文脈やトレンドがまるで異なる分断線がふたつの世界の間には横たわっている。
端的に言えば「インターネット」も今日においては、もはやれっきとした「オールドメディア」の一員なのである。』引用ここまで
石丸氏に関しては、TVを中心に見ている中高年とネット中心の若者の間で、知名度や印象に違いが生じているという見解が多かったのだが。上の記事にあるように、もはやPCも含めてインターネットを使う中高年と、スマホ・ショート動画の若者世代でもズレが生じているのだ。<最近、自分の周囲でもそれを実感している。>
この辺りの区分のことは、また機会があったら書きたい。
あと自分が若い時も、中高年とは同じものを見ても見え方が違ってたと思うけど。何か今の若者との見方の差異は、異質になっている気が・・・。
そして、このようなことを認識しておかないと、どんどんギャップ、ズレ(もはや断層)が生じて、政治云々どころか、同じ社会で共存できなくなるのではないか、と危惧しているmewなのである。(@_@。
THANKS