「戦争を知らない子供たち」に、戦争を歪めて伝えようとする大人たちがいることの危うさ+大仁田
2007年 06月 24日
コメント欄もお休みしており、TBも受け付けられない状況だと、何だか「ブログ界の孤島」に
なりつつある感じも。(ノ_-。) にもかかわらず、たくさんのご支援、本当に感謝です。m(__)m>
22日の報道ステーションで、ジローズの「戦争を知らない子供たち」という歌の
特集をしていた。71年にヒットした曲だが、その後もずっと歌い継がれているので、
20~40代でも知っている人が少なくないのではないかと思う。<mewはハモれる!>
戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
大人になって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕らの名前を 覚えて欲しい
戦争を知らない 子供たちさ
その特集で知ったことに、この曲は70年の大阪万博の際に、その会場で行なわれた
アマチュア・フォーク・コンサートのテーマ・ソングとして作られたのだそうだ。
このコンサートを戦後生まれのスタッフで作ろうと。そして、戦後生まれは、戦争を
知らないことが取り柄なのではないかと。戦争を知らないからこそ、訴えられるものが
ある・・・作詞をした北山修氏は、そのような考えから、この詞を書いたという。
コンサートでは、「100年後も200年後も、そして世界で、戦争を知らない子供
たちが増えるように」というようなメッセージを語っていた。
<ちなみに、北山修氏は当時、京都府立医科大学の学生だった。もともと「ザ・フォーク
・クルセダーズ」というフォーク・グループのメンバーとして活動しており<「おらは
死んじまっただ~♪」でお馴染みの『帰って来た酔っ払い』が大ヒット。その後、当時の
メンバーだった加藤和彦とのコンビで出した『あの素晴しい愛をもう一度』も有名。他に
『風』『花嫁』『白い色は恋人の色』『レッツゴー!サザエさん』『さらば恋人』などの
作詞でも知られる。・・・その後、精神科医になり(今は大学教授も)、その仕事をしな
がら、時々、音楽や執筆活動を行なっているようだ。>
* * * * *
私も、戦争を全く知らない子供として、生まれ育ったわけだが。
正直なところ、少なくとも、自分が生きている間は、日本はずっと戦争を知らずに
いられると思い込んでいたところがあった。
よもや、まだ寿命まで何十年も人生が残っているうちに、日本が戦争ができる国に、
戦争をするかも知れない国に変わる可能性が生じるとは、思いもしていなかった。
それゆえに、私は今、このアブナイ流れを実感しながら、とても困惑している部分
があるのだけど。同時に、その流れに対する抵抗感がどんどん強くなっても来ている。
北山修氏は、近時、「自衛隊のブーツがイラクの土を踏んだ時から、戦争を知らない
子供たちとは言えなくなったのではと思っている」と語っていたそうだが。
私は、まだ日本は引き戻せると信じたい。ブーツまでなら、何とかなる。でも、銃口を向け、
引き金を引くようになったら、おしまいだ。それは、まさに戦争の第一歩になるからだ。
私は、もちろん世界中から戦争(内戦なども含む)がなくなって欲しいし、それが100年、
200年先まで続いて欲しいと願っているが・・・。
まずは、自分のできる範囲で、自分の国から。自分が国民として主権を持っている日本が
せめて自分が生きている間は、戦争をしないように。そして、せめて、自分の子供や孫の世代
が、ずっと戦争を知らない子供たちでいられるように、自分なりに働きかけたり、訴えたりして
行ければと思う。
日本は戦争をしない国だと、他国に武力を行使しない国だということを、日本人の誇りとして
ずっと持ち続けたいし、子供たちの世代にもそれを引き継いで行きたい。
<領土内の自衛は正当防衛として致し方ない面があると思うが、そのような事態が起きない
ように、外交政策や協議をしっかりとすべきだと考えている。>
そして、できるなら少しずつでも、世界の他の国々にも広めて行って、その考え方が世界標準
になるようにできれば、ベストなのではないかとも思う。
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でも、この特集を見たあと、昨日の記事を編集していて、強く思ったことは、「戦争を知らない
子供たち」であり続けるためには、「戦争の悲惨さを知らなければならない」ということである。
昨日23日、沖縄の糸満市の平和祈念公園で、、恒久平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」が
行なわれたのであるが。
仲井・沖縄県知事は「沖縄戦の真実の姿を次の世代に伝え、その教訓を私たち一人一人が
胸に刻み、平和の実現のため日々努力することが求められている」と平和宣言を読み上げた。
また中学生の少年が、沖縄戦の時に同年代だった祖父からきいた話をもとにした詩を作り、
それを朗読したのだが。その詩の最後は「少年から聞いたあの忌まわしい戦争の話を 風化
させることなく 語り継いでいこう」と結ばれていた。
メディアや報道が発達した今日、私たちは海外の他の国々で現に起きている戦争の光景や、
犠牲者や遺族の怒りと哀しみ、恐怖に怯え、悲惨な生活を送る人たちの姿を目にすることが
できる。でも、画面を通してそれらを見ていても、あまり現実味を感じられず、他人事に思えて
しまう部分もあるように思える。
でも、同じようなことを日本も経験したのだと。自分たちの親や祖父母、曽祖父母や親族
など血のつながった人たちや、同じ地域に住む身近な人たちも、他国の人たちを武力で攻撃
したり、また攻撃されたりして、お互いに多くの犠牲者を出し、悲惨な体験をしたのだと。
それをもっと身近なことに感じられるように、映画でもドラマ、写真でも、小説でも漫画でも、
話を聞くのでも、どんな形でもいいから、伝えて行かなければならないと思うのだ。
そうすることが一番、大事なことなのだと思う。
<そして、どうか、本当に苦しいと思うが、現実に体験をした人は、攻撃をした側もされた側の
人も、できるだけありのままの事実を伝えて欲しいとも願っている。そっと書きのこしてくれる
のでもいい。事実が埋もれてしまわないように、力を貸して頂きたい。>
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昨日も書いたが、別に自虐史観をとる必要はないのだ。
私は、絶対的に正しい戦争などないと思っているが、どちらかが一方的に悪い戦争もないの
ではないかと思っている。その場では、一方的に悪いように見えても、その要因をたどって行け
ば、「なるほど、過去にorその背景に、そんなことがあったのか」と理解できることは少なくない。
ただ、いかなる要因や背景はあれ、戦争はよくないのだと。避けるべきことなのだと。武力に
よる攻撃、殺傷行為だけでなく、その周辺で起きる様々な出来事や精神的な被害も含め、それ
らを知って、こういうことが起こらないようにしようと感じることが大事なのだと思うのだ。
戦争中は、特に実際に現場で闘っている兵士たちは、精神的に異常な状態になる。逆に言え
ば、正常な精神状態では、とても闘ってはいけないとも言える。
彼らは、人を殺して行くのだから。また、そうしなければ、自分が殺されるかも知れないのだか
ら。何か自分の行為を正当化したり、心の傷みを覆ってくれるような信念や思い込みがなければ
とても闘うことはできないし。そのような中にいれば、次第にアタマも心も、理性や感情が鈍磨
してしまっても致し方ない面があるのではないかと思う。
<その苦悩を鈍磨させるために、兵士たちの中には、麻薬を使うこともあったりする。>
平和&平穏な状況の中で、「何で、あの時、あんなことをしたのか?」と責められるのは、あまり
にも酷なのではないかとも思う。 だから、私は個々の兵士を責めようとは思わない。
ただ、国として、客観的に見て、自国の政府や軍隊が問題のある考え方や判断をしたり、それに
基づく指示や行為をしたりしていれば、また自国の兵士に何か問題がある行為をしていたならば、
同じような過ちを繰り返さないためにも、私たち後世の者が、反省すべきことは反省し、謝罪すべ
きことは謝罪すればいいのではないかと思うのだ。
* * * * *
でも、私が今、一番おそれているのは、一度は明るみに出た事実を覆い隠そうとする動きが
あったり、一度は反省したことを正当化するような動きがあったりすることだ。
それは、たとえば沖縄の集団的自決の教科書検定の問題であり、安倍首相も関わっている
「議員の会」などが行なっている慰安婦問題や南京大虐殺を否定するような活動であり、彼らが
大東亜戦争と呼ぶ戦闘&侵略行為を正当化するような動きである。
まあ、人それぞれ考え方が異なるだろうし、歴史の解釈も様々あるだろうから、本人たちがそう
思い主張する分には、構わないと思う部分もある。
ある程度、自分なりの価値観を形成し、自分なりに判断ができる大人同士であれば、見解の
違いはあっても、その見解を肯定するか否定するか自分で選択することができる。
だが、そうではない子供たちに、特定の価値観を植え付ける目的で、意図的に事実を隠したり
ゆがめたりする形で教える(or伝える)ことは、絶対に許容してはならないと思うのだ。
そして、ある70代の人と話したことがあるのだが・・・。私は、実際に戦争に関わった人
たちが、自分や同胞の行為を肯定、正当化するために、そのようなことを行なうのは、まだ
理解できるのだ。
彼らは、小さな頃からそのような価値観を植えつけられてもいたし、それに基づいて、自らも
ある種の信念を強く抱いて、闘っていたからである。
<南京大虐殺にしても、慰安婦問題にしても、当時の中国人や朝鮮人、そして女性に対する
考え方、見方を思えば、致し方ない面があったのではないかという人もいる。>
ただ、その人にとっても、私にとっても不思議なのは、何故、まさに戦後世代の安倍首相や
その仲間たちが、そしていわゆる新保守層(ネオコン層)やネット・ウヨとも呼ばれる20~40
代を含む若い世代の人たちが、戦後体制(レジーム)を否定して、復古主義的な国家再興を
を目指したり、歴史修正主義を実行に移そうとしたりすることなのである。
~ ~ ~ ~ ~ ~
最後にチョット・・・プロレスラーの大仁田議員が、いきなり次の参院選比例区に出馬せず、
政界を引退することを発表した。
大仁田氏は会見で、「7月29日投票では夏休みに突入してしまい、政治に関心のない人
たちに行き届かない政治になる。参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」と述べた。
引退の直接の理由は、安倍政権が主導した今国会の会期延長と、参院選の日程先送りに
対する抗議だと説明。「国民が求めているのは付け焼刃で法案を通すことでなく、慎重審議だ
と思う。選挙目当てにウソをついてまで当選したくない」と強調したという。
パフォーマンス性が高い部分もある大仁田氏だが、今回の会見を見る限り、彼の言って
いることは、至極まっとうであると思う。
参院の議員の中にも、同じ思いを抱いている人が、少なからずいるのではないだろうか?
以前にも書いたかも知れないが、彼はプロレスを続けながら、定時制の高校、大学を卒業し、
(私はこのことに敬意を抱いている>、そして若い人たちと政治の接点になりたい、若い人たち
に意欲を持てる政治、社会にしたいと言って、6年前に比例区から立候補し、3位で当選した。
有名人が安易に出馬するのは好きではない私なのだが、彼が政治家としてどのような活動を
するのか、楽しみにしていた部分があった。
外から見て、ガッカリするようなところもあったが。何より本人がガッカリしていたのかも知れない。
そして、大仁田氏の不出馬を受けて、教育再生会議で目だっていたヤンキー先生こと義家
弘介氏が、出馬することになったという。
少し前から、やたら政界と接触したがっていたとのウワサがあったのだが。<その第一歩が
横浜教委→教育再生会議だったわけだが。>大仁田の不出馬で、絶好のチャンスが転がり
込んで来たと言えるのかも知れない。(>_<)
義家氏に関しては、また改めてツッコミたいと思うが。おそらく国民の多くも、彼のうさん臭さ
には気付いているのではないかと思う。「簡単に比例区上位になると思うなよ!」と言いたい
気分である。
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↑ 残念ながら、2位陥落。 でも、またコツコツと上を目指して。(@_@。
報道記事は↓Moreの部分に
『沖縄は23日、沖縄戦終結から62年の「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市の平和祈念公園では、安倍晋三首相らが参列し、恒久平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。
安倍首相は「沖縄の方々が筆舌に尽くし難い苦難を経験したことを私は大きな悲しみとする」とあいさつ。沖縄県の仲井真弘多知事は「沖縄戦の真実の姿を次の世代に伝え、その教訓を私たち一人一人が胸に刻み、平和の実現のため日々努力することが求められている」との平和宣言を読み上げた。
式典が50回目を迎えたのを機に会場は従来の菊を飾った祭壇を一新。新たにサトウキビ畑をイメージした340本の白い紙筒が設置された。県では「サトウキビは沖縄の代表的風景であるとともに、飢えをしのぐなど命をつないだ思い入れの深い作物」としている。
沖縄戦をめぐっては、今年の教科書検定で日本軍が「集団自決」を強制したとの記述が一斉に削除されたことから、沖縄県議会が22日、検定意見撤回を求める意見書を可決するなど国に対する批判と不信が強まっている。
沖縄戦などの戦没者名を刻んだモニュメント「平和の礎(いしじ)」には、新たに戦艦大和の乗組員や韓国出身の戦没者ら235人が刻銘され、総数は24万609人となった。
<産経新聞 23日>』
『沖縄戦戦没者慰霊の日の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和の礎(いしじ)では、早朝から遺族たちが次々に訪れ、祈りをささげた。だが「鉄の暴風」から62年を経て、地獄絵さながらだった集団自決を巡って高校の歴史教科書が書き換えられ、波紋が広がる。安倍晋三首相も参列した戦没者追悼式では、集団自決があった慶良間列島の座間味(ざまみ)島で米軍に投降した「14歳の祖父」に寄り添い、13歳の孫が平和を誓う詩「写真の中の少年」を読み上げた。
同県浦添市に住む沖縄尚学高付中2年、匹田(ひきた)崇一朗さん(13)。小学5年だった04年、母が「おじいさんが写ってるよ」と一冊の写真集を見せてくれた。そこには、05年に76歳で亡くなった祖父、松本忠芳さんの若い日の姿があった。
1945年3月27日、投降を促され、当時14歳の忠芳さんが母親や親せきら二十数人とともにガマ(壕(ごう))を出た直後に米軍が撮影した1枚。匹田さんは忠芳さんがぽつりぽつりと語る言葉に耳を傾けた。
詩は、祖父の思いを紡ぐ。
<やっとの思いで入れてもらった親戚(しんせき)の防空壕 泣きじゃくる赤ん坊の口をふさぎ 息を殺して奴(やつ)の通り過ぎるのを祈った>
モノクロ写真に写る14歳の祖父は、恐怖と絶望感に震えてうつむいていた。想像もしなかった、62年前に祖父に起きた出来事。当時の祖父に近い年齢になった今年「詩に書きたい」と思った。
<壕の外でアメリカ兵の声 『出て来い』と叫んでいる 出て行くと殺される 『もう終わりだ』 少年は心の中でつぶやいた>
住民は「捕虜になったら男は八つ裂きに、女は強姦(ごうかん)される」と聞かされていた。狭い島に逃げ場はなく、米軍上陸後、住民約800人のうち200人近くが自ら、そして家族の命を絶ったとされる。忠芳さんは「このままいても殺されるだけ」と先頭に立って出ていった母に命を救われた。
<だから今の僕がいる 命のリレーは 祖父から母へ 母から僕へとつながった>
「戦争は怖い。でも、自分の命を守るために皆必死で生きていた」。忠芳さんの体験談から感じた匹田さんは、詩の最後をこう結んだ。
<少年から聞いたあの忌まわしい戦争の話を 風化させることなく 語り継いでいこう>
(毎日新聞 23日)』
『『沖縄戦の際、日本軍が住民に「集団自決」を強制したという記述が教科書検定で削除された。一方、この戦争で最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)にある県平和祈念資料館では「集団自決」ではなく、「強制による集団死」という言葉を使って展示をしている。住民の死の実相を伝えるには、その方がふさわしいとの考えからだ。なぜか。来館者らは何を思うのか。
沖縄戦終結の日とされる「慰霊の日」の23日。沖縄全戦没者追悼式が開かれた平和祈念公園の一角にある資料館には、大勢の人が訪れた。00年4月に開館した、まだ新しい建物だ。
「集団死」に関する常設展示は2階にある。「日本軍の強制による集団死」との説明があり、現場近くで見つかったという、さびた刃物やカミソリ、手投げ弾が並ぶ。首の後ろの傷跡を見せている人の写真には「集団死をはかった時の傷跡が残る」との説明が付けられ、「集団死の現場から米軍に保護された人々」という写真もある。
75年に建てられた旧資料館は「集団自決」と説明していた。だが、新資料館建設の際、これが問題になった。
展示内容に関する監修委員の一人だった石原昌家・沖縄国際大教授(社会学)は「『集団自決』とは軍人が責任を取って自殺すること。軍人ではない女性や子ども、お年寄りが責任を取ることはあり得ない。『強制による集団死』との表現がふさわしいと主張した」と振り返る。
こうした議論を踏まえて、資料館の設立理念の文言も一部変更された。旧資料館では、「ある者は追いつめられて自ら命を断ち」と「自決」を意味する表現があった。その部分を「自ら命を断たされ」と受け身の形に改め、強いられた死であったことを明確にした。
資料館は、「集団死」の経緯と背景について、こう説明している。
日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。
この日、沖縄キリスト教学院大の学生3人が資料館を訪れた。平和を願い、学生約20人で折った千羽鶴を届けるためだ。「集団自決」を巡る教科書検定について、「なぜ事実を載せないのか。許されない」と怒った。
糸満市の福田純安さん(70)は「(集団自決の際に)軍が組織として命令を下したのか、一人の軍人が手投げ弾を渡したのかにこだわっても仕方がない。住民は従うしかなかったのだから。教科書の記述は元に戻した方がいい」と話す。
「検定意見は事実を隠そうとしている。起きたことを認めて事実を教えるのが大切だ」と話したのは中城村の大学生、座間味江梨さん(20)。大学に出すリポート作成のため、沖縄戦体験者の証言を聴こうと資料館を訪れた。「当時の教育の力が集団死に追い込んだ。自殺に追い込まれた住民にとっては『集団自決』よりも『強制集団死』という言葉が適切だ」
資料館には「住民から見た沖縄戦」というコンセプトがある。宮城智子館長は話す。「住民の証言は重みがある。日本軍の強制による集団死の事実は否定できない」
<朝日新聞 23日>』
『
二十三日の慰霊の日を前に沖縄県で集団自決をめぐる議論が沸騰している。第二次世界大戦中の沖縄戦で、日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述を削除するよう求めた今春の文部科学省の高校教科書検定意見がきっかけだ。
沖縄の住民たちは「集団自決は日本軍による関与なしに起こり得なかった」と強く反発。その声は県議会まで上り二十二日、文科省に記述修正の撤回などを求める意見書が提出される見通しだ。安倍晋三首相、伊吹文明文科相は沖縄からの異議に真剣に耳を傾ける必要があろう。
文科省は三月、二〇〇八年度からの高校教科書の検定結果を公表した。日本史A、Bで昨年の検定までは軍の強制を明記したものもすべて合格にしていたが、方針を転換。「日本軍は(中略)くばった手りゅう弾で集団自害と殺しあいをさせ」との記述は「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」との意見を付け、修正を求めた。
結局、この教科書は「日本軍のくばった手りゅう弾で集団自害と殺しあいがおこった」と変更。同様に他の教科書も「日本軍により」などの部分を削除し合格となった。文科省は「軍の強制は現代史の通説になっている」としながらも「当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多く、断定的表現を避けるようにした」と説明した。
沖縄の戦争体験者から歴史的事実をねじ曲げるものとの批判が相次いだ。当然だろう。島民三百人以上が集団自決した渡嘉敷村議会は記述修正の撤回を求める意見書を採択するなど沖縄県内四十一市町村議会の約七割が同調。県議会文教厚生委も十九日、意見書案を全会一致で可決した。
意見書はきょう、本会議に提出される通しだ。「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするもの」と指摘、「一般県民を含む多くの尊い生命を失い、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられた県民にとって到底容認できるものではない」と厳しく批判している。
主語のあいまいな受け身の形に差し替え、日本軍による強制性を消し去ることを求めた文科省には何か政治的な意図があったのではないかと言われても仕方ない。沖縄戦は米軍五十四万人、沖縄守備軍は十一万人でとても勝ち目はない中、住民を巻き込み多くの悲劇を生んだ。そして今、国土の0・6%に在日米軍施設の75%が集中している。歴史と現実から目を背けず、きちんと真実を伝えるのが教育だと沖縄は訴えている。<山陽新聞 23日>』