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自民党は今年11月15日に、結党70周年を迎える。(@@)
この記事には、自民党がHPに載せている立党の精神、綱領について書く。<今後の参考資料にしたいので。>
というのも、最近、様々な政治家や団体などから「自民党の立党の精神に基づいて」という言葉をきくからだ。
じゃあ、自民党の「立党の精神」とは何なのか。それを知っておく必要がある。(・・)
ちなみに、自民党のHPに「立党宣言・綱領」が記されたページがある。(++)
https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/
すごく長くて全てコピペするのは困難なので、関心のある方は、上のページで読んでただきたく思うのだが。
自民党には「立党宣言」や「綱領」が3つあるのだ。^^;
一つはまさに結党時の1955年に作られたもの。(総裁・鳩山一郎)
もう一つは、2005年、立党50年時のもの。(総裁・小泉純一郎)
3つめが2010年、立党55年時のものだ。(総裁・谷垣禎一)
* * *
自由民主党が、いわゆる「保守合同」により結党したのは、1955年11月15日のことだった。
戦後の経済、産業復興が始まった中、日本では労働組合的な活動や国家、人権のあり方などに関する議論が活発になって行き、国民の間に社会主義(+共産主義)思想が広がって行った。(超保守派に言わせれば、コミンテルンの思惑も働いた?)
そして1955年に2つに分かれていた社会党が再統一されたことから、日本の保守政治家や経済界、米国はこの社会主義、社会党の拡大を懸念。これを防ぐために、保守系政党を合流させ、安定した政権を築くことを考えた。
そこで、1955年、2つの保守政党「自由党」、「日本民主党」が合流(保守合同)し、今の「自由民主党」が結党されたのだ。
そして、ここから「自民党vs.社会党」「保守vs.革新」の「55年体制」が始まる。(・・)
<自民党の方が「自由民主主義や伝統を守る」側なので「保守」。社会党は、新たな思想で社会改革を目指す「革新」とされた。この体制は、自民党が下野する1993年ぐらいまで続いた。^^;>
* * * ☆
2つの保守政党には、少し違いがあって。吉田茂氏(麻生太郎・祖父)が率いていた「自由党」は、どちらかと言えば、日本の戦後体制、自由・民主主義を守ることを重視sる傾向がある。一般に、保守本流と言われている。
<mew的に言うと、日本の戦後体制、自由民主主義を守る「ふつ~の保守」。>
一方、鳩山一郎氏(由紀夫・祖父)や岸信介氏(安倍晋三・祖父)などが率いていた「日本民主党」はどちらかと言えば、戦前からの日本の歴史、伝統、文化などを守ることを重視、日本の真の独立、新憲法制定(憲法改正」を目指すことを目標にしていた。一般に保守傍流と呼ばれている。
<この中で過度に戦後の憲法や社会・教育体制を否定する思想を、mewは「超保守」と読んでいる。真正保守、伝統保守などと呼ぶ人もいるようだ。
このバックには、日本会議、神道政治連盟などの団体がついている。>
* * *
1955年の立党宣言、綱領を見ると、社会党に対抗する意識もあってか、自由主義・民主主義を強くアピールしている内容になっている。
『立党宣言・政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。』
『綱領
一、 わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。
一、 わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。
一、 わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。』
党の性格には国民政党、平和主義政党、真の民主主義政党(個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保など)、福祉国家の実現などと記されており、最後の最後の方の党の使命、政綱に「現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備」「国力と国情に相応した自衛軍備」と記されていた。^^;
<この自民党の基本精神は、戦後の国民に広く受け入れられており、今でも60か70代以上の国民の中には、自民党は「自由民主主義・平和主義を守る」国民政党だと思い込んでいる人がかなりいるのではないかと察する。<mew周辺の年配の人、特に女性はそんな感じ。>
* * *
もちろん、自民党は3代めの首相(1958~60年)の岸信介氏みたいに、戦後体制を批判し、憲法改正を何とか実現したいと考えた人もいたのだが。
岸自民党は1959年6月の参院選で、日米安保条約と憲法改正などを争点に戦ったものの、自民党は定数250議席中132議席とギリギリの過半数しかとれず(社会党は85議席)。
改憲発議に必要な2/3の議席は遠く及ばなかったため、改憲派の意欲はかなりダウンしたという。^^; <国民は60年日米安保条約やいわゆる安保闘争でナーバスになっていたので尚更。>
国民は新憲法やら軍備やらよりも、生活、経済の復興を求めていたわけで。4代めの池田隼人首相(60~64年)は、元大蔵官僚だったことから財政、経済に強かった上、吉田側近だったこともあってか、経済・外交政策を優先。<今、岸田派につながる宏池会を率いていた人。>
あの有名な「所得倍増論」を打ち出して、日本の高度経済成長のベースを作った。(・・)
その次の佐藤栄作首相(64~72年)も、岸信介氏の実弟(養子に出された)なのだが吉田学校出身で、経済・外交政策を重視。小笠原、沖縄の本土返還に尽力した。また非核三原則を発表したことが評価され、日本人として初めてノーベル平和賞を受賞した。(++)
そんなこんなで、もちろん自民党内には、俗に右翼と呼ばれる議員もいたのだが。当時はマイナーな存在で、あまり発言力もなかった。<有名どころだと70年代に中川一郎氏、石原慎太郎、森喜朗氏ら30人が「青嵐会」なる超保守政策集団を作っていた。>
80年代にはいって、超保守派のリーダー格(若手の頃は青年将校と呼ばれていた)だった中曽根康弘氏が首相(82~87年)に。タカ派・新自由主義の米レーガン大統領、英サッチャー首相と懇意でもあった。
中曽根氏は「憲法改正」をライフワークとしており、何とか実現させたかったのだが。周囲の改憲機運が乏しくて、現実的には動けず。「戦後政治の総決算」として、教育改革や軍事増強などを行おうとしたが(安倍晋三氏の「戦後レジームからの脱却」みたいなもの)、成功しなかった。^^;
その代わり、社会主義的な要素が残る日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社を民営化。(JALも民営化。)敵視していた国鉄労組、大規模な組合組織を潰して、社会党などの勢力の弱体化を狙った。^^;
しかし80年代の終盤になり、自民党にリクルート事件など「政治とカネ」の問題が頻発。89年の参院選で、消費税導入に国民が反発し、土井社会党が自民党勝利。(この年、バブル崩壊。)91年、東西冷戦が終焉。
そして、ついに1993年、自民党から離島した小沢一郎氏らが日本新党の細川護熙代表を担いで野党8党をまとめ、新政権を樹立。自民党は1955年に結党以来、初めて下野することになり、いわゆる「55年体制」も終焉を迎えた。_(。。)_
<つづく>