アンチ安倍氏の教育再生論?・・・成績判断はやめて、人生の損得勘定を養うべき&船橋競馬の火事
2006年 09月 03日
今回は、少しいつもとは違う感じの内容を書いてみたいと思う。
あえて副題をつけるなら「成績によって人格を判断することの問題点」と「損得勘定
を学ぶことの必要性」について・・・だろうか?
ちなみに安倍氏は、自分が首相になったら、憲法改正と並んで、教育再生に力を入れ
たいと力説していた。彼は学力低下の問題を解消するために、全国一斉の学力テストを
導入したり、公立学校の間で競争を行なわせることを提唱している。また、子供たちに
損得勘定を考えずに、公共心を持って社会に貢献することを教えて行くべきだとも言っ
ていた。
でも、もし、安倍氏が単に国のために色々な形で尽くす人を作りたいだけなら話は
別だが、本当に今の若者たちや少年少女の将来や、諸問題(犯罪等を含む)への対策
のことを考えて、よりよい国家、社会を作りたいと思うのであれば、このような政策
は却って悪影響を及ぼすのではないかと思う部分がある。
話は全く違う分野のことから始まるのだが・・・。アレコレ考えた始まりがこのこと
だったので、船橋競馬場の火事の件からスタートする。
* * * * * *
実は今日、私にとってかなりショッキングなことがあった。3日の未明に、船橋
競馬場の厩舎が集まっている一画で火事があり、2棟の厩舎が焼失し、火元の厩舎に
いた9頭の競走馬が焼死してしまったのである。<人間には被害はなく、また延焼した
厩舎の馬4頭は逃げて無事であったのが、せめてもの救いだった。>
以前にも少し書いたように、私は馬が大好きで(競走馬に限らないのだが)、競馬も
楽しんでいる。JRA(中央競馬)にも興じるが、近時は地方競馬の方により親しみと
楽しみを感じている。それゆえ、船橋競馬にも馴染みがあり、今回亡くなったと思われ
る馬の中には、私自身、見知っている馬もいたため、尚更に心が痛んでいた。
<被害にあった厩舎、馬たちの関係者の方々には、心からのお見舞いとお悔やみを申し
上げたい。また近隣の馬たちに、精神的な影響や支障が生じないようにと願っている>
午後になって、ネット上でも次々とこの火事の報道記事がアップされた。その一つを
見て、私は何とも言えない気持ちにさせられた。記事の最後に、このような一文があった
からである。
『死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという。』
私はこの記者が何を意図して、この一文を書いたかはわからない。何の気なしに競馬場
関係者か警察が、質問などに答えて、そのように言ったのを記しただけなのかも知れない。
ただ、正直なところ、私はこれを見た瞬間、ある種の怒りや不快感や、大きな疑問を覚えた。
「じゃあ、何? 馬は9頭も死んだけど、優秀な成績の馬は一頭もいなかったからたいした
事故or被害ではないって言いたいわけ?」・・・みたいな気持ちになったのだった。
たかが馬のことと思われるかも知れないが。たとえば、もし(人間の)中高生がいた
宿舎が火事になって、何人か亡くなった時に「死亡した生徒はいずれも特に成績が優秀で
ないという」と記事に書かれていたなら、さすがに皆さんの多くも問題や怒りを感じるの
ではないかと思う。何分にも馬好きの私ゆえ、それと同じような気持ちになってしまう
ところがあったのだ。
<確かにGIや重賞など大きなレースに出るような馬はいなかったが、コツコツ頑張って
上のクラスに上がった馬もいたし、これからデビューをする2歳馬もいたようなのだ。
そして、成績はどうあれ、関係者にとっては大事なかわいい馬たちであるのだから。>
でも、少し気持ちが落ち着いてから、ふと思ったことに、人間の場合も事故や事件に
関わると、成績や学歴(学校ランク)のことを取り上げられることがかなり多いのだ。
(近時起きた、中高大生が関わった事件もそうである。)被害者であっても、加害者で
あっても、その者の人となりを伝える際には、成績や学校の話が出て来やすい。<学校
の校長の記者会見などでも、最初に成績のことを説明するケースが少なくない。>
さすがに人間の場合、「成績が悪いor優秀でない」時には、それを公にすることは
稀であるが、おおむね「(成績が)いい、優秀だ」「ふつうだ」「悪くない」で分け
られる。<そのあとで、クラブが云々、学校生活で云々という話になる。>
そして、成績がいい生徒、ランクの高い学校の生徒が被害者になった場合、「何で
こんなに優秀で将来有望な生徒が、こんなことに・・・」という感じになる。「将来はXX
を目指して、一生懸命勉強していたのに」「親や周囲も将来を期待して、楽しみにして
いたのに」・・・何だかとってもかわいそうで、被害者感情も大きいような感じになる
時があるのだ。確かに期待度は大きかったかも知れないけど、そういう面だけで本人や
親の哀しみが決まるものではあるまいに、と思ってしまうことがある。
逆に成績がいい生徒、ランクの高い学校の生徒が加害者になった場合は、「何で
こんなに優秀で将来有望な生徒が、こんなことを・・・」という感じになる。きっと何か
特別な事情や大きなストレスを抱えるような問題があったに違いないと、推理ごっこ
や分析ごっこを始めるケースが少なくない。
<大人でも、学歴がいい、大手の有名会社に勤務している、優秀と言われる職業に
就いている場合には、同じようなとらえ方をする場合が多いように思う。>
以前、堀江シリーズの時に少し書いたのだが(本当はこの価値観の問題の記事を
もっと書きたい気持ちがあったりもするのだが)、特に当ブログで言う魔の7YEARS
世代以上の人たちは(74年以前生まれ、コチラ参照)は、どうも成績の数字や学歴
に関して絶対的に近い価値観序列を抱いている人が多く、成績、学歴がいいことは
「いいこと、いい人、まじめな人」であるととらえがちのような気がする。そして
成績や学歴がいい人が、犯罪を思いつくこと、それを実行することが理解し難いよう
なところが見えるのである。
そして、このような感覚が根強く残っている人たちには、今の社会や犯罪等に関する
諸問題の対応は考え付かないのではないかと思ったりもする。
私は、今の子供たちの学力低下は本当に深刻な問題であると思うし、早く対策を
講じないと、これまた何十年後かの日本はアブナイと思っているのであるが。
<また私自身は勉強も含めて競争することを否定するものではないが。>
だからと言って、公立学校同士で競争させるのは(ましてや金券を使って)、もっと
危険であると思う。また上述の成績、学歴価値観序列が復活するだけで、上の方の
学校や生徒は伸びるかも知れないが、下の方の学校や生徒はどんどん置いて行かれ、
学力格差社会ができるだけである。
安倍氏が考えるのに反して、もっと夢や目標が持てない人間が増えるだけなのでは
ないだろうか。<まあ、そういう人たちに再チャレンジと称して、国や軍隊の下支えや歩兵的
役割をさせようと思っているなら、話は別だが。>
さて、もう一つ、これも成績、学歴、会社、職業などがいい人が犯罪を行なった時
に言われることが多いのだが・・・。
「何であんな優秀な人、将来有望な人が、あんなことをしてしまうのか。そんなことを
したら、自分にとって損だとか、もったいないとか思わないのかしら」という声がある。
最近の日本人は、損得勘定ばかりしているとなげく人がいるのだが<安倍氏にもその
ような思いがあるのかも知れない>、私から見れば、逆に損得勘定ができなくなっている
人が増えているのではないかと思うのである。客観的に見て、これは自分の人生において
現在及び将来にとってプラスになることなのか、マイナスになることなのか、判断しよう
としないor判断する力を失っている人が多くなっているように思われるのだ。つまり、
人生の損得勘定ができないのである。
そして、何かをやったあとで、自分の人生にとって大きな損失を被ることをしたことに
気付くのだ。
これは10~20代の若い人たちに多い傾向のように思うが、かなりの年齢になっても
損得勘定を忘れてしまっている人を見かけることがある。
<つづく> THANKS
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子供が殺人被害者になったときとかの報道については,私も常々気になっています。加害者との人間関係に原因があるときなどはある程度報道してもいいかも知れませんが,通り魔的な被害にあったときまでも,「明るくて友達も多く,成績も優秀」などと殊更に書く必要はないですよね。「暗くて友達が少なく,成績も悪い」子供なら殺されても悲しみが小さいとでも言うのか,といつも思っています。
また,「若者が損得勘定できない」というのも常々感じています。
「平和ボケ」という言葉は好きではないのですが,「ハングリー精神」がなく「守りたいものがない」という一種の「平和ボケ」のように思います。
当事者が気付くと気付かざるとに関わらず,そのような世の中の反動として「非平和」状態を作り出そうとする動きが活発化しているようにも思います。
そうなんです。私もずっとそう思っていたんです。
<だから、思い切って書いてみたのですが。>
加害者の場合も、親の職業や本人の学歴、成績がいいと、急に何か
問題があるのでは、社会がいけないのではという感じになりますしね。
平和ボケもありますし、富裕ボケもありますし、親や学校がいつも目先のことに
目を向けさせていて、もう少し前&横を見る目を育てていないように思います。
ともかく「今」だ大事、「今」を阻害するものはキツイ・・・そんな感じがしています。
そこには少子化の問題も影響しているかも知れませんね。

実は私、競馬場に行っても、馬券も買わずにパドックやターフにいる馬たちを眺めたり、写真を撮ったりするだけで至福の時間が過ごせる奇妙な熱烈競馬ファンです(もちろん、馬券もメインレースでは買ったりしますが)。
その火事の記事の最後のコメントに関しては、単に、必ずしも競馬ファンではない読者の興味に応えるためではないかと思います。「そんな活躍馬が死んだの?馬主は幾ら儲け損なったのか」というのが、一般の人たちの関心でもあるわけです。
私は競馬仲間とやっているPOGの主催者でもあるわけですが、自分のちっとも勝ち上がらない持ち馬に対し、「駄馬。死ね」なんて言っている人を見ると、悲しくてPOGを止めてしまおうかと思ったりします。
話を戻し、人間の事件の場合、これまた悲惨な事件が起きたときに、「何故、そんなことが…」という原因を考える上で、成績、友人関係、親子関係などに触れることについて、別に疑問を感じません。

私はこだわりますけど、今の多くの日本人の「公心」の無さが原因でもあると思います。知人で教師をやっている人がいて、その人は授業が終わっても補習を熱心にやったり、生徒の悩みの相談に乗ったりしているのですが、そうしていると他の教師から「余計なことをやらないでくれ」と白い目で敬遠されるのだと言います。
他の「私心」教師は、持ち時間の授業が終わったら、プライベートの時間!って感じなのでしょう。
安倍氏が口にする「生まれたことに誇りを持てる国にしたい」には同感なのです。
台湾人が「昔の日本人だったらそんなことはしない」と言う低モラルのことを今の多くの日本人はしているわけです。
最近、日本の歴史&伝統&文化、昔の日本人について勉強している内に、「私は日本人だからそんなことはやってはいけない」と私個人のモラルの向上をもたらしました。
「誇りなんか持たなくても、私はモラルが高い」と言う人もいるでしょうが、一つの方法として私個人としては強く共感する部分です。

mew-run7さん:「自民改憲」「集団的自衛権」「教育基本法の愛国心的改正」反対との立場。
その安倍氏の「誇りの持てる国」にするためには、
「日本の憲法がアメリカ人に作られたもので満足」
「私は他人に助けてもらうけど、私は他人を助けない」
なんてものでは成り立ちません。
そもそも、左翼に「洗脳」(その言葉が嫌なら「影響」)された人たちは、「愛国心」という言葉自体に過敏になりすぎているのです。
それこそ、私が求める「公心」のことです。
船橋競馬の火災について記事を読ませていただきました。
「命の尊厳」を重視する点で、実績という物差しをつかって犠牲の損害を測るという行為は、確かに推奨されるべきではありません。
公的なマスコミの記述なら尚更です。
この点は賛成です。
ただ、個人的な意見として言わせていただくと、競走馬は人とは違うということです。
多少なりとも、競走馬には絶対的な「価値」が付きまとうからです。しかも生まれながらに・・・。
価値があるということは、損得が生まれるということですよね。
「命の尊厳」という観点は別にして、私は心の奥底では「価値のある馬」が助かったことに「ほっと」してしまいました・・・。
あ、地方馬に価値はあるのか?というツッコミはご勘弁~^^;
でもファンの私は、それなりの価値があると考えていますけど・・・
勝手なことを述べてしまいました・・・すみません。
気を損ねたのであれば、削除してください。

成績が優秀、成績が優秀、成績が優秀、成績が優秀、-----。
人も馬も一緒ですね。 9頭の馬、最後の力を人間どもを恨んで事切れたと思います。 あの世では、「この記者」と交代ですね。

---教育の荒廃に責任のある人たち:
いまだ、なお、日教祖の先生方が非難の矢面に立っているのでしょうか。
どうも日教祖の先生方をやっつけた文部官僚(---という悪い奴もいましたね。)、先棒、後棒を担いだ学者、評論家の責任も大きいと思われてなりません。
先生の資質が低下しだしたのは「知的生活の方法」の本が出てからだ、という説を読んだことがありますが、私見によれば、田中角栄の「人材確保法案」で小中学校の先生方が給与で優遇された、札束で頬をなでてもらった、それ以来だと思います。

大学院教育学研究科・教育学部 総合教育科学専攻 学校教育開発学コース 藤岡 信勝
ソ連崩壊と共に共産党を離れ、思想的にも社会主義を真向から否定する姿勢に転向した。西尾幹二によると、情熱が知性より先走るタイプであるが、肝心のところでは、意気地が無く、将たる器ではないとされる。
競馬・・・好きです。昔は馬と遊んだり、ちょこっと乗ったりも楽しんだの
ですが、今は見るのが専門です。
私は逆に、馬券を買わないとダメなタイプです。絶対ムリだと思って
いても、応援のために単複か複勝を100円だけでも買います。
このブログのどこかにも書いたのですが、私は大好きなこの憲法が
アメリカ人の手で約2週間で作られたと知った時には、すごくショック
を受けました。だから自主憲法を、という人も気持ちはわかります。
ただ、あの時に日本人がこれ以上の憲法を作れたかと言えば、答えは
NOだと思います。 また、私は絶対護憲派ではないので、よりよい
憲法ができるなら、改正をしても構いません。
でも、今の自民草案はNOです。こんな憲法はイヤだ~という記事にも
書きましたが、今の憲法よりも何段階も悪く思えます。
私にとって美しく誇れる国は、平和で平穏な生活ができる国です。
確かに、競走馬は経済動物ですから、財産的価値(もともとの価値+
実績・賞金+繁用馬としての価値)を抜きに語ることはできないと
思っています。
いや、実際に私も(一報ではどこの厩舎かわからなかったので)
有名厩舎や有名馬だったら大変だ~とか、コアレスタイムは厩舎に
いたのだろうか、逃げる時にケガとかしなかったのか思いましたしね。
それにすぐに、建物や馬には火災保険がかかっているのだろうかとも
考えましたし。^^;
ただ、マスコミが活字でそういうことを書くのはどうかな~と思いましたし。
私個人にとっては、ディープインパクトよりも、ホッカイテイオーや
スーパーハリケーンの方が、心情的にはよっぽど親しみがあって、
哀しく感じられる面があったのでした。
またブログを拝見しに行きますね~。
成績優秀but人間的おバカな人も、かなりいるんですけどね~。
少し前に、某官僚OBの人に会ったら、「日教組の教育」がと言っていま
した。そのせいで若い官僚が、常識的な話が通じないらしいです。(笑)
私は、日教組のことは実のところ、よくわからないのです。
確かに授業中は体罰とかはありませんでしたけど。クラブの先生は
熱かったので、スパルタでしたし。
また私は警官とか教師とか看護士さんとかは、もっとお給料をもらって
もいいのではないかと思ってしまう部分もあります。
だって、本当に大変なんですもの。
私は文科省の役人は、すべて定期的に学校の現場に研修に行くといい
と思っています。
あと教育委員会・・・あの人事を何とかしないと、と思ったりもします。
教育現場を知らない人、親や生徒の実態を知らない人が、教育を
考えるのが一番危険なことかも知れません。
内容もコロコロ変えない方がいいと思います。
東大が融通がきかないのも、日本の教育の進化を妨げたかも知れ
ませんね。
どちらかと言うと agreement に近いと思いますが……。「左翼」とレッテルを貼られた60年生まれとして一言。補習を熱心にやる先生は日教組の先生に多かったですよ。そして管理職ににらまれて,仕方なく運動部の顧問をさせられたりして,頭がパーになり,教材研究もまともにできない教員が量産されていったのです。つまり,日教組解体そのものが教員の質を壊していった原因なのですよ。その辺があなたは分かっていない。
そもそも,本来の日本人の文化というのは武士階級の文化ではなく,農民即ち常民階級の文化でした。分かり易く言えば,庄屋や商家の蔵に残ってる帳面や日記をたんねんに調べて民衆の歴史を再構築すること,これが本来の「日本の歴史」であって,エライ武士や貴族が何をしようと,勝手な思想をぶちあげようと,そんなのは知った事じゃないんです。
従って,「愛国心」も「公心」もそんなものを押し付けること自体,論外なのです。自分でできない奴ほど,口先だけ格好良い事を言う。あなたはバスや電車の中で騒いでいる子供を,その親の前でしかりとばしたことがありますか?(私は「左翼」ですがいつもこれをやって「怖いオジサン」と言われてます) 本当の「公心」「道徳心」とはそういうものじゃないでしょうか。
なお,常民については,まず柳田國男の書物を読まれることをお薦めします。文庫版で35巻ほどありますけど,これが基本です。
P.S. 臨床実習中に予備校教員を4年ほどしたことがあります。カネのためと最初は割り切ってましたけど,中学レベルの数学や英語が分からない子のために,自腹を切ってコピーを配って添削しまくった「オニ」は「左翼」の私でした。組合を結成したらクビになりましたけどね。
>成績優秀but人間的おバカな人も、かなりいるんですけどね~。
首都圏の中高一貫校から駒場や慶応に入って来た奴に多いパターンですね(笑) 要するに,特権階級=ノーメンクラツーラ出身だから,他人がみんなバカに見えるのだな。官僚OB の人はその辺を混同しているかと思います。早い話が不勉強で,昔の栄光にすがっている可愛そうな人。
>私は、日教組のことは実のところ、よくわからないのです。
これについては私の前のコメントを読まれて下さい。今では共産党系の人たちは全教という形で分離してしまい,それが日教組・高教組の団結力をさらに弱めている原因となっています。
>また私は警官とか教師とか看護士さんとかは、もっとお給料をもらって
警察官や自衛官には労働権がないんですよ(笑) 日本国憲法違反ですね。ちなみに日本国憲法の原案の著者は法学博士号を取って間もない若い女性だったことを覚えて欲しいと思います。憲法改悪派が反フェミニズムを持ち出しているのも,実はここに原因があるらしいんですよ。
>東大が融通がきかないのも、日本の教育の進化を妨げたかも知れ
ませんね。
これは誤解です。現在,東大など大規模な国立大学は学部と大学院とを分けようとしています。結局,東大法学部(文1)が事実上の官僚養成学校として機能していたため,他の学部,特に理科系が大学院一貫教育をしようとしても(特に医学部薬学部は事実上9年制),組織上動くに動けなかったという事情があります。
70年安保の頃に宇井純さんが『大学解体論』(亜紀書房)という3巻本を書かれて,当時中学生だった私も読みましたけど,東大はいっそのことフランスのパリの大学のように専門学校へ解体してしまった方がよいのではという記述がありました。要するに東大法学部を政治学科と法律学科とに分けて,前者を ENA のように特化した大学院付きの専門学校へしてしまえという話です。
宇井さん自身,工学部で分析化学の助手をしながら,あまりにも複雑多岐にわたる工学部の組織や実験設備の狭さに音を上げていましたから,これでは将来の日本の技術者や技術官僚が育たないという危機感が先に立っていたのだと私は理解しています。
私自身も6年の時に国家上級を受けて思ったのが,やはり技術官僚に対する余りにもの無理解と薄給と出世の道が閉ざされていることでした。私が中国の文化大革命を評価しているのは,文科官僚を全て下放し,代わりに若手の博士号を取ったばかりの技術者たちを行政官僚として採用したことです。やり方は荒っぽかったかも知れませんが,結果として21世紀に入ってから,中国の指導層は全員清華大 (日本だと東京工大や大阪大)が主な出身の,工学博士や理学博士ばかりで占められています。これが中国の高度成長の原因だと理解している人は非常に少ないですね。
>先生の資質が低下しだしたのは「知的生活の方法」の本が出てからだ、という説
ははは,あのドイツ語もろくに読めない「痴的性活」のおっさんですね(笑) D論取り寄せて読んでみたけど,古英語もろくに読めないみたい。カネでドクター買った類じゃないでしょうかねぇ。
>私見によれば、田中角栄の「人材確保法案」で小中学校の先生方が給与で優遇された
どうでしょうねぇ。実際に小中学校の先生の給与が上がったなんて話は聞いたことがないですけど。むしろ,田中角栄は土建屋出身ですから,人材はカネで買えるくらいの認識だったんじゃないかなと思いますよ。結局,教養のなさが自滅を招いたという意味では,森さんや大平さんと似たり寄ったりかなと思ったりします。
>大学院教育学研究科・教育学部 総合教育科学専攻 学校教育開発学コース 藤岡 信勝
あはは,あれ,以前から統一協会のスパイとして有名で,民青の知り合いにあの男は危険だから泳がせておくと大変なことになるぞと忠告した思い出があります。
ちなみに,総合教育科学専攻 学校教育開発学コースというのは,カリキュラムを編成する分野でして,本郷で教えるよりも霞ヶ関の文部省へ出掛けて御用学者していた時間の方が長い奴だったと,知り合いの元東大の教育学者から聞きました。

私は日教組の本当の実体を良く掴んでいませんし、かつての自分の教師でどの人が日教組だったかも知りません。私は70年代生まれですが、すでに「個人主義は良いことだ」という空気が普通にあり、そうした環境で育った人が、私の批判する「私心」教師というものです。
私は文化(精神的なものも含む)の歴史を語る場合は、武士&農民&商人全部ひっくるめて良いのではと思っています。それは例えばイザベラ・バードの日本紀行記に出てくる貧しい庶民たちでも良いですし、いわゆる「武士道」でも良いのです。
「愛国心を押し付けるな」って、よく左翼の人たちは言うんですけど、改正されそうな教育基本法では「涵養する」です。
別に「私は日本を愛しています、と10回言え」とかそういうものではなく、例えば、日本の歴史の素晴らしい逸話などを授業で教えれば、自然と日本と素晴らしい国なんだなと涵養されるんじゃないでしょうか。
自虐史観じゃ駄目なのです。
あなたは立派で知的な人かもしれませんが(?)、あなたには無意味に思えても、一般の人たちには有効だったりするのですよ、たぶん。

確かに私は個人主義として生きてきて、最近、「公心」に目を開くようになった者です。
別に、子供の権利・自由などを尊重ばかりしていないで、押し付ける部分は押し付けて良いと思います。
私はその「怖いオジサン」にはなれないですね。というよりも、その親に対して憤りを感じます。
で、そうした親を作った戦後の教育に疑問を感じるのです。
もちろん、教育だけのせいではないと思いますが。
推薦された本ですが、この1年で大量に本を買ってしまい、読んでない本が溜まっているので、ちょっとしばらくの間、読む時間がなさそうです。できたら、1冊にまとまった本を紹介してください。
私なんて「無知なガキが」と軽くあしらわれそうですが…。

馬券は、昔の方がよく買ってました。
「馬券は競馬を楽しむためのスパイスだ」と力説していましたが、「ちょっとスパイスをかけすぎなんじゃないですか!?」と言われたりしました。
今は買わなくても楽しめます。

ぶっ飛びすぎてて付いていけない・・・と思いつつも、何気に楽しんでいる自分がいた・・・ハハハ。
お化け屋敷に行きたくなったら、また行きます。
では、この場を借りて失礼します。
警官とか教師とかは、昔は周囲に敬意を持って見られていた分、
大変なことも頑張れるところもあったと思うのですが。
それも乏しくなった分、お給料や待遇をよくして、その労に報いて、
いい人材を集めることが必要かと思ったりします。
そうしないと、サラリーマン根性のしょ~もない人たちが増えてしまい
そうで。^^;
東大の中は、まだかなり堅いような感じにきいています。
人事にせよ、研究内容にせよ、まだ流動性に乏しく、一部の言いなり
みたいなところがあるとか。
そういう体質って官僚にも伝わっているような気がします。
今はロースクールで、法曹界を牛耳ることを考えているかも?
私は、本業が馬券師なものですから(笑)<いや、馬券を買う時の
気持ちだけは!>。
馬を楽しみ、応援を楽しみ、スポーツとしてレース・騎手の騎乗を楽しみ、
馬券の勝負(というか予想の過程も楽しいのかも>を楽しみ、という
感じです。

>大学院教育学研究科・教育学部 総合教育科学専攻 学校教育開発学コース 藤岡 信勝
あはは,あれ,以前から統一協会のスパイとして有名で,民青の知り合いにあの男は危険だから泳がせておくと大変なことになるぞと忠告した思い出があります。
ちなみに,総合教育科学専攻 学校教育開発学コースというのは,カリキュラムを編成する分野でして,本郷で教えるよりも霞ヶ関の文部省へ出掛けて御用学者していた時間の方が長い奴だったと,知り合いの元東大の教育学者から聞きました。-----
最近の教育界の退廃の一端を、花のお江戸の東大について、お聞かせいただきました。 そんな危険な公職を自覚しないエゴイストが拓殖大学に集合していますね。 拓殖大学は、渡辺某が学長なのですね。渡辺某は、森田神経症に関しての著書で「開高健賞」をもらっていますね。てっきり神経症を苦しまれた人と思っていたのですが、相当の心臓の持ち主でしょうか。
私の本職は「サイエンス」カテゴリの中で戯れ言を書いてる内容ですから,誤解のないように。皆さんトーダイと言うと本郷にしか眼が向かないようですけど,私たち理科系は日本全国に散らばった研究施設でD論書いたりポスドクで残ってたりします。私もD論は留学先と大阪とで3本書いたかな。だから別に自分がエライとは思ってません。東京中央集権主義に嫌気がさしただけです。
>私は日教組の本当の実体を良く掴んでいませんし
だったら,日教組の批判をする資格はないでしょう(笑) 幼稚園児でも分かる話じゃないですか。あほらし。
>すでに「個人主義は良いことだ」という
あなた方の「空気」(山本七平的な言い方で嫌いですけど)は「個人主義」じゃありません。「カラスの勝手」です。志村けんと夏目漱石をよく読んで下さい。志村けんが笑いのネタにしたのは「自分勝手な連中」であって,「個人主義」ではありません。
>私は文化(精神的なものも含む)の歴史を語る場合は、武士&農民&商人全部ひっくるめて良いのではと思っています。
あのー,余りにも不勉強というか,学問をバカにしてませんか? 少し,史学方法論を真面目に勉強されて下さい。総論的なものだと,ユルゲン・コッカ『歴史と啓蒙』(未来社)がお薦めです。日本史に特化したものでは,飯倉晴武『古文書入門ハンドブック』(吉川弘文館),上野和男編『民俗調査ハンドブック』(吉川弘文館)あたりから初めて下さい。要するに,あなたの歴史観には階級という概念が抜け落ちています。日本人は出身民族や出身階層や職業によって様々な世界観を持っています。例えば分かり易いのが葬式です。あなたが生まれた頃は日本全国,様々な葬式のやり方が独自にありました。そういう民衆の歴史を知る上では「民俗学」というツールは非常に有効です。私も院生の頃に科学史・科学哲学の講義を受けて,その時の思い出を「サイエンス」カテゴリ「コペルニクスの生涯」に書いてますので,眼を通されると良いかと思います。
ちなみに私の祖先は百済からの帰化人で,古代からの技術者の家系です。おかげで,心無い人からよく,韓国に帰れ,などと暴言を浴びます(笑)
>いわゆる「武士道」でも良いのです。
きちんと岩波文庫の『武士道』を読まれたことがありますか(笑) あれは男色のすすめ,ですよ(笑) つまり,HIV を広めるホモ野郎のためのフェチ本です。
>自虐史観じゃ駄目なのです。
過去の過ちを反省することの,どこが「自虐」なのでしょうか。過去の栄光しか知らない人間の方がずっとおめでたい馬鹿野郎つまり「自虐されるのが大好きなホモ野郎」です。
……長すぎると言われたので,また続きます
>別に、子供の権利・自由などを尊重ばかりしていないで、押し付ける部分は押し付けて良いと思います。
そこがまだ若いというか,極端なんですよ。そんな調子で子育てをするから,虐待が増えるんです。子供というのは未完成だけど本人は必死で生きているものなんです。この辺は男性には理解に苦しむ所だけど,例えば若い母親は子供が吐き出した食べ物を平気で口に入れます。これが母性というものなんです。子供の汚い部分を一手に引き受けるものなのです。ところが母親がメールに夢中になったりして「カラスの勝手」になれば,子供は好き勝手をし始めます。そこで父親や怖いオジサンが登場しなければならないんですよ。この辺はまだ若いから無理かな?
さっき字数制限で書けなかったんだけど,私が「自虐史観」ということばに反発するのはクリスチャンだからということもあります。
旧約聖書の初めの方には「歴史書」と呼ばれる「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記」「列王記」そしてこれらをまとめた,「諸書」と呼ばれる「歴代誌」という文書が収められています。「歴史書」と「歴代誌」,特に「歴代誌」では,古代のユダヤ人とその王たちが侵してきた犯罪を暴くばかりの,まさに「自虐文書」になっています。そして,ユダヤ教ではここまでを正式の「聖書」として扱っています(それ以後の旧約聖書はキリスト教やイスラム教で用います)。
それでは,どうしてユダヤ人たちは自分たちの祖先をぼろくそに書いた文書を「聖書」としてあがめているのでしょうか。それはまさに,歴史に目を閉ざすなと言った,元西ドイツ大統領ヴァイツゼッカー大統領演説(岩波書店でまだ入手可能です)と思想を同じにしていると言っても過言ではないでしょう。従って「自虐史観」を私は否定し,撲滅する立場にいます。一昨日の日曜も教会でそのように祈ってきました。
>「自分でできない奴ほど,口先だけ格好良い事を言う」って私のことですか??
あなたのことを直接指した訳ではないです。それは被害妄想ですよ(笑)
そうじゃなくて,現在自民党やアベを支持しているような若い人たち全体を指しているんです。私も教養の頃は竹刀の中に鉄棒を入れて,右翼の街宣車を襲って3人ほど半殺しにしたため,段位を剥奪された経験があります。決してカゲキハじゃないですよ,大学の前でうるさいから,普通に剣道の防具を着て「黙れ!」と言いながら襲っただけです。
# だから私を殺そうと思えば,銃器以外に方法はないでしょうね(笑)
……また長いと言われた(/_;)
>その親に対して憤りを感じます。
で、そうした親を作った戦後の教育に疑問を感じるのです。
あなたも憤りを感じるでしょ? だけど,それは果たして戦後の教育のせいでしょうか。むしろ,戦前の教育の方がはるかにでたらめでした。特に軍隊では……。
あなたが憤りを感じるという「戦後の教育」に一番近かったのは,実は戦前の旧制高校でした。校則もなし,寮ではストームがいきなり噴出し,酒を浴びながら逍遥歌を放吟するのです。特に文科は自由主義と言って良いほどのデタラメぶりでした(と,旧制大阪高校理科だった伯父曰く)。戦後,急速に民主主義が普及したのも,社会のエリート層に旧制高校で自由を満喫した世代がいたからだ,という経験談です。
# だから自分のブログが書けないんだな
>それも乏しくなった分、お給料や待遇をよくして、その労に報いて、
いい人材を集めることが必要かと思ったりします。
そうしないと、サラリーマン根性のしょ~もない人たちが増えてしまい
そうで。^^;
私の父方の祖父は実は警察官僚だったんですけど,最近の若い警察官の余りにもの自殺の多さには正直言って驚いています。亡くなった祖父の話では,戦前は特高が,戦後は公安が捜査の邪魔をして困った,とのこと。最近起こる訳のわからない事件も,案外地元の名士だとか警察関係者が起こして,それをもみ消すためにマスコミを振り回してるのかな(例えば秋田の殺人事件)なんて思ったりします。夕方にPTAや老人が狩り出されて登下校を監視されてたりすると,まさにオーウェルの「1984」だなと笑ってしまったりします。自分が子供の頃はいつも一人で,虫獲ったり,商店街を歩き回ったり,本屋で立ち読みしたりして,道草食ってたんだけどなー。
>東大の中は、まだかなり堅いような感じにきいています。
分野によるんじゃないかな。例えば国家プロジェクトのロケット工学だとか原子力工学だとか。最近は原子力工学へ進む学生がいなくて困っているらしいです。文系の方はどうだか知りませんけど,御用学者して金儲けに走ってる人がいるのは事実でしょう。実際,小柴だって御用学者して国家予算をかき集めたからノーベル賞が取れた訳で(あれで取れなかったら国賊じゃ!)。

私のコメントに日教組が出てきましたか? 他の人のと混同してるんじゃないでしょうか?
内心、胡散臭いと思っているので、以前のコメントに出てきたかもしれませんが…。
> 「自分勝手な連中」であって,「個人主義」ではありません
その通りです。「自分勝手主義」が「個人主義」であるかのような「空気」があり、今も蔓延しているかのようです。それは私も以前にも指摘した通りです。
> 学問をバカにしてませんか?
私は学者じゃないので、学問的に分析したりしません。それは他の一般の日本人も同じことだと思います。

私も(というか多くの日本人)ずっと遡れば祖先は朝鮮半島からの帰化人なのではないか、と思っていますが、調べても確証が得られず、尚且つ「祖先は帰化人」というアイデンティティーも持っていないので、日本人として生きています。
> 「武士道」
私が言ったのは、「いわゆる『武士道』」です。
> 過去の過ちを反省することの,どこが「自虐」なのでしょうか
小中学生にわざわざ「自虐」を中心に無理に教えなくても良いと思ってます。それをなくすことが「国を愛する心の涵養」だと思っています。「過去の過ちの反省」は徐々に教えていけば良いと思ってます。
> 極端なんですよ。そんな調子で子育てをするから,虐待が増える
「押し付け」的なことと「虐待」は別です。
どうして「極端」に考えるのですか?
と書いているとキリがないので、もうお終いにしましょう。
いろいろ参考になりますが、ここの管理人さんにも迷惑ですし…。
あなたは 09-05 01:57 のコメントでこう書いています。
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kaetzchen さん、知性派年長者の貴重なご意見ありがとうございます。
私は日教組の本当の実体を良く掴んでいませんし、かつての自分の教師でどの人が日教組だったかも知りません。
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言い逃れはやめましょう。それが嫌なら,ネットの世界から出ていきなさい。
>私は学者じゃないので、学問的に分析したりしません。それは他の一般の日本人も同じことだと思います。
うそをつくな! 歴史をどうのと言いながら,それは学問じゃないと逃げる。卑怯者! ハラキリして詫びるのがあなたの言う「日本人」だろう!
所詮,保守的「日本人」の知性なんて,昔から,フジ・ハラキリ・ゲイシャから進歩してないのだ。印刷部数の3分の2がゴミとして廃棄される文藝春秋が典型的ではないか。違いますか?
ということは,「ヤマト系日本人」である,つまり日本は多民族国家であるという事実を認めた訳ですね。
>私が言ったのは、「いわゆる『武士道』」です。
ほう,すると『武士道』について,何の知識もないのに,感覚だけで言葉が出る訳ですね。そういう無責任な態度は私は絶対に許しません。
>小中学生にわざわざ「自虐」を中心に無理に教えなくても良いと思ってます。それをなくすことが「国を愛する心の涵養」だと思っています。
それはあなたのモーソーですよ(笑) お薬を処方しますから,しばらく病院にでも入ってますか? 「自虐」に陥っているのは understanding さん自身です。自分の過去の姿が怖くて見えないことを「自虐」と言います。少しは自分の書いた言葉に責任を持ちなさい。
# まだ続きます。
ほら,またそうやって逃げていますね。そういう卑怯者は自ら責任を取れない,情けない大人になるのは間違いないです。私はあと5年か10年でこの世を去る予定ですから,とりあえず忠告まで。うそをつくな! 逃げるな! 責任をとれ! この3つを understanding さんに贈りましょう。
# これからもこの調子で,非論理的な方には徹底的に抗戦していきますので,覚悟しておいて下さいね。>おーる

しつこいですね…。
そのコメントは、kaetzchen at 2006-09-04 17:03 で「日教組」が出てきたので、それに対するレスです。
その前に私が「日教組を批判」しましたか?
>学問的
「お天道様が見ているから」なんて考え方を、いちいち、神道的考え方か仏教的考え方か、一般の人たちは考える必要がないということです。
>つまり日本は多民族国家であるという事実を認めた
遥か昔にまで遡れば、いわゆる「大和民族」でさえ、いろんな民族の混血に決まっているじゃないですか。漢民族だっていろんな民族の総称でしょ。
>「武士道」
何の知識もないというより、難しく考えず、義・勇・仁・礼・誠etc.の「武士道」で良いということです。別に「国家の品格」の武士道でも良いですし、「葉隠」「甲陽軍艦」もそこに交えても良いんですけど、私はそれらを単純に「いわゆる『武士道』」と表現しただけです。

>「自虐」
ちょっと前までの歴史教育のあり方に問題があると思っています(最新のは知りません)。例えば、一般の人は「日本は韓国・台湾を植民地にした」=「日本が悪かった」としか思ってないわけじゃないですか。贖罪意識があるから、一部の国に「歴史問題」を延々と外交カードに使われているわけです。しかし、「植民地」とはいえ、良いこともたくさんしているわけです。にも関わらず、韓国の歴史教科書のみならず、日本の歴史教科書でも触れていない(?)ことに疑問を感じるのです。
ただでさえ、一般の日本人は(外交に関しても)性善説を取りたがり、自分の中に非を探しがちなので、ここまで「歴史問題」を外交カードで使ってくる国があるならば、これまでの教育じゃ国益を失うだけなんじゃないですかね。
もう止めましょうよ…。それと、子供の喧嘩のように、罵倒するのは止めましょう。
あなたらしくないですし、そこから私は何も得られません。どうせなら膨大な知識を披露してください。
では、ちょっと外出しますので失礼を。
>その前に私が「日教組を批判」しましたか?
してますよー。すでに若年性アルツハイマーじゃないでしょうか? 精神科を受診されることをお薦めします。
>お天道様が見ているから」なんて考え方を、いちいち、神道的考え方か仏教的考え方か
ほー,いつから歴史の話から,宗教の話に変わったんでしょうか。精神的に危ないですよ。
>漢民族だっていろんな民族の総称でしょ。
あなたは知識もないのに適当なことを言ってますけど,バカ鍋昇一みたいなデタラメを吹き込まれたんじゃないでしょうか? いいかげんにしなさい。
>別に「国家の品格」の武士道でも良いですし
あの本は藤原なにがしの知ったかぶりの口述筆記ですよ。本当にあの本を読んだことがあるんでしょうか? 最初から最後まで,書いてあることがあちこちに飛んで一貫性がまるでありません。40過ぎたら数学者は廃人になると,京大で数学を教えてる悪友が言ってますけど,本当ですね。
>ちょっと前までの歴史教育のあり方に問題があると思っています(最新のは知りません)。
知らないのなら最初から話題に出すな! 文科省のカリキュラムや検定教科書の概要くらい,ネットで公開されてます。
>贖罪意識があるから、一部の国に「歴史問題」を延々と外交カードに使われているわけです。
あれ,以前に言われていたことと違ったことを言い出しましたね。日本人に贖罪意識があるって話,初めて聞きましたよ。
>「植民地」とはいえ、良いこともたくさんしているわけです
何をしましたか? 私には台湾人の友だちも韓国人の友だちもいますけど,皆んな口を揃えて,日本は商売相手と割り切ってる嫌な連中だと言いますよ。
>もう止めましょうよ…。それと、子供の喧嘩のように、罵倒するのは止めましょう。
敗北宣言でしょうか。子供みたいに甘えているのはあなたでしょう。大人だったらきちんと責任をとりなさい。私はそれを言いたいだけです。

ガッカリしました。
せっかく、「左翼」と称する人で、凄い知識を持ってそうな人が現れた、と思っていただけに…。
これでは2chと変わらない。
「ガキ」「敗北宣言」「卑怯者」でも何でも良いんですけど、不毛な議論で、 mew-run7さんに迷惑をかけたくないので、この辺で失礼します。
キャンキャン吠えててください。
ここのコメント欄は字数制限が厳しく、きちんと自分の考えや根拠
などを説明したいと思うと、複数のコメント欄を使用せざるを得なく
なってしまうのですが。
<私もしばしば字数制限に合い、不自由な思いをしています。>
以前、私も含めて、他の方と長々議論をして、読んでいる方から
「コメント欄が読みにくい、読むのが大変になる」とご指摘を頂き
(携帯で読んでいる人もいるようです)、また左側の最新コメント
の欄が同じ人たちの名で占拠されてしまうため(最大20個しか
表示できない)、他の方からコメントが来たことがわからなく
なってしまったりと、色々と問題が生じています。
ですから<私個人はコメントを頂けるのはすごく嬉しいですし、
議論をしたり読んだりするのは勉強になると思うのですが>
できるだけ、1回の投稿でコメント欄一つの範囲で書いて頂ける
ようにして頂ければと思います。ご協力のほど、よろしくお願い
いたします。m(__)m
私も学校の帰りor帰宅後に家を出て、本屋さんや小物屋さんなど色々
なお店に行ったり、動植物(虫を含む)と戯れるためにあちこち行ったり
放課後の生活を楽しんでおりました。
知らない人にはついて行ってはいけないとは言われていましたが、
地域社会の中はかなり安全だったです。
少なくとも、周囲の大人が自分を傷つけるとは思っていなかったように
思います。<大人同士もそう思わなかったかも>
匿名性の強い社会、お互いに関わりを持ちにくい社会になって、その分
コミュニケーションのとり方や社会良識を学びにくくなったり、治安も
悪化したり、犯罪捜査も難しくなったりしているな~とつくづく思う今日
このごろです。
東大に関しては、学部や分野によっても色々と違うのかも知れませんね。
私は幸いに、小中高とも、さほど偏った歴史の教えられ方はしていま
せんでした。今はもう、手元に教科書がないので、どのように表現されて
いたかはわかりませんが、<侵略ではなく進出って書いてあったものが
あったかも?>、日本が一方的に悪いという感じの教え方はされて
いなかったです。
<何か淡々と事実を習うという感じでした。>
私は自虐的に歴史を振り返る必要はないと思います。淡々と歴史的な
事実を認識すればいいと思うのです。あまり細かい数字や、発言に
こだわる必要もない気がします。
ただ、日本が、当時他国もやっていたように、自分の領土ではなかった
国々に進出し、併合とか統治をしようとしたのは事実だと思いますし。
その過程で、そこの国々に住む人を殺傷したり、強引に支配下において
イヤな思いをさせたりしたのは事実だと思うので、それはそれで認めて、
反省をすればいいのかな~と思ったりしています。
多数のコメントをお寄せ下さって有難うございます。
この記事のコメント欄はかなり長くなりましたので、ここでコメントの
受付を終了させて頂きます。
よろしくお願いいたします。m(__)m
尚、TBは引き続き、受け付けています。