mew周辺では、参院選が終わってから何回か、「石破って、何であんなに自民党内で嫌われているの?」という話題が出ていた。
<「党内に友達や味方がほとんどいないんでしょ?」「顔が怖い時があるけど、他人にも怖いのかな?」「性格が悪いの?」とか。^^;>
今回は、石破氏が何でこんなに党内で嫌われているかについて書いてみたい。<前にも何回か書いた気もするけど、今が一番、注目されているし。>
石破茂氏は57年に姉二人の末っ子長男として、東京都千代田区にて出生。父は建設省(現・国交省)の官僚だったが、58年に鳥取県知事に当選したため、石破氏も鳥取で育つ。(父は74年まで知事を務め、同年から81年までは参院議員に。)
高校から上京し、慶応義塾高校→慶応大学(法)を経て三井銀行(当時)に就職。81年に父ががんのため死去したため、父の友人だった田中角栄氏に勧められ政界入りを決意。田中派の事務局に勤務し、86年に自民党から鳥取全県区から出馬して衆院議員になる。(当時29歳で最年少議員。)以降、13期連続で当選している。
88年にリクルート事件をきっかけとして武村正義、鳩山由紀夫らとともに政策勉強会「ユートピア政治研究会」を結成。(2人とも当時は自民党。後に離党して細川政権に参加。)
93年に宮沢内閣の不信任案に賛成。その後の衆院選で細川陣営に負けて、下野する。 河野洋平総裁が「憲法改正論議を凍結する」と言ったことを理由に離党し、少しして小沢新党(新生党→新進党)に加わる。
自民党が初めて野党に転落して苦しかった頃、自民党を出て行って、新政権に加わったことから、当時の若手議員(安倍氏を含む?)は石破氏を裏切り者だとして、快く思っていないという。(~_~;)
しかし、新進党の小沢代表は当初は意欲を示していた改憲や集団的自衛権容認などの論議を進めず。石破氏はこれに失望し96年に新進党を離党。同年、無所属で衆院選に当選し、97年に橋本自民党に復党した。(・・)
2・07年、安倍おろしに加担。12年以降、安倍晋三氏のライバルになる
石破氏は復党後、重用され、02年には小泉内閣の防衛庁長官に就任。07年には福田政権下で、防衛大臣に任命される。
この頃は、自民党内の改憲積極派、軍事オタクのタカ派として知られており、民主党(当時)の前原誠司氏らと勉強会を開いたりしていた。(-_-;)
ただ石破氏自身は、日本の戦後体制を前提にした(ふつうの)保守であり、安倍氏らの戦前志向の超保守派とは距離を置いていた。
06年に総理総裁になった安倍晋三氏が、07年の参院選で惨敗しながら「辞任しない」と言った時には、両院議員総会で「なぜ続投するかを述べ、我々議員のみならず国民の広い理解をいただくことが必要だ」と追及。
「やはり責任は総理にある。私の使命だと何度も言っていたけれども、民主主義国家における指導者というのは、主権者たる国民が『あなたやりなさい』ということがあって、初めて使命を果たすことになる。国民は『あなたにやってもらいたいとは思いません』と言ったのではないか」と批判した。(発言内容は、ABEMA TIMES25年7月28日)
安倍氏自身もそうだったが、同氏の友人や後輩は、その時の石破氏を許せないという。^^;
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尚、12年の総裁選では、安倍晋三氏が本命視されていたのだが、石破氏も出馬。1回めの投票で、石破氏は199票(議員票37票、党員票165票)をとり、2位の安倍氏(141、54+87)を引き離してTOPになる。
結局、国会議員だけで行う決選投票で108票対89票で安倍氏が新総裁に決まったのだが、それ以降、安倍氏&安倍陣営は石破氏をライバル視(敵視)して警戒を強めた。
12年から14年は幹事長、その後16年まで地方創生大臣に起用し、石破氏が安倍氏に対抗して総裁選に出馬しにくい形を作った。
石破氏はようやく18年になって総裁選に出馬し安倍氏とに一騎打ちになるも、安倍陣営は早めに石破氏が優勢だったはずの党員票を固め、553票(議員票329、党員票224)対254票(73+181票)で石破氏に圧勝した。(・・)
ただ、この2つの総裁選の結果を見ても、党内で石破氏を支持する議員はそう多くない。^^;
また、石破氏は安倍二次政権でも、その政策を批判する機会が多く、それも今、安倍陣営から嫌われる要因になっている。(-"-)
3・09年、麻生内閣の閣僚だったのに「麻生おろし」に加わった
08~9年、麻生政権下では、リーマン危機のため経済状況が悪化していた上、党内対立が激化して、支持率も低下。6月に自民党が都議選で惨敗したこともあり、「麻生では衆院選が勝てない」というムードが党内に広がった。
石破氏は麻生内閣の農水大臣を務めていたにもかかわらず、「麻生おろし」に加担。当時の石破派の議員と共に、退陣要求に加わった。
麻生氏は今でもそのことに強い恨みを抱いており、昨年の総裁選では石破氏を落とすために、あまり懇意ではないものの高市早苗氏を支持。
今も「石破首相の続投は認めない」と明言している。(-_-)
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4・派閥政治を批判して派閥を離脱したのに、自分で派閥を作った。でも、崩された
石破氏は97年に復党後、旧・田中派の流れを組む旧・額賀派(最後は茂木派)にはいり、活動していたが、派閥政治に問題が多いと批判して、派閥を離脱。しばらく無派閥の議員とグループで勉強会や連絡会などの形で活動を行なっていた。
しかし、12年の総裁選で安倍氏に負けた後、なかなか次の総裁選に出馬する機会が得られない(同じ方針を訴える味方が少ない、推薦人を集めるにも大変な)ことから、結局、石破派(水月会)を作ることに。
衆参20人の議員が集まったが、石破氏はその後も総裁選に勝てず。派閥の議員は、安倍政権下の人事で(選挙支援も?)冷遇されたこともあり、議員が徐々に減ることに。21年に派閥からグループに変更した。<今回、閣僚になった赤沢亮正経再大臣と平将明デジタル大臣は石破G。>
ただ、派閥政治を批判して派閥を出たのに、自分で派閥を作ったことに、他派閥の人たちから批判が相次いだ。
茂木敏光氏は同じ額賀派に所属し、石破氏が目の上のタンコブだったので、石破氏が離脱したこと自体は喜んでいたと思うが。額賀派(茂木派)の議員の中には、石破氏を裏切り者だと思っている人もいるようだ。(~_~;)
あまり長くなっても何なので、ここら辺で終わりにするが・・・。
う~ん・・・こうやってみると、組織のメンバーとしては、嫌われても仕方ないのかなと思える部分が結構あるかもな~と。政治に対する考えには賛同できるものがあるけど、組織人としては、よくぞ首相になれたな~と思ったりもするmewなのだった。<でも、政治思想の面で、ここはッ首相を粘って欲しいのよね。>(@_@。
THANKS