核保有、核の報復を考えていた岸、佐藤&それを阻止した国民の思いと力+M1、NON STYLE優勝+keibaなど
2008年 12月 22日
腰の右側にも痛みがあるし。何だか学生時代に、volleyballのハード
な練習が終わったあとみたいな感じだ。(・・)
・・・一体、mewは、寝ている間に、何をしてたんだろう?(@@。
最新の記事一覧は、12月分・・・コチラ、11月分・・・コチラ
*印のついた報道記事は、記事の最後のMoreの部分にあるです。
まず、JRAでは、2歳牡馬のGI、朝日杯FS(フューチャリティ・
ステークス)が行なわれて、セイウンワンダーwith岩田騎手が優勝
した。(*^^)v祝 <何か名前が父・GワンダーとSスカイで、強そう?>
ただ、枠や展開もよかったというとこがあったので。各馬の強弱は
まだ来年にならないとわからないかな~という気もした。
恐るべし、武ユタカ。11月23日に落馬して手首を骨折しながら、
まだ1ヶ月しないのに、昨日のレースで早くも復帰。<大賞典に間に
合ったのは嬉しかったのだが。個人的にMサムソンは石橋騎手を
乗せたかったんだけどな~。(・・)>
岩田騎手は、今年GI4勝(最多勝)も、今週失格レースがあって、
年末年始は騎乗停止に。^^;<有馬と大賞典は騎乗できず。Aモナーク
は、川田騎手が乗ることになったらしい。>
サッカーのトヨタ・クラブW杯は、マンチェスターUが、ロナウド
→ルーニーの豪華なコンビの1点をしっかりとって、全体的にも
しっかり守って、きっちりと優勝したな・・・という感じ。
ガンバ大阪も、3位決定戦で勝って、昨年の浦和に続いて3位に
なった。"^_^"
* * * * *
そして、昨日、世間的に(?)一番大きなニュースはと言えば、
もしかしたらM-1なのかも知れない。(・・)
<昨日は、過去最高の視聴率23・7%(関東地区・瞬間最高視聴率
30・3%)を記録したとか。>
【追記・ 関西地区では平均視聴率は35.0%、最高視聴率43.1%
を記録したんだって。(・o・) NON STYLEの写真つき記事はコチラ>
決勝に残った3組は、ナイツ、NON STYLE、オードリーで。
戦前は、今年はナイツが一歩リードかと言われていたのだけど。<ナイツ
は、ハナワの弟さんがいる「YAHOO→ヤホ~」で出有名なとこ。>結局、
オードリー2票、NON STYLEが5票で、NSが優勝。第8代
王者になって、1000万円の賞金を手にした。(*^^)v祝
もともとミュージシャンを目指して、路上で活動していた2人が、
途中からストリート漫才に転身。以前からチラホラ見たことがあった
のだけど。今年、東京進出して来たばかりなので、3組の中では
最も知名度は低くて。<もう8年もやっていたのね。^^;>
昨日の決勝も、ナイツとオードリーのネタは過去に見たことがあった
し、かなり個性が強いので。スピード感のあるNON STYLEが
一番、今時っぽく、新鮮に感じられたとこがあったかも知れない。
ただ、逆に言えば、見た目や話し方は一番ふつ~っぽい(個性が
ない)、そしてトークに難があるとのことで<これは、しばらくツッ
コまれネタにされそう?・笑>、今後、どのようにアピールして行く
のか、見守って行きたい。(~~)
<お笑い評論家・ラリー遠田さんによると(テリー伊藤を文字った?)
手数の多さが決め手になったとか。なるほどね~。exciteコチラ・・・
でも、あまり忙しい&何言ってるかわからないうちにネタが移って行く
のも、チョット疲れるのよね。・・・それは歳のせいなのかしらん?^^;>
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
昨日から今日にかけては、外務省が22日付で公開する日米の外交
文書に関する報道がかなり出ていた。
今回の文書公開では、核のとり扱いに関して、新たな事実が色々と
判明し、注目を集めているようだ。
<既に言われていたものも少なからずあったけど。ちゃんと事実と
して、明らかにされたという感じ。(・・)>
<詳しいことは、毎日新聞が特集しているので、コチラをご覧頂きたい。
More部分に、概要を記した報道記事をアップしておくです。>
実は、mewも時間がないので、まだじっくりと各社の報道記事を
読んでいないのだけど・・・。
たとえば<たまたま、安倍っちの祖父と叔父の話なのだが^^;>、
こんな報道が出ていた。
1959年、岸信介元首相が、自衛のための核兵器保有は憲法上
可能との考えを表明し、当時の社会党が国会決議を目指した「非核武装
宣言」に対し、外務省が「わが国の安全保障に寄与するところは少ない」
と反対する見解をまとめていたとか・・・。(*1)
<ちなみに、この頃、岸氏は、60年安保条約の締結と共に、憲法改正
&自衛隊の軍隊化(日本の再軍備)を目指していたのだけど、国民の
抵抗が激しく、選挙でも十分な議席がとれず、失脚した。(**)>
そして、佐藤栄作元首相は、後に非核3原則のアピールでノーベル平和
賞を受賞しているのだが。国民世論を考え、核武装は困難だと思っていた
ものの、そのために64~5年当時は、米国側に、「核の傘」の保証を求め、
もし日本が核攻撃をされた時には、米国に核による報復を要請していたと
いうことがわかった。(*2)
また、日本近海での洋上からの攻撃を提言、日本国内の港に核搭載の
艦船の停泊を認める密約のようなものをしていたという。(*3)
<あくまでウワサの域ではあるが、いまや日本に寄港している艦船には、
核兵器が詰まれてて当たり前。下手すると、国内の米軍基地にも核兵器
が持ち込まれているのではないかとさえ言われている。(ーー;)>
【追記・おまけで、米国の核実験再開に難色を示した池田元首相の
話と、田中角栄元首相&ニクソン会談の話も、Moreにアップした。】
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毎日新聞22日の特集で、黒崎輝・立教大兼任講師(国際政治学)が
こんなコメントを寄せていた。
『佐藤栄作までの戦後の首相は、大半が「核を持って当然」と思って
いた節がある。他方で政治家の意思とは別に政府の現実的立場は整理
されてきた。それを加速したのは中国の核開発だ。佐藤首相は核抑止力
の必要性を強く感じたが、反核世論は無視できず、日米首脳会談で非核
を明確にした。核拡散を危惧(きぐ)する米国も「核の傘」の提供を
再確認した。こうした動きが非核三原則と核4政策へとつながった。』
つまり国民の世論が、政府首脳に日本が非核3原則を掲げて、それを
守るように導いたということである。
<mewは、日本が現憲法の平和主義を堅持して、憲法改正や自衛隊の
軍隊化を防いで来たのも、国民の力が大きかったと思っている。
それは、決して占領政策や日教組や自虐史教育、中韓のせいではない。
日本の国民の多くが、日本が平和を維持して、武力行使や核武装を
しない国であることを望んでいたのだ。(**)>
* * * * *
それに、外交には、秘密の協議や約束がつきものではあるとはいえ、
やはり国民の知らないところで、アブナイ話や約束が交わされていた
ことには、脅威を覚える。(-"-)
<ましてや、国民のためを思って国政を担っているとは思えないような
首相や政治家、政府官僚に、勝手に話を決められたくはない。(`´)>
また、このブログでもよく書いているように、今も尚、日米の間で、
安保や軍事的なことで、国民の意思など考えずに、彼らの思惑だけで、
勝手に様々な計画や密約が行なわれている可能性は極めて高い。
<2011年までに(遅くとも2014年までに)日米軍一体化による
新安保体制&憲法9条改悪の計画とかね。(ーー;)>
* * * * *
しかも、今でも、いわゆる保守タカ派(特に超保守派)の政治家や
識者は、日本は核武装をすべきorその議論をすべきだと主張している。
<少なくとも中川昭一、麻生、安倍氏などは、公の場で、そのような
発言をしたことがある。あの田母神氏もしかり。(-"-;)>
彼らは、日本が軍事力を強化するためには<特にお隣の中国に対抗
して、アジアの覇権を握るためには?>、日本が核武装をすることは
いとわないし。
秘密裏に、日本が核開発や核武装をする準備を進めているという
ウワサまであるほどだ。^^;
<昨日も書いたけど、今度、自衛隊が導入するM31ロケット弾
だって、もともと米国は、核弾頭を搭載するために、開発したもの
なのだから。(`´)>
* * * * *
幸い、情報化が進む今日では、岸元首相や佐藤元首相の時代よりも、
はるかに、様々な情報を入手したり、国民に伝えられたりするチャンス
や能力が増大しているように思うのだが・・・。
でも、マスコミがそれをきちんと伝えようとしなければ、また国民
がそれに関心を持たなければ、意味がなくなってしまう。(-"-)
どの政党や政治家を支持するかは、国民それぞれの自由だけど。
もし、日本の軍事化を好ましく思わず、平和主義や非核三原則の
堅持を望む人は、そのことまで考えて、これからの国政選挙に臨んで
欲しいな~と、心から願っている。(・・)
そして、マスコミも含めて、私たち平和を願う国民は、それらの
情報をしっかり意識&ウォッチして、これからの日本のアブナイ流れ
を、もう一度、国民の力で阻止しなければと、改めて思わされたmew
なのであった。(@@。
<今日は時間がないので、ちょっと短め。時間ができたら、書き
足すかもです。>
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さらに現政権にノーさんが作った「THE BLOGGER」をご参照下さい。
*1
『東西冷戦下の1959年2月、社会党(現社民党)が国会決議を目指した「非核武装宣言」に対し、外務省が「わが国の安全保障に寄与するところは少ない」と反対する見解をまとめていたことが、22日付で公開された外交文書で分かった。
当時の岸信介首相は、自衛のための核兵器保有は憲法上可能との考えを表明。同省も将来の核保有の可能性を排除しないよう、国会対策などのため基本的な見解を準備したとみられる。
見解は、非核を一方的に宣言しても、「周辺諸国が同様に核兵器を保有しないとか、わが国に核攻撃を行わないとかの保証を伴わない」と指摘。「安全保障の確保という至上の外交目標の遂行に当たり、あらかじめ柔軟性を失うというような結果は避けるべきだ」としている。<時事通信22日>』
*2
『外務省が22日付で公開した外交文書によると、中国による初の核実験後、1965年1月の日米首脳会談で、佐藤栄作首相(当時)が日米安全保障条約に基づき、日本が核攻撃を受けた場合に米国が核兵器で報復する「核の傘」の確約を迫り、ジョンソン大統領(同)が「保証する」と応じていたことが明らかになった。また、マクナマラ国防長官(同)との会談では、佐藤首相が「核による報復を期待する」と要請していたことも分かった。
日米首脳がこの会談で米国の「核の傘」を確認したことは、米側の公文書などで知られていたが、日本側文書でも裏付けられた。
首脳会談は65年1月12、13両日にホワイトハウスで行われ、大統領は初日の国務長官らを交えた全体会合の前に、佐藤首相を別室に招き入れ、約50分間話し合った。
首相はこの中で、中国が64年10月に初めて原爆実験に成功したことに触れ、「日本は核武装は行わず、米国との安保条約に依存するほかない。米国があくまで日本を守るとの保証を得たい」と求めた。これに対し、大統領は「保証する」と一言で確約した。
外務省は会談前に、「核兵力を含むあらゆる戦力の行使」を求める文書を用意していたが、首相はこうした言及は避けた。ただ、マクナマラ長官との会談では「戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と明確な表現で要請。海上施設を建設して核兵器を持ち込む構想まで披露し、同長官が「技術的な問題はない」と応じる場面もあった。<時事通信22日>』
*3
『 1965年1月、佐藤栄作首相が首相として初訪米した際のマクナマラ国防長官との会談で、中国と戦争になった場合「米国が核による報復を行うことを期待している」と、先制使用も含めた核による即時報復を要請していたことが、22日付で外務省が公開した外交文書で明らかになった。首相は「洋上のもの(核)ならば直ちに発動できるのではないか」と、核の持ち込み黙認とも受け取れる発言もしていた。<共同通信22日>』
『65年1月に佐藤栄作首相がマクナマラ米国防長官(肩書は当時)との会談で、核を搭載した米艦船の寄港を容認したと受け取れる発言をしていたことが、22日付で外務省が公開する外交文書で判明した。核の持ち込み問題で日米間に「密約」があったことをうかがわせる史料が、日本側にも残されていた。
同月、首相として初めて訪米した佐藤首相は、13日にマクナマラ氏と45分間会談した。会談要旨によると、首相は中国が前年に行った核実験に触れ、「戦争になればアメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している。(略)洋上のもの(核)ならば直ちに発動できるのではないかと思う」と述べた。マクナマラ氏は「洋上のものについてはなんら技術的な問題はない」と答えた。
ただ佐藤首相は、日本の核兵器所有や使用には「あくまで反対である」と述べ、核兵器の日本の陸上基地への持ち込みは「発言に気をつけていただきたい」と否定的に語った。
日米間の核問題に詳しい我部政明・琉球大教授(国際政治学)は、有事には日本近海での米軍の核搭載艦船の迅速な行動を佐藤首相が望んだと解釈できる、と指摘。これらの艦船が補給などで日本に寄港することになり、「首相は、核搭載艦船が事前協議の対象外として寄港することを前提に話したとみられる」と分析する。
また会談でマクナマラ氏は、「日本がその防衛産業のなしうるような軍事的援助をアジアの諸国に与えることはできないであろうか」と、日本の武器輸出の可能性を質問。首相は、日本が生産していた宇宙開発用ロケットに言及して「必要があれば軍用にも使うことができる」と述べた。
首相は「中共の核爆発の性質については昨夜(CIAから)説明を聞いた」とも発言。米中央情報局(CIA)が首相に中国の核実験の実態を説明していたことも判明した。首相がCIAに「ソ連、中共の地上設備」の衛星写真を示されたことは首相自ら日記などで記していたが、その一端が具体的に分かった。我部教授は「日本の情報収集力のなさを知る米国側は、国際情勢での首相の独断的な理解や不用意な発言をなくすため、CIAの情報を与えていた」と解説する。
99年に公開された米側史料では、日米両国は60年の安保条約改定の前に、核兵器を搭載した米軍艦船の日本寄港などは、条約の付属文書で定める事前協議の対象としないと、秘密裏に合意していたことが判明している。
佐藤首相は74年、非核三原則の提唱などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。
▽鈴木量博・外務省日米安全保障条約課長の話 日米間に「核密約」はない。佐藤首相の発言は、戦時において、洋上からの米の核抑止力の提供に一般的な期待を表明したものだと考えている。<毎日新聞22日>』
* おまけ?
『米国とソ連(当時)が核実験を自粛していた1961年6月、訪米した池田勇人首相(同)が、ケネディ米大統領(同)から翌年1月にも実験を再開する意向を伝えられ、国際世論対策の面で協力する考えを表明していたことが、22日付で公開された外交文書で分かった。首脳会談から約2カ月後、ソ連は実験を突然再開。米国も対抗して地下実験を強行した。日本政府は米側に「深い危惧(きぐ)」を示して抗議したが、実際は再開方針を了解していた。
東西冷戦下の軍拡競争で緊張が高まる中、米ソ両国は58年11月から核実験を自粛していた。一方で、双方とも自陣営に有利な条件で実験停止協定を結ぼうと、ジュネーブ核実験停止会議などの場で火花を散らしていた。
61年6月20日に行われた日米首脳会談で、大統領は池田首相に対し「ソ連が実験を行っているか確かめる方法がない。このままでは米国が後れを取る可能性がある」と不安を吐露。「夏ごろには方針を決定しなければならない。再開せざるを得ない立場に追い込まれた点をどう説明したらいいか、意見を伺いたい」と切り出し、「決定の場合、時期は来年1月ごろになると予想される」と伝えた。
これに対し、首相は再考を求めながらも、「再開を避けたい気持ちをソ連に迫り、それにもかかわらずソ連側が受け入れない事実を広く世界に示すことが必要だ」とアドバイス。「日本は核爆発の被害経験もあり、本件のPRについて国連などを通じて積極的に実施することも考えられる」と申し出た。
23日の第3回会談でも、大統領は「ソ連のせいであることを周知させる努力をしてほしい」と再び要請。首相は「賛成するわけにいかないが、再開決定に追い込まれた立場は了解する。いずれにせよPRに努める必要がある」と応じた。<時事通信22日>』
『1973年8月の田中角栄首相(当時)とニクソン米大統領(同)による共同声明をめぐる調整で、日本の核拡散防止条約(NPT)の批准問題には触れないよう日本側が水面下で強く働き掛けていたことが、22日付で公開された外交文書で明らかになった。米側は日本の核開発を警戒していたが、批准反対論が国内で高まることを懸念する日本の主張を受け入れた。ニクソン大統領は首脳会談でも取り上げなかったという。
NPTは、米ソ英仏中の5大国以外の核兵器保有を禁止した。日本は70年に署名したが、自民党内には核武装の選択肢を失うNPTへの反対論もあり、批准していなかった。<同上>』