子供たちの現状を考えずに & 政治主導で、教育のやり方を急激に変えるのはアブナイ!

今回は、教育関連のニュースについて書いてみたい。

 今週、一番大きく取り上げられていたのは、2日に文科省が公表した体罰等の基準に
関するニュースであった。<*1>
 安倍首相は、教育再生会議の一次報告書を受けて、1月22日に伊吹文科大臣を
首相官邸に呼び、「現行の法律でできること(体罰等)をまとめて、全国の教育委員会
に通知するように」と指示。それに従って、作られたものである。

 学校教育法は「体罰を加えることはできない」と規定。旧法務庁の意見書(1948年)
でも限定付きながら、「児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法としては
許されない」と教室からの退出などを否定していた。
 だが、教育再生会議は「暴力など反社会的行動を繰り返す子どもに対する毅然たる指導、
静かに学習できる環境の構築」を掲げ、旧法務庁の意見書の見直しなどを求めていたの
である。
 そこで、今回の通知では「許される体罰の範囲」を例示し、放課後の居残り指導
▽授業中に教室内で立たせる▽清掃活動や学級当番をさせる――などは肉体的な苦痛が
なければ体罰ではないとし、教室外への退出も「別途指導が行われれば、差し支えない」
などと明記することになった。出席停止の運用の仕方についても、記すという。

 毎度、同じ感想になってしまうが、「現場がわかっていないなよな~」と思って
しまう。再生会議の委員たちや、これをまとめた者たちは、おそらく20年以上前の
学校や教室の光景しか思い浮かべられないのではないだろうか? <または国立か
私立の小中に通っていたので、公立の小中のこと自体、ほとんど知らないとかね。
ちなみに官僚の子供たちは、国立や私立の小中に通う子がかなり多いときくし~。>

* * * * *

 あまりこの件を書いていると、スペースがなくなってしまうので、一例だけ。
 いくつかの公立小・中では、「教室から出て行け!」は禁句になっている。
 もともと授業妨害や問題行動のある生徒の中には、「教室にいろ!」と言っても、
勝手に何人かで教室を出て行って、校内をうろついたり、どこかでたむろって遊んで
いたり、他の教室にチョッカイを出しに行ったり、ひどいものでは毎日のように火災
報知機鳴らしたりなどをして、クラス以外の生徒にも迷惑をかけるケースが少なくない。
そんな生徒たちに、「教室を出て行け!」と言ったら、喜んで「先生が出て行けって
言ってるんだから、出て行こうぜ~」ということになってしまう可能性が高いのである。

 また「そんなに騒ぐなら、みんなに迷惑になるから出て行け!」「勉強する気がない
なら学校に来るな!」などと言ってしまったために、生徒が家に帰ってしまったケース、
どこかに消えたケース(教員で手分けして捜索する騒動になったとか。街をうろついた
あと、公園にたむろっていたらしい)、不登校のようになってしまったケースなど、
却って困ってしまうような状況がアレコレ生じるからだ。<しかも、保護者から苦情が
来たりする。>

「XX、そこに立ってろ!」「OO、教室から出て行け!」・・・「シュ~ン(反省)」
→態度がよくなる・・・な~んてイメージで、教育の立て直しを考えられても、非現実
的に思う教員が圧倒的に多いのではないかと思う。<地域とか、教師の怖さとかにも
よる部分はあるかも知れないが。>

 また、これは改めて書きたいと思うのだが、2日に千葉県松戸市のマンションで
飛び降り自殺をした中2生のように、いじめられる側、いじめる側の立場が一面的
には考えられないケースもある。
 私は学校側が、集団暴行で同級生を骨折させた生徒たち8人を、一律に叱り、
被害者に謝罪させた指導は、決して不敵切だったとは言えないと思うが。<これが
再生会議の提言する毅然とした対応でもあろう。でも、また「何で、この生徒の
立場を別途に配慮して指導やケアをしなかったのかとか、学校や教師を批判する人が
出て来るのだろうが・・・。^^;>


 今は誰がいついじめる側でいじめられる側なのか、ふだんはマジメな優等生っぽい子
が急にとんでもない問題行動を起こしたりとか、実はいじめの指示を出していたりとか、
単純な図式で生徒の指導を考えられないケースが多いのである。また、それがいいか
悪いか別として、昔なら教師に怒られても当たり前だと思えるような場合でも、少し
キツイことを言うと、ひどく傷ついてしまって学校に行かないと言い出したり<教師
も保護者も、万一、自殺や家出なんかしたらとビクビクになったりするようだ>、
逆恨みして事態が悪化したりとか、面倒なケースも少なくないのである。

  
 再生会議もそうだが、議員やTVでコメントする人たちの中には、「自分の小中学生の頃は、
先生はもっと威厳があって厳しかった」「今の教師は毅然としていないからダメだ」とか言う
人が少なくない。
 でも、彼らが子供の頃(60~20年ぐらい前?)そうであったのは、まだ社会全体に上下
関係の序列があったり、保護者や地域を含め一般ピ~プルの多くが、「教師」という職業を
上の存在に見て、かなり尊重し(尊重し過ぎの時もあったような気もするが)、その立場を
押し上げていたところもあったからだと思う。
 だが、特にバブルが始まってからの20年の間に、その状態はどんどん崩れてしまったの
である。<これもまた機会があったら、書きたいけどね。>

 そういう社会や教育現場&周辺の状況、子供たちの実態をよく考えずに、教育、指導の
やり方だけ変えようとしても、うまくは行かないのではないだろうか?

 上述の人たちは、できるなら、どこか問題があって困っているクラスで少なくとも3ヶ月
ぐらい指導をして、お手本を見せて欲しいと思ってしまう。<TVカメラとかはナシでね。> 
 もし、それで問題が解決して、クラスの生徒たちが学力&規範力の高い生徒たちに
変身したなら、私はもう何も言わない。黙って、その人たちの提言に従いたいと思う。

* * * * *

 やっぱりここまでで長くなってしまったので^^;、あとは報道された事実のみ。

 さてコチラの『教育再生も何でも、安倍は国民ではなく「改憲勢力」のために』という
記事の続きになるが・・・。

『安倍晋三首相は29日夜、「教育再生はわたしの最重要課題だから、当然成立を期して
提出も急いでいきたい」と述べ、今国会の会期内成立を目指す意向を重ねて言明した。
 しかし、塩崎恭久官房長官は27日の記者会見で「成立させるかどうかは国会が決める
こと」と指摘。28日には下村博文官房副長官もテレビ番組で「成立してもらいたいが、
これは柔軟に考えてもいいのではないか」と述べ、今国会成立には必ずしもこだわらない
考えを表明した。
 首相としては、「安倍官邸」の中枢メンバーである正副官房長官のこうした発言を放置
すれば、政府・与党内の3法案に対する慎重論が勢い付き政権の求心力にも影響を及ぼし
かねないことから、引き締めを図ったとみられる。<時事通信29日>』

 ただ、法案を準備する側の文部科学省は、首相の指示に従う意向であるものの<イヤ
でも指示に従わないといけない>、伊吹文科大臣は、筋論を通して、あくまでも文科省
下の中教審での審議、同意を経てから、法案を提出したいと発言している。

 尚、この1月末で第3期の中教審のメンバーの任期が終了した。
『今月末で委員の任期切れとなる第3期中央教育審議会は30日、東京都内で総会を
開き、「次代を担う自立した青少年の育成に向けて」<コチラのページに>伊吹文明
文部科学相に答申した。総会で委員が「中教審の役割は教育の政治的な中立性を確保
すること」などと発言、教育再生会議など官邸・政府主導の教育改革を暗に批判した。
<毎日新聞30日抜粋>』

 本当はこの部分ももっと書きたかったのだけど。
 私は「教育(特に公教育)において、政治的中立性を確保すること」は、すごく
大事なことだと思うのだ。
 首相や内閣などのいわゆる政治勢力というのは、その時々の流れやら何やらによっ
て変わって行ってしまう。安倍氏は自分のイメージする「美しい国」を目指して、
急激に&やや強引に教育内容ややり方を変えようとしている。
 毅然とした厳しい指導やエリート作りも考えた競争主義、国の管理や愛国&公共精神
の指導の強化などを考えているけれど、数年後には誰が首相になっていて、どのような
教育を目指すかはわからない。
『安倍&再生会議による「拙速&強引な教育改変」は、アブナイ!」参照>
 そして、そういう政治の流れに教育内容が左右されてしまうと、現場は混乱するし、
何より子供たちが受ける教育の方針に一貫性が保たれないため、子供たちに好ましく
ない影響が生じるおそれが高いからだ。
 それは日本の社会や将来にとっても、決して望ましいことではないのである。


 そして、2月から第4期の中教審のメンバーによる審議が始まる。
「文部科学省は1日、第4期中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の委員30人を
任命する。
 歌舞伎俳優の中村吉右衛門氏やアテネ五輪の女子ソフトボールの監督を務めた宇津木
妙子氏、京都大大学院教授の佐伯啓思氏ら14人が新たに選ばれた。委員の任期は2年間。
中教審は近く開く総会で、劇作家で評論家の山崎正和氏を会長に互選する。
 安倍首相が今国会への提出を明言した教員免許法改正案など教育改革関連3法案につい
て、伊吹文部科学相が中教審の議論を尊重する考えを示している。文科相は31日、
「2月中には大体の結論を出してもらいたい」と語った。
 焦点の教育委員会改革に関し、都道府県教委から市町村教委への人事権の移譲には、
中教審に委員3人を出す地方6団体の中でも意見が分かれ、議論が難航することが予想
される。<読売新聞30日>』 <尚、全メンバーはコチラに。>

 果たして、新しい中教審は、教育の政治的中立性にこだわって、安倍官邸&再生会議
の抵抗勢力になって、行き過ぎをおさえてくれるか・・・。これからも、ウォッチを続け
て行きたいと思う。

【 下の2つのランキングに登録しています。安倍政権や今の日本の問題点をより多くの人に
伝えたい&クリックが増えると~っても励みになる(^^♪ので、できるだけ2つともクリック
して頂けると嬉しい&有難いです。組織票はないので、最後まで読んで下さる方々だけが
頼りです。よろしくお願いいたします。m(__)m 】


↓ 何とか25位枠をキープしたい!(・・)

人気blogランキングへ
   

にほんブログ村 政治ブログ
         ↑ 政治部門1位がピンチ!やや優先的によろしくです!m(__)m





*1

『体罰に関する許容範囲の見直しを求めた教育再生会議の第1次報告や深刻ないじめ問題を受け、文部科学省は2日、初めて体罰の考え方をまとめ、来週中にも都道府県・政令市教育長らに通知する。居残り指導や授業中の起立指示などは肉体的に苦痛が伴わない限り体罰ではないとし、教師が用いる強制力も認める方向だ。いじめや暴力を繰り返す児童・生徒に対する「毅然(きぜん)たる指導」を支援する狙いがある。

 学校教育法は「体罰を加えることはできない」と規定。旧法務庁の意見書(1948年)でも限定付きながら、「児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法としては許されない」と退出などを否定していた。

 今回の通知は、(1)生徒指導の充実(2)出席停止処分の活用(3)懲戒・体罰の3項目について考え方をまとめた。

 体罰については「身体への侵害を与える懲戒と肉体的苦痛を与える懲戒は与えてはいけない」と従来通り禁止した。その上で、体罰か否かは「受けた側の主観ではなく、児童・生徒の年齢、健康状態、行為の場所・時間などを考え、個別のケースに応じて判断するべきだ」などと盛り込み、教師側の強制力を容認する方針だ。

 さらに、生徒をたたいた教師の行為が体罰として認定されなかった過去の判例を例示する。判例への受け止め方は現場教員の判断に任せるものの、暗に「許される体罰の範囲」を示しているとも言えそうだ。

 このほか、放課後の居残り指導▽授業中に教室内で立たせる▽清掃活動や学級当番をさせる――などは肉体的な苦痛がなければ体罰ではないとし、教室外への退出も「別途指導が行われれば、差し支えない」などと明記する。

 出席停止処分については、「粘り強い指導を行ったうえで、正常な環境を保持することが困難な場合に適用する」と従来の考え方を示し、出席停止を受ける児童・生徒用の個別の指導計画を作成するよう求める。

 会見した伊吹文明文科相は「子どもを預けられた限りは、保護者が安心できる態勢を作るようにしたい」と語った。

 教育再生会議は1月24日に発表した第1次報告で、「暴力など反社会的行動を繰り返す子どもに対する毅然たる指導、静かに学習できる環境の構築」を掲げ、旧法務庁の意見書の見直しなどを求めていた。<毎日新聞 2日>』

『文部科学省は学校教育法が禁止する「体罰」の範囲についての見解をまとめ、全国の教育委員会などに来週、通知する。放課後の教室の居残り、授業中の起立、清掃活動など、肉体的苦痛を与えないものは体罰にあたらないとする。

 体罰についてはこれまで一九四八年に出された旧法務庁の見解が基準とされてきた。肉体的苦痛を与える懲戒のほか、児童に授業を受けさせないという処置も「許されない」としている。政府の教育再生会議はいじめ問題の対応策として、この政府通知の見直しを一月の第一次報告に盛り込んでいた。

 今回の通知を出す理由について同省は「懲戒がどの程度認められるのか判断が難しく、指導において委縮を招いているとの指摘がある」と説明。従来通り、なぐる、ける、長時間の正座・直立といった肉体的苦痛を与える行為は「体罰」とし、体罰かどうかの線引きは「年齢や健康の状況、場所や時間など総合的に考え、個別に判断する必要がある」としている。

 児童生徒が教師やほかの児童生徒に暴力を振るうのを止める行為は「正当な行為」と位置づけ、教室から退去させたり、教室に入れない懲戒も授業に代わる指導が行われる場合は「差し支えない」としている。授業妨害をした児童生徒を教室の外に出したり、授業中にメールを打ったりしている児童生徒の携帯電話を一時的に預かることも容認する。

 出席停止制度については、教師や校長、学校が孤立しないよう教育委員会などが支援体制をとる必要性があることなどを明記する。

 出席停止となる児童生徒については「事情に応じて家庭で親が指導できる場合もあれば、学校ではない場所で個別の指導が必要な場合もある」(銭谷真美初等中等教育局長)として、個別の指導計画を求める。<東京新聞 2日>』
[PR]

by mew-run7 | 2007-02-04 17:16 | 政治・社会一般 | Comments(4)

Commented by nike_mild at 2007-02-04 19:26
mewさん、こんにちは^^
私は国の将来を考えると頭脳優秀な方がたくさん育って欲しいのです。
今、国は教師叩きばかりしているように見えますが違うのでしょうか?

この間インドのことをテレビでやっていました。ネルーが教育に力を入れた結果だ!みたいなことを言っていましたが、私は元々頭脳という面では優秀なインド国民だったのではないかと思っています。

しかし、このわが国日本では小泉などが「米百票の話」とうらはらに教育というものをどんどん壊しているように思います。
教師に責任をなすりつけたり親を非難したり挙句の果ては子どもも悪いとの世論を作ろうとしています。そして馬鹿が集まっての教育改革をしようとしています。

私は世界に通用し、それ以上の頭脳を持った国民を育てるにはどうすればいいのか?国民は真剣に考えなくてはならないと常々思っていました。
日本人は世界のうちででも優秀な頭脳を持っている人種のはずです。教育界をバカモノどもに弄くられるのが残念なのです
Commented by intrstg at 2007-02-06 10:21 x
<私は国の将来を考えると頭脳優秀な方がたくさん育って欲しいのです。
<日本人は世界のうちででも優秀な頭脳を持っている人種のはずです。

頭脳優秀な人よりも、まともな思いやりのある、血も涙もある人の方が良いと思います。「頭脳優秀な人たち」による愚かな犯罪も目に付きます。

頭脳優秀な人が指導したり、活躍してグローバル志向の日本社会よりも全員参加の本当の民主主義の日本社会の方が良いと思います。

日本人種・優越説は思い込みかも知れません。根拠はないかもしれません。排他的になる可能性があります。また、ナチスのドイツ民族と雌雄を競った過去がありますね。

Commented by mew-run7 at 2007-02-07 03:43
ニケさん、コメント有難うございます。 レスが遅くなってすみません。m(__)m 
 
 日本人も頭脳的に優秀な人は少なくないと思いますが。無から
何かを発想、発明、創造するような思考力を持った人は、あまり
いないかも知れません。そういう人を発掘、育成する環境も調って
いないように思います。

 でも、そのかわり、日本は既存の発想、物を応用、加工、改良
する能力、技術は世界一かも知れません。<文字から文化、機器
車などすべて> また、精密なものを作る技術、能力(几帳面さ
地道さなど含む)もスゴイです。集団で役割分担をして何かを
行なう力も優れています。また、戦後の教育の普及努力で、
地域、親の職業にかかわらず、読み書き計算などの基本学力が
身についているのも、欧米先進国の中でもそんなにないこと
だと思います。<上はそんなにスゴクないけど、下からの底上げ
で、全体レベルは高い。but後ろの二つは、近時、やや弱化?!>

私は、学校教育の中でも、「個」を尊重しながらも、そういう
日本人の特性をいい形で伸ばして行ければいいな~と思うです。
Commented by mew-run7 at 2007-02-07 03:48
intrstg さん、コメント有難うございます。

頭脳優秀な人を育てることも大切だとは思うのですが。
頭脳さえよければいい、という価値観を社会や本人が持たない
こと、そのように教育をして行くことが大切だと思います。

私はそこに学校教育の意義があると思うのです。
<頭脳を育てるだけなら、学校に行かなくてもいいので。>

民主主義の基本を学べるのも、学校ではないかと思います。
<国会より小学校の学級会の方が、よほど民主主義を実践して
いるかも?^^;>