これは8月15日、2本めの記事です
東日本大震災、熊本、能登の大震災をはじめ全国の自然災害の被災地の方々へ 早期復興を願うと共に、前向きにガンバです。o(^-^)o また、阪神淡路大震災を含め、被災地だけでなく全国の人々が、各地の被害、経験、情報などを風化させず、今後の災害の予防、対策に活かすようにして行きましょう!(・・)
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最初に、今日8月15日の終戦記念日に靖国神社に参拝を行なった閣僚、有名議員の話から。(・・) <今日の靖国参拝。♪BGMはあの曲。わかる人だけわかる。HR>
まず、石破首相は「自民党総裁・石破茂」として私費で玉串料を納め、神社への参拝は行わなかった。
午前8時頃、小泉進次郎農水大臣が神社に参拝した。小泉氏は09年に当選して以来、毎年、終戦記念日に参拝を行なっている。
「初当選以来、毎年の行動だ。不戦の誓いと、国家のために命をささげた方に対する礼を忘れないことは重要なことだ」と述べていた。(発言部分NHK8.15)
また石破内閣からは、大串正樹経済産業副大臣らが参拝したという。
追記・加藤勝信財務大臣が参拝した。
この他、有名どころ&安倍系の超保守派では高市早苗氏、小林鷹之氏、萩生田光一氏、稲田朋美氏、新藤吉孝氏、古屋圭司氏、また木原稔氏などもそれぞれ参拝していた。
<小林鷹之氏は祖父が中国で戦死して祀られているとのこと。>
超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・逢沢一郎氏)は毎年、春と秋の例大祭と8月15日の「終戦の日」に靖国神社に参拝している。
今日は自民党や日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党などの国会議員52人が靖国神社の本殿に昇殿し、そろって参拝したという。
<以前は100人規模で参拝していたが、年々、メンバー数が減少。今年は52人にまで減った。>
尚、自民党では、13日に西村康稔氏、14日に森山裕氏(現幹事長)が参拝を行なっている。
あと日本保守党の百田尚樹代表も15日に参拝していた。
* * *
今日、最も注目されていたのは、神谷代表を含め参政党の議員18人が全員で、参拝を行なったことだ。(@@) 追記・地方議員を含め、88人で参拝。
『神谷氏は参拝後に報道陣の取材に応じ、「国の指示もあったが、国のためにみんなを守るために戦い、尊い命を失った方々に感謝と追悼の気持ちを伝えたい。二度と日本が戦争の惨禍にあわないように平和を守る政治をやりたいという思いを伝えた」と述べた。
一方、旧日本軍による中国への侵略についてや、政治家による靖国神社参拝に対して批判があることについて記者から質問が上がったが、周囲が遮り、神谷氏も答えなかった。
神谷氏は6月23日、那覇市であった街頭演説で、日中戦争について「(日本は)中国大陸の土地なんか求めてない。日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそだ」と言及。「中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争としてどんどんどんどん行った」との見方を示した。(毎日新聞25年8月15日)』
<そもそも何故、満州など中国大陸の一部を陣取ってたのか、説明して欲しい。何故、自衛戦争で中国を縦断して制圧して行ったのか。
彼らは、あくまでも中国を含めアジアの人々を欧州列強から守って、大東亜共栄圏を作るための自衛戦争だと言い張るんだよね。(-"-)>
その参政党が、今日、終戦記念日の談話を発表していた。
『我が国は、いま大東亜戦争終結から80年という、大きな節目を迎えています。
遡れば戊辰戦争から157年。
不平等条約の改正を求め、脱亜入欧の旗のもと、西洋列強の帝国主義の掟に合わせて
軍事力を競い抜いた77年の歩みは、大東亜戦争の敗戦によって幕を閉じました。
その中で行われた幾多の戦いにおいて、祖国と家族を護るため、尊き命を捧げ、
散華された英霊の御霊に対し、私たちは心から哀悼と感謝の誠を捧げます。
その崇高な精神と犠牲の上にこそ、この80年間、
我が国は軍事的な戦火に巻き込まれず、平和と繁栄を享受してきたのです。
戦後の前半、日本は軍事では敗れながらも、経済の戦いに挑み、
不死鳥のごとく焼け野原から立ち上がりました。
そして、歴史に類を見ない復興と発展を遂げ、世界中を驚かせたのです。
しかし、我が国は後半の30年で「失われた時代」に突入しました。
国際競争力は低下し、貧困が進み、人口減少の波が押し寄せ、
国民は将来への希望を見失いつつあります。
経済の停滞は暮らしを圧迫し、エネルギーや食料の自給力の低下は、
国家の安全そのものを揺るがす事態となっています。
その中で、今こそ私たちは明治維新からの160年、
大東亜戦争終結からの80年を総括しなければなりません。
先人は何を思い、いかに戦ったのか。
歴史の光と影を学び、二度と国民を戦禍にさらすことなく、グローバリズムの荒波を乗り越え、
命を懸けて護られた「日本」を未来へと繋ぐ――。
それが、今を生きる私たちの使命です。
この節目の年、参議院議員選挙が行われ、長らく戦後日本の政治を牽引してきた自民党が、
結党以来初めて衆参両院で過半数を割りました。
その一方で、「日本人ファースト」を掲げる我が参政党が、多くの国民の支持をいただきました。
この結果は、単なる政治勢力図の変化ではありません。
それは、政府与党や既成支配層に見放されたと感じる国民の怒りであり、
同時に「このまま日本を滅びゆかせてはならない」という覚悟、
そして希望と変革への熱い思いの結晶なのです。
私たちは、こんな国民の思いと期待を真摯に受け止めます。
経済の復興による国民生活の安定、防衛力の強化、食料とエネルギーの確保、
そして国民の精神的豊かさを取り戻す教育の再興――。
この国の礎を成す全てを再び確かなものとするため、
私たちは愚直に、力強く歩を進めてまいります。
先人が護り抜いた日本を、次の世代へ。
そして、子や孫たちが誇りと希望を胸に生きられる未来を、この手で切り拓くために。
参政党は、全身全霊をもって戦い続けます。』
* * *
何か最初の方からあ然としてしまった。ちょっとコワイ、コワイって感じ。何かチョット時代錯誤というか、同じ世に生きていない気さえしたりして。マジにこんな認識で国政に参加されちゃうと日本がアブナイぞ~と思ってしまう。<日本保守党の談話はもっとトンデモないものだったけど。でも彼らの考え方がいかに偏っているかがわかっていいかも。関心のある方は、*1に。>
まあ、でも、安倍晋三元首相もそうだったように、超保守思想を持った人の多くは、明治維新から戦前の政治、天皇を中心(国体)とした富国強兵の国政を理想としているわけで。参政党は、それを思いっ切りオモテに出してやって行くつもりなのだろう。(-"-)
まず、どうか日本の国民の多くにこのことを知って欲しい。そして、その上でよ~く考えて今後の投票行動を行なって欲しいと切に願っているmewなのである。(**)
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本日、大東亜戦争終結から八十年を迎えました。
あの戦争の記憶をたしかに持つ国民はごく僅かとなりました。終戦当時、成人であった人が百歳を超える歳月が過ぎ、大東亜戦争はすでに歴史となったと言えます。ただし、惨禍を繰り返さないために、あの戦争がいかに始められたかを総括する必要がありますが、日本政府はこれを避けてきたとも言えます。
大東亜戦争の直接の原因は、昭和十六年八月のアメリカからの石油の全面禁輸です。当時、日本が全消費量の八十パーセントを頼っていたアメリカの石油を止められるということは、国としての「死」を意味しました。このとき石油備蓄がどれくらいあったか正確なところは不明ですが、仮に半年分あったとしても昭和十七年の二月には日本の経済活動はほとんど途絶えることとなったでしょう。当然アメリカ政府はこのことをわかっていました。
日本が「死」を回避するには、アメリカから突きつけられたハルノートの要求をのむか、油田を得るためオランダ領インドネシアに侵攻するかの二者択一でした。
仮にハルノートを受け入れれば、即死は免れたでしょうが、緩慢な死が訪れたことは疑い得ません。そうなっていたなら、当時の世界のほぼ全ての有色人種と同じく、日本は欧米列強の支配下に置かれたことでしょう。
二十世紀初頭の世界は、今の私たちが見ているような世界ではありませんでした。アジア、アフリカ、中南米の有色人種のほとんどが独立した国を持たず、欧米列強に支配され、ひたすら収奪される憂き目に遭っていました。
ヨーロッパの国々による植民地支配の歴史は古く十五世紀に遡ります。いわゆる「大航海時代」です。列強は十九世紀までに世界の有色人種が住む地域のほとんどを植民地にしていましたが、そんな彼らから見れば、極東に位置する日本は最後に残された“手つかずの地”だったのです。
十九世紀後半、ペリー率いるアメリカの東インド艦隊(黒船)によって鎖国の扉をこじ開けられた日本は、必死に植民地化を防ぎました。
当時は「力による現状変更」が当たり前でした。強い者が弱い者から奪う、まさしく「弱肉強食」の世界です。明治政府は列強の侵略に備えて富国強兵政策をとり、産業振興に力を入れました。その結果、世界史上でも類を見ないスピードで近代化を成し遂げ、欧米に追いつき、独立を守り抜いたのです。
二十世紀初め、日本は南下作戦を取るロシアと戦いました。日本が初めて白人の国と戦った戦争です。もしこの時敗れていれば、日本がロシアの植民地となった可能性も否定できません。その後はソビエト連邦の一部となって共産化され、中央アジアの共和国や自治区と同じ運命を辿ったかもしれません。当時、白人が有色人種を支配するのは当然と考えられていたからです。
しかし日本はロシアに打ち勝ちました。このことは欧米を驚かせ、世界の有色人種に大いなる希望を抱かせたのです。
そののち、第一次世界大戦後の講和会議の場で、日本は国際連盟の規約に「肌の色の違いによる差別はなくそう」という文言を入れようと奔走しました。今日、世界共通の認識となっている人種差別禁止の概念を、世界で初めて主張したのが日本であったことは誇っていいと考えます。ただ残念なことに、これは米英両国に阻まれました。
日露戦争での勝利や第一次世界大戦の戦勝国となったことで、欧米諸国は日本への警戒を強めることとなりました。特にアメリカは満洲の権益で日本と対立するようになり、国内でも日系人排斥政策をとり始めます。この頃からアメリカは日本を仮想敵国と見做すようになっていたのです。
さらに満洲をめぐって日本と対立する中華民国を欧米列強が援助したこともあり、日本と列強の溝は深まっていきました。このあたりの歴史はとても複雑で、短い談話では語り得ません。前述のハルノートも日本が満洲から手を引くことを要求していました。
今日、満洲は日本が中華民国から奪ったと認識する向きがありますが、これは誤りです。もともと満州は女真族(満州族)の故地であり、中華民国が建国時に満洲を自国領だと宣言したに過ぎず、同国は一度も実効支配していません。それ以前も漢族が満洲を支配したことはなく、歴代の漢族王朝からは「化外の地」とされてきました。
話は数世紀も遡る歴史に及びましたが、大東亜戦争の要因を突き詰めようとするとき、欧米列強の植民地政策および有色人種への支配の歴史を無視することはできないのです。
大東亜戦争と第二次世界大戦はかなりの部分で重なっていて、しばしば同一視されますが、実は両者は別ものです。たまたま軍事同盟を結んでいたドイツが英仏ソ(後にアメリカ)に対して行なった戦争とほぼ同時期に、共通の敵と戦ったことで同じ戦争と見做されていますが、二つは違う戦争です。
大東亜戦争を語る際、日本はアジア諸国を侵略したとする論がありますが、これも正確ではありません。日本が戦った相手は、東南アジア諸国を植民地にしていたイギリス、フランス、オランダ、アメリカであり、当時、ベトナム、インドネシア、マレーシア、カンボジア、ミャンマーといった国々は存在しませんでした。
だからといって日本に責任がないとは言いません。これら地域における日本の占領統治は必ずしも寛大なものではなく、一部には資源の収奪もありました。
しかし結果的に、日本が欧米列強をアジアから追い出したことで、戦後、東南アジア諸国の独立が成った面もまた否定できません。
シンガポールのゴー・チョクトン元首相はこう言っています。
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後十五年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」
インドのサルヴパッリー・ラーダクリシュナン元大統領の言葉はこうです。
「インドでは当時、イギリスの不沈艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」
ミャンマー(当時はビルマ)のバー・モウ元国家元首は次のとおり述べています。
「歴史的に眺めて見ると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他にどこにもない」
これらの言を理由に、日本の占領を良しとするわけではありませんが、世界史を俯瞰すれば、日本軍の戦いによってアジア諸国の独立が進んだことは確かであり、日本の果たした役割が小さくなかったと見るのが自然です。
また大東亜戦争終結後、多くの日本兵が戦地に残り、アジアの人々と共に欧米からの独立を賭け戦ったことも特筆しておきます。インドネシアでは約二千人の日本兵がインドネシア人とともに四年にわたってオランダと戦い独立を勝ち取りました。同国の英雄墓地に、この戦いで亡くなった多くの日本兵が眠っています。戦後、故国に戻れたはずの日本兵が「インドネシアの独立を叶える」という約束を守るため命を捧げたのです。
今日、国内外で、日本の戦争責任を追及する声があります。しかし、大東亜戦争の責任が日本のみにあるという考え方は正しくありません。「日本だけが悪かった」という一方的な見方で、何世紀にもわたる欧米列強のアジア支配の歴史や、明治維新後の日本への列強の圧力を考慮に入れず、大東亜戦争の本質を理解することはできません。
二十世紀はまさに戦争の世紀でした。二つの世界大戦以外にも多くの戦争がありましたが、日本は大東亜戦争において多くの国々で少なくない人命を奪い、同時に日本もまた祖国に殉じた二百三十万の兵士を含む三百万を超える尊い命を失ったのです。
東京大空襲、広島と長崎の原爆投下という世界史上でも稀な惨禍にも見舞われました。
にもかかわらず、戦後の日本人は「自国だけが悪かった」という意識を強く持ちました。戦争責任が日本のみにあり、欧米や中華民国にないかのように捉えるのは明らかに偏った考えです。贖罪意識は悪いことではありませんが、強い自虐思考は歴史と戦争への理解を歪め、思考停止を招く危険さえ孕みます。これが今日、アジアの一部の国々との関係をおかしくしている一因でもあります。
戦後の日本は、世界が驚倒するほどの復興と経済発展を遂げ、世界平和に貢献しました。戦時に占領した国々を含む途上国へ、多くの援助を行い、敵国だったアメリカとは強固な同盟と親善関係を築いています。
戦後八十年、戦争の「罪」は償ったと言えるでしょう。少なくとも、今を生きる日本人がその罪を背負う必要はありません。
歴史となった戦争を振り返るのは、本来歴史家の仕事です。私たちは歴史を政争の具とせず、未来の平和と繁栄をいかに構築するかを考える標としたいと思います。
令和七年八月十五日
日本保守党 代表
百田尚樹
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