安倍首相の「無能を実感!」+安倍は会見で、右側からの批判を逃れようとした?!
2007年 07月 05日
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あまり久間発言の問題を引っ張っているのも何かな~と思ったりもするのだが。
この件は、ある意味で、安倍首相or安倍政権の本質や問題点が凝縮されたところが
あると言えるし。そして、あまり政治に関心のない人たちも含めて、一般国民にその
問題点がわかりやすく伝わるものだとも思うので、ついつい書きたくなってしまう。
年金納付記録問題の場合は、もとはと言えば、社保庁の何十年の怠慢が積み重なっ
て生じたもので、安倍政権にそう大きな責任があるものではないけど。
<ただ、もっと早くから事実がわかっていたのに、すぐに公表&対応をせずにいて、
メディア、国民等からの批判が大きくなってから、あわてて対応したという点では、
安倍首相にも責任があるし。何だか今回の久間問題の対応の仕方にも、かなり似て
いる部分があるような気が。(・・)>
でも、久間発言の問題に関しては、言い訳のしようがないと思うのだ。
そもそも久間氏を防衛大臣に任命したのは、安倍首相なんだし。久間氏が、閣僚
就任以来、かなり問題発言をしているのもわかっており、それ相当のケアも必要
だったのだ。
<*1に久間氏の問題発言集をアップ。個人的には共感できるものもあるのだが(と~っても
正直?(・・))、防衛大臣としての発言という視点では、マズイものが多い。>
幸いに(?)この何日か、TVや新聞等では、安倍氏の首相就任当時からの問題を
復習したり、久間発言への対応を30日から3日まで時系列で示して、安倍首相が
いかに国民の気持ちを読めず、適切な対応ができなかったのか、その判断能力や指導力
の欠如を指摘する報道が多いので、おそらく多くの国民は、安倍氏が首相としての力が
不足していることを実感したのではないかと思う。<無能を実感?!(@_@ >
* * * * *
そして、ちょこっと当ブログらしく、この問題を切ってみるなら・・・私は、30日
の安倍首相&周辺の対応に、彼らの本質や問題点が如実にあらわれているように思う。
自民党の舛添議員が、安倍首相の対応のまずさに関して「ぼやが火事にしてしまった」
と表現したそうだが。・・・私は、久間発言の重大性は、とても「ぼや」レベルである
とは言えないと思うけど。その前の防火措置も不十分だったと思うし、仮に失火して
しまっても、早期に適切な鎮火活動をしていれば、ここまで火が燃え広がらずに済んだ
可能性があったのではないだろうか?
<仮に久間氏が辞任するとしても、安倍官邸の無能ぶりをここまで露呈することは、
なかったであろう。>
では、安倍首相は何故、今回の件で、適切な対応ができなかったのか?
その最大の要因は、周辺スタッフも含め、彼らにはそのような判断能力、指導力、
資質などが乏しかったからだろう。
<小泉政権の場合、官邸にはあの飯島秘書官(+お姉さん)やその他の優秀なスタッ
フが、内閣の要の官房長官に福田氏や細田氏のように、他の閣僚や党内幹部とうまく
連携をとって調整をする人がいたが、今の安倍政権にはそれがない。>
ただ、今回の対応を見ていると、そこには、安倍首相の感性や思想、政治家として
のあり方というものも、大きく影響しているのではないかと思えるのである。
* * * * *
少し30日のことを振り返ってみたい。
久間氏が大学の講演で「しょうがない」発言をしたのは、30日の午前中だった。
そして、この件は30日の午後にはもう一部の新聞社が配信しており、その情報
を得た野党から次々と批判が出始めていた。
安倍首相が、この件の一報を受け取ったのは、30日の午後。遊説先の四国に
向かう車中だったという。『首相周辺によると、秘書官の報告に「何でだ」と当惑した
様子で、「選挙も近いし、発言には注意してもらわないと」と不快感を示したという。』
<「何でそんなこと言ったんだ」と言ったという記事もあった。>
また、『「右からも左からもたたかれる発言だ」と弁解の余地はないとの認識を示し
ていた』との話もあった。<時事通信・毎日新聞3日などより>
そして、30日夜、遊説が終わったあとに香川県丸亀市で記者会見が行なわれたの
だが。<この時点で、まだ情報が断片的だったらしいが> 安倍首相はここで記者から
久間発言に問われて、このように対応した。
『「米国の(当時の)考え方について紹介したと承知している」と述べ、問題はない
との認識を示した。被爆者への配慮を欠いたのではないかとの質問に対しても「被爆の
惨禍の中にあった長崎について忸怩(じくじ)たるものがある、という被爆地としての
考え方も披歴された。いずれにしても核廃絶が日本の使命だ」と強調した。<共同、
毎日30日抜粋>』
<ちなみに、久間氏が1日午後になって長崎で謝罪をしたのは、自民党の中川幹事長が
同日に久間氏に電話をして「長崎に帰るなら謝罪をした方がいい」と進言したからだと
報じられているが・・・。30日の時点では、中川幹事長<広島が地元>も「原爆投下
と(ソ連)参戦の関係は歴史観の問題で、一個人の意見。コメントの必要もない」と
述べており、この問題を大きく取り上げない方針を示していた。
(中川氏自身、本心ではマズイと思ったのか。それとも30~1日朝の間に、地元・
広島から、あの発言を放置するのはマズイというクレームが来たのか。>
* * * * *
安倍首相が今回の件で、適切な対応ができなかった大きな要因は、安倍氏自身がこの
久間発言の情報を得た時に、一般国民とは異なる感覚で受け止めたからなのではないか
と思う。
私が彼の立場であれば、「原爆に関する話はナーバスな問題なので、慎重に対応しな
ければならない」「原爆投下がしょうがないという表現は、被爆地の人たちを傷つけ
たり、怒らせたりするだろうし、メディアや野党、一般国民も問題視するだろう」と
考えるし、参院選対策も含め、それをいかに鎮めるかを考えると思うのだ。
ところが、安倍首相には、原爆の話がナーバスなものであることや、被爆地の人たち
の心情や一般国民の反応を十分に推測、認識することができない。彼には、ココロの
部分でそれらを直感的に察知する感性も乏しいし、アタマの部分で経験則や理屈によっ
それらを想像、推測し得る能力も乏しいのである。
<それゆえ、中川昭一氏や麻生太郎氏の核議論発言なども、放置していたりする。>
* * * * *
安倍首相は、この一報を受けて、「これはマズイ」と、それが参院選に影響するかも
知れない問題発言であることを認識する。ただ、ここがある意味で、まさに彼らしい
ところであると思うのだが、「右からも左からも叩かれる発言だ」と思うのだ。
実は私は、当初、安倍氏が何で大事な30日の会見で「アメリカの考えを・・・」と
いう発言をしたのか不思議に思う部分があった。私の感覚から言えば、そんな説明
は一般国民には「???」だし、被爆地の人に対して何のフォローにもならない
ばかりか、却って神経を逆撫でするようなものだと思ったからである。
でも、あとから「右からも・・・」の記事を見て、「な~るほど」とようやく
理解、納得できるところがあった。
安倍氏は、それこそ直感で「この発言は、右・保守系の反感を買う」ということを
察知して、自分の支持者である右・保守系の人たちに「久間発言はあくまでも、アメ
リカの考え方の説明であり、自分たちはそんなことは考えていない!」ということを
アピールしたかったのであろう。
<実際、右・保守系の人たちの間には(ブログなどでも)、「久間発言は米国の主張を
正当化・是認する売国奴的なものだ」「久間氏は、歴史認識が誤っている」などの批判
が少なからずあったという。>
つまり安倍氏は、被爆地や一般国民の心情や反応よりも、まずは左右を考え、真っ先
に右・保守系の反応を考えてしまうのである。
<つづく> THANKS
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久間防衛相語録 問題発言など
「(自衛隊艦船が給油中の米艦船が攻撃を受けた時に自衛隊が)黙って去っていくことは事実問題としてできない。(自衛隊法の)武器等防護の規定で(反撃は)やれる」(2006年10月25日、記者会見)
「(非核三原則で禁じている核兵器の持ち込みについて)日本をかすめるような状態で(核搭載の)潜水艦が動く分には持ち込みにはならない」(11月16日、CS番組)
「日本は政府として(イラク戦争を)支持すると公式に言ったわけではない」(12月7日、参院外交防衛委員会)
「法律的に一番危なっかしいのはテロ対策特別措置法だ。米国が(アフガニスタンへの)戦争を仕掛けるのに、後方支援として応援している」(同)
「核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていたと思う」(07年1月24日、日本記者クラブでの会見)
「(米軍普天間飛行場移設は)沖縄県知事の意見を聞きながらやらなければならないのに、米国は分かっていない。あまりえらそうなことを言ってくれるな、日本のことは日本に任せてくれと(米側に)言っている」(1月27日、長崎県諫早市での講演)
「原爆を長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」(6月30日、千葉県柏市での講演)
2007年07月03日14時14分西日本新聞