My Policy ~日本に戦争をさせないことが最大の願い&目標~
2006年 07月 16日
教育基本法などを含む)に関して記事を書くことが多くなると思う。
そして、私がそれらについて検討する時には、必ず一つの大きなポリシーをベース
として考えることになる。
それは「日本が戦争をしないようにしたい」「日本の一般国民が、戦争によって
生命を奪われたり、生活を破壊されることがないようにしたい」ということである。
それゆえ、私が何かを書く時には、基本的に戦争にならないように、巻き込まれ
ないようにという方向で書くことになる。
何故ならば、私のひとりの日本国民、一市民としての最大の願いは、平和で平穏な
生活を送ることだからである。
国家とか人生とかに対する考え方、人間としての幸福観、価値観は人それぞれ違う
とは思うし、私の考え方が絶対的に正しいという気もない。
ただ、私にとっては「平和で平穏な生活を送ること」が最も幸福で価値のあること
なのである。また、私の周りにはそのように考えている人が多いし、そのように思っ
ている日本国民の少なからず存在すると思う。
だから、私は日本の憲法や国政に関して考える際には、自分の生活に直接関わる
問題として、いかに自分&同じように思う国民が、平和で平穏な生活を送るように
できるか、中でもいかに日本が戦争をしないようにできるかを念頭において検討を
することになる。
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ともかく、私は戦争が嫌いなのである。
もちろん、世界のどの国や地域からも戦争がなくなって欲しいと思っている。
ただ、現実的な問題として考えた時に、まずは何より自分が生まれ育ち、今も生活
しているわが日本には、絶対に戦争をして欲しくない。
そして、私にとって自分の愛する日本に戦争をさせないようにすることが・・・私に
は何の力もないが、たとえば、このブログなどを通じて、せめて日本がそのような方向
に進まないようにアピールをして行くことが、私の愛国心の表現かも知れないとも思っ
ている。
私は戦争が嫌いなのは、その経緯や理由がどうであれ、どちらの国でも一般の国民
が犠牲を強いられることになってしまうからである。何の罪もない子供たちを含め、
一般の国民の命が奪われ、生活が破壊されてしまう。家族や愛する者を失い、住む
場所を失い、仕事場も失う人もいる。学校や病院なども機能しなくなり、十分な教育
や医療が受けられなくなることも少なくない。長年かかって築かれて来た町や田畑や
自然や、重要な文化的な遺産などが破壊されてしまうこともある。
でも、やはり一番イヤなのは、一般国民の命や生活が奪われてしまうことだろう。
私は犯罪も嫌いで、特に弱者を対象にした殺傷行為には本当に心が痛むし、腹が
立ったりするのであるが。戦争というのは、それを国が主体で行ない、自分たちの
国の者が、自分たちの税金を使って、他国の者を殺傷する行為なのである。そして
私たち国民も殺傷されてしまうことになる。
私は戦争なんかで死にたくはない。家族や愛する者も失いたくはない。できれば、
ひとりの国民も戦争によって、死んだり傷ついたりして欲しくはない。他国の人にも
犠牲が出ない方がいいとも思う。
日本のように、それ相当に自由&民主主義が確保されている国では、国民は選挙
などを通じて議員や(間接的ながら)政府のメンバーを選ぶことができるし、問題が
あれば批判や抗議行動を起こすこともできる。その意味では、もし政府が戦争を行な
おうとした場合、国民に責任がある部分はあるのかも知れない。
<ただし、そのためには国民の個の尊厳や基本的人権、とりわけ表現の自由が守られ
なければならず、マスメディアも国民に十分な情報を与えるために機能しなければ
ならないのであるが。>
ただ、それでも子供たちには何の選択権もないし、何の罪も責任もない。そのよう
な子供たちを戦火にさらすことは避けるべきではないかと思う。
しかも国によっては、形式的にはどうあれ、実質的には政府のTOPや中核をなす
人を自分の意思で選ぶこともできないし、圧政によって政府の方針や政策に対して
批判や抗議行動を起こすことも不可能か極めて困難なところがある。そのような国
では、小さい頃から偏った教育を受けさせられたり、客観的な情報も十分に得られ
なかったりして、主体的意思を持つことができないケースも少なくない。<それは
かつて日本にも見られた傾向である。>
日本では、もし政府の判断に反対であれば、他国に移住したり国籍を離脱したり
することも可能であるが、国によっては国内の居住地域の移動さえ自由にならない
ところもある。
もし相対する国の主張がおかしい、誤っていると考えたとしても、そのように自由
のない国の国民にも、やはり罪や責任がないようにも思う面があるし、戦争によって
彼らがどんな目にあっても仕方ないとは思えない。
軍隊にいる人は何らかの意欲や覚悟があるのかも知れないが、中にはやはり死に
たくないと思う人もいるだろうし、他国の人を殺したくないと思う人もいるだろう。
また、戦いたくもないのに、強制的に徴兵されて、自らの命を危険にさらしたり、
殺傷行為をさせられたりするなんて、たまったものではない。
しかも、何に腹が立つかって、国を戦争状態に導いて、その決定や指示をする者
たちは、たいていの場合、自らは安全な場所にいて、まるで戦争ごっこやゲームで
もするかのように方針や具体策を決めて行くのだ。
彼らとて真剣なのだろうが、現に起きている惨状に対して現実感が得られず、結果的
にはゲームのように「どこをとった、とられた」「航空機を何機落とした、やられた」
「こっちは何人死んだ、あっちは何人死んだ」という実態の見えない情報だけで、アレ
コレ考えている。人間が生を感じられない物みたいな扱いになってしまうのである。
現場で戦う者も、だんだん感覚がマヒして来る。下手に理性を働かせるとツラクなる
ため、自らの人格を変えざるを得ず、精神的に異常な状態になることが多いという。
指令する場でも戦場でも、命を命と思ったら、やって行けないのである。
時には国の威信という名目で自己の威信や保身を主体に考えて、無理難題を押し付け
ようとすることもある。一度戦い始めたら、容易にあとには引けなくなる。そのために
ますます惨状や被害が拡大することも少なくない。
そして、戦争に勝とうと負けようと、どのような形で責任をとろうと、死んだ人は
戻らないし、失ったものは帰っては来ないのだ。
精神的なダメージも大きい。戦った国同士の国民の間では、相手に対する憎しみが
残るケースも少なくない。時にはあとまで尾を引き、個人や団体レベルでの問題と
して残ったり、テロ行為、ゲリラ行為などの形で戦いが続くことがある。
これがまた、何年後、何十年後かに、同じ国同士での戦争に発展するケースも稀では
ない。
また、時には、戦争後に国民同士の間で新たな権力争いや、対立や憎悪が生じて、
内乱や抗争が生じることもある。
一回大きな戦争をしてしまうと、あとあとまで響いてしまうことが多い。それだけに
尚更、慎重に判断して、早い段階で交戦状態ないなることを回避する方法を考えなけれ
ばならないと思うのである。
私は、基本的に戦争における大義というのは、信用していないし、意味がないのでは
ないかと思う部分がある。
私は日本にも正当防衛的な自衛権は認められるべきだと考えているが、実際のところ
それまでに相手国と何の関わりもなく、それまでに何の経緯もなく、また協議をする
機会すらなく、いきなり宣戦布告されたり、武力攻撃や侵略を受けたりするというケー
スは<現代の世では&特に日本に関しては>皆無に近いのではないかと思う。
仮に相手に大きな問題があったとしても、もし国民の生命や生活の安全を第一に考え
るなら、コトが起きる前に、攻撃や戦争を回避するように最大の努力をすべきなのでは
ないかと考えている。それが人間としての理性、叡智の発揮のしどころであり、歴史や
経験から学んで来たことなのではないかと思う。
その時には、私は国の威信にこだわることはない。ここでやらなければ、国としての
誇りやメンツがどうだとか、他の国にナメられることになるとか、そんなことは考え
ない。
個人としてor特定人のグループだけで自分の命や生活だけを賭けてやり合う分には
自由だと思うが、その人のために、国を単位にしてやり合うことになって、私を含め
他の国民の命や生活を巻き添えにされるのは、いい迷惑なのである。
日本の自衛権に関しては、いずれ憲法9条の絡みで書きたいと考えているが。私は
現段階では、日本がその領土を武力攻撃されたり、暴力的な形で侵略されたりして、
国民の生命に損害が生じる危険がある場合は、正当な防衛行為を行なう権利があると
考えている。<それは現憲法下でも認められると解している。また憲法を改正して、
自衛権の範囲を厳格な形で明確化する方法もありかと思っている。尚、集団的自衛権
には反対の立場である。>
ただ、仮に自衛権が認められるとしても、最小限の範囲でとどめるべきではないか
と思う部分が強い。もしこちらの反撃が正当なものだとしても、その反撃が大きけれ
ば、相手の攻撃がエスカレートして、結果的により多くの国民の生命を危険にさらす
ことになりかねないからだ。防衛に名を借りた報復合戦のようになるのも避けたい。
私が軍備の増強に懸念を示すのも、そのためである。お互いに軍事力のバランスを
とることが、平和を維持する友好な方法であるという考え方は、十分に理解できる。
ただ、それが様々な大量破壊兵器を作り出すことに繋がったのも事実である。核や生物
化学兵器のように、自然環境や生態環境にまで破壊して、またその後、長期間にわたり
その地域や住民に悪影響を及ぼすような兵器を作ることにもなってしまったように思う。
<有史以来、科学や技術の発展(近時では宇宙開発の発展)は、軍事力の競争なしには
あり得なかったと言われるが、それで地球の自然や生態系や人類そのものを滅ぼすこと
につながっては意味がないだろう。>
お互いに上を見て軍備を増強して行く形で、バランスをとって行こうとすれば、各国
の軍備は限りなくエスカレートして行ってしまう。しかも、大国の思惑によって、ある
国は一定の範囲までは許されるが、他の国は少しでも増強すると批判されるというのも
おかしなことである。<それはゆがんだ軍事バランスのとり方だと思うし、それに対す
る反発が却って戦争を招く危険性もある。>
何だか戦争に関して考えることを、思いつくままに書き連ねてしまったが・・・。
ともかく「日本が戦争をしないようにする」ということが、私にとって大事な大事な
ポリシーであるということを重ねて記しておきたい。
もちろん、世の中には色々な考え方をする人もいると思うし、私の考え方を読んで、
「理想論に過ぎない」とか「世の中がわかってない」とか「現実はそんな甘いもんじゃ
ない」とか批判する人もいるかも知れないが、それはそれで構わない。また、他の見解
に耳を傾けたり、それを参考にして色々と考えたりすることもあるとは思う。
ただ、これは私の信念に近いものなので、基本的な部分が変わることは一生ないので
はないかと思っている。
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日本が戦争に引き込まれないように、
あなたは何かしているのですか。なにが出来るのですか。
ただ嫌っているだけで戦争が避けられるなら、とうの昔に世の中から戦争など撲滅されているでしょう。本当に戦争を回避しようと考えるなら、歴史と軍事を真剣に学ばねばなりません。「全ての歴史は現代史である」とはベネデット・クローチェの言葉でしたか。
国も国民も差し出して侵略を全面的に受け入れれば、少なくとも戦争で一般市民が殺される事だけは無いでしょう。例えその後で圧政のもとに虐殺されようが餓死しようが、戦争ではない以上平和なのでしょうか。旧ソ連や中国の現実から目を逸らしながら、アメリカの軍事力行使ばかりを非難していた左翼政党やその支持者なら、その程度の事は言いかねないと私は感じていますが。
ともあれ、最小限度の自衛で云々などと言っていて国民の生命を守れる等という楽観的過ぎる妄想は、政治に携わる者には許されないものです。
1.アメリカを中心とする価値観、経済システム、軍事力で世界の秩序を安定させ、日本はアメリカ側の一員として行動する。(今の小泉政権は基本的にこの立場にあると思います。)
問題点1.えてして、世界平和という観点よりもアメリカ独自の国益を重視して行動するため、イラク戦争のようにしなくても良い戦争まで行ってしまう。
問題点2.大多数のアメリカ人の意思というより一部の軍需産業、石油産業、イスラエル寄りのネオコンの意思を反映しているため、ブッシュ政権が変ると大きく政策転換する可能性があり、その場合日本の立場は非常に厳しいものになる。
問題点3.アメリカの国益のためには、日本を敵視する場合も充分考えられる。(かつてイラン、イラク戦争の時、アメリカはサダム、フセインを応援していたと記憶しています。)
つづく
問題点1.各陣営で大きな意見の対立があった場合、大きな戦争に発展する可能性がある。
問題点2.日本が東アジア共同体の一員として参加する場合、中国や韓国と主導権争いが起こりうる可能性がありうまくまとまっていけるかどうか疑問
問題点3.中国は経済システムは別にして、政治は共産党支配なので、指導者が共産党色の強い政治、例えば文化大革命のような資本主義と逆行するような行動をとった場合、日本は到底一員になれない。
つづく
問題点1.基本的に戦前の日本と同じ立場。日本が他国と国益をめぐって争いになった場合、よほど近隣諸国との関係を緊密にしておかないと日本が孤立する恐れがある。
問題点2.ある程度の発言力を持つためぬはそれなりの軍事l力が必要であるが、どの程度まで軍事力を増大させようとしている野か疑問。(他国も当然日本に対抗して軍事力を増大させると思います。)また、今の日本の国力でそれを維持できるのかどうか疑問。(軍事力の増大に合わせ、当然日本の福祉関係の予算は削られる。)
問題点3.本当に有事になった場合、今の日本人が他国との戦争に自分が一兵士として参加する覚悟があるのかどうか疑問(徴兵制をしいている韓国のほうが、意識は高いと感じます。)
つづく
問題点1.いくら経済交流、人的交流を通じて世界に貢献しても、日本を敵視する国が現れた場合(例えば、アメリカはイラクに対して大量破壊兵器があるというガセネタで戦争をしかけた)絶対に戦争にならない保証があるかどうか疑問
問題点2.実際、戦争になった場合、自分の愛する人や肉親が無抵抗に近い状態で殺される事に、今の日本人がそれに対する覚悟があるのかどうか疑問
私はこれら4つの選択肢とそれぞれの問題点を吟味して政党や議員を選択したいと思っています。ただ、1~3の選択肢を選んでも究極的には4の選択肢になるよう努力する必要はあると思います。私は現時点では2.の選択肢を中心に物事を考えていますが、詳しい内容を書き込みますと一斉にネットウヨクの人達から攻撃されそうなので投稿は控えます。
ただ、mewさんの問題提起は色々と参考になりますのでこれからも頑張ってください。
しかし、僕の育った地域では小学生のころから毎年夏になると「平和教育」というやつが行われてきました。体育館で戦争体験を聞いたり「蛍の墓」を見たりして感想文を書いたりしていました。
戦争反対、武力は悲劇しか生まない、というのはもちろん素直にその通りだと思いました。しかしどうも小さな引っ掛かりがあってど~も落ち着かなかったんですが、後になんとなく分かりました。
どうやら戦争で誰かが死ねば悲しいんだよーという理由は、戦争を回避する決定打にはならないのではないか、むしろそれは戦争が起きる理由と表裏一体のものではないのか、という疑いが僕の中にあるようです。
「戦争反対」一見美しく聞こえる言葉だけど、それが感情的にのみ発せされた場合、本当にそれは美しい言葉だろうか。本当はものすごく利己的な何かを巧妙に押し隠し、いつかは身近な悲劇を避けるために誰かを殺すことも厭わないところまで拡大されうる意識ではないのか。
なんだか全然うまく言えなくてすみませが、僕はぼんやりとそう思っています。
「やられるならやり返すしかないだろう」というもの。
それこそ歴史に何も学んでない証拠だろう。
私は最後の最後まで平和主義で行きます。
戦争止む無しがこの国に沸き起こることが心配です。
なんかどんどんそちらの方向に向かってるような気がします。
私は単なる一市民ですし、さほどのことはできません。
ある意味で、最も多くの方に接することができるのは、このブログなので、
できるだけ自分なりの考えを書いていければ、と思うだけです。
私もらんさんほど詳しくはないかも知れませんが、多少は歴史
の知識はあります。ちなみに俗にいう平和教育や自虐的歴史観
を授かる機会はありませんでしたので、客観的に自分なりに
考えて、とらえているところがあります。ただ、らんさんとは
かなり認識や見解が異なる部分があるようです。
逆に言えば、日本人はもっと歴史から学ぶべきだと考えて
います。もう過去の戦争の時とは、時代背景や国際状況がが
大きく変わっているのですから、それを認識した上で、同じ
ような誤りを犯さないで欲しいと願っています。
小泉氏がイスラエルで「共存共栄を第一に考えて欲しい」と
言っていましたが、日本でも是非その姿勢で外交に取り組ん
で、戦争をしない方法を模索して欲しいものです。
わかりやすく分析して下さって、有難うございました。
何分にも、日本の場合は、軍事面でアメリカ軍に半分、占領
されているような状態が続いていますので<まあ、見かたを
変えれば、強力なボディガードを雇っていると思えばいいの
かも知れませんが?!>、難しい面も多々ありますが。
一般論で考えれば、2の各地域で安保体制を組むというのが
自然なことなのかも知れませんね。EUもかつては敵対関係
にあった国々も含めて、経済だけでなく安保面でも協調体制を
とりつつあるように、アジアもそうあるべきなのかも知れま
せん。特に、いずれアメリカから自主独立したいと考えるなら
尚更アジア・・・特に近隣諸国との協調関係は重要でしょう。
<アメリカはあまりくっつくのはイヤかも知れないですけど>
現実には、長~い時間と労力を要することだと思いますが、
そういう意識を持つことは必要かと思っています。
ただ日米同盟さえあればいいという考えは、却って危険では
ないかと思います。
私はそんなに高尚で美しい理念をアピールしようとは
思っていないのです。単純な話、私は戦争が嫌いだし、
自分は戦争で死にたくない・・・原点はそこにあります。
私はふだんも暴力的な行為(脅迫、抑圧的なことも含む)
が嫌いで、トラブルがあった時は、ともかく話し合いで
解決しようと思うタイプなのです。<イヤだったら、
全く付き合わないという方法も考えますが。^^;>
ただし、もしいきなり強盗が包丁を持って家に押し入っ
て来たりでもしたら、手当たり次第の物を武器のかわり
にしてでも、防御に努めることでしょう。
私は特に平和教育は受けていないのですが、上述のよう
な考えもあり、国の外交関係や防衛に関しても、同じよう
にとらえるところがあります。そして、国同士の暴力的な
ケンカである戦争はすべきではないという結論に至る次第
です。
実際に、この問題について書くのは本当に難しいと思う
です。
bさんの書いた理不尽パターンは、私も考えてしまう部分
があるのですが。本文にも書いたように、全く前提となる
経緯もなく、いきなり射ち込んで来る可能性というのは、
そんなにないのではないのでしょうか?
逆に下手に周囲でワイワイ攻めると逆切れして、何を
やるかわからないです。ある程度、中ロの影響力も残して
おかないといけない気がします。
+αの件について、ご提案を有難うございます。今あまり
自由になる時間がないので、徐々に考えて行きたいと思い
ます。
CONさまもきっと、何で日本はこんな方向に進んで
しまっているのだろうと、なげいておられると思います。
でも、きっと日本は戦争はすべきでないという人も
少なくないと思うです。
何とかそういう風潮に歯止めをかけたいですね~。
mewさんの主張はだいぶわかってるつもりです。
日本が戦争に巻き込まれないようにみんなで考えましょ。が主旨で以上でも以下でもないと思ってます。相手が相手だからしょうがないとか、被害を受けたら戦争しかないとか、目先の事しか考えてない風に思えて仕方がありません。
あのイスラエルですら、湾岸戦争時にはイラクにスカッドミサイルを打ち込まれようと反撃しなかったのに。
こういう時こそmewさんの意見が大事だと思いますのでこれからもがんばってください。
日本の自衛隊が持っている戦力について勉強してみてください。
「日本から、海外の他国を侵略する」
というシナリオがありえないことが分かります。日本は、有効な軍事力を海外に展開する能力を全く持ってないのです。
大陸間弾道弾が使われる場合に、どんな戦略が考えられてきたのか、ちょっと調べてみてください。40年前から議論されてます。
日本の外務省と防衛庁が、アジアにおける軍拡競争を抑止するためにどれだけ努力してきたかちょっと調べてみてください。ヒントを言うと、軍拡競争を防ぐための実践的な努力は、「自国が持っている軍事力の情報を開示すること」なんです。この分野で、アジアにおいて、日本は主導的な立場で努力しています。
あなたの言うような子供の正論なんて、大人の現場じゃ通じませんよ。
あなたの「日常レベル」の発想がいかに的外れで、それゆえにいかに無力か、ちょっと勉強したほうがいいです。ほんとに。
そうでないと、『日本がアブナイ!』という大仰なタイトルも、狼少年の類に堕してしまうと思います。
努力はしたでしょうね。でもアメリカがうしろについている以上、アメリカの世界戦略を無視して努力はできない。だからこうなった。
「いかに無力か」を責めるなら、外務省と防衛庁というプロを責めなさい。
狼少年でもドンキホーテでも、「戦争はしてはいけない」と世界の片隅で叫ぶ、ことに意味はあると思いますよ。
日本の外務省と防衛庁が、アジアにおける軍拡競争を抑止するためにどれだけ努力してきたか!!!!!!!!!!!!!
少なくとも「あの日本の外務省」が、そのような努力をしたとは信じられません。大人の現場を是非、開示願います。
また、情報が開示された軍事力なんて、抑止力がないように思いますが、如何でしょうか。
mewさんが書かれた以下の部分が怪しくなってきているような気ざしが感じられる今日この頃です。
<・・・そのためには国民の個の尊厳や基本的人権、とりわけ表現の自由が守られなければならず、マスメディアも国民に十分な情報を与えるために機能しなければならないのである・・・。>
また、外での動き(北朝鮮やアメリカなどとの関係)を利用し、内政(予算や法整備など)を思うがままにコントロールしようとしているような気配も感じられます。
ご理解&励ましのお言葉、有難うございます。
もともと日本は主権国家として軍隊やそれ相当の軍事力を持つべきだ
という考えの人も少なくないですし、中国や朝鮮の人たちに反感を
持っている人もいるので、「ここぞ」とばかりに行けるとこまで
行っちゃえというムードが漂っているように思えます。
そして私には、それがとてもアブナイものに感じられるです。
私は戦争はしないに越したことはないと思っていますし、そのために
最大限の努力をすべきだと思っています。
誰だって・・・かはわからないけど、多くの人たちにとっては、平和
な方がいいと思うのにな~。こういう時は、できるだけ単純な発想で
行きたいと思ったりするmewなのでした。
小学生の作文は、大人の人には理解するのは難しいのでしょうか?
私は日本の軍事能力の話や官庁の話など、何一つ触れていませんし、
それを問題にする気もありません。
時に大人は、知識や経験が豊富なあまりに、小難しいことを考えすぎ
たり、メンツやしがらみにこだわり過ぎたりで、本質を見誤って
しまうことがあるように思うのは私だけでしょうか?
私はふだんから争いごとが嫌いですので、国と国の争いである
戦争が嫌いだし、それに巻き込まれて死ぬのもイヤだし、日本が
その方向に進むのはアブナイと思うだけです。
それこそ、大人(だと思っている人)の勝手な判断で、子供が巻き
込まれるのはいい迷惑です。
励ましのお言葉、有難うございます。
バカみたいかも知れないですけど、世界の片隅で「戦争はしてはいけ
ない」と叫んでいたいと思います。
外務省の話で言えば・・・少し懸念しているのは、外務省でもやや国家
主義的な人が力を持ちやすくなったりしている、という話をきいたこと
です。
もともと外務省にも、色々な考えを持つ人がいますし、地域の担当部署
によっても方針がアレコレあったり、各部署同士の中でも勢力争いや、
個人の出世争いもあるようですが。彼らの場合、関わりのある政治家の
意向も大きいようで、与党内で、そういう勢力が力を持っているのだな~
と実感させられるような話をいくつか聞いたからです。
もし外務省の上部の中に、いざとなったら戦争も仕方ないと考える人
たちが増えたら、本当にアブナイと思った私でした。
↑にも書きましたが、外務省も色々な人がいるようで。
各担当地域と平和的、友好的な外交を目指す人が多ければいいのです
けど、必ずしもそうでない人もいるのかも知れません。
また日本が、軍備力を公開したところで、いざとなれば攻めて来るのは
米軍ですから。それを考えると、相手国は安心できないところがある
ようにも思います。ましてや、日本も軍備力を増強するとなれば、尚更
かも知れません。
まさに、その部分が一番アブナイように思っています。
変な話、世界で最も自由権が発達いていると思われた米国や英国で
さえ、イラク攻撃に関しては情報操作が行なわれていたことに
失望するところがありました。
判断の根拠となる正しい情報や、肯定、否定両方の見解がきちんと
与えられることが、最も重要なことだと思います。
国民もそのような面に、もう少し警戒心を抱くべきかも知れません。
ただ通りすがりさんのような人の意見も分かるのは、ある程度事情を知っている人にしてみれば戦後平和国家として軍縮などに努力してきた政府及び自衛隊の人々の努力を無視されたように感じるのかもしれない、という想像は出来ます。
mew-run7さんのような立場の人にありがちな危険性というのは正にこういうところにあるようで、それこそ、一部の人がやるような「少しでも国防について論じたらそく戦争肯定主義者の極右」というレッテル張りにも通じるただのアジテーションと受け取られかねません。
ただ人道的に「戦争反対」を叫んでいるうちは良いのですが、具体的な政策について時、小学生ではいられないのです。
それが事実と余りにもかけ離れた場合、それは批判ではないのでしょう。
僕は基本的にmewさんを支持しますが、なんだかときどき危なっかしい気もします。余計なお世話でしょうが。
日本もアブナイですけど、mewもアブナイでしょうか?^^;
過去の記事やコメントなどを読んでいる方はお気づきかと思うのですが、
私はそこまで堅くガチガチの思想や理念に満ちた人間ではないですし、
むしろ一般移民の中でも俗っぽいところがあるかも知れません。
私自身、絶対護憲でもないですし、国土の防衛は大切だと思っていますし
官庁の関係者の一部が努力していることも、多少はわかっているつもりです。
逆に言えば、その陰で押さえつけられていた人たちが、今ここぞとばかりに
ムクムクとアタマをかかげているのを感じたりもしていたりもします。
抑制が強かった分、バネの原理のように反動も強いのかも知れませんが
反動が強すぎるのは問題なのではないかと思う面もありますが。
今度は、本当に一般国民のレベルで、判断すべき時期なのかな~と
思ったりもしています。
お久しぶりです。
>日本が戦争をしないようにする
もちろんですね。ということは、戦争を仕掛けることも仕掛けられることもないようにしなければなりません。そのためにこそ政治も外交もあるもんだと思うし、日頃の社会政策もあるんだと私は思っています。
基本的に「強硬論」は私は一切信用も同調もしないようにしております。
平和が危機に瀕したときに「平和」を語れないようなら、そんな平和論には意味はありません。
今回の日本の北朝鮮外交でも、では北への制裁の後どうするのか、という展望が見えてこないのが非常に気になるのです。一発撃ってもらいたい、と実は密かに思っているのではないか、とね。いかに撃たせないようにするか、が政治家の仕事なのに。
拉致問題は解決済み運動をして拉致問題は解決済みであるとのメッセージを政府に送らせる。
場合によって拉致被害者を北朝鮮に送り返せ運動もありです。
なんで拉致被害者のために日本が瀬戸際に立たされなければいけないのでしょうか。
管理人さん、ぜひ「拉致被害者なんてもう返ってこなくていい」というエントリを書いてください。
何か私の書きたいことを、すべてそのまま<私の何十倍も
わかりやすく簡潔に>書いて下さったように思います。(~~)
本当にそうですよね!
私も日本政府には、北朝鮮問題に対するヴィジョンがないように
感じています。中韓外交に関してもしかりです。
それともすべては米国の意思に従っていればいいと思っているの
でしょうか?
何か戦争をしたがっているような人がいそうで、アブナイ気がしています。
私は、拉致問題は重要だと思っていますし、いい形で解決できればと
考えています。決して解決済みとは言えません。
それに拉致問題がなければ、北朝鮮問題が簡単に解決するという
ものでもないと思いますし。
ただ、北朝鮮の核やミサイル問題と拉致問題は、全く同じ土俵で
考えたり対処したりするのは、難しいとも思っています。
そこがアタマを悩ませてしまうところのようにも思います。
はじめまして。Blogでご紹介くださって、有難うございます。
これからも誠実に記事を書いて行ければと思います。
本当の論争というか、意見交換のあるべき理想の形がここに見られて感動しています。
そして私がmew-run7さんと同意見というのは、ご承知のとおりです。 かの、司馬遼太郎氏が、明治になってからの日本人を、異胎の日本人と称せられたとか。私は、その意味をもっと多くの知識人が考えるべきだと、現況を憂えています。
益々の健筆を祈っています。
それは、戦国の時代を経た日本人は、平安京時代や、江戸時代のように、何百年といった、戦争のない、あるいは、出来ない時代装置を工夫してきたということです。明治維新という動乱を鎮めてなお、日本は日清、日露、そして、16年間の戦いと壊滅を経て、なお戦争に肯定的な日本人に対しての私の嘆きに寄り添う言葉なのでした。TVで知った言葉で、私なりの曲解もあろうかと、追記いたします。
私はさほど歴史に詳しいわけではないのですが。
他国に比べて、日本は庶民が平穏無事に過ごそうと
する時代が長いように思うところがあります。
ただ、明治以降の日本人は、鎖国のために世界の
情勢をきちんと掴んでいなかった分、他国の状況に
対して驚きもあり遅れを取り戻したいと思う面や、
また自国の国力に勘違いをしたようなところもあっ
たかも知れないと思うことがあります。
ただ、どの時代にも庶民の多くは平穏無事な生活
を願って生活しているようにも思われます。
<それゆえに欧米のような革命も起こらなかった
のかも知れませんが。>
ともかく、少なくともおの60年、懸命に平和を守って来た
人々の思い、多くの人にも抱いて欲しいと願っています。