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2019年 05月 01日 ( 1 )


頑張ろう、東北&関東!そして、熊本、北海道の震災被害、全国各地で豪雨被害を受けた方々も。
     ・・・身近な希望と幸福を大切に、復興に向けて、一歩一歩、前進を!o(^-^)o

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【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】  


 いよいよ令和が、そして5月が始まりましたね~。(^^♪

 昨日も書いたけど、令和の時代も戦争に参加せず、平和でありますように。日本が世界の平和に貢献できる国になりますように。大きな災害がありませんように。
 そのためにも、日本の民主主義がしっかりと発展、成熟するようにと願っている。(・・)

 そして、皆さんが健康で、楽しい日々が送れますように。"^_^"

 色々大変なこともあるかも知れないけど、頑張って行きましょうね。あと令和が平和な時代になるように、アブナイ国にならないように、オトナがきちんと行動すると共に、大事なことを伝えたりしないといけないな~とも思っている。(**)

* * * * *

 ちょっと肩~腕を故障してしまって(アスリートでもないのに)、あまりPCが打てない状態に。痛い間はコピペ記事が多くなってしまうかも知れないのだけど、ご容赦を。m(__)m

 最初に、mewが大好きだった明仁天皇が退位される際に、述べられた最後のお言葉(全文)を。
<今日まで明仁天皇って書かせて下さいね。>

『天皇陛下のお言葉全文

 天皇陛下が退位礼正殿の儀で述べられた最後のお言葉は次の通り。
 
 今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
 ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
 即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
 明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。(時事通信19年4月30日)』

 明仁天皇には、皇太子時代からずっと多くの公務を務めて来て、本当におつかれさまでした。m(__)m <特に国内外の戦争で被害にあった地域を回ったことには、大きな意義があると思う。>
 美智子妃も、色々な困難があり、時に体調を崩しながらも、懸命に皇太子&天皇を支えて来て、おつかれさまでした。民間人出身として、皇室に一般国民に近い生活を導入し、一般人の目線に立った言動を取り入れて来たことも、素晴らしいと思う。<天皇もその影響を受けた感じが。>

 以前に何回も書いたけど、mewは、明仁天皇は、日本で最も憲法と平和を大事にして来た人だと思っている。(**)

 そして、また災害の際には、夫妻そろって、早い時期から何度も現地に赴き、被災した人々に本当に寄り添って心を癒し、励まして来たことには、国民の多くが有難く嬉しく思っているのではないかと察する。(・・)

 後半に載せる記事には、国民と共に歩もうとした明仁天皇を右派がバッシングしたにもかかわらず、その意思を貫いたという話が書かれている。(-"-)
<右派って安倍首相も所属している日本会議の前身とかのことね。彼らは天皇は「国体」「限りなく神に近い存在」として、あくまでも国民の上に立つ存在でいて欲しいのよね。^^;>

 どうか新天皇夫妻も、早くからバッシングされているのだが。どうか、XXな右派やメディアの批判にめげずに、しっかりと憲法や平和主義を守って行くと共に、さらに国民の中にはいっていくような形で言動をして欲しいと願っている。(・・)

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『両陛下が確立した平成の皇室像に紆余曲折…乗り越えた右派の批判〈AERA〉

 天皇や皇后がひざまつき、被災者に話しかけるスタイルが確立された平成の皇室。全国各地で国民一人ひとりと直接つながることで、おのずと「国体」が強化されていった。一方で、これまでとは違う天皇像に右派から批判があったのも事実だ。放送大学教授の原武史さんがリポートする。

*  *  *

 1962年5月の宮崎、鹿児島、熊本行啓からは、主に地元の青年男女を集めて懇談会が開かれるのが恒例となる。懇談会というのは、皇太子夫妻が泊まった施設や公共施設で、5~10人程度の人々とテーブルを囲み、1~2時間かけて各地方で起こっているさまざまな問題につき、直接質問したり意見を聞いたりする会合のことだ。

 昭和天皇は、東宮御学問所で帝王は言葉を慎むべきだとする儒教式の教育を受けたため、人々との会話に慣れていなかった。この点は香淳皇后も同様であった。一方、皇太子夫妻は長時間にわたり、人々と話し合える言葉の力をもっていた。一見、皇太子が司会の役割を演じながら、座が和んでくると美智子妃が主導したという。

 美智子妃は63年に第二子を流産するが、引きこもらず、皇太子とともに山口県を訪れ、懇談会に臨んだ。地元の保健婦や農村青年と話した時間は、合わせて2時間半に及んだ。言葉の力によって危機を乗り越えるのだ。

 懇談会は、タウンミーティングとしての意味をもっていた。地元議会に女性がほぼいなかったことを考えれば、美智子妃が若い女性の声をすくい上げ、その声が地方紙などに大きく掲載されることの意味は小さくなかった。

 だが右派にとって、天皇と皇后は決して対等であってはならなかった。彼らは昭和天皇のような神格化した権威を、次代の天皇にも求めようとしていたからである。

「日本を守る国民会議」(現・日本会議)を中心とする右派が80年代から復活させたのが、提灯奉迎である。提灯奉迎というのは、ただ提灯行列を行うだけでなく、天皇や皇后に向かって人々が提灯を振り上げ、万歳を叫ぶ奉迎のことだ。

昭和天皇の在位60年に当たる86年11月には、皇居前広場で提灯奉迎が復活した。88年には、昭和天皇の名代として皇太子夫妻が全国植樹祭に出席するため訪れた高松市のホテルでも、提灯奉迎が行われた。

 右派にとっては、人々から仰ぎ見られ、高みから提灯を振る天皇こそ理想の天皇であった。だが彼らの期待に反して、こうした天皇像が平成に定着することはなく、それとは正反対の天皇像が定着してゆくのだ。

 その姿が初めてあらわになるきっかけとなったのが、1991(平成3)年6月に長崎県の雲仙・普賢岳で起こった大火砕流である。

 天皇と皇后は、7月に被災地を日帰りで訪れた。災害の直後に被災地を二人で訪れたのは、これが初めてであった。テレビのニュースには、被災者が収容された島原市の体育館で、天皇と皇后が二手に分かれてひざまずき、同じ目の高さで一人ひとりに語りかける映像が繰り返し流れた。

 これは60年代から福祉施設で美智子妃が率先して行い、皇太子がならったスタイルにほかならなかった。昭和期には天皇と皇后の陰に隠れて見えなかった「平成」が、初めてあらわになったのだ。

 93年になると、昭和天皇と香淳皇后が住んでいた吹上御所に代わる新御所の建設を機に、「皇室バッシング」というべき現象が生まれた。宮内庁職員を自称する「大内糺(ただす)」という人物は、こう述べている。

「本来、ご皇室にとって皇后陛下は、あまり意味のある存在ではない。ご公務はもちろん、大抵の儀式も天皇陛下がおいでになれば事足りる。(中略)それなのに、最近では国際親善の場面にとどまらず、あらゆるところにご夫妻として参加されるようになってきているのである」(「皇室の危機」、「宝島30」93年8月号所収)

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 ここには右派の本音が透けて見えている。彼らにとって、常に天皇に寄り添う皇后の姿は、目ざわり以外の何物でもなかったのだ。

 皇后は、この年の10月20日の誕生日に際して、「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」「事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」などと反論する文書を公表した。言葉に対しては言葉で反論するという姿勢を見せたわけだ。

しかし精神的な苦痛からか、誕生日に倒れ、失声症になっている。だがこのときも、皇居に引きこもることはなかった。11月6日には、天皇とともに松山市の愛媛県身体障害者福祉センターを訪れている。

「出迎えた県聴覚障害者協会長西原治見さん(中略)に、皇后さまが手話で『お会いできてとてもうれしいです』と話しかけられた。西原さんが、皇后さまの体を気遣って『がんばって下さい』と答えると、にっこりほほ笑まれたという」(「愛媛新聞」93年11月7日)

 皇后は、声を失っても手話で人々と会話を続けることで、危機を乗り越えたのだ。またしても言葉の力が発揮されたのである。

 95年1月に起こった阪神・淡路大震災でも、天皇と皇后の現地での振る舞いが右派から批判を浴びた。「日本を守る国民会議」の代表委員を務めていた江藤淳は、「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない」などと述べている(「皇室にあえて問う」、「文藝春秋」95年3月号所収)。

 しかし天皇と皇后は、昭和期に美智子妃が主導する形で確立され、平成になってあらわになったスタイルを変えようとはしなかった。宿泊を伴う定例の行幸啓では右派による提灯奉迎にこたえつつも、天皇の隣には常に皇后がいた。二人は全国各地の福祉施設で、そして被災地で時としてひざまずき、「市井の人々」に同じ目線で語りかけたのである。

 その人数を累積すれば、おびただしい数にのぼる。行幸啓を重ねれば重ねるほど、政府や議会を介在せず、天皇や皇后と一人ひとりの国民が直接つながる関係が強まったのだ。天皇と万単位の人々がひとつになる昭和の「君民一体」とはちがい、今度は一対一の関係で、天皇と「市井の人々」がひとつになる。これをミクロ化した「国体」の強化と言い換えてもよいだろう。(文中敬称略)(放送大学教授・原武史)

※AERA 2019年4月29日-2019年5月6日合併号より抜粋(Aera.dot 19年4月30日)』

* * * * *

  この記事を読んで、新天皇夫妻が右派にめげずに、もっと国民の中にはいって行けるように、一般の国民がしっかり支えて行くことが必要だな~と思ったmewなのだった。(@@)

<mewは皇室崇拝者ではないけど。国民が望む限りは、国民の象徴として天皇制は続いてもいいと思っている。象徴として、国や国民の安寧を祈り、日本の平和主義の維持、被災者などの激励のために尽力して欲しい。>

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by mew-run7 | 2019-05-01 03:56 | (再び)安倍政権について

「平和で平穏で楽しい生活が一番!」 今はアンチ超保守&安倍政権の立場から、mew基準の(時に偏向した?)視点で、政治や競馬、スポーツなどについて書いています。写真は溺愛馬トロットスター


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