改めて・・・今日、6月23日は沖縄慰霊の日だ。(**)
沖縄全戦没者追悼式が行われた糸満市摩文仁の平和祈念公園には、沖縄県民12万人超や日本軍、米軍も含め、24万人以上の死者の名が刻まれた「平和の碑」の石碑が並んでいる。
慰霊の日には、朝から遺族がひとりで、または家族みんなで亡くなった親族の名がある石碑のところに花や水を手向け、親族を追悼し、平和を祈る姿が見られる。<子や孫の代に沖縄戦の犠牲や平和の大切さをしっかりと伝えたいという思いを感じる。(・・)>
今年は戦後80周年を迎えたこともあり、石破首相だけでなく、衆参議長、最高裁都長官と三権の長が出席した。式典で権の長がそろうのは戦後50年だった1955年以来となる。
また、国連軍縮担当上級代表の中満泉事務次長、昨年、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の田中重光代表委員と共に遺族ら約4千人が参列した。(・・)
玉城デニー沖縄県知事は「平和宣言」で、このように訴えた。
『住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を伝え続けていくことは「今を生きる私たちの使命」と強調。米軍人らによる事件事故や、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設問題などを挙げ「過重な基地負担が続いている」と訴え、核兵器使用の可能性を示す動きなど世界で複雑さを増す安全保障環境にも言及した。
その上で、国際平和研究機構の創設や、沖縄の戦争遺跡群の保存活用、核軍縮と核兵器廃絶に向けた広島や長崎と連携した国際社会への働き掛けなどに取り組む考えを表明。「戦後80年は一つの通過点」とし、「国際社会と共に恒久平和の実現に貢献する役割を果たしていく」と強調した。(時事通信25年6月23日)』
玉城知事は今年も、うちなーぐち(琉球語)と英語でも、平和への思いを訴えた。(++)
<あと豊見城市立伊良波小6年・城間一歩輝くんが作詩、朗読した「おばあちゃんの歌」も、おばあちゃんの歌う姿や表情が浮かんで来るような感じで、本当にじーんと来るいい作品、朗読だった。「生きててくれてよかった」という言葉にも、胸が熱くなるものがあった。"^_^">
石破茂首相の来賓あいさつも、いかにもという感じの表面的なものではなく、首相の思いが伝わって来るものだった。(・・)
<私がきいたことがある自民党政権の首相の挨拶の中では、参列者の拍手が一番大きかったかも。・・・それこそアノ首相の時には、会場に来た時から「帰れ」コールが起きたり、挨拶の時もしら~っとしていたからね~。^^;>
石破首相は、「平和の礎に刻まれた全ての戦没者の無念と残された方々の悲しみを私たちは決して忘れてはならない。私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたもの」だと語った。
また、「小泉内閣で防衛庁長官として国民保護法制に携わった際、『決して、民間人が戦に巻き込まれることがあってはならない』という強い思いの下、法整備に取り組んだ。このとき念頭にあったのは、この悲惨な沖縄戦だった」「沖縄が負われた深い傷に思いを致し、戦争の愚かさと悲惨さを改めて正面から見つめ、平和で豊かな沖縄の実現に向けて力を尽くすことは、国家の重要な責務だ」と述べた。(発言部分FNN25年6月23日)
そして、『沖縄の基地負担軽減について「目に見える形で実現する。それが私自身の強い決意だ」と明言。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と述べた。(時事通信25年6月23日)
* * *
石破首相はまた、今回の挨拶の中で「ひめゆり学徒隊など若者までが犠牲となった。全ての戦没者の無念を忘れてはならない」と語った。(読売6.23)
今年5月、自民党の西田昌司議員が「ひめゆりの塔」に「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて、沖縄が解放されたという文脈で書いてある。歴史を書き換えると、こういうことになってしまう」などと事実とは異なる発言を行ない、沖縄県民を傷つけることに。
石破首相は、自民党総裁としてすぐに西田氏の発言について沖縄の県民に謝罪。また玉城知事にも頭を下げたのだが・・・。おそらく西田氏の問題発言が、頭にあったのだろう。(-"-)
しかも、石破首相は式典が終わった後、沖縄戦で犠牲になった女学生らの慰霊碑「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)を訪れて献花を行ない、併設された資料館も見学した。現職首相の訪問は、2012年の野田佳彦氏以来、13年ぶりだという。(・・)
『石破首相がひめゆりの塔を訪問するのは、防衛庁長官だった時以来、22年ぶりのことです。
石破首相:どうしてもこの場に来たかった。20数年前に見た時の、あの粛然たる思いをもう一度、自分の胸に刻まねばならないと思ったからであります。
石破首相は訪問の理由について、「総理大臣として仕事をする中で、戦争の悲惨さをもう一度自分の胸に刻まねばならない」と語り、「その思いは今日さらに強くなった」と述べました。(FNN25年6月23日)』
石破首相のこういう行動や発言を見ると、(もし多少は計算やシナリオがあったとしても)、自民党政権の中で考えた場合、この人が自分の国の首相であってくれてよかったと。
・・・というか、(西田昌司氏もその一員なのだが)、ともかく安倍シンパの超保守派の議員が首相にならなくて、ホント~によかったと。しみじみ思ってしまった。(・・)
<石破氏も保守タカ派、改憲派として有名だけど。明治~戦中に執着し、自分たちの思想に合わせて歴史を修正しようとする超保守派ではないのが救い。>
* * *
今日の式典には、サッカー日本代表の森保一監督も参列した。森保氏は、長崎出身で高校まで育ち、広島のチームで選手、監督として活動。3歳だった父親は原爆の爆風に吹き飛ばされた経験をしていることもあって、原爆の問題に関心が深く、平和維持に関する活動も行なっている。
『式典後、玉城デニー知事とも対談し、「サッカーは国と国をつなぎ、違う立場を認め合うということができるスポーツだと思う。世界平和を願いながら、サッカーに取り組んでいきたい」と気持ちを新たにした。
玉城知事は戦争体験の語り部が少なくなっていることに触れ「沖縄が長崎、広島と何を伝えていくか。お互いにつながっていくことが大切」と、平和へのパス交換を希望した。(沖縄タイムス25年6月23日)』
今日の1本めの記事にも書いたように、つい2日前、イスラエル&米国とイランの戦闘の問題が起きて、世界中が戦々恐々としているのだが。玉城知事が言っていたように、日本が何らかの形で、恒久平和を実現する役割を担うことができればと。簡単なことではないけど、ずっと平和を祈り、訴え続けて行くことが大切だと思っているmewなのだった。(@_@。
THANKS