これは30日の『自民の立党の精神1・もともとは自由民主主義を守り、平和・福祉重視の国民政党だったはず』の続きになる。
89年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終焉を迎えた。日本でも「保守vs.革新」の55年の体制も終わりを迎えることになる。
そんな中、自民党の(超)保守タカ派の議員たち(&その支持団体)を揺るがす大きな事態が起きる。90年に湾岸戦争が勃発。米ブッシュ大統領が日本政府に、多国籍軍の一員として自衛隊を派遣するように要請したのだ。
もともと9条改憲、集団的自衛権、海外派兵に積極的な保守タカ派の議員は要請の受諾を望んだが、当時の海部俊樹首相(89~91年)は憲法9条の存在を理由(盾)に海外派兵を拒否。代わりに多国籍軍の戦費135億ドルの提供を発表。また、戦後、海自の掃海部隊をペルシャ湾に派遣したのだが、保守勢力は「米国や海外から感謝がなかった。評価されていない」「日本の恥だ」などと激しく批判。ここから改めて9条改憲や自衛隊の海外派遣などを実現せんとする保守勢力の動きが強まって来る。(-_-;)
<石破茂氏は93年に自民党を離党。その後、小沢一郎氏が作った新進党にはいるのだが、その最大の理由は、自民党が改憲や集団的自衛権容認に消極的だということだった。(・・)>
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93年に小沢一郎氏らが自民党を離党。野党8党を集めて細川護熙連立政権が発足させ、自民党は結党以来、初めて下野することになった。
ともかく政権奪還したい自民党は94年、細川首相を佐川急便スキャンダルなどで辞任に追い込み、何と長年の敵だった社会党の村山富市党首を首相に担ぐという裏技(反則技?)を強行。社会党、さきがけと共に自社さ連立政権を樹立する。^^;
ただ、たとえ政権奪還のために天敵だったはずのサヨクの社会党と組み、その党首を首相にしたことに自民党内の超保守議員や支持団体は強い反発や危機感を覚えていた。
そして90年代後半から00年代前半にかけて、自民党&日本の国政の超保守化を目標に具体的に動き出す。^^;
98年、複数の超保守団体が合流し、日本会議を結成。(会員数は約4万人。財界、学会、宗教界の一部も支援。)
日本会議議員懇談会を作り、国会議員(主に自民党)を250名前後が参加。全国の地方議員が参加する組織も作り、加盟している議員や候補を選挙で支援している。<ただし、日本会議の行事や講演に積極的に参加している人は半分弱。>
神社本庁が率いる神道政治連盟も、議員懇談会を作り、団体が推進する政策に賛同する議員、候補者を選挙で支援している。こちらも主に自民党議員が200人超、参加している。
<他に「新しい歴史教科書を作る会」などなど、色々な団体が活動を行なって来た。^^;>
自民党は、2005年に結党50周年を迎えたのだが。超保守勢力は、それまでに、憲法改正を実現(最低でも改憲案発表)すると共に、党の綱領を書き換えることを目指していた。
ちょうど超保守派の森喜朗元首相がバックについていた小泉純一郎氏が首相(01~06年)だった頃だ。(・・)
小泉氏自身は、ふつうの保守。あまり改憲や軍事強化にも興味がなかったのだが、森派など党内の支持を得るために、憲法改正案や新綱領案を作るように指示していた。また、01年のNYテロ事件を受けて、自衛隊の海外派遣も認めた。^^;
<改憲案に関して言えば、中曽根康弘氏などが中心になって、驚くような原案を作っていたのだが。(前文が「我ら日本国民は、アジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け、天皇を国民統合の象徴として戴き、独自の文化と固有の民族生活を形成し発展してきた」から始まったりして。また超保守派は、自衛隊を「防衛軍」「国防軍」に変えることを提案していた。)しかし、小泉首相&周辺があまり超保守的な改憲を好まず。前文も一般的に。自衛隊も「自衛軍」にとどまった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA27DJO0X20C23A4000000/
しかし、超保守派はこの改憲案が気に入らず。安倍晋三氏らが中心になり、12年に別の改憲案を作って発表する。(~_~;)>
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一方、立党50周年を機に作った新綱領は、55年の立党時に作った綱領などとは大きく異なり、かなり(超)保守タカ派的&新自由主義的なものに変えられてしまっていた。(゚Д゚)https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/
「我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する」とし、綱領のTOPに「新しい憲法の制定を」と明記。2番めの「高い志をもった日本人を」で愛国心教育、教育基本法改正を盛り込み、3番めには「小さな政府を」と、新自由主義的な政策を行なうことを示した。_(。。)_
しかし、実のところ、党内の超保守勢力はこれでも満足していなかったという。^^;
06~7年に首相を務めた安倍晋三氏は、教育基本法改正には成功したものの、憲法改正、集団的自衛権容認は実現できず。しかも、09年には自民党に言わせれば、半分サヨク(旧社会党系の議員)の民主党に政権を奪還されることになった。<特に社民連出身の菅直人氏が首相になった時にはショックを受けたらしい。(-_-;)>
自民党は党員数も激減。90年には500万人もいた党員が、10年には80万人になってしまったという。(・・)
ここが興味深いところなのだが。自民党は、党の支持を増やして政権を奪還するには、民主党とは逆方向に、保守化を強めるしかないと判断。
05年に新たな立党宣言や綱領を出したばかりなのに、10年に立党55年の綱領を発表するのだ。(・o・) <何か中途半端な感じだったけど。^^;>
正直、たいした内容ではないのだが。
現状認識として、『我が党は、「反共産・社会主義、反独裁・統制的統治」と「日本らしい日本の確立」―の2つを目的とし、「政治は国民のもの」との原点に立ち立党された』と。
そして、反社会主義は実現したので、もう一つの目的である「日本らしい日本の確立」の保守政党を目指すとわざわざ宣言したのだ。(++)
『日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。』『家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち「日本らしい日本の確立」である。』
そして「、我が党は常に進歩を目指す保守政党である」「日本らしい保守主義を理念に再出発する」と、保守政党であることをやたらに強調するものだった。(・・)
<別のパンフも掲示されている。(https://storage2.jimin.jp/pdf/aboutus/kouryou.pdf)この時の党総裁は谷垣禎一氏(09~12年)だったのだが、谷垣氏はいわゆる保守本流系の政治家で、そこまで超保守的思想は有していない。
タイトルの「夢と希望と誇りを持てる国、愛する日本をめざして」を見て、超保守派が日本会議などの支持団体や超保守系ブレーンの提案も受けて作ったものであることは明らかだろう。(~_~;)>
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そして、自民党は改めて12年に憲法改正草案を発表する。https://www.ywca.or.jp/wp-content/uploads/2012/11/20121130.pdf
<大義名分として1952年にサンフランシスコ講和条約が発効されて60周年に当たるので、改憲草案を出したと説明していた。^^;>
この草案では、天皇を「元首」と明記。国民の国旗・国歌尊重義務も規定。自衛隊は「国防軍」に。(集団的自衛権も容認できるような「自衛権」も明記。)個人尊重の「個」が削られ「人として尊重」に。<「個人」という概念を認めない。>緊急事態条項も設けられているし。憲法改正の発議要件が国会議員の2/3から過半数に替えられた。
他にも問題点がアレコレあるが、日本経済新聞が「政権奪回へ右旋回」とタイトルをつけていたほどだ。(@@)
でもって、自民党の議員が「立党の精神」とクチにする時は、55年の立党した時の綱領が中心にあるのか。それとも2005年や10年に急に発表された綱領が頭にあるのか。
国民は、自民党はもはや超保守思想がメインの右旋回の政党だととらえるべきなのか。超保守系ではない「ふつうの保守」の議員が総理総裁であれば、戦後体制や自由民主主義、平和主義を重視する国政運営を目指していると考えていいのか。
そこら辺をはっきりして欲しいと思うmewなのである。(**)
THANKS